NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 日本人と象徴天皇「第2回」 2015.04.29


天皇陛下が忘れてはならない日として話される4つの日があります。
広島に原爆が落とされた8月6日。
(時報)そして沖縄で日本軍の組織的抵抗が終わった6月23日です。
日本国の象徴である天皇陛下。
4つの日に犠牲者の追悼を続ける事を自らの務めとされています。
私は即位以来日本国憲法にある「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」という規定に心を致しつつ国民の期待にこたえられるよう願ってきました。
象徴とはどうあるべきかという事はいつも私の念頭を離れずその望ましい在り方を求めて今日に至っています。
敗戦から7年で独立した日本は象徴となった天皇と共に国際社会に再デビューを果たしました。
高度経済成長による奇跡の復興。
戦争は次第に過去のものとなっていきます。
その中で天皇は象徴として国の内外で歴史と向き合い平和の道を探り続ける事になります。
「シリーズ戦後70年日本人と象徴天皇」。
第2回は独立後国際社会に復帰した日本の歩みを見つめます。
こんばんは。
こんばんは。
私たち日本人の来し方を見つめこれからを考える「シリーズ戦後70年ニッポンの肖像」。
今日は「日本人と象徴天皇」の2回目です。
独立を果たした日本が再び国際社会にデビューした時代から現代までの歩みを見ます。
敗戦から10年がたち日本は「もはや戦後ではない」将来への希望あふれる時代を迎えます。
1958年当時の皇太子今の天皇陛下と正田美智子さんの婚約が発表されました。
連日新たな皇室を印象づけるエピソードがメディアをにぎわせいわゆるミッチーブームが巻き起こりました。
「皇太子殿下美智子さんおめでとう」。
国民のお祝いを受けられながら目の覚めるようなお馬車の列は進みます。
読売ジャイアンツと大阪タイガーズの11回戦は両陛下をお迎えして行われました。
「明日は今日より豊かになる」。
そんな空気が社会に広がっていました。
5球目村山の高めの速球を長嶋レフト上段にサヨナラホームラン!両陛下をお迎えしてまれに見る熱戦でした。
「もはや戦後ではない」。
目覚ましい経済成長の中で皇室は平和で豊かな生活の象徴となりました。
オリンピック東京大会の開会を宣言します。
1964年10月。
昭和天皇の宣言で始まった東京オリンピック。
日本選手団の入場であります。
国内外に奇跡の復興を印象づけました。
一方戦後日本から切り離されアメリカの施政権下にあった沖縄。
当時はベトナム戦争を戦うアメリカの軍事拠点となっていました。
一刻も早く日本に復帰し基地を無くしてほしい。
祖国復帰を求める運動が広がっていました。
当時琉球政府の職員として復帰に取り組んでいた…新垣さんの思いの背景には過去の戦争がありました。
沖縄戦で家族を亡くしたのです。
あっこれですね。
うちのおやじです。
おふくろで妹弟。
全滅ですよ。
家族を奪ったアメリカ軍に戦後支配され続けていた事にやりきれない思いを抱いていました。
こうした沖縄の人々に寄り添おうとしたのが新しい世代の象徴となっていた当時の皇太子です。
1968年には沖縄の歴史を描いた展覧会に夫妻で足を運び厳しい現実を学びました。
国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄。
本土防衛のための徹底抗戦で18万人が亡くなりました。
住民の4人に1人が犠牲となったのです。
今の天皇陛下の本棚に収められている沖縄に関する書籍の一部です。
皇太子の頃から沖縄戦だけでなく歴史や文化も詳しく理解しようとしていた事がうかがえます。
1972年5月。
沖縄は27年ぶりに日本に復帰しました。
日本国万歳!
(一同)万歳!万歳!
