電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

急激なインフレにならない理由

2015-05-01 11:10:41 | 社会思想の終焉
 おはよう。晴れ。
経済ネタで勝負。およそ一通り論じてみて、現在の経済状況が見えてきたところ。経済学部卒といっても、忘れることもある。世間には、いろいろ経済評論がある。何が正しくて、何が間違いか。およそつかめてきた。反論の仕方もわかってきた。

 安倍首相の米議会の演説で大事なことは、日本が米国を補佐する地位にあがってきたことだ。日本の民主党政権では、日本はスルーされ、相手にもされなかったから。やっと元の地位に戻ったことを感じさせる。日本はようやく日米間でやり直しができる。

急激なインフレにならない理由
 商品には世界的な相場がある。これはデフレ・インフレ論では、あまり使わない視点である。石油は世界でだいたい同じ値段で売られている。木材は、日本では輸入物が安くなるから、日本産のもあまり高くはならない。小麦は、食料専門の市場があって、先物などあって、そこで取引され、価格が決まる。
 およそ、日本に入ってくる製品は、世界貿易の最安値である。ガスはいまだ高く買っているようだが、しだいに下がる。海外も同じように安いものを輸入する。というわけで、多くの商品の価格は世界で共通する。鉄鋼、石油、小麦、水などなど。

 日本は貿易が開放されているから、多くのものは世界と同じ値段のものを買ってくる。鮭はノルウェーかチリだし、小麦はブラジルかな。大豆はまたブラジルかな。PCの生産は中国がある。卸売りの価格は、ほぼそういう世界的に決まっている値段で、国内に入ってくる。

 そこまでは、同じ値段で、日本国内で多少高く売られる。しかし、それも限度がある。牛肉もそんなに高くできない。

 これらの輸入品の値段は、日本が経済封鎖されて、希少品にならない限り、日本国内だけで高騰することはない。

 急激なインフレになるには?
 イランでは経済封鎖されて、あらゆる物の値段があがっている。こういうのは悪性インフレになりうる。日本も経済封鎖されると、輸入が途絶え、物資不足となり、それら製品の値段は急激にあがる。が、そうはならない。日本は鎖国しない自由貿易国だからだ。

 戦後の物不足でインフレになった。アフリカで物不足から物価の高騰がある。南米ベネズエラは経済封鎖で物価が高騰。ほとんど物価が上がるのは、最近は経済封鎖や物不足が原因だ。日本は、自由貿易国なので、その手の不足・欠乏による物価高騰は起きない。OPECの買いだめ騒動も、やはり石油不足からくる。石油はシェールオイルもあり、潤沢なので、それも起きない。

 その手の物不足によるインフレ、商品の高騰、買いだめを恐れるのは、無駄だ。日本が自由陣営の側につく限り、そんなみじめな最貧国、共産独裁国家国や、反自由陣営の謀反国家のような国内状況にはならない。

 もう1つの可能性として、円の暴落がある。現在、デフレから小さなインフレに転じたのは、円安のおかげだ。輸入品が高くなった。日本はエネルギーは輸入に頼っているから、それでほとんどの品目で少し値上がりする。こういう通貨安で値上がりするのは、輸入インフレ、というそうだ。

 その暴落がおきるか? 彼らは、量的緩和で通貨が暴落するという。この連中は、その最悪の予測を立て、煽る。しかし、それはすぐにわかる嘘だ。政府のインフレ政策でひどいことになるなら、政府は円が急に下がり始めたら、量的緩和を止めればよい。それですぐに、通貨の暴落は止まる、と気づける。
 政府は相場を管理しているのだ。それを忘れてはいけない。量的緩和をやめれば、すぐにでも円は高くなる。量的緩和で円が暴落はしないが、してもすぐに対処できるから心配はいらない。円の暴落など不安がるのもムダである。

 さて、アベノミクスで悪性のインフレになる、と主張する人がいる。しかし、輸入品の値段は国内では、上がらない。なぜなら、値段を一部地域で特別高くしても、他地域では安く輸入すると、そこでみなは買い、価格は戻る。

 輸入品はインフレになろうが、値段は2,3割も上がらないのだ。PCもそうだ。海外から輸入されている。悪性インフレの影響は受けない。国内産のじゃがいも、なす、農産品はたいがいそうだろう。あまりにつりあげると、人々は買わない。スーパーは安い品を輸入して、安くするからだ。

 食料品の物価は異常に高騰しない。それが、妥当な予測である。PCもだ。ついでに自動車もそうだろう。トヨタの車も半分は海外で作っているようなものだし。電化製品も高くならない。そんなことをしたら、韓国・中国に競争力で負けるからだ。

 というわけで、生活必需品のたいていのものは、価格は世界的に固定されているに等しいから、それよりも上がらない。悪性のインフレなどは、日本を経済封鎖しない限り、けっして起こらないのである。

 今また、TPPで日本の貿易はさらに開放される。グローバル化によって、日本国内のあらゆる価格は、ますます世界の平均物価に近づく。日本は物価が高い国なので、値段は下がるのである。

 つまり、日本はことさら悪性インフレににりにくい国だ。自由貿易の度合いが高い日本では、デフレにはなりこそすれ、インフレにはなりにくい。ただ、円が安くなっている分だけは、物のの値段は高くなる。

 日本が、これまでデフレだったのは、グローバル化によって、貿易が拡大され、世界の物価の平均に近づいて、そのため下がったという側面もあっただろう。

 ともかく、急激なインフレは起き難い。それが日本である。
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インフレ政策の利点

2015-04-30 11:19:31 | 社会思想の終焉
おはよう。晴れ。
 今日は、気分がよくなればよし。

 ゴールデンウィークのはじまり。快晴でよかった。

 安倍首相とオバマ。結構、仲よさそうだった。日米トップの間はそうでなければ。首相や大統領しかわからない、共通の理解がたくさんあるのだろう。安倍首相の米議会演説は快挙である。日本の外交力があがったことを感じさせる。

 インフレ政策の利点
 最近、デフレ時代はよかった、と寝ぼけたことを言う経済学者がいる。理由は、物価が安く、海外の安い製品があり、生活は楽だったから、という。あんなに苦しんだデフレ時代をたった2年で忘れるとは。そんなのに経済を語らせてはいけない。

 民主党の時代、失業率は下がらなかった。電器産業は韓国・中国勢に抜かれ、倒産寸前に追い込まれた。ニュースといえば、生活保護ばかり。上野公園の失業者や貧困のニュースが駆け巡っていた。失われた10年と呼ばれたのには、それなりのわけがある。無策で何もできない政治。中国で対日暴動すら起きる始末。日本の閉塞感がどんどん高まっていった。日本国内の内需ではどうしようもなかった。

 それで、中国など新興国の市場がやっと成熟してきて、やっと売り先をみつけて、日本経済はなんとか持ち直す、とほっとしたものだった。それも中国から追い出されてしまい、活路をべつに見出すしかなかった。あのとき、中国の横暴や韓国に対日度重なる非難。自信を失った人々を支えたのは、ナショナリズムだった。

 そんな時に、日本は野田首相の思惑で選挙をして、政権が変わったのだ。日本の落ち目の流れも止まったのだった。

 今はまだ活気がある。松下はやっと利益を出した。仕事にあぶれた労働者が西成にたむろする光景もおさまってきた。土建業は大賑わい。東京は人手不足が深刻だ。かわって地方がさびれている現実が見えてきたとしても、かつての苦境は脱した。

 デフレの問題点は、古いものの値段が高いことだ。五年前に買った服が現在よりも高い。しかし、今売れば、中古なので高く売れない。

 もう1つある。デフレでは、古い製品が高くなることだ。新しい製品は、よいものなので、付加価値をつけて、値段を高くしたい。しかし、それがデフレで相殺され、値段を上げられない。付加価値をつけられない事態に陥る。古い製品は、技術が劣るから、安くなる。デフレ下では、そんな科学技術の発展に見合った自然な値段をつけられない。これは、日進月歩の工業製品は困る。

 インフレは、それらを克服する。古いものは必ず安くなる。工業製品では、これが大事。新しいPCは値段を少しずつ高くできる。新しい洗濯機もだ。古い製品は今から考えると安物。相応の低い値段になる。新しい製品ほど高度な製品だ。それを高い値段にできる。自然な価格体系になる。

 古く、性能が悪いPCがいまだに発売当初の高い値段で売られているのをよくみかける。原価割れはできないから価格は下げられない。しかし、インフレだと、期間がたつにつれて、その値段が安くなる。性能相応の値段になる。売りやすくなる。

 そのように、インフレ下では、新しい製品が高く、古い製品が安くなる。古いものほど性能が劣るから、自然な価格になる。要は、価格と商品価値との関係、価格体系が混乱しなくなる、という利点がある。

 適度なインフレは、成長を実感しやすい、という利点もある。社会は発展・進歩成長しているのに、経済指標がマイナス成長となったら、価値観が転倒したような気分だ。

 また、借金はインフレ下では、利率は低くみえる。返しやすくなる。だが、民主党時代には、倒産や自己破産の話があちらこちらで、話題になっていたことを今思い出す。デフレでは、借金はふくらむばかり、返済できず、よくこげつく。先行きが心配になる。日本国家にとって、デフレでは国債1000兆円がずしりと重くのしかかる印象となる。インフレならそれもまだ軽そうにみえる。

 インフレのほうがよい。それは成長の数字だからである。インフレ政策を続けるべきである。量的緩和をしても、インフレにならない理由を先に説明したほうがよいらしい。


本日の被害
 軽い頭痛がある。耳の奥も刺され、危険だ。ここに書くとすぐに何度も続けるのがアカの癖だ。日記に書くとその被害を続けるのはアカだ。私のケースではそれが証明されつつある。
 苦痛は、薬物を注入して、その周波数の電波で刺激すると、強まる。アカは最近、その手口を使う。
 
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 『G0.5の世界』(三橋貴明)の感想、沖縄は琉球王国のような日本をも騙すような態度をしてはならない

2015-04-29 12:07:16 | 社会思想の終焉
おはよう。曇り。

 ここタイトルがまずい、と気づいた。もっとましな名前はなかったのか? 超科学とあれば、オカルトの世界。読む人を遠ざけてしまう。アクセス数増強のために考え直そう。
 昨日、日記の一ヶ月分がパーに。困ったぞ。

 『G0.5の世界』(三橋貴明 日本文芸社)の感想
 これも立ち読み。私はお金がない。しっかり評価してくれ、とおっしゃる方は・・・。

 彼は今、日本で一番、経済を的確に説明する評論家。Gは世界の管理者という意味。それが、アメリカがまだ居残っている。しかし、一人前のことはできない、という。そんな本ではなく、消費税増税によるアベノミクスの失速、実質賃金の低下を嘆いていた。彼は、巷の経済論の一つの見地をみせる。それが特徴。彼には偏りがない。一歩先のことは言うけれど、二歩先は言わない。また、巷で論じられてない話題は、重要でもとりあげないようだ。

 面白い視点が1つあった。現在のデフレの原因は、1,貨幣量が少ない 2,総需要が小さいこと。そのどちらか、と考える人がいること。貨幣量が少ないと考える人は、量的緩和をする。総需要が少ないと考える人は、公共事業を行う、という。政府は政策として両方やっている。土建は業者の限界を超えるほどに公共事業がある。量的緩和もバズーカー砲で撃ちまくる。政府は両者をよくやっているわけだ。

