前回、前々回の続きです。
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)
前回の記事で多少言及しましたが、吉田松陰という人物は戦前、と言うか特に戦中、「忠君愛国」の理想的人間像として戦意高揚に利用された面がありました。
(※私自身は、その事を別段否定的に捉えている訳でもありませんが)
また更に、良くも悪くも、我々「いわゆる保守」と呼ばれる人間も含めて、吉田松陰の「教育者」としてのイメージを優先する余り、彼の「忠君愛国」といった側面をやや軽視しがちなのではなかろうか?といった事も前回の記事で少しだけ触れました。
なぜ私がこういった事についてこだわっているのか?と言いますと、実は私自身、今回吉田松陰関連の本を読み漁る動機の一つとして、その事があったからです。
ちなみにもう一つの別の動機というのは、「花燃ゆ」における吉田松陰の描写が(老中・間部詮勝を要撃する計画に関連して)「危険なテロリスト(無差別殺人者)」といった描写になっていて、それが「中東のISIS」及び、それに感化された川崎の中学生殺人事件と「さして違いは無い」みたいなイメージを視聴者に与えている、などといった論評を幾つか目にした事によるものです。
(※実は更にもう一つ動機がありまして、それはネット上で喧伝されていた「吉田松陰による吉田稔麿(栄太郎)イジメ」の実情を知る為、といった動機です)
以上のような事がありまして、私は「吉田松陰という人物」について改めて考えてみようと思ったのです。
もちろん吉田松陰は、私にとって「好きな歴史上の人物の一人」ではあったのですが、私の幕末趣味の中心が「幕末外交」であるだけに、これまで吉田松陰という人物の事を深く掘り下げて研究した事はありませんでした。
で、吉田松陰について、ふと考えてみて、まず最初に思いついたのが、
『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
というイメージだったのです。
実はこの事は、今回改めて思い至った考え方だったのです。
唐突ですが、ここで前回に引き続き、マンガ「風雲児たち」から一部を抜粋致します。
風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)

以下、「風雲児たち」(幕末編)19巻 92~94Pより一部を抜粋

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『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
などという考え方は、特に「いわゆる保守」と言われている業界においては、おそらく別段珍しい考え方ではないと思います。
特に古くからこの業界の事を知っている人であれば、尚更の事でしょう。
まあ私は元々ノンポリの人間でした。そして今でも「いわゆる保守」業界の本などはあまり多くは読んでおりませんので、今になってようやく、そういった考え方に思い至った訳です。
「教育者」「至誠の人」「直情径行の人」といったイメージが優先される余り、本来の吉田松陰像の中心にあった「忠君愛国の為に殉死した」という側面を見落としがちになる人は、案外私だけではないと思います。
戦後、吉田松陰を取り扱うメディアの姿勢が大きく変化した事については、前回の記事で指摘した通りで、その事も多少影響していると思いますが。
さて、そんな訳で「吉田松陰、三島由紀夫、特攻隊」といった事に関係する情報や書籍をネットで検索してみたものの、これがまた非常に少ない。
で、検索結果の筆頭に浮上してきたのが、前々回の記事でも少し触れました、この宮崎氏の本だったのです。
(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
わずか30年の短い人生にあって日本中を旅し、兵学者として国家百年の大計を考えた吉田松陰。
萩で主宰した松下村塾は維新の志士を輩出した。アメリカとロシアを最大の敵とみなした松陰は海外情報の収集と諜報戦の重要性を訴えた。
松陰の思想は後世の日本人に絶大な影響を与え、その憂国の精神は大東亜戦争で散華した特攻隊に継承され、三島由紀夫につながった。
松陰の思想は時代を超えて何度でもよみがえる。
中国の軍事力という新たな脅威を前に吉田松陰の復活がこれから始まる!
