処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3

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前回、前々回の続きです。

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)

前回の記事で多少言及しましたが、吉田松陰という人物は戦前、と言うか特に戦中、「忠君愛国」の理想的人間像として戦意高揚に利用された面がありました。
(※私自身は、その事を別段否定的に捉えている訳でもありませんが)

また更に、良くも悪くも、我々「いわゆる保守」と呼ばれる人間も含めて、吉田松陰の「教育者」としてのイメージを優先する余り、彼の「忠君愛国」といった側面をやや軽視しがちなのではなかろうか?といった事も前回の記事で少しだけ触れました。



なぜ私がこういった事についてこだわっているのか?と言いますと、実は私自身、今回吉田松陰関連の本を読み漁る動機の一つとして、その事があったからです。

ちなみにもう一つの別の動機というのは、「花燃ゆ」における吉田松陰の描写が(老中・間部詮勝を要撃する計画に関連して)「危険なテロリスト(無差別殺人者)」といった描写になっていて、それが「中東のISIS」及び、それに感化された川崎の中学生殺人事件「さして違いは無い」みたいなイメージを視聴者に与えている、などといった論評を幾つか目にした事によるものです。
(※実は更にもう一つ動機がありまして、それはネット上で喧伝されていた「吉田松陰による吉田稔麿(栄太郎)イジメ」の実情を知る為、といった動機です)

以上のような事がありまして、私は「吉田松陰という人物」について改めて考えてみようと思ったのです。

もちろん吉田松陰は、私にとって「好きな歴史上の人物の一人」ではあったのですが、私の幕末趣味の中心が「幕末外交」であるだけに、これまで吉田松陰という人物の事を深く掘り下げて研究した事はありませんでした。


で、吉田松陰について、ふと考えてみて、まず最初に思いついたのが、
『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
というイメージだったのです。

実はこの事は、今回改めて思い至った考え方だったのです。

唐突ですが、ここで前回に引き続き、マンガ「風雲児たち」から一部を抜粋致します。
風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)
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以下、「風雲児たち」(幕末編)19巻 92~94Pより一部を抜粋
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『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
などという考え方は、特に「いわゆる保守」と言われている業界においては、おそらく別段珍しい考え方ではないと思います。

特に古くからこの業界の事を知っている人であれば、尚更の事でしょう。
まあ私は元々ノンポリの人間でした。そして今でも「いわゆる保守」業界の本などはあまり多くは読んでおりませんので、今になってようやく、そういった考え方に思い至った訳です。

「教育者」「至誠の人」「直情径行の人」といったイメージが優先される余り、本来の吉田松陰像の中心にあった「忠君愛国の為に殉死した」という側面を見落としがちになる人は、案外私だけではないと思います。
戦後、吉田松陰を取り扱うメディアの姿勢が大きく変化した事については、前回の記事で指摘した通りで、その事も多少影響していると思いますが。


さて、そんな訳で「吉田松陰、三島由紀夫、特攻隊」といった事に関係する情報や書籍をネットで検索してみたものの、これがまた非常に少ない。

で、検索結果の筆頭に浮上してきたのが、前々回の記事でも少し触れました、この宮崎氏の本だったのです。
吉田松陰が復活する!吉田松陰が復活する!
(2014/10/27)
宮崎正弘

商品詳細を見る

(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
わずか30年の短い人生にあって日本中を旅し、兵学者として国家百年の大計を考えた吉田松陰。
萩で主宰した松下村塾は維新の志士を輩出した。アメリカとロシアを最大の敵とみなした松陰は海外情報の収集と諜報戦の重要性を訴えた。
松陰の思想は後世の日本人に絶大な影響を与え、その憂国の精神は大東亜戦争で散華した特攻隊に継承され、三島由紀夫につながった
松陰の思想は時代を超えて何度でもよみがえる。
中国の軍事力という新たな脅威を前に吉田松陰の復活がこれから始まる!
(以上、コピペ終了)
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この宮崎氏の本以外では、こういった事について詳しく言及している本やサイトなど、私は見つける事が出来ませんでした。
(※実はそれ程時間を掛けて調べた訳でもありませんので、よく探せば、もっと出てくるのかも知れませんが)

ちなみにこの宮崎氏の本の内容に関しては、絶賛する程でもありませんが、内容はそこそこまとまっていると思います。
ただし例によって、こういった「いわゆる保守」業界特有の臭いがやや強めですので(まあ読み手の需要の問題もあるので、ある程度仕方がない面もありますが)、現代の政治・外交問題等、吉田松陰の歴史とは直接関係が無い事についてもいろいろと取り上げており、そういった脇道の話にやや紙面を費やしているように感じられます。