 私と1才しか違わないのに、活躍しているものだ。彼はあまり提案はない。

 実質賃金低下はよくわかるグラフがあった。1990年代にピークになって、あとは下がっているというもの。ただ、それだけで生活が劣化したとは言いにくい。あの頃は、燃費の悪い車に乗り、動作の遅いコンピューターに乗り、海外にゆくには高い航空機代を払っていた。電話も固定されていた。賃金は高くても、今よりよい暮らしはしてない。こういう工業の進歩は著しいからだ。
 だが、農産物や食品はあまり変わらない。実質賃金だけを比べると、実態は見えづらい。デフレや物価以外の数字がある。それを補正しないと、みえてこないためだ。この実質賃金を比較するのは、経済学者がよくやるが、生活自体を本当の差を示すのは、なかなかない。そういうアイデアはないらしい。実質賃金では、生活実態を長期的に比較するのは、ふさわしくない。

 また消費税増税について、それは税制体系を欧米式に変更することが主眼。また法人税を下げるのは、それではどこかの大手通信会社のように年1500万円しか法人税を払わないことがあり、事業規模相応の税がとれない。それで、消費税にして、企業から確実にとるようにしたからだ。消費増税と法人減税はセットにしてあり、企業の税負担割合はあまり変わらないように調整されている。

 消費税は消費者からお金をとるシステムではない。あれは、企業が税分の値上げをする口実。扇動みたいなものだ。消費税を払うのは企業である。実際に消費者ではない。

 だが、日本では消費税の話になるとすぐ、庶民を狙い打ち、という。この勘違いは企業と野党が喜ぶ。値上げを正当化できるし、反政府として庶民の支持をとりつけられるから。だが、経済学者は企業を狙いうちの増税、とその元来の趣旨を言うべきである。

 よって、消費税を外税として表記するのは、消費者に無用の混乱が起きるので、政府としては好ましくない、と言うべきだろう。

 消費税増税は、企業への直接的な増税、ということになる。すると、不況になった理由は異なる。価格をあげたことは同じだ。が、企業が税負担が重くなって、値上げして、それで消費が落ち込んだ、ことになる。

 あと、1つ気になるのは賃金の上昇について、彼はあまり見通しがないようだ。東京では今は時給千円でないと、人が集まらないそうだ。店などは人不足が深刻なようで。そういうサービス業は時給があがるだろう。しかし、PCやソフトウェアなどは機械化が進むから、工業分野は時給が下がるかもしれない。こういう対比も面白いのだけど。いったい、量的な緩和した国では、賃金はどのように上昇するか? 欧米にたくさんの事例があるにも関わらず、日本にはそんな情報が入ってこないのである。

 彼も実質賃金の低下とデフレリスクを心配しているわりには、その辺りの知見を他の本でも、示していないのが残念だった。


 沖縄は琉球王国のような態度を目指してはならない
 あそこは真意が見えない国だ。琉球王国の時は、中国をだまして、日本の一部でないと偽った。今や県知事は中国の代表達とにこやかに交流した、と聞く。反米軍基地闘争では、平気で左翼活動家を出す。外面はしっかりと作れるようだ。
 日本から見ていると、沖縄は外面ばかり。何を考えているかがわかりづらい。
 第二次大戦後は、世界は自由主義国に属するか、社会主義国に属するか。その二つに一つしかない。両方にいい顔をすると、朝鮮のように分断されたり、ベトナムのように乗っ取られたり、チベットのように蹂躙されたりする。
 もう琉球王朝のように、両方の間でうまく交易することはできない時代だ。中国側につくと、必ずその戦乱、混乱が及ぶ。繁栄するためには、日本のように西側、アメリカ側につく、と覚悟して決めないといけない。

  本日の被害
 目は何か変だ。口の中も刺されている。腫れ物がある。耳の中も刺された。危険ことばかりされている。しかも、今朝は変にべとつく透明の輝きが、まな板となべに。音声送信は聞こえる。「ばれた」、「あほか」、「そんなことを言ってない。」、「ちゃう」などなど。毎日聞こえるから、特にここに記してはないが。
 昨日、百円ショップで腕を振り回し威嚇する人を見たが、その筋の人ではないようだ。ストーカーなのは確かだ。前も仏教カルトがたくんさ現れた時期の一週間以内にみかけた気がする。しかし、アカかもしれない。
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安倍首相の訪米 テレビ予知の仕方 16 身近な予兆 マイナス顔

2015-04-28 11:05:23 | 社会思想の終焉
おはよう。
 昨日は、巷の経済論を打破する力があるものを2,3書いて、豊作だった。通な人は気づけたと思う。

 安倍首相の訪米
 ボストンのケネディの自宅訪問。私は8才の時、その近くに1年住んでいた。ケネディの家には行ってないが。
 現在、米国民主党はケネディの影が強い。安倍首相は誰が米国の権力者か、上級階層ではよく知られていること。彼らと私はパートナーだよ、と米国にアピールした。陰謀論のようだけど、真実である。
 訪米のタイミングで、日本の周辺事態法の適用範囲を拡大して、世界の紛争に対処できるようにしたことは、理に適っている。そもそも、日本の武力を制限したのは、アメリカだ。アメリカの了承なしに何も変えられない。それをとりつけた、というアピールだ。実にわかりやすい。
 日本の独自外交を実現するまで、当面は米国の傘下にある。こういう番長に顔があがらないような行為は、今しばらく辛抱しなくてはならない。独立国たる精神性(世界戦略を独自に打ち立てられ実力と、それを支持する国民性のこと)と国内法を取り戻すまでは。
 よく立案された政治日程だ。何気なくやりとげたようだが、外交は巧みに行われたようだ。アメリカとよく協調している。ここを感心しないのは、まずいサバのよう。

 テレビ予知の仕方 16 身近な予感、予兆
 自分によくしてくれる人と害なす人がいる。今日は、害がある人の話

 天敵の話
 予め自分に害となる人がわかっていれば、警戒することができる。私の場合は、ガゼルのような黄色い感じの人は、私の敵の一味だ。高校の柔道の授業で弱弱しいくせに、妙に私と張り合うのがいた。それとそっくりなのが、私が運転する自転車に車をわざとぶつけてきた。カルトの一味だった。日本人だが、黄色い毛で少したったような感じのある男だった。ガゼルタイプである。
 天敵は、霊系で決まっている。私の場合は、男性は動物園の動物を名乗る霊系だ。しまうまは違うと思うが、ガゼルみたいなのが。また女はドブネズミみたいなのが敵となる。私を将来ナイフで襲う女というのがある。それは防げるが、見たことあるが、ネズミの一種のような感じだった。私の場合は敵は、ファラオの部下みたいな感じがある。
 カブトムシ(霊系)が天敵な人もいる。名前に「天」がつくと、それと関わっていると不幸が起きるなどある。およそ、天敵は、初頭惑星(地球より500-1万年進んだ星)からきてで、悪種族(地球でいう共産党やカルト、ゲリラ組織、マフィアの一員)の霊系といえる。
 なかなか見分けるのは難しいが、不幸が起きる前に、この霊系の人物がよく現れるから、そこでつきとめられる。自分が傷つくときは肌がべとべとする感じがある。

 殺人者の顔
 将来、殺人を犯す人は、顔を見たら私はわかる。顔がどこか肉の塊のようで、白い薄皮をかぶっているようだ。私は見たことあるから。リンゼイの逃亡犯(容疑者)が茨木市の道を歩いているところに、梅田コンビニ殺人の強盗犯がそのコンビニに入ってきたところ。妙に怖いのがいるな、何の殺人犯だ、と避けていたら、一人は逃げていた男(わからなかった)で、もう一人は犯行の一ヶ月前の男だった。
 骨粉をかぶって洗ったような感じのみかけがある。ただ将来に犯すならば、衝動的なものなら、止められる。そんな顔の人は、する前に霊能者に相談してくれ。犯罪者になって何十年と、刑務所で暮らすことは避けられる。

 いつか失敗する人
 あの人は、やる(失敗する)と思っていたんだ。起きてからでは遅い。何か失敗する人は見た目から、たいていの人はわかる。その直感はおよそ正しい。安倍首相はアベノミクスなど政策では失敗しないだろうけど、何か彼の在任中に日本にとってよくないことが起きる、とそんな予感はある。大震災がある。彼の責任ではない。この手のが職場に来たら、大事がある前に、霊能者に相談して、失敗しないように未来を変えたらよい。それだけで、失敗しないで、仕事を終えられる。日本もそういうことが綿密になされているから、政府のほうでは失態はないだろうと思える。

 以上



本日の被害
 体が極度にだるい。熱いシャワーを浴びた直後に。これも電波による症状。熱いシャワーくらいで、へこたれない。
 また風呂がやたらと尿くさかった。その乾いた痕。トイレの液体を少しアカがまいたようだ。ここ一ヶ月ほど毎日。また耳の奥が刺されたようだが、不明。
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「2025年の世界予測」中原圭介の感想、資本主義では貧困層は増加しない、量的緩和は株高にする

2015-04-27 11:22:13 | 社会思想の終焉

 大阪は晴れ
 ネパール地震は哀悼する。予知し損ねた。シンボルはプレイステーションの「ファークライ4」にあった。高山にチベット寺院に象、というネパール光景。そこで人と仏像が壊れてゆく。映像が怖くて、関わりたくなかった。まだ起きないと即断した。それがミスだった。うかつ。

 昨日の統一地方選挙。私は投票してから、伊丹のショッピングセンターで気分転換。私の投票した候補は池田市議でトップ当選した。そんなに勝っていたなら、惜敗したほうにおすそわけしてもよかったかな。票の配分が課題として残った。

「2025年の世界予測」中原圭介・ダイヤモンド社 の感想
 ざっと立ち読みした。中原圭介は個別の経済論は基本的でしっかりしているが、アベノミクスに反対で、資本主義の終焉と考えるから、マクロ経済は苦手のよう。彼の結論は、いつも???だ。なぜかひっくり返るものをいくつか散見する。

 面白い視点はある。GDPでものを考えないようにしようという。人口減少なので、家計が大きくなることを目指す、という。よくある発想だ。
 物価はエネルギー価格で決まる、という。これはどうかな、と思うが検証しだい。ならば、原子力をやめて、風力、バイオマス、太陽電池にすると、エネルギー価格があがるから、物価が上がることになるはずだ。実際はどうかな? 彼はガス・石油価格が下がることを好意的な目でみている。しかし、それは民主党が消極的で、自民が積極的に行ったことではなかったかな。

 資本主義の誤解を解く
 格差が拡大して、中間層が減ることから、資本主義の失敗というのは彼も採用している。それは、間違いだろう。そもそも資本主義の社会では、失業率が大問題。中間層を育て上げることが、自然と行われる。民主主義的なので。社会(共産)主義と民主主義は相容れないのだが。

 基本的に金持ち(貯金を使えないほどの大金をもつこと)や企業の利潤の意義を彼は理解していない。それは、社会資本に回る、ということを。彼らはお金を使いきれない。

 すると企業や株、国債を買ったりする。それはもう、マネーが社会資本に化けてしまったのだ。国債は国の財政だ。企業は、大企業ほど社会的な活動をする。株は、その企業を支援するお金だ。お金持ちは、そのお金の大半は銀行に預ける。それは銀行の使うお金で、融資の資金となる。マンションを建設するならば、それは他人の住宅を作っているわけで。金持ちのお金は、本人が使い切れない分は、社会のために使われる。