(一同)万歳!万歳!万歳!しかし県民の期待とは裏腹に基地のほとんどはそのまま残される事になりました。
沖縄からはベトナム戦争のために爆撃機が次々と飛び立っていきました。
本土復帰から3年後沖縄に皇太子夫妻が訪れる事になりました。
復帰を記念した海洋博覧会に出席する事になったのです。
しかし県民の受け止めは複雑でした。
皇太子は訪問前の3か月間で60人以上の学者や関係者を招き沖縄について更に学んだといいます。
出発前日には親交のあった沖縄文化の研究者外間守善さんから話を聞きました。
その時のやり取りを記した外間さんのメモです。
「『何が起きるか分かりませんのでくれぐれもお気を付けられるように』と申し上げました。
殿下は『私は何が起きても受けます』と強いご覚悟でした」。
皇太子夫妻は初めて沖縄の地を踏みました。
真っ先に向かったのは「ひめゆりの塔」。
沖縄戦で学徒動員され亡くなった女子学生たちの慰霊碑です。
説明を聞き始めたその時でした。
ちょうど今皇太子殿下が源ゆき子さんから報告をお受けになっておられるその最中でした。
突如この…。
訪問に反対する地元の青年が火炎瓶を投げつけたのです。
現場にいた…
(山城)構えてずっと表情を狙ってました。
ひょっとしたら美智子さまが涙を流されるのではないかと。
その時に撮った写真です。
山城さんの印象に残ったのは火炎瓶の先にいた皇太子の表情でした。
皇太子夫妻は一旦車に入ったあとすぐに混乱する現場に戻りました。
この日の夜皇太子は沖縄県民に向けたメッセージを発表しました。
「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い沖縄戦における県民の傷痕を深く省み平和への願いを未来につなげともどもに力を合わせて努力していきたいと思います。
払われた多くの尊い犠牲は一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく人々が長い年月をかけてこれを記憶し一人々々深い内省の中にあってこの地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。
前回に引き続きそれぞれの時代の読み解きをして下さるお二人の専門家をお招きしています。
よろしくお願い致します。
(2人)よろしくお願いします。
経済が発展する中でいわゆるミッチーブームなど皇室のイメージが随分と変わっていきましたよね。
このころの国民は天皇また皇室をどのように見ていたんでしょうか?若い世代が社会に一定の力をつけてくるっていう時のその象徴というのが皇太子さまと美智子さまの結婚だったと思いますね。
戦争のにおいがそこにはしない訳ですね。
戦争を体験した人たちの影がない訳ですね。
だから若い世代には歓迎されましたし新しい時代がこれから作られていくというようなのは国民に共通の思いだったんじゃないんでしょうか。
その皇太子今の天皇陛下が沖縄にお寄せになる思いの背景には何があると思われますか?本やそれからいろんな事を聞きながら頭の中で学ぶ経験っていうのがずっと出てってそれが今度初めて沖縄に行くという行為につながって沖縄に行った時に火炎瓶投げられる訳ですけどあの修羅場というものを越える事によって今度は学ぶ天皇からやっぱりその後の皇太子さまから天皇になって続くところの例の祈る天皇ね。
そこへ変わっていく一つの兆しがあって。
要するに沖縄に寄り添って沖縄の心に寄り添って自分たちはやっていくんだという事を言ってる訳ですね。
僕は今の天皇がお考えになっているのはあの戦争はどうして起きたんだろう。
どうして防げなかったんだろうと。
そういう事をやはりずっとお考えになってるんじゃないかと思いますね。
その中で日本でやはり一番大きな犠牲を受けたのは沖縄ですから。
沖縄のこの犠牲をですねきちんと理解しそして追悼し慰霊し歴史の中にその教訓を語り継ぐというのを自らに課してるんじゃないでしょうか。
歴史の中で戦争でお亡くなりになった人たちへの思いというのは今の天皇皇后さまには相当深いところにあるんだと思うんですよ。
さてこの間にも日本は経済成長を続けGNPが世界第2位になって日本企業の海外進出が盛んになります。
その中で昭和天皇は戦後初めて外国を訪問。
そこでかつての戦争の記憶に向き合う事になります。
1970年代に入ると戦後生まれが人口の半数を占め戦争はますます過去のものとなっていきます。
1971年昭和天皇は半世紀ぶりにヨーロッパを訪れる事になりました。
各国の王室と親交を深める事が目的でした。
象徴天皇となって初めての外国訪問。
ヨーロッパ各地で歓迎を受けました。
