日本の首相として初めてだった米上下両院合同会議での安倍首相の演説は、戦後の日米和解を強調するものだった。

 70年の節目に、かつての敵国の首都で、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍氏が何を語るのか。注目されていた歴史認識は、よくも悪くも無難な内容だった。

 演説で首相は、第2次大戦で戦死した米兵を追悼するワシントン市内の記念碑を訪れたことを紹介。真珠湾やバターン半島など、かつての激戦地の名を挙げたうえで、「日本国と国民を代表し、先の戦争に斃(たお)れた米国の人々の魂に深い一礼を捧げます」と語った。

 一方、アジアに対しては「自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません」と述べた。

 首相の訪米前、米政府高官は「過去の日本の談話に合致する形」で歴史問題に取り組むよう首相に求める立場を明らかにしていた。首相の言葉は、こうした米側の意向に最低限で応えたに過ぎない。

 「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」とは何か、それに首相がどんな思いを抱いているのかは、この演説からは伝わってこなかった。

 もうひとつ残念だったのは、日米同盟を「希望の同盟と呼びましょう」と高らかに訴える一方で、同盟のコストの大きな部分を背負う沖縄への言及がなかったことだ。

 普天間飛行場の移設をめぐり、日米両政府と翁長雄志沖縄県知事の意見は対立している。だからといって、過剰な負担に県民が苦しんでいる現状から目をそらすべきではない。

 アジア太平洋重視の米戦略を「徹頭徹尾支持する」と語り、国会審議が始まってもいない安保法制の「成就」を約束する前に、沖縄県民への謝意や思いやりを米国民と分かち合おうという気持ちは、わが国の指導者にはなかったのだろうか。

 政治家が未来に向けてビジョンを語るのは大切なことだ。だがそのとき、植民地支配や侵略の被害にあったり、過剰な負担を押しつけられたりしている側の人々に寄り添う姿勢がなければ、説得力は生まれない。

 先のアジア・アフリカ会議とあわせた首相の二つの演説では、歴史認識であつれきを生まないためのレトリックが目についた。戦後70年談話は、それでは通るまい。首相の賢明な判断を期待したい。