 社会資本に回る。ということは、富の格差が極限になるというイメージはかなり間違っているということだ。支配者と被支配者という世界になり、非民主的になることとは違うのだ。超お金持ちのお金は社会資本になってしまう。よって、金持ちの拡大は国家・社会の資産の増大となる。こちらが、より現実的な理解だろう。金持ちがその大金を個人として溜め込み、個人のためだけに使うと考えるのは、経済学者がそうイメージするなら、実態とかけ離れている。庶民はそう思いがちだが、本当はそうではない。

 彼ら金持ちがその社会資本の所有者ということで、その利用料として得る金とは、ある意味、税金と類似したものとみなせる。国家に払う税というものとは別の。それが経済の発展のために、どこまで許容されるかは、数字がある。国の税金は4割を超えると社会が停滞する。3-4割以下だ。それら資本家に払う金も、国の税とあわせて、3-4割以下にしなくてはいけないだろう。それさえ、守っていれば、超金持ちがいくら増えても、経済に支障はない。

 また中間層がなくなり、貧困層が資本主義下で増加する、というのは頂けない。間違いだ。そういう仮定はできない。それは自由市場の基盤にかかわるからだ。
 自由経済においては、貧乏人があまりに増えることは許容されない。なぜなら、それは貧乏人ではものが買えないから、購買者がいなくなる。それは市場の消滅を意味するからだ。それは自由市場の衰退である。資本主義の論理では、資本主義が生き延びるよう力学が働くため、そういうことはしない。

 いくら貧困層が増えても、それは市場に悪影響をきたさない程度に抑えられる。それが自由市場を維持するために必要なことだからだ。誰がそれを行うかは重要ではない。物が売れない社会では困るのだ。誰も買うためのお金がないままでは、その資本主義社会は、困るのだ。よって、生産者に後押しされて、政策者がその貧困層の増大を解決するために動く。どういう処置がなされるか? 短期的には、バラマキである。長い目でみれば、職業・就職支援である。給料の引き上げ(補助金で)もある。

 よって、自由市場そのものの存続のために、貧困層の増加はある段階で止まる。市場を支える中間層は一定の量を確保するようにはからう。それが資本主義の要請で、その社会もそのように行う。中間層は維持される。これが新しい、貧困と資本主義の理論である。

 資本主義下で、中間層が減り、貧困層がとめどもどなく増加するというのは必然ではない。それは資本主義がわかってない者のセリフである。

 経済学者は、これらをわかりやすく提示してほしいものだ。

 経済学者には三タイプいる
 1つは、デフレ支持派である。アベノミクスの反対論は、すぐにインフレ政策は破綻するから、デフレにせよ、という。この手のは、政界からは姿を消したが、社会評論家として生き残っている。私はこの手の日本を不景気にした者たちの言葉を聞く価値はないと思う。
 2つは、消極的量的緩和派だ。白川派と呼ぶ。彼はデフレの張本人だ。また時々、量的緩和を行ったが、アメリカがさらに量的緩和をすると、すぐに円高に引き戻されるという失敗を繰り返した。経済評論家で、量的緩和の効果を認めつつ、アベノミクスに反対するのは、たいていこのタイプだ。日本経済をだめにした日銀の元白川総裁と同じむじな。
 3つは、積極的な量的緩和派だ。黒田派とする。アメリカ・ヨーロッパ並の量的緩和を行い、インフレを目指し、円安にする。これこそが行き詰まっていた日本経済を取り戻す唯一の解決策だった。これを支持するのはアベノミクスにもほぼ賛成する。
 最近は、二つ目の白川派のような経済学者がふてぶてしく、アベノミクスを批判する。君達は、デフレすら解決できなかったではないか。さらに今でもデフレがよい、と言ったり、もう消えてくれ。

 量的緩和で物価高はなく、株高に
 量的緩和をして、大量に市中に流した円は、どこに行ったか? インフレにはならなかった。物価や物のの値段は、相場があり、家計があり、様々な制約があり、あがらない。それらは、かなり株式に回ったようだ。これは統計的にもよく言われる。

 ここは大事である。ヨーロッパの株式は、95年頃からどんどん上がり、4万円とか、そういう高値にいたった。その理由として、西欧の企業の収益率が高いから、という分析がある。日本は労働者にも配分が多く、収益が低いから、上がらなかった、という。しかし、私は、それだけで説明できない、と考える。西欧は、量的緩和した。それが株式市場に流れ、それが積み重なって、株高をもたらしたのではないか。

 大量のマネーを流しても、生活用の商品の値段は上がらない。そちらに回らずに株式に回る。そんな分析は多い。西洋ではそうだったなら、日本でもそれは同じだ。量的緩和でもっともあがるのは株だ。

 日本の経済学者も薄々、それに気づいている。盛んに、株が上がったという。資本家が儲けたと。量的緩和は、株高をもたらす。物価には反映しにくいようだ。
 アベノミクスは株高にして、日本の企業を元気にする政策なのである。それが給料になって、跳ね返る。そういう仕組みだろう。

 本日の被害
 脳内に薬物注射されたようだ。昨日は、左耳奥が痛み、左側脳が何かの薬が回ってきて、それが頭全体に広がった。これは非常に危険な被害だ。脳が傷つけられた可能性が高いからだ。本日は、右耳奥が痛んで何か頭の働きが鈍い。
 頭痛がなく、体の動きが低下してないのに、頭がぼんやりする、耳奥が痛いときは、この被害を疑うべし。
 なお、私にした者達は必ず同じようになるから・・・
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経済縮小(GDPが下がる)の理由、テレビ予知 17 街でみかける人から、自分や知人の事件などを知る

2015-04-25 11:06:37 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ
 いい天気だ。統一地方選の最後の追い込みだ。街にお願いの声がこだまする。私は、ここでぼちぼちやってゆくつもりだ。専門家なら、資料をきっちり提示してゆくのだろうけど。そんな社会評論家を全面に出すのは先。当面は、奇跡の地震予知男とか、精神世界の大御所、電波犯罪の告発者とメディアは扱うだろうし。

 経済縮小(GDPが下がる)の理由
 昨日は、デフレになる理由を探った。製品価格が下がる原因は、貨幣不足(量的緩和をしないこと)、安価な輸入品、大量生産、新しい製品が出てくることだった。今度は、国家の経済が小さくなる個々の理由を探る。

 経済がマイナス成長になるのは、増加よりもマイナスが強いときだ。マイナスは、1,デフレ、2,人口減少 3, 市場の縮小、 4,安価な製品による市場の縮小、5,新興国の近現代化で資本がそこに流れるため? だろう。

1,デフレ
 デフレでは、GDP全体が下がる。解決は、インフレ政策しかない。量的緩和だ。それではアベノミクスの黒田が正解だった。白川みたいに小さな量的緩和では効果がなかった。量的緩和を部分的に仕方なく認めるという立場は、白川と同じである。そういう論者は多いが、そんな者達に経済を正しく論じる力はない。

2,人口減少
 これは経済縮小の要素のひとつ。藻谷浩介の主張だ。人口が減ると、当然、経済も小さくなる。それが現在の日本で無視できないほどという。しかし、成長率はゼロ付近だから、GDPが減少に転じてないため、現在、これは経済が落ち込む大きな要因ではない。
 人口減少して、労働力が減っても、機械化で生産力は増えるから、GDPは低下していないのが日本だ。問題は、人口が減ることで、各家庭の消費の総計が減ることだ。すると市場が小さくなる。しかし、企業間の売買が増えているため、それが強く、日本経済は人口相応にマイナスではない。最近は、インフラ整備や社会の公共的なもので基礎的なもの(携帯電話なら、アンテナなどのインフラ)に大きな額がかかるから、家庭の消費が落ち込んでも、経済はなかなか下がらないのかもしれない。これらを検証するのは経済学者の役割で。

3,市場の縮小
 個別ではなく、全体的な話。たとえば、機械化が進むと、労働市場が小さくなる。人口が減ると消費の市場も小さくなる。新しい製品により大きな市場が生まれる。古い製品が使われなくなると、市場が小さくなる。そういうもの。

4, 安価な製品による市場の縮小
 海外の安い製品が入ってくると、それまで高値で売買されたものが安くなる。すると全体の市場まで小さくなるという話。東京や池田・川西の物価は高いから。もし、他の地域の安いスーパーが進出してくれたら、安くなるのに。これは、結構大事な要素だ。後進国が先進国並の物価になる時代はいずれくる。その時に、海外の安い製品のために、市場が小さくなることはなくなる。経済では、その時に成長するかが、大事となる。私は現在の先進国経済の低下は、新興国の製品の輸入により生じているという面が、かなり強いとみているから。

5,新興国が追いついてきたため
 厳密に考えていない。中国の高層ビル建築などのため、資本がどんどんそちらに流れてゆく。そこに巨大市場があり、生産を持ち直し、日本経済が潤う、という面はある。これはマイナスではない。しかし、新興国の技術が追いつくことで、それまで先進国が行っていた電気産業などは、かなり侵食された。大阪のシャープなど。こちらはもろにGDPに影響していると思う。

6, 景気不景気
 これは何か正確には私はわかってない。景気がよいとは、よく売れることをさす。なぜ売れるのか? これは今度考えよう。

 以上が経済がマイナスになる理由だ。いろいろ要因はあるが、マクロ的には、小さな小さな成長というのが現在の日本だ。経済が大きくなる理由は、次に記す。

テレビ予知 17 街でみかける人から、自分や知人の事件などを知る
 前にも書いた。付け加える。
 私は、町でみかける人から、知人の事故や社会の事件を知ることができる。毎日出会う人は、気にしない。たまにみかける人が大切だ。
 
例えば、美男美女をみかけると、一ヶ月後にテレビ業界で何か事件がある。同級生に似た顔がいると、同級生にそれがある。テレビ予知と同じで、たいてい一ヶ月後にそれが起きる。

 その中で、ある事件の時は、いつも同じ顔を見ることができる。愛犬が危ない時に、現れるのは必ずこぶりで黒い女達だった。二度も見たのに、三度目は気づかなかったのは私のミス。飛行機事故の時は、魔道系の男がスーパーにたくさん出てくる。買い物がしづらい。

 ある歌手の周辺に何かある。そんな時は、その歌手に似た人をみかける。一瞬だけそんな顔をする時もある。親戚に似た人もみかける時は、その親戚の周辺の人が危ない。

 これだけでかなりのことがわかる。よく外を出歩くと、そんな発見があってよいかもしれない。しかし、誰が危ないか。それがわからないと思う。そんな時は、もよりの霊能者に相談すればよい。未来がわかる人なら、だいたいつきとめられる。

 本日の被害
 睡眠中に頭にたくさん刺されて、頭が変な感じ。口の中も刺された。鼻の中に葉、黄色いだまだまがあり、鼻をかむと出てきた。
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『かくも根深い「政治の劣化」を叱る』の感想、デフレの理由

2015-04-24 11:59:57 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ

 私のHPはSC2を使っている。が、運営がごたごたしている。jまだ読めるけれども、なんだか。もう1つサイトを作らなくてはいけないかも。

 私の経済論は、もうすぐ世間に訴え納得させられるくらいには、なりそうだ。社会評論家はこの程度でよいのかも。細かいことは知らなくても。詳細なことを知っていても、全体はまるでわかってない人は多いし。どっこいどっこいかも。