(以上、コピペ終了)
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この宮崎氏の本以外では、こういった事について詳しく言及している本やサイトなど、私は見つける事が出来ませんでした。
(※実はそれ程時間を掛けて調べた訳でもありませんので、よく探せば、もっと出てくるのかも知れませんが)
ちなみにこの宮崎氏の本の内容に関しては、絶賛する程でもありませんが、内容はそこそこまとまっていると思います。
ただし例によって、こういった「いわゆる保守」業界特有の臭いがやや強めですので(まあ読み手の需要の問題もあるので、ある程度仕方がない面もありますが)、現代の政治・外交問題等、吉田松陰の歴史とは直接関係が無い事についてもいろいろと取り上げており、そういった脇道の話にやや紙面を費やしているように感じられます。
三島由紀夫に関する論評も、本当に終盤の部分だけで、紙面もあまり割かれてはいません。
私自身は、三島由紀夫の事はそれほど詳しくありません。
著作も(「豊饒の海」などを含めて)数冊読んだ程度です。
「歴史REAL WEB」一坂太郎ブログ 第14回 さらば青春(4月5日放送)
この一坂太郎のブログで、
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)
前回の記事で多少言及しましたが、吉田松陰という人物は戦前、と言うか特に戦中、「忠君愛国」の理想的人間像として戦意高揚に利用された面がありました。
(※私自身は、その事を別段否定的に捉えている訳でもありませんが)
また更に、良くも悪くも、我々「いわゆる保守」と呼ばれる人間も含めて、吉田松陰の「教育者」としてのイメージを優先する余り、彼の「忠君愛国」といった側面をやや軽視しがちなのではなかろうか?といった事も前回の記事で少しだけ触れました。
なぜ私がこういった事についてこだわっているのか?と言いますと、実は私自身、今回吉田松陰関連の本を読み漁る動機の一つとして、その事があったからです。
ちなみにもう一つの別の動機というのは、「花燃ゆ」における吉田松陰の描写が(老中・間部詮勝を要撃する計画に関連して)「危険なテロリスト(無差別殺人者)」といった描写になっていて、それが「中東のISIS」及び、それに感化された川崎の中学生殺人事件と「さして違いは無い」みたいなイメージを視聴者に与えている、などといった論評を幾つか目にした事によるものです。
(※実は更にもう一つ動機がありまして、それはネット上で喧伝されていた「吉田松陰による吉田稔麿(栄太郎)イジメ」の実情を知る為、といった動機です)
以上のような事がありまして、私は「吉田松陰という人物」について改めて考えてみようと思ったのです。
もちろん吉田松陰は、私にとって「好きな歴史上の人物の一人」ではあったのですが、私の幕末趣味の中心が「幕末外交」であるだけに、これまで吉田松陰という人物の事を深く掘り下げて研究した事はありませんでした。
で、吉田松陰について、ふと考えてみて、まず最初に思いついたのが、
『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
というイメージだったのです。
実はこの事は、今回改めて思い至った考え方だったのです。
唐突ですが、ここで前回に引き続き、マンガ「風雲児たち」から一部を抜粋致します。
風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)
以下、「風雲児たち」(幕末編)19巻 92~94Pより一部を抜粋
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『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
などという考え方は、特に「いわゆる保守」と言われている業界においては、おそらく別段珍しい考え方ではないと思います。
特に古くからこの業界の事を知っている人であれば、尚更の事でしょう。
まあ私は元々ノンポリの人間でした。そして今でも「いわゆる保守」業界の本などはあまり多くは読んでおりませんので、今になってようやく、そういった考え方に思い至った訳です。
「教育者」「至誠の人」「直情径行の人」といったイメージが優先される余り、本来の吉田松陰像の中心にあった「忠君愛国の為に殉死した」という側面を見落としがちになる人は、案外私だけではないと思います。
戦後、吉田松陰を取り扱うメディアの姿勢が大きく変化した事については、前回の記事で指摘した通りで、その事も多少影響していると思いますが。
さて、そんな訳で「吉田松陰、三島由紀夫、特攻隊」といった事に関係する情報や書籍をネットで検索してみたものの、これがまた非常に少ない。
で、検索結果の筆頭に浮上してきたのが、前々回の記事でも少し触れました、この宮崎氏の本だったのです。
吉田松陰が復活する! (2014/10/27) 宮崎正弘 商品詳細を見る |
(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
わずか30年の短い人生にあって日本中を旅し、兵学者として国家百年の大計を考えた吉田松陰。
萩で主宰した松下村塾は維新の志士を輩出した。アメリカとロシアを最大の敵とみなした松陰は海外情報の収集と諜報戦の重要性を訴えた。
松陰の思想は後世の日本人に絶大な影響を与え、その憂国の精神は大東亜戦争で散華した特攻隊に継承され、三島由紀夫につながった。
松陰の思想は時代を超えて何度でもよみがえる。
中国の軍事力という新たな脅威を前に吉田松陰の復活がこれから始まる!
