このネタ、書こう書こうと思っていたんだけれど、書くたびにあんまりまとまらないなーってことで消去したり、書き直したりしていたんだけれど、やっとこうやって公開することができたのはひとえに皆様のおかげです。万歳、万歳。という書きだしすらも何度も書いたり、消したり、修正している。しかもこれ公開しているけれど全然まとまってないから。で、肝心のネタというのは以下のコレ。cakes.mu
あと、書いている途中でこちらも公開されていた。azanaerunawano5to4.hatenablog.com
というわけ、ざっくりとライフスタイルの実践みたいなことについて書いてみたいと思う。結果的に全然違うこと書いているかもしれないけれど、それはそれとして。んで、ライフスタイルというのは生活様式とかに加えてファッションとか何を食うか、何を聴くか、何を観るか、何をして時間を過ごすか、といったことを指すと僕は思っているんだけれど、こういうライフスタイルの実践(?)において欠かせないのが「金を払ってモノを買う」という行為だと思う。で、この「金を払ってモノを買う」という行為においては二種類の意味があって、それはもうid:aniram-czechさんの記事のほうで書かれているんだけれど「そのモノをそのモノとして享受する」ということと「そのモノが持つ記号/意味性を享受する」という意味がある、と思う。これは本からの受け売りですけど、まあ、たしかにそうやね、と感じる。ブルーボトルコーヒーのアレで言うと、並んで買ってブルーボトルコーヒーの出すコーヒーの味やら匂いやらを買っているのが前者で、並んで買ってブルーボトルコーヒーを飲むという行為の「意味」を買っているのが後者を指す。後者のやつ、よく意味わかんねえなって人が多いと思う。まあ、要は「そういう人」であるという演出のためにブルーボトルコーヒーで金出す、ということです。
さて、サブカルチャーを好む人を批判する上で別に本当にその音楽とかファッションとか映画とかが好きじゃないけれど、その対象のコンテンツが持つ意味とか、コンテンツを消費するということで自己のキャラ付けを図っている、というような定番の語られ方があるんだけれど、ここらへんとなんとなく被るんじゃないかなーと、個人的には思っています。これはサードウェーブというライフスタイルだけじゃなくて、一時期流行ったロハスとかもそうだし、エコロジストとかもそう。古くはオリーブ少女とか?もしかしたら、ベジタリアンにだってそういう人がいるかもしれない。自分のキャラ付け、記号化のためにどういう暮らし方するか、どこに住むか、食生活の選択、ファッションの選択、コンテンツの消費etcを行う。これは意識的な人もいれば、無意識的な人もいると思う。一連の消費行動によって自己形成を図っている。一種のイジワルな見方でもある。
ただ、だからといってそれが別に悪いことじゃないし、僕もあんまり人の事を言えない感じではあるのだけれど、何か名前の付けられたライフスタイルの実践というのは自分の記号化だと僕は思う。まあ、中にはそうじゃない、という人もいる。で、一連のサードウェーブ批判の発端となっているcakesの記事にて「没個性になっている」というようなニュアンスの事が批判めいた言葉で語られていたけれど、これは個人的にすげー的外れだと思う。没個性うんぬんはどうでもよくて、見るべきところは自分を何かに当てはめようとして、記号化しようとしているところじゃないかなあ、と思う。もちろん、個人的には消費行動により自己形成を図るというのは下らないと思う。思うのだけれど、ずっとそうだし、これはもう直らないと思う。江戸時代の「粋」だとかもそんなもんなんじゃねーかなー、と思うし。
ああ、やっぱりとっ散らかってしまってる、まとまんねーなー。