 『かくも根深い「政治の劣化」を叱る』(倉山満 上念司、php研究所)
 私は反共の倉山満に注目していた。立ち読みする。彼は、消費税を8%にあげてから自民党に失望したよう。それまでアベノミクスを絶賛していたのだが。しかし、不景気のような雰囲気になっても、持ち直している、支持率もある。民主党時代よりは、政治は回復していることは確か。自民の綱渡りのようで、安定した政権をもう少し信頼してほしいところ。
 そもそも、増大し続ける福祉費に彼は、どう対処すべき、と考えているか。その答えなくして、消費税ばかり反対しても、どうかと。そこをしっかり、提示しなくては。というわけで、私は前半は読んでない。

 ポイントは共産党批判にある。最近、みかけなかった。ブラック政党があることを明らかにした。そこに好感をもてた。よくみかける話が多かった。ついでに、ブラックなマニュフェストまで"粉砕"してくれたら、目新しく、かつ、あそこの存在価値を失うところだった。まだまだ追求が甘い。


デフレになった理由とは?
 デフレ、デフレと言われるが、なぜそうなったか? 原因がよく伝わってこない。私が考えるのは、4つある。
1つ目は、貨幣供給量が少なくて、デフレになったというもの。2つ目は、安価な輸入品で価格が下がった、というもの。3つ目は、大量生産による価格低下がデフレをもたらした、というもの。4つは、新しい製品が登場すると、古いのは安くなること。それらで、デフレとなる。

1, 円の供給量が少ないからデフレ。
 だから、量的緩和して、円を市中に流して、インフレにする。これは成功した。だから、これは正しい認識。日本経済は拡大していたのに、それに見合う量の貨幣を供給しなかったために、円不足からデフレに陥っていた。

2, 安い輸入品のせいで、品物の価格が下がった
 中国製品、ミャンマー製品など、海外の牛肉など多分にそれはある。関税をかけてなんとか、市場価格を維持する。それでも、中国製品の影響で、全般的に安くなった。経済学者は、これを綿密に計算してないから、デフレのうち、これが原因とみられるのは、どの程度の割合か、誰もわかってない。経済学者の怠慢だと思う。

3, 機械化、大量生産で価格安
 新しい製品ができると、最初は開発費用などが、製品に全て加算されて割高となる。オーダーメイドの製品のように。しかし、大量生産すると、初期投資費用が万や億に分割されるから、安くなる。初期投資費用が十分回収できて、製品価格に上乗せしなくなると、標準化された製品と同じお値段になるはず。

4,新製品の登場で古い製品は価格安
 PCはそうだ。昔は相応の値段で作ったけれども、新しいより高度なPCが現れると、その新しい製品の価格が基準となる。古い製品は安くなる。これによって、PCは古いものがどんどんと安くなってゆく。これによって、デフレが進む面もわずかにある。

 こめら4つの作用があって、日本の商品価格は安くなる。

しかし、1,新製品、2,付加価値のついた製品(高級品)、3,量的緩和などでインフレにして、製品の価格は上げられる。デフレとインフレの面のどちらが強いか。それで、全体的に決まる。今は、インフレだ。

 価格が安くなる理由がこんなにある。あとは、市場の拡大と縮小、人口増加・減少、後進国の市場の拡大(輸出のこと)など、それらをあわせると、GDPが出てくる。経済全体の成長を出せる。

 これらが微成長、ゼロ成長、マイナス成長の原因だ。が、誰も原因はわかっているのに、誰も経済学者は有効な解決案を出さない。そこが嘆かわしい。

テレビ予知 16 未来を知る知恵
昨日は、街ですれ違う人を観察するだけで、一ヶ月後、数日後の未来がわかる、という話をした。私はそれで、知人の危機を全て予知して、救っている。私は毎日、買い物などして、大勢いるところにでかけるのは人のためならずなのだ。

名前から未来を知る 私の名前は、「たすく」だ。これは、「TAX」という意味もある。「タクス」なので語呂が違う。「タクズ」などもいる。語順が違うのは、不吉なもの、という意味になる。私は税金で何か失敗するという暗示だ。このように、名前からも、ある程度、本人の未来がわかる。だじゃれでよい。私は「自らタスクル者をたすく」という諺からも、私は自分で人生を打開するようだ。名前からは、人生のピークがいつか、およそわかる。私は税金問題が発生する頃らしい。古風な名前をつけると、長生きしない運命が多い。

あだ名から人間関係を知る
 私はネズミだ。だから、私の友達や人間関係には、ネズミの系列が多い。近所や友達にその関係はよくみかける。だいたいネズミは、ネズミと結婚する。猫も猫と結婚する。虎は虎と結婚する。こういうことがわかっていると、相手のあだな(霊系)から結婚できるかおよそ予想できる。ただ全ては同族結婚ではないから、それは間違えないように。親しくなるのは、そういう同族である。就職する時も、ネズミはネズミと縁が強いグループの会社というのが多い。恋人も、その種族と縁のある人に限られる。

不吉な場所
 ここは不吉、と感じた場所について。建物が暗い、場が悪い、ここはなんだか灰色で人気がなさそう、そこは怖い。そう感じた場所。そこでは、いつか事件が起きる。そういう法則がある。たいていは他人の事故で、本人とは関係がない。だから、自分がそこで危険な目にあう、と心配することはない。何年後か何十年後に、その付近で事件がおきる。
 正確にはどこか? 暗く不気味な建物では何も起きない。その隣の明るそうな建物で殺人事件などある。マンションなら暗い、黒いカビが生えたマンションの隣のマンションだ。これも法則である。
 海の近くで、辺り一面不吉な感じがあると、津波か大波がくる。山頂でそれがあると、噴火する。ビルで怖い感じがしたら、それが崩壊するか炎上する。そのようにして、およそ見分けられる。しかし,それは何十年後かもしれない。あわてない。

死相
 霊能者は人が真っ黒に見える、という。それは死の20-30日以内に見えだす。直前予知には役立つ。そんな才能がなくても、実はある程度、死相は"みかけ"からわかる。
 土ざえもんのように見えたら、その人は2-4年後に危ない。どざえもんとは死体のこと。生きているのに、なんだか、皮膚が黄茶色のようで、口元が特に、そんな感じに見える人はいる。その人は、数年後に危ない。残念ながら、1年以内になると、この感じは薄くなる。すぐではない。
 体が健全なのに、手足や胴体が壊れた人形のようにみえる人。それがひどい人は、やはり1-3年以内に、その違和感がある部位の怪我が原因で亡くなる。すぐではない。もっと死まで近い人は、黒い感じだし、私は見分けられるが、一般人はそうでないかもしれない。危ないなという人は、慣れたら町で簡単に区別できる。

 自分が怪我する日は?
 これがわかったら、怪我なし人生を送れる。素晴らしい。その秘儀中の秘儀を公開しよう。あまり難しくない。他人の視線が集中する日が、危ない。何か失敗をする。なぜか、周囲の人がこちらを見ている。ではなく、みんなこちらをみているような感じがする日だ。実際に、怪我する日は他人の視線が多く届く。
 私は、予め透視して知ってなくても、今日は視線がやけに多いな、ということでわかる時もある。事故するらしいから、気をつけよう。それで透視して、小さな事故を避けたことが何度かある。

 まだある。視界が狭くなる。事故のある日は、右側が見えにくい、いや左側が見えにくい、などなる。交通事故は、そうやって視界が狭められているから、起き易い。今日は、視界が悪いという日は、気をつけよう。その最も視界が悪くなる場所で、事故にあう。
 なぜか、事故現場、事故時間を過ぎると、視界が戻る。視界が悪いから、今日は気をつけよう、と警戒すべきだ。そして、透視して、事故現場をつきとめ、難を逃れる。
 もう1つある。なぜか、叫びたい気分になる。これは、事故の1-4時間前に起きる。何か叫びたい、歌いたくなったら、なんらか事故が近づいている、と気づくべきだ。透視して、つきとめたら、防げる。

 もう1つ、世間がすごくよく思えたときは、事故の前触れだ。なんて人が優しく愛があって、景色が美しく、いい心地がする日だ。は幸せだ、と柄にもないことを感じる。これは、事故の1-2時間以内の前に起きる不思議な感情だ。こう思ったら、事故に気をつける。


事故の直前は?
 自転車事故の場合は、すこぶる気分がハイになる。足が浮いている感覚になる。絶好調だぜ。とスピードをあげて、20-300mくらい走ると、へまをする。叫びたい・歌いたい気分になった、数時間後に、調子に乗ると、その時が事故の時である。スピードと自分を抑えてみよう。道を変えるのが安全だ。もしくは、2-3分ほどそこで立ち止まる。すると、運命が変わるかもしれない。

 このように自分の危機は、いろいろな方法で知ることができる。それを防げれば、事故なし人生も夢ではない。が、結局、完全に防ぐには、透視しかない。どこでそうなるか、わからないと防ぎにくい。しかし、およそ危険を知ることは、大切だ。だが、確実に防ぎきれるとはいえない。どうしても、防ぎたいなら、未来予知ができる霊能者に相談するしよう。

 交通事故など回避してくれるなら、一万円でも安いものだ。

本日の被害
 昨日、テレビを見ているときに強烈な腹痛と下痢。それはあの悪質な西多田でみかけた太めの老人達だ。それから、今朝は鼻がつまり、そこから黄色いだまだまが出た。
 
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公務員の給料が高いわけ、テレビ予知14 町ですれ違う人から、知人の危機を知る

2015-04-23 11:29:41 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ
 昨日、市役所で、保険証をもらってきた。貧乏人のために、半年しか有効期限がないものだ。極貧では、国保も払えない。

 公務員の給料が高いわけ
 日本では非効率の代名詞だった公務員、役所。それが今や高給とり。これは、彼らの努力の成果ではない。彼らは給料すら合理的に決められない。だから、給料の低下という流れに運良く取り残された。それで、いつまでも高い給与のままなのだ。

 高給という理由だけで、公務員が羨望の的であること。私は、それは納得できない。私のゆく大阪市立大学では、志がなく、何の取り柄もないきまじめなのが、特に法学部が大阪市に就職した。やっている作業といえば、役人なので、事務だ。

 民間企業のように頑張っているわけではない。たんたんと決められたことだけをする。それが今や、明治以来か、戦後はじめて、単に安定しているという理由だけで、憧れの職業に。

 昨日は新人をたくさん見たが、胸を張って、かなり誇りをもっていた。国の権威をかさに着る役人がだよ。役所を動かすのは、政治家。その下っ端役人が。東京の官庁に勤務する官僚なら、国を任されているから、それでもいい。でも、田舎町のお役人がステイタスのシンボルというのは、どうも変だ。

 まだまだ改革して民間企業並みに合理化しなくてはならない箇所がたくさんある役所。それすらできてないのに、高給取りは変ではないか?

