ベトナム南部・ドンナイ省
ここでベトナム人民軍がある作業を行っていた
出てきたのはベトナム戦争中に戦闘で亡くなった兵士たちの骨だ
すぐそばから兵士たちが履いていたサンダルが見つかった
使われなくなった車のタイヤから作ったものだという
この付近だけでおよそ130の遺体が眠っていた
ベトナム戦争の終結から40年たった今もなおその傷痕が至る所にある
ベトナム戦争は民族統一を掲げる北ベトナムと民族解放戦線対アメリカの支援を受けた南ベトナムの戦いだった
1965年アメリカは世界の共産主義化を防ぐためとしてベトナムに直接参戦猛烈な攻撃を行った
アメリカがベトナムで使った爆薬の量は第二次世界大戦中全世界で使用された総爆薬量の実に2倍に達する
ベトナム人の犠牲者は南北合わせて300万人を超えた
北ベトナムはゲリラ戦でこれに対抗
世界最強といわれたアメリカ軍を撤退させベトナム戦争は大方の予想に反して北ベトナムの勝利に終わる
喜びに沸くベトナム人民軍の兵士たち
実はそのベトナム人民軍を育てた日本人がいた
大阪市に住む杉原剛さん93歳
杉原さんは1945年日本の敗戦を中国海南島で迎えたが戦闘継続を主張する上官らに命じられ食糧を求めてベトナムに漂着した
そこでベトナム独立同盟に誘われたことで運命が大きく変わっていく
第二次世界大戦後ベトナムは独立を宣言したがかつて植民地支配をしていたフランスが再び侵略に来ようとしていた
それに対抗してベトナム人民軍が組織されるがほとんどは普通の農民
そこで北ベトナム指導部は教育係として日本人の軍事知識や技術を求めていた
およそ600人の日本兵が人民軍の教育にあたったといわれる
トラックでフランスが
そしてベトナムはフランスとの独立戦争
その後のアメリカとの戦いを合わせ実に30年間に及ぶ戦争に突入していく
その長きにわたる戦争の終わりを記録した歴史的映像がこれだ!
南ベトナムの大統領官邸に人民軍の戦車が突入し1人の兵士が旗を持って降りてくる
アメリカの敗北を象徴するシーンとして世界中に驚きと衝撃をもたらした
しかし今この映像が果たして本物だったのかという疑惑が持ち上がっている
再現だよ
(スタッフ)これは再現ですかあぁ…
そこから見えてきたのは大国どうしの対立と国家の思惑
そしてそれに翻弄されてきた人々だった
さらに今アメリカ軍にスパイとして入り込みベトナムに勝利をもたらした人物たちが口を開き始めている
歴史を動かしながらも人知れず陰に埋もれてきた英雄たち
ベトナム戦争40年目の真実を追う
ベトナム南部の都市・ホーチミン市
かつてこの街はサイゴンと呼ばれ南ベトナム政府の首都が置かれていた
その一角に多くの観光客でにぎわう場所がある
南ベトナム政府の大統領官邸だった場所だ
ここでベトナム戦争の最後を捉えた世紀のスクープ映像が撮影された
人民軍の戦車が大統領官邸に突入
1人の兵士が官邸のテラスに駆け上がり勝利の旗を振る様子だ
戦車から解放軍の旗を持って降り立ったのは
もともと貧しい農家の生まれだったタン隊長は敵の大統領官邸に一番乗りした勇者として英雄勲章を受章
ベトナム政府から土地や家などを与えられた
ベトナムで一躍有名人となったタン隊長は軍内部でも出世していく
大佐にまで上り詰めたあと2012年に亡くなった
そしてこのスクープ映像を撮影したのがオーストラリア人カメラマンの
多くの外国人ジャーナリストが国外へ退避していく中危険を冒しながら歴史的場面を撮影したデイビスは戦場カメラマンとして一躍名をあげる
しかし…
この映像が本当に最初の戦車が突入した場面を捉えたものだったのか
今驚きの証言が出ている
(スタッフ)これは再現ですかあぁ…それはどの辺が実際の状況と…
こう指摘するのはサイゴン陥落を取材していた日本の元特派員たちだ
最初の戦車が大統領官邸に突入した時彼らは門の外側で取材をしていた
(鍵和田)こういう兵隊が先に降りてチョロチョロするような場面っていうのは起こりえないですよずっと乗ってたもんね乗っててこう構えたからさ戦闘状態で入ってますから…ありえないよね
ニール・デイビスが撮った映像は再現されたシーンを撮影したものだというのだ
今は博物館となった大統領官邸
実はここにももう1つ戦車の大統領官邸突入の瞬間を捉えた写真がある
それはサイゴン陥落の20年後にあるジャーナリストの自宅で偶然発見された写真だ
説明書きには…
この写真を撮影したのはフランス人写真家
女性で初めて世界報道写真賞を取った人物として知られる
彼女の消息を求めてパリを訪れた
(フランス語)
フランソワーズは2008年に亡くなっていたが彼女と一緒にサイゴンでベトナム戦争を取材していた人物イブ・ビリーさんに話を聞くことができた
サイゴン陥落の日彼はフランソワーズと共に大統領官邸の中にいたという
大統領官邸はとても静かでした軍隊も警備もいませんでしたそして戦車の音が聞こえてきました戦車が門を突破した時フランソワーズはよい位置でシャッターを切っていました
ニール・デイビスの撮ったスクープ映像について尋ねるとビリーさんは驚くべきことを口にした
もしかしたら別の場所にいたのかもしれませんが私に覚えはありませんニール・デイビスがどうやってこれを撮ったのか私には分からないし…驚いていますただ彼が…戦車が突入した瞬間よりもあとに入ったことは確かだと思います
フランソワーズの撮った写真をよく見ると2台の戦車が同時に突入したように見える
しかし英雄として知られているのは843戦車とタン隊長だけだ
隣の390戦車には誰が乗っていたのか?