三島由紀夫に関する論評も、本当に終盤の部分だけで、紙面もあまり割かれてはいません。


私自身は、三島由紀夫の事はそれほど詳しくありません。
著作も(「豊饒の海」などを含めて)数冊読んだ程度です。

「歴史REAL WEB」一坂太郎ブログ 第14回 さらば青春(4月5日放送)
この一坂太郎のブログで、

(以下、一部抜粋引用。フォントの色を変えているのは私の編集)
 高校生のころの僕が憧れたある作家(故人)は、政治的な国の要人暗殺を肯定はしないが、それが起こるのは、民主主義がうまく行われているからだという意味の言葉を残している。民主主義は、少数派を生む。だから、意見が通らない少数派は、最終手段として暗殺を企てるのだという論調で、僕はひどく納得した覚えがある。しかも、その作家は松陰の熱烈な信奉者であり、成る程と思わせるような最期を遂げていた。今回のドラマは否応なく、そんなことを思い出させる。(以下略)

と書いていましたが、この「ある作家(故人)」が三島由紀夫である事は間違いないでしょう。

宮崎氏の本で指摘されております通り、
先駆けて死んでみせる
これがまさに吉田松陰であり、特攻隊であり、三島由紀夫の最期でありました。

しかしある意味、『松蔭は幸せ者である』とも言えます。

松蔭の場合は、その死をもってして「維新回天」の結果をもたらす事に成功し、その80数年後に大東亜戦争の敗戦で彼に対する評価がかなり揺れ動く事になったにせよ、彼が生前熱望していた通り、永く歴史上に「忠君愛国の志士」としてその名を留めるようになったのですから。

もちろん、それは全て後付けの理屈であって、死んでゆく人間にとっては『その後の結果がどうなるのか?』などという事を想定するのは、全く不可能な事なのです。

その事は、松蔭以外の、特攻隊や三島の死に対して、現代の我々がどのような態度を取っているか?という事に想いをいたせば、すぐに分かる事だと思います。




テロ及びテロリストという事について。

「花燃ゆ」の中で吉田松陰が間部詮勝の要撃を訴えるシーンがありますが、このシーンが、
『さながら、気違いテロリストのように見える』
とネットではよく書かれていました。

吉田松陰=テロリスト

こういった印象操作(ネガキャン)がネット上で大々的に行なわれているように、私には(その当時=二、三週間前ぐらい)感じられました。

しかし一言に「テロリスト」と言っても、「政治家を暗殺する」テロリストと、中東などで頻発しているような「無辜の市民を無差別に殺す」テロリストでは、全然意味合いが異なります。

と言うか、むしろ今回の「吉田松陰=テロリスト」の印象操作(ネガキャン)は、
「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」
といった印象操作(ネガキャン)と同じレベルのものである、と私には感じられました。

無差別テロと戦争の区別もつかんのか?と。

『吉田松陰はテロリストなのだから、こんな大河ドラマは楽しんで見られない』
などといったネット上の論評まで見かけましたが、だったら一昨年の「八重の桜」における山本八重がスナイパーとなって会津城で人を殺しまくっていたのはどうだったんだ?と言う話ですよねえ。
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更に言えば、来年の「真田丸」における真田一族も「戦の名人」「人殺しの名人」な訳で、信長・秀吉・家康の三傑に至っては、もう「放送禁止レベルの殺人者」であるはずなのだが、吉田松陰や幕末の長州を貶したいだけの連中からすれば、「吉田松陰=テロリスト」というレッテルを貼りたいだけなのだから、くだらない理由で騒いでいるだけの事です。


ちなみに、一坂太郎の持論としては、実は「テロ(=要人暗殺)」という行為に対して結構寛容な姿勢を示しています。
(※もちろん、それは歴史上の事件に対して、という事であって、現代の話はまた別なのだろうが、「アイアム・ノット・安倍」の件を嬉々として書いてた様子からは、反体制主義者の本音が透けて見えるような気もしますw)

そういった事についてはこの時のブログ記事で彼は書いていました。そして彼の著作を読んでみても、ほぼ同様の事が書いてありました。

まあ、リベラル反戦平和などというのは幻想であって、「テロ(=要人暗殺)」は国粋主義者(極右)の専売特許ではなくて、雁屋哲のような極左の人間もそれを好む傾向にあるのは、雁屋哲が原作した「男組」のエンディングを見れば、その事がよく分かります。
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実はリベラル反戦平和と言われている連中のほうが、右の人達よりも「よっぽど好戦的である」などという事は、ネットではもはや常識で、「反原発デモ」「沖縄・反基地デモ」における連中の乱暴狼藉ぶりを見れば、子供でも理解できる話です。