 公務員の給料は、平均賃金より高めに設定されていたはず。だが、一昔前はそんなに高いという印象はなかった。民間は2003年の月40万円から給料が下がった。現在は、平均月35万円。デフレの影響をもろに受けている。『国税局 民間給与実態統計調査 より』
 デフレにしていなければ、民間の平均月給が45万円ほどになっている。公務員はそんなに高いわけではないから、デフレという失政がなければ、さほど魅力がある職ではなかっただろう。高給といっても、役所は優秀な人たちが集まる職場ではない。

 テレビ予知 14 町ですれ違う人から、知人の危機を知る

 あまり難しくない。シンボルを使わなくても、ある程度未来を予知できる。たとえば、結婚相手。気になる異性は、短髪が好きな人は、やがてそんな人と結婚するか恋に落ちる。短髪で運動神経がよくて、快活な異性が好きな人は、将来そういう人と親しくなる。このように、自分自身のもつ傾向(特定のものに対する)から、その未来を予想できる。

 これは好きになるのが先か。結婚相手が先か、という問題だ。私は、結婚相手となる人物が先に定められている、と考えるほうだ。その結婚相手の性格を、好きになるように育てられる、と思っている。
 好きな人がそういう人だから、その人にたどりついた、とは考えない。それは運命論ではないから。

 シンボルを使う例でも同じ。
 何が今、気になるか。そこから未来を予見できる。たとえば、ある数日間だけ、『赤い達磨』が目につくとしよう。

 達磨は、達磨という仏僧が洞窟にこもって、瞑想しているうちに足が弱くなった。それで達磨に足がない。彼は運動できないわけでなく、中国拳法の創始者のように思われている。
2つ考えられる。
1,直接的には、達磨の転生者(教育学者)に危機が迫る。
2,選挙ので投票したら目を塗りつぶすだるまから、議員をさす。だれか候補に何か危機がある、と予知もできる。
 達磨が気になった方は、それらを無意識で察知して、達磨に目がゆくと、考える。今選挙シーズンなので、落選議員に何かあるだろう。
 わからないときは、透視すると、判明する。達磨の子は大丈夫。統一地方選挙の落選議員が悲観するのだろう。誰かはわからない。そう予知できる。
 達磨1つで、奥が深い。

 すれ違う人から、自分の知人の危機を知る
 町に出る。すると、いろいろな人に町ですれちがう。誰かの面影に似るような人が時々現れる。それがポイントだ。
 だいたい、事故前に会う人は決まっている。黒い感じで、こぶりな人たちだ。それは死の前ぶれなのだ。うちの愛犬の死ぬ前日に、この手の女性をたくさん見た。私は別の関係者と錯覚してしまい予知できなかった。

 怪我の前日か、それが起きる前には、何かべたべたした感じの肌をもつ人が現れる。皮膚が変異したような感じだ。また打撲の前には、殴られたように肉付きが悪く、べたべたしたような肌の人達を必ず町でみかける。
 ふだんみかけない人たちだ。なぜか、事故前にこれらが現れる。法則のように。

 他人の危機を知ることもできる。美人やいい男が姿を現す。今日は得した気分だ、と思ってしまう。しかし、これはテレビキャスターや芸能人が死ぬという予兆なのだ。何のために現れたか。透視したら、見えるからそれではっきりとする。前日に現れるわけではない。一ヶ月前に現れる。これは、テレビ予知と同じ。

 親戚に似た顔の人物が現れる。なかなか当人に似た人は姿を現さない。当人の周辺者と似た顔を、何度も街中でみかける。推理する。ある家族で事故がある。そこまではたいていつきとめられる。そして、今まで一番みかけなかった人が危ない、と。この場合は、一ヶ月後に、その人が交通事故をするか、稀に亡くなる。

 学校の同級生に似た人(当然、他人)を何度もみかける。すると、同級生の誰かの死が迫っている、と予知できる。

 この法則だけで、親戚、友人すら予知できてしまう。私はこれで、私の知人の危機は、たいてい気づくことができる。友人を助けたのも、こういう方法でだ。これは、とても便利な方法なのだ。なにしろ、自分が町で出会う人を調べるだけで、様々な危機を予知できるのだから。

 誰かわからない時は、透視する。すると、当人がわかる。透視が最終手段だ。絞りきれなかったときに使う。

 自分自身の未来を予知するのは別の方法で行う。それはまた

本日の被害
 目が痛む。このブログを執筆中に腹痛でトイレにゆく。口の中にはれものがある。音声送信はある。食後に、眠たくされる。朝には体が動きにくくされた。
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テレビ予知の仕方 13 予知の記録

2015-04-22 11:11:07 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ

 交通事故は避けた。やった。しかし、また変なのが現れた。勘違いされていた。私は無法者となった彼らを仏法の下に戻す側、つまり、彼らを善化する側の人間だ。いずれ知るでは遅い。

 今日は、たいへんだから、短くする。

 テレビ予知の仕方 13 予知の記録

 テレビを見て予知した。そのイベントが起きた。もしくは起きなかった。予知の結果が出た。これがテレビ予知の一連の過程だ。それらを記録しよう。

大きく三つ記録する
1,テレビ、映画、CM、ニュースのシンボル
 何月何日、どの番組で見たか。どんな絵だったか。それを記録する。これはデータがたくさん集まるとお宝となる。

2,ニュース
 何月何日にどんな事故があったか。どんな災害があったか。世界の地震や事件で有名なものは記録する。
 すると、わからなかったシンボルも、わかるようになる。

3,予知
 シンボルからどう予知したか。それを記録する。予知の仕方が間違ったかどうかを点検できる。成功した時は、その方式も記録していれば、残る。成功する予知方法を知ることができる。

 まとめ
 このようにデータをたくさん集めると、テレビ予知の上達は早くなる。そして、正確に物事がいえるようになる。説得力を増すことができる。

 個人の予知は今度記す。テレビ予知は社会的な事件を予知できる。個人的なものは、シンボル上の有名人でないと難しい。しかし、この象徴解読法を応用することで、個人は自分自身の予知が簡単にできてしまう。その方法はまた今度。

本日の被害
 昨日の被害から。
 目の周辺は刺されている。口の中も。ズボンの布が傷つけられているようだ。手触りがざらざらするようになった。

昨日、予知していた交通事故は避けた。が、もし起きていたら、計画的犯罪ということに気づいた。

 昨日、多田にゆく。予知した危険な場所には、白い側面が凹んだミニばんのような車が現れて、乱暴な運転で通りすぎた。運転主をチェックした。そのためにわざわざ私は、その時間に行ったのだ。若い眉毛が特徴的な男で、顔が気持ち悪い男だった。これは、まったくみかけないからアカではない。これに狙われていた、とわかった。

 その後、あちこちで黒っぽい服を着た普段見慣れない男たちを見た。私のゆく先々で待ち伏せていた。それはアカのファイルで私の行動経路が記されているからだ。それを見て、いろいろ悪さする別のストーカー集団だ。

そして、私を見つけては黒服の男は携帯で連絡をとりあっていた。アカは、自宅内から私の居場所を特定する。私の居場所を確認するためにわざわざ道路に出てこない。

 アカは単に威圧行為と、私の被害の度合いを確認するためにストーカーで現る。この連中は、私の顔の傷など見ようともしない。これら男たちは別の集団だ。仏教カルトの一味だ。それが、私を車でひこうと画策していたようだ。この連中は、日本中でそんな犯罪をしていることはよく知られている。

 ターゲットを魔と呼んで、自動車で襲う。電波ではない。集会で、誰かをそうやって痛めつけることを決める。婦人会が積極的らしい。魔は、たいていアカで、犯罪組織同士、つぶしあいをするのが最近の特徴だ。それで私は大目にみてきた。

 今回、なぜ、私が狙われたのかはよくわからない。主犯の自宅を帰り道に調べにゆく。私は透視したらわかる。つつみがたき駅の北300mほどのところの山中の宅地だった。その付近までゆき、今回は20m以内にまでつきとめた。そこから帰る時、黒服でいかにも悪いことをたくらんでいそうな爺さんが帰ってくるのをみかけた。どうやらそいつらしい。前も、私にストーキングしていた爺さんだ。

 彼らは敵を間違えている。多くがこの団体をストーカー組織と断定する。が、それを告発する中で、私だけは犯人はここでなく、アカと宣言する。かなり嫌がらせを受けても。彼らの電波犯罪疑惑を私は晴らしてきた。私は彼らには味方ではないにしても、かなり有益な存在なのだ。私は彼らに感謝されてよいはずだ。そういう人物に対して敬意を表さず、厚遇するところを冷遇し、あまつさえ悪さしようなど、それこそ人間性がなく、仏法にあるまじき行いではないのだろうか。

 川西はアカもその他もKY(誰が彼らの組織の中で大事な人か、広い世間でよく知られていることが見分けられない)なのかもしれないが、その悪の習癖を直すのは、その組織の他地域の役割である。
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経済学の未来-- 経済は縮小の一途をたどるが、社会は進歩しつづける

2015-04-21 11:25:11 | 社会思想の終焉
 大阪は曇り。
 愛犬いなくなって、もう散歩しなくてよい。今日は、予知では多田のつつみが滝の北で車に私の自転車がぶつかる日だ。誰も怪我しない。が、金が少々かかる。今月二度目という事故。2015年4月は私にとって厄月らしい。当然、私はよける。その付近は歩いて、自転車を押して進む。何の心配もいらない。知っていて、事故るのはよほど間抜けなので。

 経済の未来
何かの小説で読んだ。経済学者が言う。未来は機械によって、大量生産される。すると、製品の価格は下がる。無限に生産すると、その価格はゼロに近づく。あらゆる製品がそうなると、経済は縮小して、やがてはゼロになる。そこで、経済は終わる、と。

 社会は無限の生産力を得て、貨幣経済が終わる、という未来を描いた小説。その時、社会が破滅するわけではない。経済学が終焉する。ずいぶん極端なモデルだが、何か暗示しているようで、感心した。

 現実は異なる。今でも、大量生産される。製品価格は下がる。しかし、そんなに価格は下がらない。一定の水準で止まる。製品は、無限に生産できないからだ。そこに限界があるためだ。

 確かに、量産化すると価格は下がる。が、あるところまで下がると、止まる。原価より安く売れないからだ。原価とは材料費。それは鉱物資源の値段にゆきつく。

 新しい商品は、よく売れた後に、衰退する。そして、やがては標準化される。誰でも作れるようになる。すると、そんなに高くない値段で買えるようになる。最低価格で落ち着く。りんご、ねぎ、カードの計算機、なべ、はぶらし、靴下。百円ショップにそんなものはたくさんある。公共料金は、そういう値段でもある。

 実際は、原価と一定の利益を上乗せした価格に収斂する。電気料金みたいなものだ。

 というわけで、全ての製品は、最低価格に落ち着く。経済も、公共料金のような価格に落ち着く。それが経済全体を占める。未来はこちらが妥当だ。

 これをここでは、標準価格経済と呼んでおこう。これは、別名、原価がほぼそのまま価格となる原価経済である。利益はあるとしても少ない。

 では、この標準価格経済は、どこにあるか? 
 標準化した商品は何か? 水道、ガス、電気。りんごもそうだ。はぶらしもそうだ。後進国でも、作れる産品はたいていそうだ。これらは、もっとも安い製品だ。が、これ以上は下がらない。そういう商品の経済である。廉価品の経済、百円ショップの経済みたいなものだ。こういうものではないのは、成長産業や、車、飛行機などまだ衰退していない産業製品だ。

 世界中で何割の商品が標準化しているかは知らない。世界の経済の何割かは、こういうもので占められる。当然、こういうものは成長産業ではないから、そこで大きな利益は得られない。自動車はまだ高級品でも売れるが、やがて標準化すると思われている。