われわれはこの390戦車の隊員たちを訪ねた
息子家族とホウキ作りで生計をたてるトアンさんは390戦車の指揮官だった
しかしタン隊長が英雄として知られているのに対し彼の名前はほとんど聞くことがない
ニール・デイビスの撮った映像は果たして本物なのか?
現場にいたはずのトアンさんに見てもらった
(トアン)この映像は再現映像です当時は戦闘中だったのでしかしこの映像では843戦車が入る前から門が開いています次におかしいのは戦車を誘導している人物がいることです実際の戦争ではこのように
確かにニール・デイビスが撮ったほかの映像を見てみるとさらに不自然なカットがあることに気付く
タン隊長が旗を持って建物にかけていく場面だ
最初に突入したはずのタン隊長の背後にはすでに何台もの人民軍の戦車が停車している
そして一番で旗を掲げたはずのタン隊長より先にすでに解放戦線の旗が屋上ではためいているのが見える
さらにトアンさんは決定的な証言を始めた
(トアン)私たちの390戦車が一番先に大統領官邸に入りましたタン隊長の843戦車は私たちの後ろから入ってきたのです
なんとタン隊長が一番乗りをしたということも事実ではないというのだ
サイゴン陥落の日の朝
市内への入り口であるサイゴン橋では進撃を阻止しようとする南ベトナム軍と人民軍との間で最後の激戦が行われていた
先頭を切ってサイゴンに入る予定だった2つの大隊が壊滅状態になり気が付くとトアンさんたち390戦車は先頭集団にいた
私たちの前にいた戦車も攻撃されたので結局私たち390戦車が先頭になりましたところが大統領官邸までの道を間違え迷子になってしまったのです
市内に入ると不思議なことにほとんど銃声が聞こえなかった
道に迷いながらも午前11時半頃ついに大統領官邸の正門にたどり着く
そこがこの戦争の最終目標地点だった
トアンさんたちの390戦車が正門に着いた時タン隊長の843戦車が地雷を警戒したのか隣の門で停車していた
トアンさんたちは先に突入することにした
私たち390戦車はこの門を破壊して中に入りました戦車の大砲で門をこじあけたのですそのあと843戦車は私たちのあとから同じ門をくぐって入ってきました
トアンさんは戦車を降りて官邸の中に入ることにした
私は解放戦線の旗を持って中に入ろうとしましたが運転手にタン隊長が旗を持って走ってきていると言われタン隊長が来るのを待ってから2人で中に入ることにしましたその時私は旗を機関銃に持ち替えました
トアンさんとタン隊長の2人は2階へと駆け上がった
タン隊長が旗を持ってテラスに行ったあとトアンさんは機関銃を持って内閣会議室に入っていった
部屋の中には南ベトナム政権の幹部たちが集まっていたがもはや抵抗することはなかった
トアンさんたちはズオン・バン・ミン南ベトナム大統領を車まで連行
大統領はラジオ局まで連れていかれ無条件降伏を宣言した
ここに30年に及ぶベトナムの戦争が終結した
しかしそれから20年後にフランス人カメラマンの写真が発見されるまでトアンさんたち390戦車の存在は歴史からかき消されてきた
それはなぜだったのか?
