tv asahi

RECRUIT SITE 2016

EMOTION テレビにかける想い

“全員で作る”、
最高のドラマ

中川 慎子
総合編成局 制作2部

中川 慎子 総合編成局 制作2部 中川 慎子 総合編成局 制作2部

01

ドラマから人生を学んだ

幼い頃から“物語”が好きだった。
“活字中毒だった”と振り返るほどに本を読み漁ったり、
自ら描いた漫画で、交換日記ならぬ“交換漫画”をしたり。
その中でも、テレビドラマは中川にとって特別な存在だった。

「九州の片田舎に生まれたので、
自分と世界をつないでくれる一番のツールがテレビだったんです。
本当に空想ばかりしているような子どもで、
終わったドラマの続きを勝手に書いたりしていました(笑)。
『オレゴンから愛』や『北の国から』が好きで、一生懸命見てましたね。
“楽しさも悲しさも、全部ひっくるめて人生なんだ”
みたいなことを、子どもながらに感じていました」。

“とにかく、テレビが好き”
その想いを抱き続けた中川は、“就職氷河期”真っ只中の2000年春、
晴れてテレビ朝日に入社する。

「情熱」が番組を作る 「情熱」が番組を作る

02

「情熱」が番組を作る

最初の制作現場は『スーパーモーニング』だった。
ひとたび事件が起これば、チーム全員が一斉に取材へと奔走する。
ひとつのオンエアに向けて、一丸となり突進していく番組スタッフ。
想像していた“会社員”のイメージとはかけ離れた
“熱狂する大人たち”の姿から、ものづくりの本質を学んだ。

「誤解を招くかもしれませんが、理性的な判断よりも
感情がそれを超えて行動しちゃうみたいな人たちの集まりだったんですよね。
そういう“熱さ”が好きだったので、仕事が嫌だと思ったことは無かったです。
あと、人間の奥底に沈んでいる悲しみや怒りをすくい上げて伝えるという点では、
ドラマも情報番組も、本質的には一緒だなと」。

そして、2002年の秋。
中川は、今も心に残る一本のVTRを作り上げる。

『60歳のラブレター』

03

『60歳のラブレター』

それは、長年連れ添った夫婦が、感謝の言葉をハガキに綴るという
住友信託銀行(当時)が主催している一般からの応募企画だ。
入選した作品の中から、過去に小学生の長男を亡くした夫婦を取材した。
精神のバランスを崩し、泣き暮らす日々を送っていた妻は
決して涙を見せない夫に対して、“父親は薄情だ”と、露な感情をぶつけ続けた。

長男の死から数ヶ月経ったある日、
次男との会話の中で少しだけ笑顔を見せた妻。
その姿を見た瞬間、夫は初めて泣いた。
“お前が泣いている間は泣けなかった”と

「“感謝”を伝える内容の手紙がほとんどの中、
奥さんが伝えたかったのは“謝罪”の気持ちだったんです。
でも、上手く伝えられないままに20年以上が過ぎてしまって。
その間、絶えず心の中にあった“ザラっとしたもの”に対して
一通のラブレターが雪解けの役割を果たしたんですよね」。

中川に異動の声が掛ったのは、入社4年目。 中川に異動の声が掛ったのは、入社4年目。 中川に異動の声が掛ったのは、入社4年目。

04

中川に異動の声が掛ったのは、入社4年目。
かねてから希望していたドラマ制作のAP(アシスタントプロデューサー)となる。
初の担当は、開局45周年のスペシャルドラマ『流転の王妃・最後の皇弟』だった。

一見華やかそうでも、“現場AP”の仕事とは泥臭いもの。
朝は誰よりも早く現場に入り、控え室を準備して、出演者を迎える。
撮影中は現場で出演者やスタッフに目を配る一方で、スケジュールを各所に送付。
地方ロケの手配もしつつ、撮影が終われば出演者・スタッフを最後まで見送る。
だが、周りは職人気質で百戦錬磨のスタッフばかりだ。
どれだけ必死に動いても、厳しく檄を飛ばされる日々が続いた。