え~、話を戻しますと、何と言いましても、吉田松陰の間部詮勝要撃は、
「朝廷=帝(みかど)=孝明天皇」を護るため
計画されたものであって、無辜の市民を狙った無差別テロなどと同列に語られる事自体、異常な事なのです。

まあ、「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」という事を意図的に喧伝している連中と同じレベルの連中に対しては、そんな正論は「馬の耳に念仏」かも知れませんけどね。


長くなりましたので、もう一回だけ、次回に続きます。
(※一坂太郎の著作に関する論評は、今回の記事でも書く事が出来ませんでした。次回、必ず書きますので、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません)

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2

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前回の続きです。

先日たまたま小伝馬町の近くまで行きましたので、ついでに十思公園にも寄ってみました。
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十思公園のすぐ脇に「江戸小伝馬町処刑場跡」があります。現在は大安楽寺というお寺が建っている所です。
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そしてこの地は「吉田松陰先生終焉之地」という事で、十思公園の中には吉田松陰の最期にまつわる石碑があります。
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身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
十月二十五日 二十一回孟子
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さて、私はもちろん、先日の番組など全く目にしておりません。
前回の記事で紹介しました、各々の「花燃ゆ」論評ブログで、一応内容はチェックしておりますけれども。

それらの論評内容を総合しますと、やはりロクでもない「吉田松陰の最期」だったらしいですね。

まあ、それはそうでしょう。

私はこの番組とは第3話でお別れしてますが、「花燃ゆ」がロクでもない話しか描けない事は、この「花燃ゆ」の論評を始めた一番最初の記事で忠告しておりました。

簡単に言ってしまえば、
サヨクであるNHKが「幕末長州の大河ドラマ」をまともに制作できるはずがない』
といった主旨の事を、その時は述べていました。

「サヨクの長州嫌い」というのは(この「花燃ゆ」関連の過去記事で度々書いておりますが)私からすれば「至極当たり前」というレベルの話で、その理由としては、
「明治の長州閥、特に長州出身の政治家及び陸軍軍人が大日本帝国の大陸進出と深く関わっている」
という事と、もう一つは、
「(サヨクが忌み嫌っている)安倍総理大臣が長州出身であり、安倍氏自身も吉田松陰や高杉晋作を尊敬している」
といったものが挙げられる。

私自身、概ねそういった認識でおりました。

しかし、ちょっと抜けている部分があったんですね。私自身にも。
今回、吉田松陰関連の本を読み漁って、やっとそれが分かりました。
いえ、従来から多少意識はしていたのですが、少し認識が甘かったようです。

ドラマで取り上げるに当たっては、実は吉田松陰という人物こそがサヨクや左翼にとって非常に危険な人物なのだ
という事を、私は少し甘く見ていたようです。


おそらくこの事は、サヨクや左翼の人達のほうがより敏感に意識していたと思われます。

しかし、歴史に疎い一般人はともかくとして、我々「いわゆる保守」と言われる人間にとっても、なんとなく松陰先生の「教育者」としての面を重視して認識していたり、また、ただ単に「危険を顧みずに国難に立ち向かった人」といった漠然とした認識の「吉田松蔭像」を想い描きがちで、
吉田松陰の尊皇思想
という面については、(あまりそこに触れると世間から敬遠されてしまう、という配慮もあり)ややおざなりにしてきた面もあるように思います。


ちなみに、過去記事でも何度か転載させてもらいましたが、私のお気に入りのマンガ作品である「風雲児たち」でも吉田松陰は大いに取り上げられていました。

と言いますか、「風雲児たち」(幕末編)は最新巻の25巻の段階で、まだ文久元年(1861年)のあたりですから、吉田松陰が物語の舞台から去って少し経ったくらいの状況で、これまで一番多くエピソードを取り上げられている登場人物は(幕末編の前の「いわゆるワイド版」も含めて)おそらく吉田松陰なのではないでしょうか。

作者のみなもと太郎先生の思想が(少なくとも昔は)「やや左ぎみ」であった事は、昔の記事で少し触れました。

ただし少しフォローをしておきますと、みなもと太郎先生の吉田松陰の描き方は全く偏っておらず、非常に丁寧に描いていると思います。
少なくとも「花燃ゆ」と比べれば百倍まともな描き方だと思います(「花燃ゆ」見てないからハッキリとは知らんけど)。