そこには意外な理由があった
サイゴン陥落の日大統領官邸に突入した2台の戦車
だがそのうちの1台・390戦車は長らくその存在が歴史からかき消されてきた
そこには思いもよらぬ理由があった
うり二つに見える2台の戦車だがニール・デイビスの映像に映っていたタン隊長の843戦車はソ連製
390戦車はソ連製をコピーした中国製だった
実は当時のベトナム政府にとってここに大きな政治的問題が潜んでいた
390戦車の問題は長らくベトナム政府内でもトップシークレットだった
40年がたった今ベトナム人民軍の元将校がカメラの前で初めてその真相を語った
843戦車はソ連が…そして390戦車は中国が援助してくれたものですサイゴン陥落のあと私の上司はこう言いました
そもそも東西冷戦の代理戦争ともいわれたベトナム戦争ではアメリカをはじめとする西側諸国が南ベトナムをソ連や中国など社会主義国が北ベトナムを支援していた
ところが北ベトナムを支援していたソ連と中国との間で覇権争いが起こる
中国はソ連を牽制するため1960年代後半からアメリカに急接近していた
中国とソ連の間で苦悩していた北ベトナムは中国が敵であるアメリカに接近したことでソ連寄りの姿勢を鮮明にしていく
そのことがサイゴン陥落の日に大統領官邸に突入した2台の戦車の扱いに大きな影響を与えた
もし中国の戦車が結果的にスポットを浴びるようなことになればホーチミン主席が指導した30年にわたる戦いのすべてが中国のおかげという印象を与えてしまいますそれで390戦車のことは口をつぐむようになったのです
トアンさんたち390戦車の兵士たちはベトナム戦争のあともカンボジアの紛争や中国との戦争にかり出され戦場をさまよう日々が続いた
そしてようやく任務を終えて戻ってきた時には自分たちのあとをついて大統領官邸に入ったはずの843戦車とタン隊長がベトナム戦争の英雄として祭り上げられていた
トアンさんは苦楽を共にしてきた390戦車の仲間たちに久々に会いに行った
仲間たちは軍隊を退役したあと畑仕事などをしながらほそぼそと暮らしてきた
私たちは政治委員だった戦車部隊の上司に聞いたことがあります「なぜ843戦車ばかり注目されて私たちの390戦車が無視されるのですか」と上司はこう言いました「390戦車は中国製だろうがソ連製だろうが米軍から奪ったものだろうが私たちは命を懸けて戦ったのです
390戦車の砲撃手だったゴー・シー・グエンさんは除隊後オート三輪のタクシーを始めてなんとか家族を養ってきた
貧しい生活を共にしてきた妻の思いは複雑だ
子どもが生まれた時期は配給制度で子育てがとても大変でしたミルクを買ってやることもできませんでしたもし夫がそんなに軍に貢献していたのならこんなに苦労はしなくても済んだのにと思ったこともあります
(妻)息子が小学校5年生の時学校から帰ってきてこう言うんです「教科書には843戦車のタン隊長のことしか載っていない」「お父さんの名前なんてない」
390戦車の功績がようやく認められたのは1995年サイゴン陥落から20年の月日がたっていた
名誉の回復にはあまりに遅すぎた
なぜここまで1つの映像に北ベトナムの指導部は気を遣ったのか
ベトナム戦争は「映像の戦争」ともいわれ戦場の生々しい様子が一般市民の茶の間に届けられた初めての戦争だった
軍事力ではアメリカに圧倒的に劣っていたベトナムが重視したのが国際世論と政治を動かす宣伝戦だった
フランソワーズと一緒に大統領官邸の中で取材をしていたイブ・ビリーさんもみずからが宣伝戦に利用されたのだと考えている
サイゴン陥落の日の朝私たちのホテルに突然解放戦線の旗を立てた車がやって来ました彼らは「車に乗れついて来い」と言いました彼らは外国人ジャーナリストの誰がどこにいるのか常に把握していました私とフランソワーズが政治的にも彼らに共鳴していることも知っていました知っていて…私たちを利用したのですよ
冷徹なまでの宣伝戦に北ベトナム指導部の勝利への執念が見えてくる
そして指導部の中でもほんの僅かな者しか知らない極秘の作戦があった
サイゴン陥落の日大統領官邸の門には高圧電流が流されていた
戦車がそのまま突入すれば重大な事態が起きたはずだ
しかし突入した時電流は流れていなかった
戦車から降りたあと大統領官邸で働いていた1人の若者が近づいてきてこう言うんです「門に高圧電流が流れていたから切っておいたよ」と…私は名も知らぬ若者にただ「ありがとう」と答えました
実は南ベトナム政府の中枢にまで入り込んだ北のスパイたちがいた
