みなさんGWですね。どこか出かける予定はたてましたか?私は仕事をしつつちょっとネカフェ行ってソフトクリームを巻いたりする予定です。こういう連休が続くとちょっと考えてしまうのが「あー、私って友達少ないなぁ」ということなんですね。なんかどこか行きたくても誘うような友達って片手で数えるくらいで、それが多いか少ないのかは一般的にはまぁ少ない部類に入ると思うんですけど、普段は仕事ばかりで気にならないことも、ちょっとしたイベントとかあると考えてしまいます。
友達が少ないと言うと、「友人は量じゃない、質だよ」という慰みの言葉をかけていただけるんですけど、なんだかしっくりこないんですよね。そんでそれについて考えてみたらそもそも対等な関係であるはずの友人に対して質云々というのが嫌だったんだなって気づいたんです。
私が今でも仲良くして貰っている人は私の体調を把握してくれている人ばかりで、体調がしんどいとドタキャンをしちゃったりしちゃう私のことを許してくれるんですよね。だから私も友人のドタキャンってあんまりショックとか感じなくて、「あー、そっか!じゃ、またね〜」なんて言ってまたの機会まで延期っていうことも良くあります。
とはいえ、体調を崩したのは大学生後半ですから、それ以前の友人からはだいぶ距離を置かれてしまいましたね。正直なところさみしかったです。私も音信不通で家に引き込もって療養生活していたものですから、その間友人達は戸惑ったでしょうね。どうせっしたらよいかわからなくて。今ならその理由についても説明できるんですが、時間を重ねるにつれだんだんと疎遠になっていきました。わかってはいても苦しいものがありました。もはやこれは諦めるのが最善策なんですけど、あの時体調を崩さなければと考えてしまうときもあります。そんな自分を励ますために「友人は量より質」という言葉があるのかもしれないです。でも、だけど私は、数少ない友人を質とかでカテゴライズしたくないんですよね。一緒にいてくれる、裏切らいでいてくれる、それだけでも充分私は幸せなんだと思いたい。これはまだ「思う」とは言えなくて、もう少し時間が経ったら言えるかもしれません。
友人が少ないと言うだけで周りにとやかく批判される必要はないと思う。でも友達が少ない自分を責めたくなる気持ちはわかるんです。歳を得ていくなかで様々な価値観と触れ合いながら、自分の納得のいく答えが見つかればいいなと思います。
友人の多寡っていうのは社会で人と関わる中ではどうしても気になってしまうんだけど、自分の生きる方向が定まればブレないでいられるような気がする。仕事か家庭か、友人か、何を大切にしたいかまだわからなくて、わからないからブレてしまう。私はまだまだ幼いね。
— ポンコつっこ (@ponkotukko) 2015, 4月 30