りんすぽの事
毎日録画予約していたので、見られました♪
関東でも取り上げて頂き、Eディレクターさま、ありがとうございます。
2008年からの活動を新しいファンの方にも解りやすく説明されてました。
アンニュイなKissing you もこの時限定だわ~
今だからこそニヤニヤ見ることができます。
臨海くらいのリンクの広さが丁度いいのね~♪ うんうん。
そして安心と信頼の松原さんの記事も、嬉しかったのでここに残しておきま~す。
松原さんってどんな方なのかしら。興味津々♪
それからオリンピックの時期に出た朝日新聞の感動の記事もついでに。
私は最近読んで感動したのでした。
★マイナビニュース 閉鎖寸前のスケートリンク存続に一役買った高橋大輔の「求心力」とは (2014.6.2)
5月25日、大阪府高石市の大阪府立臨海スポーツセンター内にあるアイススケート場で1つのイベントが行われた。「臨スポ目標達成御礼スペシャル」。同センター存続の危機を乗り越えたことをあらためて伝える場であり、同センターや関係者、そしてかかわった人々すべてにとって、大きなイベントだった。
臨海スポーツセンターは、いかにして危機を乗り越えたか
閉鎖に至らざるを得なかったスケートリンクも過去に少なくなかった中で、どのようにして存続に至ったか。署名活動や募金など多くの人々の努力があり、もちろんセンターの関係者の奮闘もあった。その上であえて言うなら、「求心力」という言葉にたどりつかざるをえない。
そもそも、臨海スポーツセンターが存続の危機にさらされていたこと、その危機をどのように乗り越えたかの経緯は、広く知られているわけではない。むしろ、知られていないと言ってもいいくらいかもしれない。そのように感じさせられることは少なくない。だからあえて、書きとどめておきたい。
2度にわたって起きた危機
振り返ってみると、存続の危機は2度に分けられる。1つは2008年4月のことだ。橋下徹大阪府知事(当時)の意向のもと、閉鎖案が打ち出されたのだ。その後、署名活動などの反響の大きさから、一度は存続が決まった。
だが、それでおさまりはしなかった。2011年に再び、危機が訪れる。建設されて長い年数がたつ同センターは、2015年度末までの耐震化が必要であった。その工事費は約3億円と見られていたが、大阪府は負担しないとしたのだ。といって、その費用を同センターで捻出するめどはたたない。まさに、閉鎖は現実のものとして差し迫ることになった。
これらの危機にあって、同センター存続に向けた活動の中心となったのが、2004年から2006年にかけ、2年ほど同センター内にあるリンクを練習拠点としていた高橋大輔だった。2008年5月には、同センターでのアイスショーに出演して存続へ向けてアピールするなど努めた。それもまた、13万を超える署名を集めるのに大きく寄与したのは間違いない。
2度目の危機でもまた、高橋は精力的に動いた。2012年5月に松井一郎知事を訪問した際、支援を要請する。すると知事は、「半分を集められるなら」と答えた。つまり1億5000円を集められれば、府が残りを負担するというのが府側の"答え"だった。
ただ、1億5000万円という額は小さくない。募金で簡単に集まる額ではないのは容易に想像がつく。高橋も言った。
「正直、厳しいと思います」。一方で、こうも語った。
「あきらめたら、次はないと思います」。
言葉のとおり、高橋は活動を続けた。募金の呼びかけではファンの前で頭を下げ、機会あるごとに呼びかけた。その結果、2013年2月に寄付金1億5000万円が大阪府に贈られ、存続は決まった。
繰り返すが、多くの人々の活動や支援があり、それが実を結んでの現在である。アイスショーに出演するなどして協力した鈴木明子や村上佳菜子、町田樹、さらには募金活動のために駅前に立った田中刑事ら選手たちの存在もあった。と同時に、流れを変えたのは高橋がいればこそではなかったか。
「小さな縁」としなかった高橋の姿勢
トップスケーターであることを自覚し、現役生活にあり、はたからは負担も小さくないように思える中で存続活動に尽力し、その活動の前面に立った。また、厳しい条件ながらも、松井知事から言葉を引き出したのも高橋だ。3億円という巨大な数字とはいえ、わずかながら希望の光が見えた瞬間だったかもしれない。
さらに、高橋のスタンスを示すものとして印象的なのは、最初の危機にあった2008年5月のアイスショーのことだ。当時は、コーチとして信頼を置いていたニコライ・モロゾフとの関係を解消することを発表してまだ間もなかった。ショックが小さいわけもなかっただろうが、そのすぐあとの時期にショーに出演し、笑顔で同センター存続へのアピールに努めたのだ。
高橋が直接、同センターに関わったのは2年。その2年という期間を小さな縁と考えることもできるし、大きな縁ととらえることもできる。そして小さな縁とはしなかったのが、高橋だった。
以前、取材の中でふと、「子どもたちには元気いっぱい、滑ってほしいんですよね」と語っていたのを思い出す。あるいは、シーズン開幕へ向けた練習のつかの間の休憩の時間に、集まってくる子どもたちとにこやかに会話をしている姿も目にしている。
自分が歩んできた道の後に続こうとするスケーターたちへの、あたたかなまなざしがそこにあった。それもまた、同スポーツセンターの存続活動の原動力となっていただろう。そして、「フィギュアスケーター・高橋大輔」の一面を、とてもよく表している。
★朝日新聞 高橋、諦めない姿見せる フィギュアSP (2014.2.14)
決してあきらめない、その姿を見せたい。13日夜(日本時間14日未明)のフィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)。高橋大輔(27)=関大大学院=は、昨年11月末に痛めた右足が万全とはいえない状態で、ジャンプを跳ぶ。後に続く子どもたちが、自分の姿を見ているからだ。
2012年秋、高橋は、熱く語りかけていた。
「子どもたちに、好きなことをあきらめてほしくない。楽しくスケートをして、色んな人と出会い、何かを得て社会に出ていってほしいんです」
トリノ五輪前に練習していた大阪府高石市にある臨海スポーツセンターが閉鎖の危機にあった。大阪府側が存続の条件として提示したのが、耐震改修費約3億円の半分を負担することだった。
利用者らが始めた募金活動に高橋も加わった。全国からカンパが寄せられたが、締め切りを前に目標額には遠かった。
そんな時、新聞記事で活動を知ったという人が、連絡してきた。スケートファンではないが、現状を知りたいという。直接会い、思いの丈を2時間に込めた。
数日後、匿名で1億3千万円の寄付が振り込まれた。「未来を担う子どもたちの夢や笑顔を無くさぬように」という一文が添えてあった。存続が決まった。
「子供にメッセージを伝えるなら、現役で輝き、影響力のある今のうちに」。知人にかけられたその言葉が、高橋を動かしている。いじめられることもあって学校に行くのが嫌だった小学生の時、実家そばのリンクで始めたスケートに救われた。だから、リンク存続に絡むことには力が入る。
「責任感は昔に比べたらあるのかな」。高橋は今季を集大成と位置づける。子どもが学べ、スケートの練習もできる施設を作る。3回目の五輪。胸にはそんな思いを秘める。(後藤太輔)