理解できないけど仲間に入りたい

村上さん、はじめまして。私は本を読むのが好きです。本が並んでいる風景も大好きです。しかし、私は、村上さんの作品を読んでも、よく理解できません。悩むだけです。村上さん、これどういうことですか、と。
世界中の村上ファンの方たちからすれば、おまえ、ここに来るなよ、と言われそうですが、意外と多いんです。この悩みの持ち主が。結構本好きな方でも、村上春樹わかんねー、という人とよく会います。
今回こそ、と思い購入し読み終えるのですが、結局気持ちが挫折します。
私は読みたいんです。理解したいんです。楽しみたいんです。仲間に入れてください。

カレー好きな日本人が、本場のインドのカレーを食べて、あまりおいしくないのに、やっぱりカレーはインド、とほざいているのは嫌なんです。インドは遠いですけど、一歩ずつ進んでいけばいつか辿り着けるのでしょうか。ファンの方たちは、最初からインド人なんでしょうか。ちなみに、私はタイカレーが好きです。村上さんはどんなカレーが好きですか? 
(akio、男性、50歳、会社役員)

僕は思うんですが、「わかろう」「理解しよう」と思うからしんどくなるのであって、「わからなくてもいい」「理解できなくてもいい」と思えば、気持ちがとても楽になります。大事なのはそれを、その物語を、自分の中に引き込めるかどうかことです。あるいは逆の言い方をすれば、自分がその物語の世界にすっと入っていけるかどうかです。もしそういう出し入れが自然にできるのなら、それでオーケーです。何の問題もありません。それ以上わかったり、理解したりする必要はありません。

大猫と同じです。大猫を理解できなくても、大猫にもたれていると気持ちよいですよね。大猫にさわったり、大猫にさわられたり、そんなことをしていると、気持ちが和らいで、傷の痛みを忘れることができます。小説というのは、物語というのは、本来そういうものなんです。暖かい大猫みたいなものです。そうあるべきものなんです。わからなくてもいいから、そんなことは気にしないで、本を読むことを楽しんでください。

村上春樹拝