(広瀬)こんばんは。時論公論です。ネパールで起きた大地震では、これまでに3800人の死亡が確認されました。現地では余震を恐れて多くの被災者が屋外に張ったテントの中で夜を過ごすなど、厳しい避難生活を強いられています。
地震はどのようにして起き、被害はなぜ拡大し、今、被災地では何が求められているのか。
今夜は予定を変更し、災害担当の二宮解説委員とともに見ていきます。
地震の発生からまる2日がたち、被災地では、崩れた建物のがれきを慎重に取り除き、生存者を捜索する作業が続けられています。倒壊した建物の下にまだ多くの人が閉じ込められています。犠牲者は今後さらに増える怖れがあります。
二宮さん。まず今回の地震、どんな地震だったといえるのでしょうか。特徴をまとめてください。
(二宮)この地震は、ヒマラヤ山脈のふもとでたびたび起きる規模の大きな地震が、都市化で人口増加を続ける首都カトマンズを直撃し、耐震性の低い建物が多いことが被害を拡大しました。
マグニチュードは7.8で、阪神・淡路大震災を起こした地震の5倍あまりの規模と見られます。
これは、世界の地震の震源を表した地図です。プレートと呼ばれる岩盤の境目で地震が多く起きます。日本付近は太平洋プレートやフィリピン海プレートが潜り込んでいて、真っ赤です。
ネパールも同じようにプレートの境目にあり、地震の多い国です。
ネパール周辺は、ユーラシア大陸が載った陸側のプレートに、南からインドの載ったプレートがぶつかっています。その力は、かつては海だったところが押し上げられて、エベレストなど8000メートル級の山々が連なるヒマラヤ山脈ができたほどです。
(広瀬)ネパール周辺では、過去にも繰り返し大きな地震が発生していますね。
(二宮)アメリカ地質調査所によりますと、1934年にインドとの国境に近いネパール東部でマグニチュード8.0の地震が起き、ネパールやインドで、およそ1万人が死亡しました。また、1988年にも、およそ1500人が死亡しました。
(広瀬)10年前の2005年には、同じヒマラヤ山系にあるパキスタン北部で、マグニチュード7.6の地震が起き、私も現地で取材をしたのですが、7万人以上が死亡しました。
今回と同じように犠牲者の多くは建物の下敷きになった人たちでした。住宅を一瞬にして倒壊させ、死者の数も膨大になる、地震の威力を、実感させられました。
今回の地震ではエベレスト周辺で地震による雪崩に巻き込まれた日本人男性1人を含む3800人以上の死亡が確認されています。周辺のインド、中国のチベット自治区、バングラデシュでも死者が出ています。
まだ被害の全容はわかっていませんが、これまでにわかっている被害の多くは、首都カトマンズに集中しています。大都市を直撃した地震でした。カトマンズでは大きな揺れの直後に各地で土埃が舞い上がりました。倒壊した建物の下敷きになって多くの人が犠牲になったのです。
カトマンズでの被害が拡大しているのはなぜなのか。
二宮さん、カトマンズの建物は地震に弱かったんですね?
(二宮)ネパールでは、レンガを積み上げただけの建物が多く、鉄骨や鉄筋を使った耐震性の高い建物は少ないのです。首都カトマンズでもレンガ造りの住宅などが多く、耐震性の低いこうした建物が倒壊しました。建物の構造からみて、震度5から6弱程度の揺れでも多くが倒壊したと見られています。
また、古い王宮や寺院、塔など、世界遺産にもなっている歴史的建造物も被害を受けています。こうした建造物も多くがレンガ造りです。
(広瀬)地震の規模や耐震構造のほかにも、被害を拡大した要因には、途上国の都市化という 問題もあります。首都のカトマンズは急速な人口の増加が続いていました。ネパール独自の事情として武装闘争を行う勢力の活動を恐れて山岳部から首都への人口の移動が進んだということもあります。
その首都に集中した人たちの住居となったのが、もろいレンガの建物でした。
ネパールは、アジアでも特に貧しい国として知られています。住民自身が住宅を作ることもあり、レンガづくりの建物は、狭い場所に次から次へと建てられ、耐震構造の弱い建物が密集する形になっていったのです。
そして、ネパールは長く続いた王政のあとの民主化の混乱の中にあります。防災は後回しにされ、危険な建物がそのまま放置されてきました。その結果、地震に弱い街が拡大していったのです。
今、首都カトマンズでは、住宅の外に避難した人たちが余震などをおそれて屋内に戻ることができず、公園や広場などにとどまっています。
二宮さん、これからは、生存者の救出を進めることと同時に生き残った人たちが安全に暮らせるようにする必要がありますね。
(二宮)現地では、建物の下敷きになった人たちの救助活動が難航しています。がれきを撤去する重機や、ジャッキなどの救助用の工具が足りず、多くが人の手に頼るしかありません。
こうした中で、日本がネパールのためにできる支援は数多くあります。
緊急に必要な支援ですが、まずは、倒壊した建物の下敷きになった人を探し、救助することです。
日本の国際緊急援助隊およそ70人は、26日夕方に出発しました。しかし、現地の空港の事情で、まだ到着できていません。
また、けが人の治療にあたる多くの医師や看護婦が必要です。医薬品も少なく、感染症が広がる心配もあります。
それに、食べ物や水、毛布などの生活物資が足りません。日本のように、まずは被災者は体育館に避難するということもできず、外で過ごす人も多い状況なので、赤ちゃんや子ども、お年寄りなど、災害弱者への支援は特に重要です。
私たち一人一人ができることは募金が中心ですが、赤十字などによる募金活動がすでに始まっています。
(広瀬)緊急の支援だけでなく、今回のような被害を減らすための息の長い長期的支援も必要ですね。
(二宮)東日本大震災など、多くの災害を経験し、乗り越えてきた日本の防災は世界トップレベルです。そうした技術やノウハウを、積極的に伝える必要があります。先月、仙台で開かれた国連防災世界会議でも、多くの発展途上国から日本に大きな期待が寄せられました。
安い材料で耐震性がある建物を建てる技術や仮設住宅の建設、それに、平常時から防災意識を高める避難訓練や防災教育など、ハードとソフト両面でもっと貢献すべきです。
緊急の救助や医療など、今すぐ、直接行うものだけでなく、復旧、復興まで、日本はあらゆる面で役に立てると思います。
日本以外では、今回近隣のインドと中国が素早い対応を見せていますが、これからはカトマンズ以外の山間部の被害の情報も入ってくるものと見られ、孤立した場所への支援や、より大規模な支援が必要となってきます。
ただ、ネパールはヒマラヤの中腹にあり、アクセスが悪く、国際的な支援を行うためには厳しい山国の環境を乗り越えていかなければなりません。
ネパールは、極めて親日的な国の1つです。東日本大震災の際にはネパール政府から支援物資が届き、ネパール人の有志によって日本の被災者の追悼集会も開かれました。
現地の厳しい環境の中で、同じ地震国として日本に何ができるのか。被害が日を追うごとに拡大し続ける中で、大規模な災害を経験してきた日本の役割が改めて問われていると思います。
(広瀬公巳 解説委員/二宮 徹 解説委員)