私には、ブスの気持ちがわからない。
胸元のマイクを直す音声担当の女を見下ろしながら、まなみは思った。この人だって、もっと顔がきれいだったら、こんな男みたいな裏方仕事、しないで済んだだろうに。男と張り合うよりも、
この女もどうせ、収録後に安酒場で仲間と好きなことを言っているに違いない。今年の新人アナは生意気だとか、あの子は最近いい気になっているとか。平凡な容姿に生まれた人は、どうして私たちを容姿がいいというだけで、高慢ちきな嫌な女だと決めつけるのだろう。
この顔は、私が選んだわけじゃない。足の速い子が練習してもっと速くなってメダルをとると賞賛されるのに、なんで顔のいい子が努力してもっと可愛くなって人前に出ると、調子に乗っているとかナルシストとか言われなくちゃならないのだろう。不細工に生まれたからって、容姿のいい人間のことをどう言ったって構わないっていう特権を手にしていると思わないで欲しい。
あんたがブスなのは、私のせいじゃない。
まなみの丸い乳房の間でピンと張った衣装の布地をつまみ上げながら、必死に安全ピンを留めようとしている女の頭からは、皮脂の臭いがした。姉と同じだ。あの人もいつもべたついた髪をいじった指で眼鏡を触るものだから、レンズが虹色に曇っていた。
「まなみちゃん、今日も頼むよ」
プロデューサーの酒井が声をかけた。また小花柄のシャツを着ている。今日のは白地に薄紫だ。先週まなみが褒めたから、きっとしばらくはいろんな小花柄を着て来るだろう。
「ヨシカツさん、いつもおしゃれですね」
ときどき通称で呼ぶのは、それがスタッフの習慣だからだ。特に親しみを感じているわけではない。妻がアイロンを当てたのだろう、安い綿生地が押し詰められて波打ち際のようになっているシャツの襟先を眺めながら、まなみはさも感心したように言って、
スタジオの入り口に司会の
「ああ、よろしく」
まなみを見ないで挨拶を返した沢登の今日の出で立ちは、仕立てのいい紺のジャケットに、地柄の織り出された高価そうな白シャツと渋い金色のネクタイ。胸元にはトレードマークのフクロウのブローチがつけられている。テレビ画面ではよくわからないが、ダイヤモンドを使った特注品だ。税金対策でスタイリストにした妻が、毎日コーディネートを決めている。
はじめはいかにも世間知らずの主婦という感じだった沢登の妻は、夫の番組が視聴率を上げるにつれて態度が横柄になり、セットや共演者の衣装にまで口を出すようになった。
「私は主人の総合プロデューサーなんですの」
成り上がった夫の威光ですっかりプロ気取りの妻に周囲はうんざりしていたが、まなみは気に入られていた。相手が一番言って欲しそうなことを言えば、人心掌握なんて簡単だ。
「どうしたらこんなに素敵なコーディネートができるのか、ぜひ私にも教えてください! 私はお洋服のこと、よくわからなくて……。それにしてもここだけのお話ですが、おしゃれのセンスにかけてはさすがの天才司会者・沢登よしあきさんも、奥様の足元にも及びませんね」
全国で人気ナンバーワンの局アナと言われる
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