「“まだドラマに来たばかりなんで”とか、当たり前ですけど、
現場のスタッフには関係のないことですから。当時はガンガン怒られてました。
それでも必死に喰らいついて、少しずつ話を聞いてもらえるようになるというか。
でも今となっては、あの経験が本当にプラスになっていると思います」。

私を突き動かしていたもの

05

私を突き動かしていたもの

「とにかく、“ドラマを作りたいって豪語してたわりに口だけだったな”
とは絶対に言われたくなかった。私の意地でした。」

“負けず嫌い”もテレビ人としての大切な資質だと思う、と中川は加えた。

「APとしてガムシャラにやっていた当時は
“上から褒められたい”とか“プロデューサーになりたい”とか
そういうことはほとんど考えてなかったですね。
ただもう毎日の仕事を乗り切るのに精一杯でした。
でもそうやって頑張っていくうちに、段々と脚本やキャスティングに
自分の意見が反映されるようになっていって。
それが実際のオンエアにつながったときは、すごく嬉しかったです」。

周囲の才能に支えられた初作品 周囲の才能に支えられた初作品

06

周囲の才能に支えられた初作品

2007年。金曜ナイトドラマ『モップガール』で
中川は初めて一人で局プロデューサーを担当することになる。
主人公・桃子を演じたのは、ドラマ初主演となる女優・北川景子。
“初”づくしとなったこの作品は、成功のうちに放送を終えた。
だが、中川はこう振り返る。

「終わってから、“プロデューサーとしては全然だめだったな”と思ったんです。
北川さんをはじめ、全てのキャスト・スタッフに救ってもらっただけだなって。
でも、自分に才能が足りないなら、色んな人の才能をお借りすればいいんだと
実感できたのもこのときでした。
実はそれこそが、プロデューサーの仕事の醍醐味かもしれません」。

支えになるのは「気持ち」と「仲間」 支えになるのは「気持ち」と「仲間」 支えになるのは「気持ち」と「仲間」

07

支えになるのは「気持ち」と「仲間」

脚本家と共に台本を作りつつ、同時進行でキャスティングを決める。
スケジュール調整、スタッフ手配、予算管理と、全てが圧しかかってくるプロデューサー業。
時には、何かを犠牲にしなければ進めない厳しい場面にも遭遇する、と彼女はいう。

「やっぱり苦労も多いですから、仕事をしていて
恍惚となる瞬間って実は少ないかもしれない。
そこで支えになっているのは“テレビがすごく好き”という、
幼い頃から抱いている、混じり気のない純粋な気持ちだと思うんです。
あと、撮影中はずっと寝食を共にする仲間の存在。
ホント、恋愛のない“ラブワゴン”に乗ってるようなものですから(笑)。
同じ苦労を味わったスタッフに『また一緒に仕事したいね』と言ってもらえることは
やっぱり、何よりも嬉しいですよね」。

スタッフ全員が作品を愛し、ひたすら純粋な想いを込めてドラマづくりに没頭する。
そんな現場が理想だと、中川は言う。

08

2010年、東野圭吾のベストセラー小説『秘密』のドラマ化が決まった。
いつの日か手掛けたいと思っていた待望の作品。
中川は、主人公に志田未来、そして相手役に佐々木蔵之介を迎えた。

「東野さんの作品の真骨頂は、細やかな心情描写にあると思うのですが、
そういったディテールを余すところなく表現するためには、
志田さんと佐々木さんに演じてもらえたら最高だなと考えました。
後で聞くと、実は志田さんも『秘密』を愛読していたとのことで、
“ご縁”を感じました」。

出演者だけでなく、スタッフにも最高のメンバーが揃った。

「自分の確固たる世界観に周りを引き込んでいくやり方もあるとは思いますが、
私は、色んな才能を借りながら、みんなでその世界観を広げていく方が好きですね。
そうすることによって、ドラマの魅力は何倍にもなる可能性があるんです。
尊敬するみなさんに囲まれながら、大好きなドラマを作ることができて、
本当に幸せだと思います」。

ページの先頭へ