美浜原発1号機廃止:元関電技術者「感慨と寂しさ」
毎日新聞 2015年04月30日 16時13分(最終更新 04月30日 16時30分)
「歴史の一ページに立ち会えたことは大きな喜び」。元関西電力社員の吉田俊雄さん(73)=福井県敦賀市=は、27日で廃止された美浜原発1号機(同県美浜町)の営業運転開始(1970年11月)に技術者として関わった。原発の運転期間を原則40年とするルールに基づき、国内の老朽原発5基が今月末で廃止。試運転中に大阪万博会場に電気を送った同原発は原子力黎明(れいめい)期の象徴だった。原発廃炉時代を迎えて、吉田さんは感慨と寂しさを覚えている。
「原子力の電気が万国博会場に試送電されてきました」。70年8月8日、大阪万博会場の電光掲示板が伝えた。当時の関電社員の合言葉は「万博に原子の灯を」。吉田さんは試送電開始を発電機のあるタービン建屋での作業中に知った。「誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった」
吉田さんは兵庫県西宮市出身。58年に関電の技術系社員養成校に入学し、3年後に尼崎第2火力発電所(兵庫県)に配属。同時に定時制高校で学び、近畿大夜間部でも電気工学を修めた。貪欲に新しい知識を吸収した。
美浜原発に配属されたのは69年10月。米国で原発の理論や運転方法を学んだ社員らから講義を受け、寮に帰ってから午前3時ごろまで復習や予習をした。その後、原子炉の冷却水を流す配管の洗浄を担当した。配管に純水を流して顕微鏡レベルで不純物を確認。原子炉稼働中に不純物があると、放射能を帯びて原子炉の金属劣化を引き起こすため、重要な作業だった。
吉田さんは2004年に退職するまで福井県内にある美浜、高浜、大飯各原発で維持管理や運転業務を担った。美浜原発は「初期の原発でうまくいかないことも多かっただけに、思い入れがある」と言う。
美浜と運転開始を競った東京電力福島第1原発(福島県)の事故(11年)を機に、国内の原発は縮小が決まった。美浜原発1号機が、その先駆けになった。吉田さんは万感を込めて「長い間ご苦労さま」と語った。
関電美浜1、2号機▽日本原子力発電敦賀1号機(福井県)▽九州電力玄海1号機(佐賀県)は27日で廃止され、中国電力島根1号機(松江市)は30日いっぱいで営業運転を終える。【近藤諭】