ある女性に韓国・ソウルで会った
ある女性に韓国・ソウルで会った。彼女は80歳近くになって北朝鮮の国境を越え、中国、タイを経て、今は娘や孫と韓国で暮らす。
先に脱北した娘たちが母親を呼び寄せる費用を蓄えたという。彼女はゴムボートに身を潜めて国境の川を渡り、20キロ以上も歩いた日も。苦労話なのに冗舌。肉親との再会の喜びが大きいのだろう。
話題は、日本統治の名残で今も北朝鮮で使われている日本語に。「電球はタマと言うし、リヤカー、バケツ、モンペ…」。娘が教えてくれた。女性にも記憶に残る言葉を尋ねると、「覚えていない」と笑って首を振った。そして、沈黙の後、こうつぶやいた。
「皇国臣民の誓い」。私ドモハ大日本帝国ノ臣民デアリマス…。皇民化教育の下、朝鮮半島の子どもたちは斉唱を義務付けられた。中朝国境に近い辺境で暮らしてきた老いた女性が70年も心の奥にしまっていた言葉。それは重く、やるせない。 (神屋由紀子)
=2015/05/01付 西日本新聞朝刊=