 あの大量生産によって価格がゼロに収斂する経済モデルは最初に示した。その間違いを正す新しいモデルが、これである。標準製品の経済モデルと呼んでおこう。

 この分野ではどういうことが起きるか?
 成長産業ではない分野の話だ。新規の製品でもない。古くからある製品の売買である。かばんや靴、服。そんなものだ。基本は、安い製品だ。はさみのように。だが、かばんは高級品がある。高い値段で売るために、高級品を作る。この分野には、高級品と最低の品質のものがある。

 ここで働く労働者は一定数必要だ。確かに、成長産業ではないだろう。しかし、多くの市場がある。こういうものを大切に残すことは、国家の文化を維持する上でも大事だ。失業対策にもなる。先駆的で才能がある人間は少数だ。そういうものたちは成長産業についたり、学者になる。が、大多数はこういう分野で働いて、小さな工夫を積み重ねて、貢献する。こういう産業は、その受け皿として重要である。アメリカがかつて先端産業に特化して、これら旧来の技術分野の仕事を減らそうとすると、失業率があがる。日本はそんなことはしないから、失業率を下げられる。

 そういう意味で、地域のブランド化、地方の工芸品(工芸品は、お椀、お皿などこの分野だ)を日本が積極的に推進しているのは、経済にも適っている。地方で新規産業を興さなくても、今までにあるもので、十分な規模の経済を維持できるからだ。

 地方創生によるこれら地方の特産の奨励は何の経済効果もない、といった経済学者はいる。が、それは間違いだ。雇用にもなるし、職場の確保にもなるし、経済を地方経済を高めることができる。だから、地方で大きな動きとなっている。

 新しい技術による産業は、地方でさほど期待されていない。そんな世界を変えるような先駆的な人材は地方になかなか集まらないからだ。地域には地域に見合った経済復興がある。それでよい。

 さて、話を戻す。世界中の全ての商品が、それ以上に下がらない値段に落ち着く。すると、経済のデフレ化はそこで、ストップする。あとは、増えるだけ、経済は成長するだけ。先進国と後進国の物価差が解消すれば。

 この経済モデルが、成立する条件は一、資源は有限であること。採掘費用など一定がかかること。材料費がただではないこと。二、加工などエネルギー費用がかかること。三、価格はいずれ標準化して、最終価格に落ち着くことの三点があげられる。

 ここまでは、勘のよい経済学者がふつうに思いつく範囲である。既存の経済学を別の観点から眺めたにすぎない。それをまとめた。

 しかし、技術が進歩するとこの原価経済モデルも怪しくなる。一、資源が安く手に入り、二、エネルギー費用がほとんどただになるからだ。すると、上のモデルは崩れてしまう。そこが、未来の経済学の核心である。

一、資源が安くなる
 原子変換が発見されると、そんな技術もできる。すると、金銀、レアメタルが人工的に安価な材料から作り出せる。どんな高分子化合物も、生産できるようになる。そんな時代はくるだろう。こうなると、最低価格はさらに下がる。

二、エネルギーがほとんどただになる
 フリーエネルギーは難しく考えなくてよい。ワープ装置一つあればよい。重たい石を落としては、時空転送装置で、高い場所にあげて、また落とす。それを繰り返すだけで、原子力も生み出せない無限のエネルギー(位置エネルギー)が手に入る。ワープは、時空の穴を作り、維持するだけなので、あまり電気エネルギーはかからない。もっと工夫された装置もできるだろう。ワープ装置の開発は時間の問題と思う。
 すると、電気代がほとんどただになる。燃やす燃料がいらなくなるからだ。すると、加工費が極端に安くなる。

 原材料費は下がる。エネルギー代も下がる。この二つで、価格の下落に歯止めがきかなくなる。しかし、小さくなっても、一定の加工費、一定の原材料費はかかる。しかし、極めて安いことは確かである。こうなってしまうと、セイコーの時計が100円。新幹線も1000万円となる。金のネックレスは100円だ。

 この未来では、りんごは相変わらず1個100円だ。1年かけて作るのだから。羊毛のセーターも1着2000円だろう。1年に1匹の羊から2着分しかとれないから。ほうれんそうは1束10円ほどとなる。これは電気代と肥料代が安いからだ。

 金属製品や、電子製品は機械さえあれば大量生産可能だから、極めて安くなる。プラント工場で栽培できる野菜も安くなる。しかし、1年かけて外で育てる果物は値段が下がらない。成長産業の製品もやや高くなるが、りんごよりも安いかもしれない。かつて3文の価値もなかった松茸が今や高級品になったように、現在の我々からみれば、奇妙な経済世界となってしまう。

 そして、最も大事なことは、科学はどんどん発展して、人々の暮らしは豊かになることだ。が、経済学は逆だ。価格が安くなるため、小さな小さなミクロの数字を扱う貧粗な学問になってしまう。この時、大勢が気づく。経済で物事を考えてもあまり意味がない、と。ジ・エンド・オブ・エコノミクスの時代なのだ。

本日の被害
 目の下側に針さされされた。口の中も。目はやや赤みがある。紅茶などは薬物が入っていて、飲めないのは2-3月前から同じ。
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新潮45 5月号の感想、『金利ゼロ=利潤率ゼロ』、これサラリーマンに通じない

2015-04-20 12:04:34 | 社会思想の終焉
 大阪は雨。

 昨日、多田の源氏祭をみた。境内に入り、記念撮影から。静御前や源のなんとか、という当時風の衣装の者たちが馬に乗り、練り歩く。多田神社から能勢電鉄の多田駅までを往復する。子供も平安末期の衣装で、楽しそうだった。

 市会議員選挙が始まった。選挙カーが朝からひっきりなしに走る。声が飛ぶ。あれは名前を連呼するみたいだ。活気があって楽しい。今度は投票率を上げたい。

新潮45 5月号の感想
 当然、立ち読み。この雑誌は、反政府的なキャンペーンを張る。そんなアンチな読者層を狙うらしい。民主党系ならば、最大の敵を間違えている。今、反自民票をもっとも食っているのは共産党だ。つまり、民主党のライバルは共産党なのだ。そこに狙いをつけなくては。反自民は勢いが大きくならない。ならば、選挙間近で目下狙うのは、アンチ自民票の取り合いである。維新は大阪の中でどうにかやってゆくから、外の論評は意味をなさない。全国で民主票を奪う共産。それを叩く内容を最優先にしてゆかなくては・・・

 私はネット上にこうやって論を書いて、世に問う。練習がてら。

『大阪都構想は大嘘』という。私は成り行きをみているが、成功しないのではないか、と思う。

『空き家の活用で日本中が蘇る』
 藻谷氏は、小さなブームをすぐに大きな夢にかえてくれる夢幻のおじさんだ。確かに、今空き家の活用は流行だ。そういう時世の発想らしい。
しかし、私は空き家はどんどん処分すべきと思っている。昭和・平成と人口が増えて、都会でむやみに家を作り、郊外にも造成地を増やした。人口が減ったのだから、それら乱開発を整理したり、造成地は自然に戻すべき。

団地も多くは解体している。空き家は今はぼろ家。取り壊されている。昭和の日本の家は急造したものが多く、寿命はせいぜい50年で長くもたない。そんなものを後生大切に残しておいても、仕方ない。活用できるのは、古民家や廃校などごく一部。百年近くもつものだ。

 昭和に都市はどんどん乱雑に拡大させてきた。それら猥雑なものは、どんどんつぶしていって、都市や町をきれいに作り直すのが大事だと思う。空き家は残すより、つぶして、都市の改革する。経済効果はどちらが大きいかは、自明だ。

 空き家を改修して飾りつけるよりは、町ごと作り直す。そちらのほうがよい。どうしても残したい建物は、移転させればよい。

 『近代の秋』への発想の転換 水野和夫
 資本主義の定義があって、彼はそういう市場経済をさすのが私の資本主義の定義だ、みたいに開き直る。資本主義は、一般的な定義がある。その範疇で語ればよい。資本主義の副次的な面ばかりを強調するのは、一次的なものではない。あまりに一面的なものを取り上げて話すと狭量にみえる。市場経済に限定するなら、資本主義はつけなくてよい。

 資本主義の定義としては、三浦瑠璃氏が制度面から、『その基盤となっている原則を挙げるならば、私有財産の不可侵ということと、契約自由の原則くらいです。(山猫日記)』、という。
 私の定義では、『個人と集団の自由活動を認めた国家』。この組織形態の中で、いろいろな体制がある。
 資本主義の本質なところは上の二つで、市場経済は派生した部分である。こういうところをわきまえた上で、学者ならものを言わなくてはいけない。

 政府の借金について彼は前より一歩進んで考えていた。だが、まだそれでは日本の多額の国債という問題を解決できていない。まだまだ足りないようだ。

 彼は、今までの社会ルールとして、『より早く、より遠く、より合理的に』というのがあったと批判して、それはやめるべき、という。かわりに、『より遅く、より近く、より不合理』に、と提案するかと思いきや、少し変えて、『より? より近く、より寛容に』となっていた。どうやら、今までの社会スタイルの逆を行くことには、躊躇したようだ。
 より早く、より遠く、より合理的、というのは正しくは資本主義ではなく、合理主義の発想。私は合理主義を否定する気にはならない。

 彼は、後半、あまり見るべき論がなくて、くず鉄のように見えた。経済学者が語る分野を広げすぎた印象はある。

 彼は、ゼロ成長で『国家経済』は死んでいる、という。安倍首相が現れる前、民主党などのデフレ期間では、マイナス成長だ。彼の目に、それは日本がどこまで沈没したと映るのだろうか。デフレ推進派、量的緩和の否定派は深海にひっそりたたずむ巨大な廃艦、あの武蔵の乗組員のようなデフレの亡霊、と彼にみえるのだろうか。

 そういう意味で、彼にとって安倍首相は、日本を不況の深海から浮上させ、日本を活かし蘇らせた立役者ではないだろうか。彼の資本主義論では。

 彼の書を見て気づいた。『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社、水野和夫)の帯に「金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死」とある。おかしくないか?