その一方で市民の複雑な感情にも触れる事になります。
激しい反発があったのがオランダでした。
イギリスオランダなどの連合国は太平洋戦争で多くの兵士や民間人が日本軍に捕らわれ命を落としていました。
日本の象徴に向けられた激しい感情。
戦争の記憶が薄れていた日本社会に衝撃を与えました。
昭和天皇は旅の間公式に過去の戦争について語る事のないまま帰国しました。
この旅行を顧みる時真に国際親善の実をあげ世界の平和に寄与するためにはなお一層の努力を要する事を痛感しました。
昭和天皇が70歳になったこの年に詠んだ歌です。
ヨーロッパ訪問から4年後。
昭和天皇はアメリカを訪れる事になりました。
戦後30年の節目にアメリカ政府から招待を受けたのです。
再び反発が起きるのではないか。
政府の中には懸念もありました。
「アメリカ人はパール・ハーバーを忘れていない。
陛下の戦争責任について種々議論を呼ぶことは確実とみられる」。
訪米に先立ち政府はアメリカのメディアに昭和天皇へのインタビューを許可します。
その時にはえ〜どうもえ〜相互の間に理解が十分…不十分な点があったように思われます。
今後はできるだけ話し合いによってえ〜両国の協力平和的な道に進みたいと私は思っております。
ホワイトハウスで開かれた晩さん会。
昭和天皇のスピーチに注目が集まりました。
私は多年貴国訪問を念願しておりました。
もしそのことが叶えられた時には次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。
私が深く悲しみとするあの不幸な戦争の直後貴国が我が国の再建のためにあたたかい行為と援助の手を差し伸べられたことに対し貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。
(拍手)当時外務省でこのスピーチ案の作成に携わった藤井宏昭さんです。
一つの何て言うか…・「ようこそいらっしゃいませ」・「どうぞお楽に」昭和天皇は2週間の旅で全米6都市を回ります。
歓迎を受ける様子は日本でも広く報道されました。
アジア諸国との関係も改善していきます。
戦後四半世紀を経てようやく国交を正常化した中国。
昭和天皇はその指導者と初めて面会を果たします。
更にかつて日本の植民地だった韓国の大統領とも初めて会談しました。
今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存した事はまことに遺憾であり再び繰り返されてはならないと思います。
改善しつつあった近隣諸国との関係。
その中に象徴としての昭和天皇の姿がありました。
戦後40年を迎えた1985年。
終戦の日に中曽根総理大臣が靖国神社を公式参拝します。
中国韓国などから上がった過去の戦争を正当化しアジアの人々を傷つけるものだとする批判。
靖国神社は明治天皇によって創建され国のために戦い亡くなった人たちを祭ってきました。
そこに敗戦後の東京裁判で裁かれたいわゆるA級戦犯14人が合祀されたのは1978年の事でした。
戦後度々靖国神社を参拝し戦没者を追悼してきた昭和天皇。
しかし合祀の3年前1975年を最後に参拝していませんでした。
後に昭和天皇が靖国神社について詠んだ歌があります。
「うれひ」とは何か。
その意味を知る人物を訪ねました。
おはようございます。
昭和天皇の歌の相談役を務めた岡野弘彦さんです。
歌を見せられた時侍従長からこう説明を受けたと言います。
戦没者を弔うため在任中一度だけ参拝する事にしていたという中曽根元総理大臣。
象徴である天皇が参拝できる環境作りを模索したと言います。
その後も昭和天皇が靖国神社を参拝する事はありませんでした。
昭和天皇が晩年まで足を運べずにいた場所がもう一つありました。
沖縄です。
戦争で家族を亡くした新垣雄久さんです。
本土復帰後沖縄県の職員となり後に副知事を務めた新垣さん。
昭和天皇の沖縄訪問を実現するために奔走しました。
本当の復帰は…新垣さんたちの尽力で1987年の国体が沖縄で開催される事が決定。
昭和天皇が開会式に出席する事になります。
期待が高まる一方で厳重な警備が敷かれ空気は張り詰めていきました。
ところが昭和天皇は開会式を前に体調を崩して入院。
沖縄訪問は中止となりました。
こっち側の…。
こちらが今の天皇陛下ですね。
これ私なんですよ。
急きょ皇太子が出席する事になり副知事だった新垣さんが案内役を務めました。
那覇市にある神社に昭和天皇が病床で詠んだ歌の石碑が建てられています。
「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」。
