ただし、今のこの状況で日本の無責任や不義ばかりを責めたとしても、韓国の外交政策における読み違いと失敗の責任が軽くなるわけではない。米国務省のシャーマン次官が「北東アジアで政治指導者が過去の敵を非難し、安っぽい拍手を受けるのは難しいことではない」と発言したとき、その言葉をどのように解釈し、対応したのかについても振り返らなければならない。また、中国と日本が水面下で首脳会談の実現に向けて動いていたとき、韓国がその気配を察知することさえできなかったとすれば、その鈍感さのレベルも尋常ではない。「戦闘に敗れた指揮官を許すことはできても、警戒を怠った指揮官は許すことができない」という言葉は、軍隊だけで適用されるものではない。
対日外交を進めるに当たり、歴史問題・領土問題と安全保障・経済を分けて対応し、日本との接触を拒絶してはならないという忠告、あるいは助言が最近になって多くなった。米国で共和党・民主党の両政権で国防相を務めたロバート・ゲーツ氏は「ソ連を悪の帝国と呼んだレーガン政権も、ソ連との対話を完全に閉ざすことはしなかった。これはソ連が米国の思い通りに動いたからではなく、彼らの真の意図を探るためだった」と振り返っている。
鼻輪を付けられた牛も、手綱を緩めれば勝手に動き回る。韓国外交が気を緩めた後の日本の姿がまさにそうだ。日本国民に対するアンケート調査で、日本の歴史問題に対する反省や謝罪について、10年前には「不十分」とする回答が51%、「十分」は36%だったが、それが今は「不十分」24%、「十分」57%と大きく逆転した。安倍政権の動きばかりに注目し、その背後にいる日本国民の考えの変化にまで配慮が及んでいなかったというわけだ。
人間であれ国家であれ、ゆがんだ部分や考え方が自然に元に戻ることなどあり得ない。そのため、すでにゆがみ切った日本にもう一度言うことを聞かせるには、緩めた手綱をもう一度締め直さなければならない。今こそ日本との外交政策をしっかりと見直すべきだ。