風雲児たち 幕末編 17 (SPコミックス)
「風雲児たち」(幕末編)17巻 70Pより
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「風雲児たち」(幕末編)17巻 100Pより
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「風雲児たち」(幕末編)17巻 110Pより
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※ここらへんの描写は、松蔭が一番激烈になっている頃を描いているのでこういう描き方になってますが、それ以前の描写はこれ程激烈でもありません(まあ脱藩しての東北遊歴も、失敗に終わった下田踏海も、過激と言えば十分過激なんですけど)

風雲児たち 幕末編 18 (SPコミックス)
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「風雲児たち」(幕末編)18巻 58Pより
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「風雲児たち」(幕末編)18巻 138Pより
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話があっちこっちと飛んで申し訳ありませんが、ここで今回私が読んだ吉田松陰関連の本を紹介させてもらいます。
吉田松陰―変転する人物像 (中公新書)吉田松陰―変転する人物像 (中公新書)
(2001/12)
田中 彰

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(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
長州藩の兵学師範をつとめ、松下村塾を主宰して維新の俊傑たちを育てた吉田松陰は、安政の大獄を断行する幕府から政道批判を咎められ死罪となった。その思想的影響は没後も衰えることはなく、三十年の短い生涯にかかわらず、公刊された評伝は膨大な数にのぼる。「革命家」「憂国忠君の士」「理想の教育者」など、時代の状況によって描かれ方が目まぐるしく変化したのはなぜか。維新に先駆けた思想家の人物像を再構築する試み。(以上、コピペ終了)

吉田松陰という人物は、如何なる人物であるのか?
という事よりも、
吉田松陰という人物は、どういった評価を受けてきた人物であるのか?
といった事を(山口出身である著者の経験なども踏まえて)詳しく解説している本です。

以下に、この本のまえがきより抜粋した文章を転載させてもらいます。

(以下、一部抜粋引用。文字の色を変えているのは私の編集によるもの)
(途中から)吉田松陰は、戦時中、「大東亜戦争」における「忠君愛国」の理想的人間像として鼓吹された。とりわけ学校教育のなかでは、児童・生徒に対して「少松蔭たれ」と、イデオロギー教育がなされた。とくに松蔭の出身地山口県ではそうであった。そこに生み出された「少松蔭」たる軍国少年(少女)たちが、天皇や国に尽す最短距離の道は、松蔭にならって「尊皇」の精神に徹し、戦場に赴くことだった。松蔭像は、軍国主義教育にフルに活用されたのである。

 しかし、1945年8月15日の敗戦によって、価値観が一変した。あれほど熱狂的に松蔭像を描き、松蔭を担ぎ上げた人々は沈黙した。松蔭に関する伝記は姿を消した。

 戦前・戦中にたたき込まれた教育の反動もあって、私は吉田松陰を敬遠していた。歴史の研究を始めても、この人物だけは敬して遠ざけようという気持が強かったのである。

 ところが、1951(昭和26)年、人々の意表を突いたかのように、突如、吉田松陰が登場した。新しい松蔭像を描いた著作が刊行された。奈良本辰也著「吉田松陰」(岩波新書)である。

 そして、これを機に松蔭像は復権した。詳細は本文に譲るが、そのため、戦時中、熱狂的に松蔭像を描き、「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」を正当化して、その尖兵として多くの「少松蔭」をつくり上げる一翼を担った吉田松陰伝の著者やその鼓吹者たちの戦争責任は、あいまいなものとなった。
(中略)
 このことは、戦時中の「少松蔭たれ」という教育を受け、軍人への道を歩もうとした者のひとりとしては看過できない問題であった。(以下略)

最初に断っておきますが、私自身は「大東亜戦争」を殊更否定する人間ではありませんので、上記のような「戦時中における吉田松陰を利用した戦意高揚」をそれほど否定的に考える人間ではありません。

ただし、この著者のように、ご自身が戦時中に体験した事に対して、それに異を唱えるつもりもありません。


確かに、吉田松陰は楠木正成を熱烈に崇拝しておりますし、自分自身の最期についても、尊皇攘夷家として見事な最期を遂げました。

では吉田松陰という人物は尊皇攘夷家としての面ばかりを強調すべきか?と言うと、そうとも言えないと思うんですよね。

吉田松陰は、「尊皇攘夷=鎖国」というステレオタイプの尊皇攘夷家ではありませんし、なによりも松蔭自身が「下田踏海」(ペリー黒船密航)の時に外国へ行こうとした人間ですから。

講孟余話 ほか (中公クラシックス)講孟余話 ほか (中公クラシックス)
(2002/02)
吉田 松陰

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この「講孟余話 ほか」の本で松蔭が書いた書物などを読むと(まあ、そういった関係の書物が多いからだとは思うが)儒者としての吉田松陰の印象が強い。