昭和天皇は静養していた那須からヘリコプターで東京に向かいました。
病気を押して全国戦没者追悼式に出席したのです。
先の大戦において戦陣に散り戦禍に斃れた数多くの人々やその遺族を思い今もなお胸が痛みます。
これが国民の前に見せた最後の姿でした。
昭和の終わりを私たち日本人はどう受け止めたんでしょうか?昭和史というのはですね人類史が体験したもの大体詰まってるんですね。
戦争とか戦争によって部分的に勝つとか負けるとかそれから占領を受ける。
あるいは日本が占領する時もあれば飢餓もあれば飽食もあるし。
テロもクーデターも…。
大体人類史が体験した社会的事象が詰まってるんですけども。
私個人は昭和天皇がお亡くなりになった時にですね率直に言って何かこうご苦労さまというような感想がやっぱり持ちましたね。
昭和天皇はねやはりとにかく前半生は間違いなく戦争の時代。
そして後半生は平和の時代。
戦争の時代には昭和天皇はこれで本当にいいのかと常に悩みながらその戦争を一緒に歩き後半の平和も座して待っていては駄目なんですね。
常にやっぱり昭和さんの象徴としての思いというものがあってそこの中で達成されてきたものであるという事を考えると常に昭和天皇っていうのは僕は闘う天皇だったと思いますね。
いろんな所で闘ってそしてその生涯を終えられたという感じがしますよね。
昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなった事はお二人はどのように受け止めていらっしゃいますでしょう?A級戦犯の合祀に起因するんだなと思います。
サンフランシスコ講和条約を受け入れる事で独立したという日本は国際社会に約束した訳ですね。
国際的な側から見れば。
その約束を守るという事はとりもなおさず靖国へは行けないと。
行ってはいけないんだと。
つまりその約束を反故する形になる訳ですから。
そうですね。
だけどそれはまたA級戦犯に対して何らかの感情や悼む気持ちが昭和天皇にないという話ではないんですね。
沖縄に対して訪ねて果たさん「つとめ」ありしをと晩年御製で語られています。
この「つとめ」とは何であったと思われますでしょうか?この「つとめ」を歴史的な清算あるいはいろんな意味があると思います。
この「つとめ」を果たせなかったというようなこの悔しさっていうこの歌を残してるというところに昭和天皇の本当の強い意志があってそれを平成の天皇は理解しているからこそ何としてでも受け継ごうとしてるんじゃないかと。
(御厨)まあ今日もいくつか紹介ありましたけども昭和天皇の御製。
つまり歌の中に悔しいという表現が結構あるんですね。
これはね相当激しい僕は感情の発露だと思うんですよ。
その悔しさっていうのはやっぱり国民のためにいろんな事をしてそしてあの戦争の清算もしたいんだけど結局その歩みがなかなか届かないという事に対するご自身に対するいらだちですね。
それをやっぱり歌に詠んで残しておられる。
象徴という事をずっと議論もありましたけども象徴になったからこそあの戦争を含めての過去の歴史を全部もう一度彼が背負わなくちゃいけなくなって象徴に対する意味込めが始まる訳ですね。
つまり象徴というのが当初曖昧で何かよう分からんと言ってたがゆえにそこにどんどん日本国が発展しあれしていく間にそこにどんどん記憶のそして戦争の意味とか何かを含めてあるいは国際化の意味も含めたいろいろな思いがそこに入っていく。
だからシンボル象徴ってやっぱり今になってみるとすごい言葉だったというふうに思いますね。
昭和が終わり平成の時代が幕を開けます。
同時に冷戦が終結。
世界は新たな秩序を求め混沌とした時代に入ります。
天皇陛下は55歳で即位されました。
皆さんと共に日本国憲法を守りこれに従って責務を果たす事を誓います。
即位直後から象徴としての模索が始まります。
新たな天皇の姿として多くの人の印象に残ったのが国民との距離の近さです。
被災者へのお見舞いでは膝をついてじっくりと話をされます。
昭和天皇の時代では考えられない事でした。
(拍手)更に国際親善においても重要な役割を果たされます。
即位以来アジアの国々を訪問。
1992年には初めての中国訪問が決まりました。
国交正常化20年の節目に招待を受けたのです。
(爆発音)危ない危ない危ない!しかし日本国内では訪中を決めた政府に対し抗議も起きました。
今回のご訪中は両国間がこれまで培ってまいりました親善関係を深めるために行われるものでありましていわゆる謝罪のためのご訪中ではございません。
こうした中天皇陛下は中国を訪問されました。
訪中の実現に尽力した元外務省の谷野作太郎さんです。
国内に残った谷野さんのもとには詳しい報告が届けられました。
