昨日の続き
◎内容抜粋
『鎌倉武士の獲物は犬』
「愚管抄」で慈円がいみじくも記したように、中世は「武者の世」であった。武者すなわち武士団は、合戦をこととしていたから、日常、武芸を研くことに余念がなかった。その武芸鍛練のひとつに犬追物があった。鎌倉武士の武芸鍛練の主だったものには、徒歩三物と騎射三物(馬上の三物)がある。騎射三物とは、流鏑馬と笠懸、そして犬追物。犬追物(オモノ・オムモノともいう)とは、追いかけて射る追物射のことで、犬を的としてする追物射の訓練が、すなわち犬追物である。(中略)源頼朝の富士野の巻狩りにまつわる、様々なエピソードからもうかがえるように、初期の東国武士団と狩猟とは密接不可分の関係にあった。であれば、犬は狩猟のパートナーとして大事にされてもよさそうなものなのに、犬追物といい、追出犬といい、獲物の代用品として扱われることが多かったようである。東国武家社会の狩猟が、騎馬による形態で発達したことに関係するものだろうか。(後略:P60〜P62)
『江戸時代にもあった犬食』
(前半略)寛永20年(1643)刊の料理書『料理物語』には、犬の調理法として吸い物と貝焼きがあげられている。また、兵法家大道寺重祐(友山)は『落穂集』で、「自分の若い頃には、江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方・町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ次第に打ち殺して食べたからである」と書いてある。大道寺友山は享保15年(1730)に93歳という高齢で没しているから、「我等若き頃」とは17世紀半ばということになる。はたして、友山がいうほどの状態であったかどうかは疑問だが、それにしても、綱吉の生類憐れみ政策以前に、かなり広く犬食が行われていたことは事実である。(中略)薬食もあいかわらず盛んであったようだ。兵庫県明石城の18世紀の武家屋敷跡の溝から出土した動物の骨も、やはり犬のものが多かったという。しかも、その頭骨には、頸部に刀傷があり、一刀両断のもとに首がはねられたものらしい。さらに、その犬の側頭部には、丁寧に円形の穴をうがち、脳を取り出した痕跡が明らかであった。犬の脳の利用目的について、松井章氏は薬用にでもしたのであろうかと推測している。では、綱吉の生類憐れみ政策以後は、犬食はなくなったのだろうか。確かに、江戸などでは、表面上、影を潜めたかのようであるが、日本全体をみれば、決してなくなってはおらず、また、下層民へと限定されるようになったわけでもない。大田蜀山人の『一話一言』には「薩摩にて犬を食する事」として、薩摩では犬の子を捕えて腹を裂き、臓腑を取り出した後の腹内へ米を炊しいでおさめる。その跡を針金で固くくくり、そのまま竈の焚き火に入れて焼く。真っ黒に焼けたところで引き出して針金を解き、腹を開けば、腹内の米は黄赤色のよく蒸された飯となる。それに汁をかけて食べる。これを「えのころ飯」といい、えのころ飯は高貴の人たちも食べる。ただし、薩摩藩主の食に当てるものは、赤犬しか用いなかったとある。薩摩藩内でよく赤犬が食べられていたらしいことは、江戸の薩摩藩邸と赤犬とをもじった狂歌や川柳があることからもうかがえる。(後略:P130・P131)
『毛皮や脂の利用』
犬は肉ばかりが利用されたわけではない。その毛皮は古くから防寒用に利用されていた。(中略)犬皮は防寒用だけでなく、大鎧・太鼓・三味線・足袋・毬など、様々なものの材料ともなった。三味線といえば猫の皮と相場が決まっているかと思いきや、猫皮製は高級品で一般の安物は犬皮が多いのだそうである。(中略)江戸時代まで、組織的・体制的に犬の肉が食べられたことはなかった。ところが、太平洋戦争直前には、犬肉も食肉として販売することが許可されている。戦争末期の食糧難の時期には、おそらく、飢えた人々によって、大道寺友山が伝える17世紀半ばのような状況が、日本のあちこちに現出したはずである。現時点に、日本のどこかで、誰かが犬を殺し、その肉を食べたとしたなら、おそらくそれは極めて異常な行為、野蛮な行為として人々の目に映り、テレビのワイドショーなどでも取りあげるに違いない。しかし、日本人が全体としてそのような感覚をもつようになるのは、それほど遠い過去のことではなく、たかだかここ30〜40年のことであり、交通・通信の発達によって、日本列島全体の「風土」が均一化されてきた結果なのではないだろうか。それ以前には、日本列島のどこかで、誰かが犬を食べたとしても、とくに異様なことではなかったはずである。(P132〜P134)
今回、抜粋した内容は犬好き、愛犬家の方々にとっては、あまり愉快ではない文章でしょう。本書にはさらに犬が墓地に埋められた人間の死体を貪り食い、さらに捨て子や病人を食い殺していた事例も多数紹介されています。もちろんそんな悲惨な話ばかりだけではありませんが。しかし、人間と犬との愛情話や、美談等なら、他にいくらでもあるでしょうから、わざわざここで紹介するまでもないわけで、そういう話とは違う、現代日本の常識からは異色の話の方が興味をひかれるのではと思い、そういう話を抜粋したわけです。ちなみに韓国に犬の肉の料理があることで、欧米諸国の人間がヒステリックなクレームをつけているようです。私は常日頃、韓国人が日本に対してぶつけてくる歴史教科書や靖国神社や竹島等のクレームに、強い苛立ちと憤りを覚えるものですが、この犬料理問題においては、その苛立ちや憤りを別にして、韓国人を擁護するものです。その理由については、欧米の独善的反捕鯨論に苦しめられてきた日本人なら当然、説明の必要はありませんよね。〔PHP新書〕
谷口 研語
1950年、岐阜県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は日本中世史。著書に『流浪の戦国貴族 近衛前久』(中公新書)、『ふるさとの歴史と風土』全七巻(あすなろ書房)、『美濃土岐一族』(新人物往来社)、『地名の博物史』(PHP新書)などがある。
2007年09月21日
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