そして今現在、一般の日本人にとって吉田松陰の人物像として一番イメージがしやすいのは、おそらく「教育者」というイメージなのだろうと思います。

まあしかし、私などの愚考を参考にするよりは、もっと凄い人達が吉田松陰についての論評を行なっていますので、そちらのほうを参考にさせて頂きましょう。

田中彰氏の「吉田松陰―変転する人物像」のから、もう一度、以下に引用させてもらいます。

(以下、116Pの「さまざまな松蔭像」より抜粋引用)
 その端的な例を『吉田松陰を語る』(大和書房、1974年)に収められた発言にみることができる。
 この本には、奈良本辰也、河上徹太郎、司馬遼太郎、橋川文三、松本三之介、桑原武夫、保田与重郎、村上一郎、海音寺潮五郎らが登場する。発言を摘記してみる。

奈良本「吉田松陰という人物は、その全体像に於て把握されるべきだと思っている」
河上「彼はやはり思想家じゃない、その点じゃあ実践家ですからね」
司馬「この人は思想家の中ではもっとも根源的な存在じゃないか、思想家以外になりようがない人だという感じがします」「この人は兵学の素質はない。しかし家の学問、家学の強制があった。松蔭は非常に真面目な人ですし、藩における自分の背負っている責任というものから兵学者であろうとした。彼の孤高感は自分一人が悩み、外圧からくる藩の危機、あるいはもっと大きく日本の危機というのは自分で救わざるをえないと思うところからきている」
橋川「彼が非常にヒューマンな人間だというイメージと、ヒューマンだけれども、その前提となる現実感覚の次元がかなり異常である、そういう意味で通常のヒューマンとはいえないという面があるわけです」「一種の理想、倫理ないし真実、それを貫くに、一つの誠をもってするという、そうした意味じゃ俗っぽさがまるでないですね。生き方として精神的といってもいいし観念的あるいは実存的とさえいっていいものが一貫している。だから政治家としても、革命家としても、彼はなんら功業を達成していないにもかかわらず、そこがまたいいんだという受取り方が日本人には多いわけですね」
松本「最近、松蔭の名前がいろいろ出てくるのは、思想というよりは、松蔭の持っている人間性なり、パーソナリティが、日本人にとって好ましい人間像としての、最大公約数みたいなものを備えているからじゃないかと思うんです」「松蔭の教育方針は、『俺についてこい』式の教育でしょう。つまり、必ず自分が先頭を切る。そうでなければ人間はついてこないもんだという、そのあたりが受けるんでしょう」
桑原「私は松蔭を教育家として無闇に感心するのは賛成ではないんです」「松蔭はこのロベスピエールを思わせるところがありますね。ふくよかさが乏しい」「私はあの人の純粋さというものを評価しますが、告白すれば、松蔭みたいな人間を好きになっては困ってしまうという感じがあります」
村上「松蔭評価などの上で例えば、いい加減に、こういう点は進歩的だけれども、こういう点は保守的だとか、この点は兵法学者らしいけれども、この点は兵法学者としてだらしがないとか、ばか正直で革命家の資格がないとか、ああいういい方は嫌いです。私はばか正直とは思いませんね、まっ正直だとは思いますけれども」
海音寺「ひょっとすると明治40年代まで(松蔭は)生きていたかもしれない。そんなに生きてもらったらお弟子さんも困ったんじゃないかと思う人です」「西郷においては天ですね。松蔭においては誠でしょう」「松蔭という人は純粋すぎて実際に革命家としては不適当だった」

 ここには、松蔭をめぐって、肯定あり、否定ありで、もはや松蔭イメージのデッサンを簡単に描くことすらできない感がする。(以下略)

結局、これら重鎮をもってしても「よく分からん」という結論に落ち着かざるを得ないという。

吉田松陰の評価という事については、「吉田松陰―変転する人物像」のまえがきの中でも取り上げられている、奈良本辰也氏が1951(昭和26)年に書いた「吉田松陰」という本に対する田中氏の評価も興味深い。
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(以下、109Pより抜粋引用)
「戦争に敗れた日本、敗者としての日本と松蔭を重ね合わせ、(中略)みずからの理念に生きようとした松蔭の再生のエネルギーを、占領下、再び立ち上がろうとする日本に託そうとしていた、と読みとることができる」
(中略)
「秩序の中に進歩がなく、破壊の中にそれが保障されている、それは、まさしく歴史の危機であった。人は歴史を作る。そして、より以上に危機は人を作る」(以下略)
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「失敗しても、決して挫けない吉田松蔭」という人物像。
確かに、そういった見方も出来ますね。


田中彰氏は、まえがきにも書かれているように、戦時中の経験もあって、歴史研究をするようになってもしばらくは吉田松陰を敬遠していたのですが、あるきっかけによって松蔭を見直すようになったそうです。
松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)
(1991/03)
田中 彰