(以上、コピペ終了)
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この宮崎氏の本以外では、こういった事について詳しく言及している本やサイトなど、私は見つける事が出来ませんでした。
(※実はそれ程時間を掛けて調べた訳でもありませんので、よく探せば、もっと出てくるのかも知れませんが)
ちなみにこの宮崎氏の本の内容に関しては、絶賛する程でもありませんが、内容はそこそこまとまっていると思います。
ただし例によって、こういった「いわゆる保守」業界特有の臭いがやや強めですので(まあ読み手の需要の問題もあるので、ある程度仕方がない面もありますが)、現代の政治・外交問題等、吉田松陰の歴史とは直接関係が無い事についてもいろいろと取り上げており、そういった脇道の話にやや紙面を費やしているように感じられます。
三島由紀夫に関する論評も、本当に終盤の部分だけで、紙面もあまり割かれてはいません。
私自身は、三島由紀夫の事はそれほど詳しくありません。
著作も(「豊饒の海」などを含めて)数冊読んだ程度です。
「歴史REAL WEB」一坂太郎ブログ 第14回 さらば青春(4月5日放送)
この一坂太郎のブログで、
(以下、一部抜粋引用。フォントの色を変えているのは私の編集)
高校生のころの僕が憧れたある作家(故人)は、政治的な国の要人暗殺を肯定はしないが、それが起こるのは、民主主義がうまく行われているからだという意味の言葉を残している。民主主義は、少数派を生む。だから、意見が通らない少数派は、最終手段として暗殺を企てるのだという論調で、僕はひどく納得した覚えがある。しかも、その作家は松陰の熱烈な信奉者であり、成る程と思わせるような最期を遂げていた。今回のドラマは否応なく、そんなことを思い出させる。(以下略)
と書いていましたが、この「ある作家(故人)」が三島由紀夫である事は間違いないでしょう。
宮崎氏の本で指摘されております通り、
先駆けて死んでみせる
これがまさに吉田松陰であり、特攻隊であり、三島由紀夫の最期でありました。
しかしある意味、『松蔭は幸せ者である』とも言えます。
松蔭の場合は、その死をもってして「維新回天」の結果をもたらす事に成功し、その80数年後に大東亜戦争の敗戦で彼に対する評価がかなり揺れ動く事になったにせよ、彼が生前熱望していた通り、永く歴史上に「忠君愛国の志士」としてその名を留めるようになったのですから。
もちろん、それは全て後付けの理屈であって、死んでゆく人間にとっては『その後の結果がどうなるのか?』などという事を想定するのは、全く不可能な事なのです。
その事は、松蔭以外の、特攻隊や三島の死に対して、現代の我々がどのような態度を取っているか?という事に想いをいたせば、すぐに分かる事だと思います。
テロ及びテロリストという事について。
「花燃ゆ」の中で吉田松陰が間部詮勝の要撃を訴えるシーンがありますが、このシーンが、
『さながら、気違いテロリストのように見える』
とネットではよく書かれていました。
吉田松陰=テロリスト
こういった印象操作(ネガキャン)がネット上で大々的に行なわれているように、私には(その当時=二、三週間前ぐらい)感じられました。
しかし一言に「テロリスト」と言っても、「政治家を暗殺する」テロリストと、中東などで頻発しているような「無辜の市民を無差別に殺す」テロリストでは、全然意味合いが異なります。
と言うか、むしろ今回の「吉田松陰=テロリスト」の印象操作(ネガキャン)は、
「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」
といった印象操作(ネガキャン)と同じレベルのものである、と私には感じられました。
無差別テロと戦争の区別もつかんのか?と。
『吉田松陰はテロリストなのだから、こんな大河ドラマは楽しんで見られない』
などといったネット上の論評まで見かけましたが、だったら一昨年の「八重の桜」における山本八重がスナイパーとなって会津城で人を殺しまくっていたのはどうだったんだ?と言う話ですよねえ。

更に言えば、来年の「真田丸」における真田一族も「戦の名人」=「人殺しの名人」な訳で、信長・秀吉・家康の三傑に至っては、もう「放送禁止レベルの殺人者」であるはずなのだが、吉田松陰や幕末の長州を貶したいだけの連中からすれば、「吉田松陰=テロリスト」というレッテルを貼りたいだけなのだから、くだらない理由で騒いでいるだけの事です。
ちなみに、一坂太郎の持論としては、実は「テロ(=要人暗殺)」という行為に対して結構寛容な姿勢を示しています。
(※もちろん、それは歴史上の事件に対して、という事であって、現代の話はまた別なのだろうが、「アイアム・ノット・安倍」の件を嬉々として書いてた様子からは、反体制主義者の本音が透けて見えるような気もしますw)
そういった事についてはこの時のブログ記事で彼は書いていました。そして彼の著作を読んでみても、ほぼ同様の事が書いてありました。