 利潤率ゼロというところ。金利がゼロでも銀行は金利をとり、利益を出す。会社はたいてい利益をあげる。利潤はある。金利ゼロで、利潤率ゼロは預金者のみの話だ。

 『利潤率ゼロ=資本主義の死』は、サラリーマンにその結びつきが理解できない。利潤なし、というは収支とんとん。大赤字でないから、会社は持続できる。会社が生き延びたら、資本主義も安泰ではないか、と。

 おそらく、この帯を作った人はいろいろ誤解している。彼は『GDPの実質成長率がない』と主張する。成長率がない=利益をあげてない。もしくは、利回りがない→得していない→利潤はない、と。

 どちらにしても、単純なミスだ。GDPとは毎年の国家の生産額だ。その中に利益は含まれる。2013年のGDPは530兆円。利潤が1割とすると、50兆円となる。GDPの成長率がゼロでも、利潤はあるのだ。

 GDPはあがらなくても、利益は各企業があげる。給料もそこから出て、日本のサラリーマンは受け取る。利益ゼロでは、それがないから、日本は倒産列島になってしまう。

 金利ゼロでも、GDPが成長しなくても、そこに利潤は入っている。資本主義(会社)は生きている。こう書くのがよかったのではないか? 『金利ゼロ=(会社の)利潤率は5-10%=資本主義改良中』

 預金者の利潤率は経済学では、貯金暮らしの人しか問題にならないので、国政を論じるときは大事ではない。それがゼロなら年金暮らしの老人は心配になってくるとしても。

 利潤率ゼロを入れたから、書店で、サラリーマンはそこを読んで、『俺の会社は利益をあげているぞ。だから、給料も入るんだ。この本は、いい加減なことを書いているな。』と、買わない決断をする。それが現実だ。『資本主義の終焉』という言葉に頭がくらくらして、買ってしまった全共闘などの層は、会社が利潤をあげることにどんなに苦労しているか、などわからないので、目にも入らなかったのではないか、と思う。この帯によって、多くのサラリーマンの購買を逃したとはいえるだろう。

 来年には、この帯は書き換えられているか、消えているだろう。編集者は売り上げあげて、利潤がほしいから。

 テレビ予知は今度。

本日の被害
 鼻がつまる。鼻が平らに押しつぶされたような感触になる。目は痛む。口の中に、小さなふくらみがある。何箇所か。
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社会保障論議が消えたわけ

2015-04-18 10:54:23 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ
 電波犯罪被害者の人権 という2003年に仕上げたメディア向けのサイトは編集中。本論は、ほとんど完成した。是非どうぞ。2003年時点の見解で、現在とやや異なるものもあるけれども、一部は同じ。よくまとまっている。

 テレビ予知の仕方は今度。準備してなかった。

 社会保障論議が消えたわけ
 ゆりかごから墓場まで。社会保障を生まれたときから死ぬまで充実させて、医療や経済的な問題で苦しむことなく、暮らせる社会にする。これは一種の理想だった。それ自体は悪いことではない。いい生活ができるのだから。

 が、それは最も政策能力がない者たちが主張したから、実現不可能な理想にみえた。私は、国家が現在の状態で進歩し続けたら、経済的な問題は50年以内に克服して、そういう高度福祉国家が世界の標準になると思う。

 問題は社会党や社民党がよく唱えていたことだ。彼らは、財源なしに主張した。だから、嫌われた。それがいけなかった。

 それを早急に実現するという安易なものは社民が唱えていた。すると、税が重くなり、消費税をあげるよりも大きな不況が襲う。社民もようやくそのことに近年気づいて、封印した。

 争点が経済となったからだ。すると、社会福祉をよくすると、負担が増えるから必ず税をとらないといけない。昔のように、財源を示さないような根拠なき政策提言は、通用しなくなった。そんな嘘マニュフェストは民主党時代にうんざりしたため、国民に通用しなくなった。それで、選挙の時に、彼らは福祉を口に出さなくなった。もともと選挙で勝つために、唱えていた題目で、本人たちが実現する気はさらさらなかったのかもしれない。

 本来、この国民生活の向上は、自由主義者が行うべきものだ。左翼ごときは経済の裏づけなく、そんな負担を社会に強いるようなことしかいえなかった。しかし、それは人類がいつか到達する社会だ。ゆっくりと、確実に一歩ずつ、そういう制度を整えていかなくてはならない。それをするのが、経済に聡く、また社会の発展を確実にもたらす保守政党の役割である。

 現在は、日本の国力に見合った社会保障を提供する。常に、財源がチェックされる。最大源ぎりぎりのところで、やっている。足りなかったら、消費税で補う。それを繰り返す。その時ごとに国民は反発する。いったい何に反対しているのか?

 それはほとんど老人を介護する費用だ。日本が消費税をあげるのは、政府の失政のせいでも、自民の計略のせいでもない。増えすぎた全共闘世代の爺さん婆さんを養うためだ。費用なんてものははっきりしている。これ以上はお金がない。

 一部、政党は全てを福祉につぎこめみたいな極端なことを言うが、それはそれで他がさびれてゆく。たとえば、地方の町のように。福祉はほとんど成長産業ではなく、負担である。日本中がそんな介護の負担を重く抱えている国に未来はない。しかし、老人にはよい暮らしをできるように、若い世代は生活水準を下げ耐え、頑張っているのだ。そこが大事だ。

 彼らがいなくなれば、負担は軽くてすむ。半減以下になる。しかし、老人を消すわけにもいかない。ならどうすればよいか?

 悪いのは何か? 老人が不健康なことだ。ご老人の体が悪いのだ。それで介護費用も医療費も高くつく。ご老人が健康なら安くすむ。日本は国をあげて、老人を健康にするために政策を尽くすべきである。老人健康運動や政策をますます充実させていかなくてはいけない。

 税をあげないで、やれ、といいたいのである。まだやれることはあるのではないか? と。しかし、そんな都合のよいものはない。

 理念を争っている間は、政策論議が行われる。が、いざ政府がそれをはじめ、制度がはじまると、日本では政策論議が消える傾向にある。これは社会保障に限らない。若者と老人の格差でも相続税を変更したら、その格差は話されなくなった。社会保障も、そういう理由で、話題にされなくなった、ともいえる。


 企業が税を払わない問題については、今度。


本日の被害
 昨日は音声送信で脅された。何だったかな。『あほか』というのはよく聞こえてくる。また今朝は、鼻を詰まらされた。左目も刺された。また足のつけねをさすのもいる。歩く時には、そこが痛くなる。
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世界の言論に影響力を行使しはじめた保守、テレビ予知の仕方、当日の振る舞い

2015-04-17 16:22:49 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ。
 昨日は毒を公園にまいた人物の調査に費やしたが、現地では10分で判明した。最近、姿を現さなかったが、8-15年前につきとまっていたアカストーカーの一人で、特に悪質な輩とその一味だった。電波犯罪の告発に成功したら、10年以内に警察に捕まえてもらう。証拠は出揃っている。

 政権与党の影響力の強さをまじまじと感じた。

 このブログのまとめは、『大野思想研究所』と左からいける。リンク切れは、読めるようにした。是非どうぞ。

 世界の世論工作をはじめた保守
 最近の保守系の雑誌では、アメリカ内における中国や韓国グループの左翼運動に反対するものや南京大虐殺など日本への誤解を解くために、運動をしている者たちの苦悩が記される。左翼は、何十年前から世界に出て、日本を貶めてきた。が、ようやくその大切さを知ったようだ。始まったばかりなので、まだまだ失敗もあり、うまくいってないようだ。が、どんどん要領を覚えて、うまくなるだろう。それを期待したい。

 国内では理論優位を確立した。自民政権であり、政治的な地位を得てもいる。それで安住していたら、左翼による世界的な包囲網を形成され、海外で左翼的な日本批判が強まった。それに対抗する上でも、日本の保守の見識を世界にひろめるのは、大切なことだ。

 世界的なロビー活動の弱さ。それは戦前の失敗の1つなのだ。日本の立場や主張を世界に上手に伝えられなくて、情報戦で負けて、孤立に追い込まれた。二度とそういうことがないようにしたい。保守は見識も理論も左翼よりは優れている。だから、それを発揮すると、しだいに世界的な影響力を強めるだろう。それを信じて挫けないことだ。

 この日本保守の世界的な宣伝活動は、日本の立場を世界に説明することになる。それは日本と世界との関係強化につながる。日本が世界との安定を確保するためには、不可欠である。これら保守の立場を世界に共有させることは、日本が孤立しないことにつながり、日本による国際平和主義をもたらす。それを忘れてはいけない。

テレビ予知の仕方14 予言の当日

 それは、3-10年前に映画で描かれたことだ。2000年前の予言にもあったかもしれない。一ヶ月前にテレビで予告されたことだ。それは、四日間前にとうとう来ることがわかったことだ。ついに、その当日になった。準備は万端か? 備えはできているか。

当日に何ができるか?
 大災害の当日の朝は、空気が凍り付いている。寒くないのに、聞こえない高音が鳴っているようだ。それで、大災害は感じ分けられる。

 が、自分の事故は、あまりわからない。胸騒ぎはない。不安もない。その日は日常だ。が、それを見分ける方法はある。霊能者でなくても、それはできる。今度記す。

 小さなありふれた事件や事故も、当日に何か異変があるということはない。毎日、それは繰り返し、起きているからだ。

 そして、その瞬間はくる。ニュースが飛び込んでくる。自分の事故の場合は、それが起きる。霊能者には、その事件が起きるのは黒い場にみえる。

 その事件や事故は、確率の産物のように発生する。発生可能性が低いことは稀にしかなく、高いものは頻度よく起きる。

 それまで備え、対策をしていたか。それがもろに事故や事件では被害の量を左右する。

 それが起きた 予言が成就した

 それがとうとう起きたのだ。待ちに待ったこと。けっしてきてほしくなかったが、来ることがわかっていたものが。それに打ちのめされるか。耐えられるか。

 しかし、発生するのは自然災害くらいだ。事故や事件は人間の力で発生を防止できる。予知するとたいてい事故は防げる。予知した者だけが助かるのは正しい。いずれ社会的が事件事故を予知するから、個人が予知しなくても助かるようになるが。まだそんな体制にはなっていない。

 もし、事故を確実に、防ぎたかったら、それら事件・事故を予知するしかない。それは未来の見える霊能者に頼むことだ。確実に、危険を察知しないと、防ぎにくいのだ。

 人災は起きてしまったら、二重に打ちのめされる。まずそれが起きたこと自体に。交通事故はショックが大きい。もう1つは、予知者に特有のもので、予知していたのに、防ぎきれなかった後悔。もしくは、予知し損ねた悔いだ。

 そんなことがないように、当日は、安全を心がけて、防ごう。予知されているのになぜ防げるか? テレビ予知で予言できるのは、何も未来対策しなければ、発生した事件・事故のみだ。それを防ぐために効果的に行動したら、発生しなくなることが可能だ。

 予知を回避するには?

 ある日、何時頃に、どこかの交差点で交通事故する。そんな危機がある。それを知っていて、わざと事故する人はいないだろう? 知っていれば防げるのだ。予言ははずれてしまう。が、予知自体は外してはいない。予知とは、未来の大きな可能性の1つを予知することだ。わかりにくいかな?