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これも田中氏の著作で、「吉田松陰と高須久子(高須久)の関係」の事を書いた本です。

本の内容を要約して言うと、高須久子は被差別部落民に対する差別意識を全く抱いていない女性で、松蔭も同様に「人間平等感」を抱いている人間だったので、お互いに惹かれ合ったのではないか?といった内容の本です。

そして松蔭のその「人間平等感」というのは、弟の敏三郎(聾者だった)から来ているのではないか?と田中氏は考え、また、松蔭が書いた「討賊始末」からも、そういった松蔭の考え方が見えてくる、との事です。

この吉田松陰と高須久子の件については、同じ田中彰氏の「吉田松陰―変転する人物像」の中でも触れられています。

まあ、この件に関しては「ヒューマニストとしての吉田松陰像」とでも言うべきなのでしょうか。



そして「吉田松陰―変転する人物像」のあとがきでは以下のように書かれています。

(以下、165Pより抜粋引用)
 松蔭という人物像は、時代とともに激しく移り変わるにもかかわらず、その評価が、オール否定という形でとらえられたことがなかった、という事実である。この点では、「まえがき」でふれた幕末の井伊直弼などとは明らかに異なる。

 それはなぜかという問いには、そう簡単に答えることができないが、松蔭という人物のなかに、日本人として共有・共鳴するものがどこかにあり、意識されているか否かにかかわらず、松蔭のなかに人間を根底から支えるものが存在していたからではないだろうか。それは本書の行きついたところとも関係するだろう。

 これらのことを思い合わせると、松蔭の生涯が、歴史上の人物としていかに人をひきつけ、これからも限りない可能性をもつ歴史上の人物であることを指摘できるように思う。(以下略)

日本人として共感せざるを得ない様々な要素を備えている人物=吉田松蔭

やはりこれなんでしょうね。

そういった人物の事を、NHKが大河ドラマの中でどのように扱ったのか?私は直接目にしておりませんのでハッキリとは分かりませんけれども。

「忠君愛国」の事はともかくとして、松陰の従来のイメージを損なわないように描く方法は如何ようにもあったはずですよね。


長くなりましたので次回に続きます。
(※前回の「その1」の終盤で触れました一坂太郎の件については、次回の記事で書く予定です。あしからず)

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(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1

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ここ最近の記事では、私のブログにおける本来のメインテーマである「NHK報道姿勢」、特に最近放送された「NHKの皇室報道」に対して、その報道姿勢を批判する形で記事を書く事が多かったと思います。

しかし今回は久しぶりに、また「大河ドラマ」の話です。
150119_00001.jpg
<参考用リンク>
歴史、ドラマ、小説、漫画、アニメ カテゴリのリンク

過去記事で繰り返し書いておりますように、私は「花燃ゆ」のドラマ内容は序盤を除いて一切目にしておりません。
(また、これも過去記事で書きましたように、一応全話録画だけはして、撮ってあります)

また、ドラマ内容を直接見ない代わりに、ネットの論評ブログだけは欠かさず読んでおり、ドラマの出来がどのような状態であるのか?一応それなりに把握しているつもりです。

そのネットの論評ブログに関しまして、過去記事では2つのサイトを紹介しておりました。
「武将ジャパン」武者震之助氏のブログ
「歴史REAL WEB」一坂太郎氏のブログ

この2つのサイトにつきましては、今でも私は欠かさずチェックしております。そしてこの2つのサイトが「花燃ゆ」に関する有力な論評ブログである事に変わりはありません。


しかし最近はこの2つだけに限らず、それ以外の論評サイトも私は見るようになっています。

繰り返しになって恐縮ですが、私にとって興味の対象であるのは(ゴミ作品である事が100%確実な)「ドラマの出来」ではなくて、「ドラマを取り巻く社会環境」だけなのですから、その意見は多いに越した事はありませんので。

そんな訳で、私が目にした「花燃ゆ」論評サイトの一覧を以下に紹介致します。

その前に。
「花燃ゆ」論評サイトにはいくつかの傾向がありますので、その特徴を述べておきます。

(1) ろくな論評も無く、ただ単にサイトのヒット数を稼ぎたいだけのモノ
(2) 反安倍・長州・籾井会長的な、いかにも左系の思想色が濃いモノ
(3) ドラマ批評としてはそこそこ秀逸で一読の価値はあるが、歴史観に多少問題があるサイト
(4) 幕末長州大河という事でスタート前は結構期待していたが、(私同様)数話で脱落した人のサイト
(5) 幕末長州の歴史をしっかりと踏まえた上で、まともに論評しているサイト