このあと北京で開かれた晩さん会で天皇陛下は過去の戦争に触れられました。
両国の関係の永きにわたる歴史において我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。
これは私の深く悲しみとするところであります。
徐々に中国の市民にも変化が現れたといいます。
そういう事なんですね。
天皇陛下は昭和天皇が果たせなかった沖縄訪問も大切にされています。
去年夏沖縄を訪ねられた天皇皇后両陛下。
10回目の訪問となりました。
「ひめゆりの塔」で激しい怒りに接してから40年。
「この地に心を寄せ続けていく」。
自らの誓いを実践されています。
(天皇陛下)先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。
その人々の死を無にすることがないよう常により良い日本をつくる努力を続けることが残された私どもに課された義務であり後に来る時代への責任であると思います。
日本が世界の中で安定した平和で健全な国として近隣諸国はもとよりできるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう切に願っています。
天皇陛下の歴史に向き合われる姿をどうご覧になりますか?あの4つの日はご自身はご夫婦はずっと皇居にいて祈ってらっしゃる。
これは先ほど来出ている沖縄広島長崎そして終戦なんですが非戦闘員が大量に死んだ日です。
戦争という政策のために死んだ多くの庶民人々ですねその人への追悼哀悼の気持ちだと思います。
これは歴史的に見ればすごく大きな何て言うんですかね。
国民に向けてのメッセージだと思うんですよ。
今の陛下のご夫妻のやっぱりすごく大変だったろうけど立派だったなと思うのはその象徴の役割にある種のイデオロギー性とかある種の政治的な偏りとかそういうものを一切つけないで本当の意味でそこはかなり価値中立的にやれる事だけをきちんとやってこられた。
その点この象徴のある種の中立性っていうのはやっぱり今の陛下ご夫妻が作り上げたものだと思うんですね。
私たちのこれからにも象徴天皇の有り様というのは大きな意味合いを持ってくるという事になりますでしょうか?今の現在の天皇はですね過去現在未来とつなぐその連続性の中にですね歴史っていうものの自分を位置づけてると思うんです。
過去は全て美しい訳ではない。
しかし全部否定すべきものでもない。
要するにそれを乗り越えながら現在がある訳ですから。
更にこの現在の中から未来につながるものをどういうものをつなげていくかというのを試行錯誤といいますか考えているんだと思いますね。
やっぱり今の天皇の場合はまさに日本国憲法の申し子ですから最初から象徴な訳ですね。
そうするとねそれを考えざるをえない。
日本国っていうものをですねある意味歴史のつながりやいろんなつながりのですね接点にいるという事でそれをつなぎ止めてる。
そして更に未来に向かって進んでいくというその方向性を模索しているという。
それがやっぱりこの国の異様に不安な感じのところのこの国をですねどういうふうに見定めていくかっていう時のねやっぱり一つの方向性をある種それがそのオリエンテーションになっていくんじゃないでしょうかね。
2日間ありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/04/29(水) 00:10〜01:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 日本人と象徴天皇「第2回」[字][再]

日本は過去の戦争の記憶と向き合いながら、紛争が続く世界の中で、平和を願い続ける戦後を過ごしてきた。しかし、そこには数々の葛藤があり、それを乗り越える道程だった。

詳細情報
番組内容
日本は過去の戦争と向き合いながら、紛争が続く世界の中で、平和を願い続ける戦後を過ごしてきた。しかし、そこには数々の葛藤があり、それを乗り越える道のりであった。昭和28年の皇太子のエリザベス女王戴冠式出席に伴う外国訪問から世界に飛び出した皇室。その後の日本は、高度成長の時代を迎え、世界でも確固とした地歩を固めていく。しかし、70年代の昭和天皇訪欧や皇太子沖縄訪問で、戦争の傷跡にも触れることになる。
出演者
【キャスター】三宅民夫,首藤奈知子,【語り】守本奈実

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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