まあ、左=リベラル=反戦平和などというのは幻想であって、「テロ(=要人暗殺)」は国粋主義者(極右)の専売特許ではなくて、雁屋哲のような極左の人間もそれを好む傾向にあるのは、雁屋哲が原作した「男組」のエンディングを見れば、その事がよく分かります。

実は左=リベラル=反戦平和と言われている連中のほうが、右の人達よりも「よっぽど好戦的である」などという事は、ネットではもはや常識で、「反原発デモ」や「沖縄・反基地デモ」における連中の乱暴狼藉ぶりを見れば、子供でも理解できる話です。
え~、話を戻しますと、何と言いましても、吉田松陰の間部詮勝要撃は、
「朝廷=帝(みかど)=孝明天皇」を護るため
計画されたものであって、無辜の市民を狙った無差別テロなどと同列に語られる事自体、異常な事なのです。
まあ、「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」という事を意図的に喧伝している連中と同じレベルの連中に対しては、そんな正論は「馬の耳に念仏」かも知れませんけどね。
長くなりましたので、もう一回だけ、次回に続きます。
(※一坂太郎の著作に関する論評は、今回の記事でも書く事が出来ませんでした。次回、必ず書きますので、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません)
宮崎氏の本で指摘されております通り、
先駆けて死んでみせる
これがまさに吉田松陰であり、特攻隊であり、三島由紀夫の最期でありました。
しかしある意味、『松蔭は幸せ者である』とも言えます。
松蔭の場合は、その死をもってして「維新回天」の結果をもたらす事に成功し、その80数年後に大東亜戦争の敗戦で彼に対する評価がかなり揺れ動く事になったにせよ、彼が生前熱望していた通り、永く歴史上に「忠君愛国の志士」としてその名を留めるようになったのですから。
もちろん、それは全て後付けの理屈であって、死んでゆく人間にとっては『その後の結果がどうなるのか?』などという事を想定するのは、全く不可能な事なのです。
その事は、松蔭以外の、特攻隊や三島の死に対して、現代の我々がどのような態度を取っているか?という事に想いをいたせば、すぐに分かる事だと思います。
テロ及びテロリストという事について。
「花燃ゆ」の中で吉田松陰が間部詮勝の要撃を訴えるシーンがありますが、このシーンが、
『さながら、気違いテロリストのように見える』
とネットではよく書かれていました。
吉田松陰=テロリスト
こういった印象操作(ネガキャン)がネット上で大々的に行なわれているように、私には(その当時=二、三週間前ぐらい)感じられました。
しかし一言に「テロリスト」と言っても、「政治家を暗殺する」テロリストと、中東などで頻発しているような「無辜の市民を無差別に殺す」テロリストでは、全然意味合いが異なります。
と言うか、むしろ今回の「吉田松陰=テロリスト」の印象操作(ネガキャン)は、
「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」
といった印象操作(ネガキャン)と同じレベルのものである、と私には感じられました。
無差別テロと戦争の区別もつかんのか?と。
『吉田松陰はテロリストなのだから、こんな大河ドラマは楽しんで見られない』
などといったネット上の論評まで見かけましたが、だったら一昨年の「八重の桜」における山本八重がスナイパーとなって会津城で人を殺しまくっていたのはどうだったんだ?と言う話ですよねえ。
更に言えば、来年の「真田丸」における真田一族も「戦の名人」=「人殺しの名人」な訳で、信長・秀吉・家康の三傑に至っては、もう「放送禁止レベルの殺人者」であるはずなのだが、吉田松陰や幕末の長州を貶したいだけの連中からすれば、「吉田松陰=テロリスト」というレッテルを貼りたいだけなのだから、くだらない理由で騒いでいるだけの事です。
ちなみに、一坂太郎の持論としては、実は「テロ(=要人暗殺)」という行為に対して結構寛容な姿勢を示しています。
(※もちろん、それは歴史上の事件に対して、という事であって、現代の話はまた別なのだろうが、「アイアム・ノット・安倍」の件を嬉々として書いてた様子からは、反体制主義者の本音が透けて見えるような気もしますw)
そういった事についてはこの時のブログ記事で彼は書いていました。そして彼の著作を読んでみても、ほぼ同様の事が書いてありました。
まあ、左=リベラル=反戦平和などというのは幻想であって、「テロ(=要人暗殺)」は国粋主義者(極右)の専売特許ではなくて、雁屋哲のような極左の人間もそれを好む傾向にあるのは、雁屋哲が原作した「男組」のエンディングを見れば、その事がよく分かります。
実は左=リベラル=反戦平和と言われている連中のほうが、右の人達よりも「よっぽど好戦的である」などという事は、ネットではもはや常識で、「反原発デモ」や「沖縄・反基地デモ」における連中の乱暴狼藉ぶりを見れば、子供でも理解できる話です。
え~、話を戻しますと、何と言いましても、吉田松陰の間部詮勝要撃は、
「朝廷=帝(みかど)=孝明天皇」を護るため
計画されたものであって、無辜の市民を狙った無差別テロなどと同列に語られる事自体、異常な事なのです。
まあ、「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」という事を意図的に喧伝している連中と同じレベルの連中に対しては、そんな正論は「馬の耳に念仏」かも知れませんけどね。
長くなりましたので、もう一回だけ、次回に続きます。
(※一坂太郎の著作に関する論評は、今回の記事でも書く事が出来ませんでした。次回、必ず書きますので、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません)
(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)
「NHK解体」に関するまとめ(十例)
(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国)の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1、リンク2
(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1、リンク2
(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1、リンク2
(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1、リンク2
(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1、リンク2
(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1、リンク2、リンク3、拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク
(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1、リンク2
(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的である。 リンク
(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク
(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1、リンク2
その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。
【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)
(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国)の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1、リンク2
(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1、リンク2
(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1、リンク2
(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1、リンク2
(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1、リンク2
(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1、リンク2、リンク3、拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク
(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1、リンク2
(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的である。 リンク
(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク
(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1、リンク2
その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。
【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)