私が検索して探した限り、この5つのパターンに分けられると思います。

(1)(2)は問題外です。しかしまあ以前も書きましたように結構あるんですよね、こういうサイトの記事が。

(3)については、実は上記の「武将ジャパン」武者震之助氏のブログも、ここに該当します。
150227_0001a.jpg
ドラマが始まった頃はそうでもなかったんですけど、(過去記事でも指摘した事がありますが)最近は開き直ったかのように「アンチ吉田松陰」といった形でしか論評を書かなくなりましたね、武者震之助氏は。
まあマスコミサイドの人間であれば「むべなるかな」といった所ですけど。

その他に(3)に該当するサイトとしては以下のサイトがあります。
「にっぽんの旧聞」
「como siempre 遊人庵的日常」

この2つのサイトは「ドラマの出来に対する論評」という事で言えば、「武将ジャパン」の武者震之助氏と同様に、それなりに高いレベルの文章を書いております。

しかし問題は、やはり武者氏同様、歴史観「戦後的歴史観」に毒されており、「幕末長州の歴史を真正面から踏まえずに」大河ドラマの感想を書いている、という点です。

それでもまあ、(1)(2)のようなサイトとは違って、読む価値はそれなりにあると思います。


(4)に関しましては、これは私も痛いくらい気持ちは分かるのですが、検索していると幾つか見かけました。

例えばこれとか。これ以外にもあったと思ったんですが、それらのサイトはサイト自体も閉鎖してしまったらしく、もはや履歴も見つからない有り様です。


と言いますか、「花燃ゆ」に対して真っ向から批判するようなブログ記事というのは、意外と見つけるのは大変なんですよ。(1)(2)のようなゴミ同然のサイトはいくらでも検索に引っかかってくるのに。

ちなみに(3)のような「ドラマの出来としての」批判的なサイトも、極々例外的なものであって、見つけるのは結構苦労しました。
(※ネットの世界といっても決して公平公正な世界ではなくて、マスメディア、特にNHKに対して真正面から批判的なサイトは「あまり流布されない」という事は、私自身が一番痛感している事でもあります)

まあ(私が昔よく見ていた)2chの大河板に行けば、幾らでも批判意見は目にする事は出来ますけれど、所詮は2chですからね。常駐している(特にアンチ長州の)工作員とか、意図的に扇動を狙っているような書き込みも多いですから、アテにはなりません。

(5)に該当するサイトは、たった1つだけです。
「ミヤモトのモト!」
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この人の本職はイラストレーターらしいのですが、かなりの「長州ファン」らしく、私が知る限り、ネット上で本当にまともな「花燃ゆ」論評ブログというのは、この人のブログだけですね。しっかりと長州の歴史を踏まえた上で「花燃ゆ」を論評している、という点を考慮すれば。
(※文章のノリが多少軽い印象もあり、また自身の歴史観を披瀝する事もありませんが、幕末の長州に対する愛情とコダワリに溢れているのでOKです)



『ちょっと待て。じゃあ「歴史REAL WEB」の一坂太郎の論評はどうなるんだ?』
と疑問に思う方がおられるかも知れません。

う~む…。私も悩んでいるんですよ。一坂太郎氏については。
もちろん、本来ならば(5)に含めるべきなんでしょうが…。

確かに一坂氏が「プロの幕末長州史家」である事は間違いありません。

私は「幕末マニア」を自称しておりますけれども、過去記事でも書きましたように、専門的に好きな分野は「幕末外交」なのであって別に長州に特化している訳でもありませんので、長州に関する知識は基礎的な部分に限定しておりました。

しかし最近私は長州関係の本を読み漁っております。

明日の「花燃ゆ」では吉田松陰の最期の回らしいですけど、それに関連して、ネット上では最近吉田松陰に関する様々な批評が上がってきておりますので、その裏付けを確認する為に、これまで多少おざなりにしていた吉田松陰関連の本を最近読み漁っております。

それらの本の中でも、やはり一坂氏の本はかなり多いです。
吉田稔麿 松陰の志を継いだ男 (角川選書)
吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」 (朝日新書)
司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)
これら3冊は比較的最近に出された本ですが、他にちょっと古め(それ故に多少、吉田松蔭に好意的な内容)の本で、
松陰と晋作の志―捨て身の変革者 (ベスト新書)
という本も一応読んでみました。

一坂氏以外では、古川薫氏、海原徹氏、木村幸比古氏などの吉田松陰関連の著作も読んでいます。
今現在は田中彰氏、奈良本晋也氏の本を読んでいる最中です。
(※コメント欄でも書きましたが宮崎正弘氏の「吉田松陰が復活する!」という本も読みましたが、これはちょっと別のジャンルの本とみなすべきでしょう)

まあ一言で言ってしまえば、
「一坂太郎は、いわゆるリベラル思想の歴史家である」
という事です。

「安倍晋三」という人物に対しても、かなりネガティブな見方をしている人ですし。
そういう人物が「長州の幕末史家」という仕事をしているのだから、不思議と言えば不思議な話ではあります。

そう言えば前々回の「花燃ゆ」論評サイトでも、それらしい事を書いていました。
第14回 さらば青春(4月5日放送) 現代日本のことですか?