 透視能力者には、その光景が映像ではっきりと見えるのだ。それが、テレビにシンボルという形で描かれる。テレビの脚本家も監督もなんらか、それを見ている。未来の危険性として。また霊能者には、ある人物が死ぬ時には、死相として黒くみえる。簡単には、その人物に危機が迫っているかどうかは、死相の有無で判定する。

 もしまったくそんな危険がなかったら、そんな事故の光景は見えないし、死相も出ない。反対に、それがあるなら、予知自体は正しく未来の危険をとらえていたことになる。それが発生するかはともかく。

 未来を正しく予知したとはいえないかもしれないが、正しい危機は予知できていたといえる。テレビ予知では、人災はたいていこのタイプだ。予知されても、人の努力しだいでその発生を阻止できる。だからこそ、予知する意義がある。予知によって、生活が幸福になるのである。

 テレビ予知の場合は、社会事件を予知できるから、日本の事件・事故を減らすことができる。それはとても大切なことである。

 報告
 昨日の犬が毒殺された件で、犯人の家はつきとめた。西多田周辺の忌々しい大家だった。ここは、7-13年くらい前に、ひどい腹痛をもたらす電波を飛ばすために、近所にまできた凶悪な中高年女が住むアパート。悪質な犯行は昔からだ。矢門を過ぎて、この町内に入ると、すぐわかった。透視でくっきり見えたから。その付近のアカ党員の家は全部、調べがついていた。三つくらいから絞るだけでよかったし。
 当面は、101匹わんちゃんのようなことになるだろう。知っている人がいたら、犯人などの情報は教えてくれ。遠回りなことはしないで。

本日の被害
 左目下が時々、痛む。また鼻水に黄色だまだまはなくなった。白いのか透明なのかしか出ない。これが普通。もう花粉症の季節でもないし、擬似の黄色い液体は入れてこなくなった。
 目の被害は相変わらずだ。
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愛犬が公園で散歩中に倒れて痙攣、呼吸停止。毒が公園に。

2015-04-16 11:26:11 | 社会思想の終焉
 大阪は晴れ。

昨日は大きな被害があり、多忙なので、その話題のみ。

 昨日、うちの愛犬が毒を食べて、なくなった。私の昼の散歩中に。中央公園までいつもよりゆっくりと駆け足で行った。公園に入ると、いつも通り犬は自由にさせた。犬は用を足して、いつもより動きが悪かった。しばらくすると、吐いた。それからじっとしていたが、動きだした犬はよろめいて、倒れた。駆け寄ると、痙攣して、呼吸が止まり、一度は息を吹き返したが、また止まり、二度と息をしなかった。

 この症状は過去にあるようだ。小学校の裏に散歩にいった午後にけいれんして、倒れたが、また動きだしたそうだ。そっくりだ。小学校の裏で何か食べたようなのだ。きのこか何か。以前は、それが原因だった。だから、それ以降、一度も小学校にはつれていかない。何か食べても、食あたりしない場所だけを選んでいた。中央公園にその毒はなかったのだ。

 が、今度は体力がなく、起き上がらなかった。その痙攣を引起す毒の症状とはいえる。

 中央公園は、一週間くらい前に、きんぽうげの茎(毒)が愛犬の水飲み場にさされていた。誰かが犬を毒に与えようとしていた。私は危険を感じていた。が、まさか、アカが犬を殺すとは思わなかった。油断した。ミスした。

 あいつら、やりすぎでないか?

 愛犬はビーグルの10才。茶黒毛が濃く、男犬の目が愛らしい顔で通りすがりにはよくすかれていた。が、顔に骨肉腫ができてからは、顔が一部ふくらんで、膿が出て、犬同士けんかした後のような傷がずっとついて、哀れだった。よろよろで、すぐ立ち止まっていた。散歩にゆくと、よく心配された。が、1年生きのびた。この闘病犬はあばらの回りに肉がないほどやせ細り、犬小屋にいるときはほとんど動かなかった。それでも散歩はおりる時は駆け足できた。それが、こんなことになろうとは。

 ふつうにみれば、骨肉腫で1年よくがんばった、というところ。寿命だろう。黙祷。

 しかし、直接的な死因は毒。そこから回復する体力がなかったのだ。毒を公園にまくとは許せない。おそらくきのこだろう。誰かが、この犬が食べるものと知って、わざわざ採取して、中央公園の散歩コースに置いたようだ。そんなことを許してよいのだろうか?

 犬が死んだ後、私が犬を抱えて自宅に戻る時、中央公園を出ると、奇妙な中高年が話かけてきた。『犬が死んだの。・・・ごめんね。・・・』 なぜ、ごめんねと言うのか? 犬がこうなった理由を何か知っている人物に違いないと思った。ストーカーみたいで、一緒に少しついてきた。気味が悪いおばさんだった。

 それから夜になって自宅にいると、音声送信が聞こえてきた。犯人は多田駅の北ではない、という。

 透視しなおすと、多田の矢門(正確には矢門ではないがその周辺)のアカ。私はたいてい、池田・川西のアカの犯人は家までつきとめられる。あの昔よく現れたやつらの一味らしい。そこいらの一番悪は家を知っている。だが、それとは違うらしい。その近所らしい。このアカの自宅は忘れたから、あとで調べよう。

 現在は私は自宅にいながら、毒をまいた犯人、私によく嫌がらせをする多田矢門(周辺)のストーカーの一味で、だいたい30mの範囲で住所をつきとめた。JAPANの裏のグループらしい。

 兵庫県で**は選挙で大勝した。そのタイミングで私に何の恨みもいはずだ。低投票率の演出に私は一役かんでいる。なんで、犬を殺されなくてはいけないのか? これで二匹目(もう一人は犬ではないけど・・・)だ。あいつら、やりすぎでないか? 普段から。

 ストーカーだからといって、毒を公園にまく行為は許されるのだろうか? これは、警察沙汰だろ。だが、毒はみつからないと思う。アカは証拠は残さない。みつからなければ、しょうがない。

 こういう問題は、裏から裏で処理される。犬が死んだという事実だけは残して。日記には残す。あー悲しい。

 こういうことは、たくさんの人々が遠まきに私をみて、知っている。私が失敗したと、喜んでいるいやなやつ者もいる。テレビで朝にみかけた。そのにやけぶりが尋常ではなかった。深刻な被害と同情してくれる人もいる。しかし、誰も私に本当のことを言わない。こんな正義を捨てた者たちが日本を地下から悪化させている。
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アンチ戦争論者は戦争を正しく教えられない、テレビ予知の仕方13 直前予知

2015-04-15 11:54:36 | 社会思想の終焉
大阪は晴れ。
 私はあまり難しいことは書かない。簡単な論理の積み重ねだ。今週は頭が働かないような気がする。

 原発再稼動が、地方裁判所で止められた
 地方裁判所には、変なのがいるから。専門家でもないのに、国政に関わる重大なことを一裁判官が決めるのは、どうかな。この判決で差し止めになるのは、制度上の欠陥だと思う。

 3/15 茨城県で男性が矢で足を撃たれる。噂の三本の矢の一本目かな。

 アンチ戦争論者は戦争を正しく教えられない
 料理嫌いが料理を教えられない。野球嫌いが野球のなんたるか、野球のテクニックは教えられない。考えればすぐにわかることだ。アンチ戦争論者は戦争をなんらかの理由で嫌いになったものたちで、戦争を学習することを拒絶して、学んでない。よって、戦争の真実を教えることはできない。

 なぜか? 囲碁嫌いは、囲碁もしたことがない。じじくさいから、地味だから、簡単に覚えられないから、夫がそればかりして、妻をかまってくれないから嫌い、とかそんなところだ。囲碁とは何か。囲碁はどう打てばよいか、何も知らない。囲碁に悪い印象をもっており、そう決め付けている。そんな棋力もない人物が、囲碁を人に教えられない。

 戦争も同じ。最近、幅を利かせている左派の反戦論者は、戦争の表面的なものを見て、破壊がひどい、人が死ぬのが嫌、かわいそう。ただその程度のことで、戦争に反対する。
 彼らは、戦争で何をするかなど大切なことは知らない。彼らは、戦争の本質、悪なるグループを食い止めることの重要性を理解してない。ただ戦闘・軍事行動のみを嫌っている。

 多くの反戦論者は戦中子供で、敗戦体験しか知らない。空襲で焼け野原になった都会や、軍人が死んだことなど、その敗戦のひどい有様のみを鮮明に覚えている。彼らが知るのは、負け戦の悲惨さのみ。戦争の目的も、戦闘に至る筋道も、戦争しなくてはいけなかった事情も、知らない。ただただ戦争は悲惨だ。彼らにいえることはそれのみ。
 そんなレベルで、戦争を語れはしない。彼らは戦争を知らない。彼らは、戦争を正しく教えることはできない。彼ら左翼の反戦論、"決めつけ"など覚えても世界では通じない。

 平和憲法ではなく、あれは軍事侵攻される憲法だ
 アメリカが制裁で日本から軍事力を奪った。それがあの憲法だ。軍事力は、どの独立国家ももつことが許される。それを否定する国の方針をアメリカが日本に強制した。そんな制裁は解除するのが望ましい。
 あらゆる制裁は国家の主権を制限するものだ。国家の健全さをゆがめる。国は制裁は解除する方向に動く。それは自然の理である。


 テレビ予知の仕方13 直前予知

 テレビでは31-33日後に起きるニュースがシンボルという形で、描かれる。直前予知もしたい。正確な日は何日なのか? それをつとめたい時は四日前サインを探す。

 四日前サインとは?
 イベントの四日前に現れるシンボルだ。江戸時代の絵、着物にちょんまげ、江戸の家の絵。歌舞伎、人形浄瑠璃、西洋のバロックのような服の絵、江戸時代に日本来た西洋人などの絵・映像だ。ニュースにみかける。
 地震や大火の3-4日前にみられる。これを見つけて、正確な日を予想できる。
 四日前サイン違うものはいくつかある。それは平安の格好や江戸の町の映像だ。それは31日前のシンボルのほうが多い。歌舞伎はたいてい四日前サイン。二日続けて出るから、見逃しても、翌日に確認できる。大地震ほど、歌舞伎など絵が大きくなる。

 服の色のサイン
 大きな災害の3-4日前には、紺・青色の服の人を多くみかける。1-2日前は紺色と橙色のレスキュー隊の色のような服の人をよくみかける。テレビにだ。これからも、予想日をつきとめられる。ただ、私でもこちらはあまりうまくいかない。

 前日サイン
 大地震の前日にみかけるサイン。山腹の巨大な崖という絵がそうだ。画面に大きく崖の写真がみられる。山の番組に多い。それを見る。すると、翌日に強い地震が世界のどこかで起きる。一日、1-2個しか流れてないので、みつけるのはなかなか難物だ。

 これらを上手にみつけて、当日を正確に予想しよう。


本日の被害
 眠たさ。睡眠電波がこの執筆中に届く。それで眠い。

 裏の人間は私のことを恐れる。何から何まで私はつきとめられるからだ。そして、我々は日本にかなり浸透している。冗談ではないと知っているはずだ。

 尖閣での中国船の衝突事件から、メディアの流れが変わった。ナショナリズムが生じた。それを支えるのは今までアメリカの影響力でも、左派でもない。中国の日本商店・日本工場焼き討ち事件、韓国における侮日。これらも連動していた。野田政権の致命的錯覚。民主党が勝てるはずだった解散総選挙。自民の政権の奪取。見事なまでの一連のストーリーだ。

 そして、強運の安倍政権。これまでの自民にも見られなかった積極性で、JAにまで手をつけたこと。TPPを恐れない政府。脱デフレ政策や、その時々に、アメリカも協力的であること。ロシアプーチンの圧倒的な支持率。彼の鋼鉄の戦略。彼の好きなソトニコワのフィギア金メダル。

これらから何がいえるのか? 日本とアメリカ、中国、韓国は、我々の影響下にある、ということだ。この新しい力は確実に存在する。世界の流れを読み解くと、ここ2年で何かが変わったことを認めるしかない。

 日本のメディアは、フジドラマの大崩れ。40%視聴率ドラマ。話題性がまったくない統一地方選挙。NHKのやる気のない選挙報道。自民の大勝二回。二度目は、そんなに勝てるとは、メディアの自民批判報道からは予想できなかったものだ。メディアが変わった。劣化したようにみえて、安定した視聴率を稼いだ朝ドラなど、進化しているものもある。

 政治テーマは、福祉国家論の消失、投票率は低く抑えられてること、民主がまったくさえないこと。維新はなぜか国政では落ち目でも、大阪で大人気。

 何かが変だ。何か全体的に管理されている。そこに気づいてくれれば幸いだ。これら変化は、私のシステムから端を発している。あまり、私を軽んじないように。また文体はまねないように。『ただ、〜例外もある〜』は例外を記すときの言い方。
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