ベトナム戦争に終止符を打った首都・サイゴンの陥落
当初市内では大規模な市街戦が懸念されていたが実際には市内では戦闘はほとんど起きなかった
これには理由があった
実はサイゴン侵攻の際人民軍とサイゴンを守る武装警察双方に「相手が攻撃してこないかぎり先制攻撃はするな」という命令が下されていた
南ベトナム側でその命令を発した人物がいる
チュウ・コック・マインさん当時のサイゴン警察庁長官だ
裁判官だったマインさんはズオン・バン・ミン大統領の信頼を得て終戦間際にサイゴンの防衛をつかさどる要職に就く
彼こそが北から送り込まれてきたスパイだった
私の所には敵を見つけたがどうしたらよいかという無線連絡がひっきりなしに来ていました私から「降伏しろ」とは言えないのでとにかく「相手より先に攻撃はするな」と命令しましたそれで南ベトナムは負けると確信していました
スパイグループは網の目のように張り巡らされ米軍や南ベトナム政府の中枢に入り込んでいた
そんなスパイグループの1つを束ねていたリーダーに会うことができた
ホーチミン市に住む
彼には本名より広く知られた名前があった
彼はサイゴンで情報収集を担当しスパイグループ・H63を率いていた
私たちはベトナムに駐留していた米軍と南ベトナム軍の作戦計画を入手して北に報告していました米軍の爆撃計画が分かった時には急いで無線で仲間に知らせていました
彼の配下にはサイゴン市内で活動する3人のスパイがおり連絡員などを合わせ45人がいた
スパイの1人コードネームホアン・ナム・ソンは米軍将校たちが宿泊するホテルを経営しこっそり部屋に入り込んでは情報を入手した
ファン・スアン・アンはタイムズやロイターなど欧米メディアの記者をしながら米軍や南ベトナム軍の司令部に深く食い込んでいた
そしてコードネームタム・タオは南ベトナム軍の軍事顧問をしていた米軍将校の秘書だった
その美貌で交代で赴任してくる将校たちの心をつかみさまざまな情報を引き出していた
そのタム・タオに会うことができた
彼女の上司は情報将校で米軍の作戦をよく知る人物だった
彼女の情報は北の作戦にも大きな影響を与えた
米軍の諜報活動の資料を翻訳していました
一番緊張を強いられるのが資料を事務所の外に持ち出す時だったという
機密情報を持ち出す時は必ずアメリカ人上司に車で送ってもらっていましたそうしないと途中で調べられる危険があるからです例えば雨の日は「こんな雨の中をどうやって帰ったらいいのかしら?」って聞くんですそういうと大抵の上司は車で送ってくれました
タム・タオの家はサイゴンで布の卸業を営んでいた
18歳の時フランスの植民地政策に反発しベトナム共産党に入党
21歳からスパイとして訓練を受け33歳の時米軍顧問に近づきスパイ活動を開始した
リーダーのトゥー・カンとは頻繁に会っても怪しまれないよう恋人どうしという設定にしていた
トゥー・カンは当時サイゴン近郊の秘密基地に潜みながら時折一般市民を装ってサイゴンに来ていた
その時隠れ家にしていたのがタム・タオの家だ
この部屋に来た時はいつもここで寝ていました
タム・タオは仕事の終わりによく上司のアメリカ人将校を夕食に招いていた
トゥー・カンはこっそりと2階に上がり床に耳をつけて雑談の中に混じる軍事情報を聞き取っていた
この位置が米軍将校が座っていたソファーの真上で声が一番よく聞こえたという
この時トゥー・カンは北ベトナムの命運を懸けたある重大な任務を背負っていた
かつてベトナム戦争で暗躍していたスパイたち
彼らは歴史を変えるある重要な任務を背負っていた
南ベトナムの各都市を同時多発的に攻めることでアメリカ世論を揺さぶろうという政治的な作戦
それはベトナムの旧正月・テトに予定され後に「テト攻勢」と呼ばれる
この時のスパイグループ・H63の任務は南ベトナムの首都・サイゴンで攻撃目標の詳細を調べるという危険なものだった
この海軍事務所も攻撃対象になっていて図面が必要でしたそこでタム・タオに施設の中の写真を撮るように命令しました
しかし警戒の厳しい軍施設で写真を撮るのは不可能に近い
そこでタム・タオはある秘策を思いつく
アオザイでの記念撮影だ
どうしたらいいか悩んでいた時です偶然米軍の少佐が「カメラを買ったので写真に撮ってあげる」とうれしそうに言ってきました初めは嫌だと断っていたのですがこの機会を利用しようと思いついたのです司令部に行く通路や重要な施設を背景に記念写真を撮ってもらいそれをリーダーに渡したのです