そもそも一坂氏が大好きだった大河「獅子の時代」という作品も、思想的な面で言えば、いわゆるリベラルな方面に多くのファンを持つ作品でもありますし。
150426s_h0005.jpg
(※但し、以前も書きましたように、「獅子の時代」はそういった思想面を抜きにしても、ドラマとして秀作である事は間違いありません)

私はこれまで一坂氏に関しては、高杉晋作関係の本を一冊持っている程度で、あとは「歴史読本」(なんだか今年度からリニューアルされて発売日が変更になったみたいだが)で何度か文章を目にしたくらいで、そんなに詳しくは知らなかったのですが、今回何冊か彼の著作に目を通してみまして、彼の思想がどういったものであるのか理解できました。


長くなりましたので、次回に続きます。

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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Nスペ 日本人と象徴天皇 第2回 平和を願い続けて

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4月19日(日)のNHKスペシャルで放送された、
戦後70年 ニッポンの肖像 -日本人と象徴天皇-
第2回 平和を願い続けて

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0419/index.html
の論評は『後日書きます』と前回の記事の冒頭で書いていましたが、実はこの第2回の番組については第1回の時と違ってあまり書く事がないのですよ。

そりゃまあ、さすがのNHKといえども、過去の人に対してはある程度「無遠慮な態度」を取る事は出来ても、
今上陛下 に対してはそんな事は不可能ですから。

前回の第1回 "戦後"はこうして誕生したの回は
先帝陛下 の番組だった訳ですけど、この第2回「平和を願い続けて」の回は
今上陛下 の番組でしたから。


この第2回「平和を願い続けて」の番組で問題があるとすれば、靖国神社の「いわゆるA級戦犯」合祀問題について、今回NHKはハッキリと、
『昭和天皇が靖国神社を参拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからだ』
という見解を取っていた部分ですかね。

私は、この件についてはそれ程詳しく論点を把握しておりませんので、ハッキリとした事は言えません。しかし、今回NHKが断定的な口調でその事を報じているのを目にして、多少違和感を覚えました。


とりあえず、このNHKの「戦後70年 ニッポンの肖像」について書くのは、ここまでとしておきます。

ちなみにこの「戦後70年 ニッポンの肖像」シリーズの次回放送予定は以下の通りです。

戦後70年 ニッポンの肖像 再び"飛躍"するために
第1回 高度成長 何が奇跡だったのか(仮)

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0530/index.html
2015年5月30日(土) 午後9時00分~9時49分

第2回 "バブル"と"失われた20年"(仮)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0531/index.html
2015年5月31日(日) 午後9時00分~10時25分

これらの番組が放送されるのは5月末ですから、まだ一ヶ月以上も先ですね。
正直、番組の内容もつまらなさそうな予感がします。
しかも放送されるのが一ヶ月以上も先という事で、その頃まで関心を持っていられるかどうか分かりません。なんだか見るのを忘れそうな気もしますw


あと、先述しました「日本人と象徴天皇 第2回 平和を願い続けて」再放送の予定は以下の通りです。

2015年4月29日(水) 午前0時10分~0時59分(28日深夜)


上記の他に、昨日から左寄りメディア(もちろんNHKも含む)が、
『インドネシアでの安倍首相の演説に「侵略やお詫び」が入っていなかった!
と喚いている件とか、鹿児島地裁で川内原発の再稼働差し止め請求を退ける判決が出た事に対して、
『先日の福井地裁の決定とは全く正反対の決定が出た!』
と喚いている件とか、色々と言いたい事はありますけれども、今回はそこまで書く余裕がありませんのでスルー致します。
(※ちなみに鹿児島地裁のニュースについては、NHKのニュース7及びニュースウォッチ9では、安倍首相が先日国会で『福井地裁の判決には事実誤認があるのではないか?』とほのめかした事などは一切触れずに、『福井と鹿児島の判決は同等のものである』と視聴者が錯覚するような印象操作ばかりしていました。全くもって、NHKの反原発プロパガンダは相変わらずですなあ)

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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