リーダーのトゥー・カンの秘密基地はサイゴンにほど近いクチにあった
ここには無数のトンネルが掘られ解放戦線の拠点となっていたのだ
ここにいるのはH63の数少ない生き残りだ
(ベトナム語)
(ベトナム語)緊急の報告はここにあった無線機で報告しました資料が多い場合は直接解放戦線の本部まで運んでいきました小さなメモは薬のビンの中に隠し文書はフランスパンの中に丸めて入れて運んでいました
タム・タオが入手した機密情報はまずクチの秘密基地に送られさらにサイゴンの西60kmの所にある解放勢力の拠点へと何人もの連絡員がリレーをして運んだ
しかしその任務は過酷だった
途中捕まって拷問の末殺されたり攻撃に遭うなど45人のメンバーうち25人が亡くなった
彼は私の部下でした…ある日敵の地雷を踏み両足が吹き飛ばされました血がたくさん流れ助からないことは分かりました彼は最後に「私は死にますが母にはナイショにしてください」「どこか遠くの場所の任務に就いたと伝えてください」と言って亡くなりましたその言葉が今でも忘れられません
そして
アメリカ大使館も一時占拠されアメリカ国内には衝撃が走った
北ベトナムの思惑どおり反戦運動が高まり米軍の撤退へとつながってゆく
H63のメンバーたちは互いの本名も知らなかった
作戦の中で犠牲になった者は家族に葬られることもなく生き残った者も戦後英雄としてたたえられた人は僅かだった
リーダーのトゥー・カンは28年に及ぶスパイ活動を終え家族のもとへ帰った
とても長い戦争でした家族が離れ離れになりたくさんの人が犠牲になりました仲間もたくさん死にました誰も望んで戦争に行きたい人はいません私も家族と一緒に平凡に暮らしたかった
ハノイにある国防テレビ
次々と映し出される若者の写真
ベトナム戦争で戦地に赴いたまま行方が分からなくなった兵士たちだ
ベトナムでは今なお50万人の行方が分からない
番組開設以来肉親の情報を求める手紙があとを絶たない
サイゴン陥落の日に大統領官邸に最初に突入したトアンさんもまた戦死したいとこの骨を探し続けている
家族は40年間遺骨のない墓に祈りをささげてきた
彼の両親は息子の遺骨を死ぬまで探し続けていましたその両親のためにも私たちは彼の遺骨を見つけてあげたい早く故郷の墓に迎え入れてあげたいのです
ホーチミン市の資料保存センターには南ベトナム政府が撮影したベトナム戦争末期の映像が保管されている
現在の政府の敵側の映像であるため長らく封印されてきた
今回特別な許可を得て40年ぶりに世界で初めて公開が許された
命からがら戦地となった故郷から逃げてきた人たち
親を失い取り残された子どもたち
戦争は敵味方の区別なく人を傷つけ人生を狂わせていく
おびただしい数の犠牲と悲劇を生んだベトナム戦争の終結から40年
今語られなかった真実と繰り返してはならない歴史を私たちに示している
おはようございます今日のあるき目ですは露天神ともいいますが通称・お初天神へやって参りました2015/04/29(水) 09:58〜10:53
ABCテレビ1
語られなかった英雄たち 〜ベトナム戦争40年目の真実〜[字]
ベトナム戦争終結40年。いま明らかになる驚愕の事実。戦車が官邸に突入したスクープ映像の再現疑惑。米軍に食いこんだスパイ。さらにベトナム人民軍を教えた元日本兵の存在
詳細情報
◇番組内容
20世紀最悪の戦争と言われたベトナム戦争終結から40年。実は今、明らかになる驚愕の事実がある。1975年戦車が大統領官邸に突入、世界中に配信されたスクープ映像は、再現だったとの疑惑だ。歴史から消し去られた4人の真の英雄や軍関係者が、その口を開く。
◇番組内容2
さらに米軍を打ち破った裏にあったスパイの存在。運命に翻弄されたのはベトナム人だけではない。ベトナム人民軍の成り立ちには約600人の旧日本兵がかかわっていた。
◇出演者
ナレーション 斉藤茂一
◇監督・演出
【ディレクター】
島田陽磨(日本電波ニュース社)
高田沙織(日本電波ニュース社)
【プロデューサー】
藤田貴久(朝日放送株式会社)
島直紀(日本電波ニュース社)
◇企画
石垣巳佐夫(日本電波ニュース社)
吉田汎子 (日本電波ニュース社)
◇制作
朝日放送株式会社
日本電波ニュース社
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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