罪悪感を確実に手放す方法 愛を選べば消えていく


「なんであんなことしてしまったんだろう・・・(-_-;)」
生きている上で罪悪感に苛まれた経験はありますか。
私にはあります。

他者をゆるすよりも自分自身をゆるすことが一番難しいのです。

しかし、その罪悪感がどんなに深く果てしないものに思えたとしても必ず光はあります。

道を選択し直せるための方法があります。

罪悪感とは

罪悪感(ざいあくかん)(guilt)とは、罪をおかした、悪いことをした、と思う気持ちのことである。
自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる気持ち・感情のことである。自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。(中略)

一般に罪悪感と言う場合は、道徳や宗教的な戒律にそむいた場合などに生まれる感情として位置付けられる。宗教的な戒律に反した場合、その結果とる行動には様々なものがあるが、例えばキリスト教などではひとつには懺悔(贖い)がある。
心理学において罪悪感は感情の一つとして扱われるが、不安・怒り・悲しみなどと異なり、困惑・プライド・恥などと共に自己意識感情に区分されている。

wikipediaより引用

 

罪悪感のメカニズム

 

心理学や宗教そして精神世界などで様々な解釈があり参考になる文献もありますが、ここではひとつの愛の観点で罪悪感とは何かを扱ってみたいと思います。

さて、人はなぜ罪悪感を感じるのでしょうか。

簡単に言うと、人は愛を選ばなかった瞬間を「後悔」や「罪悪感」として心に残します。

カルマと呼ばれるものと同じようなものですね。つまり心残りがあるから輪廻転生に繋がっていたわけです。

しっぺ返しや大切なものを失ったときにはじめてわかることもありますよね。
つまり誰かを傷つける時は、必ず自分自身の心を先に傷つけていることになります。

また、罪悪感を抱いている人は自分が苦しむ結果を無意識に望んでいます。

罪悪感を抱いている人ほど、人を非難したり攻撃をします。
自分自身にゆるせないことがあるから、他者をゆるさず憎むのです。

悪いことをし続けている人は罪悪感を感じていないように思えるかもしれませんが、実は自分自身の罪悪感を見たくないから、外部の似た者に投影して罪悪感から逃れようとしているメカニズムがそこにあるわけです。

<補足>投影の意味

心理学で言う投影(とうえい)とは、自己の悪い面を認めたくないとき、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きを言う。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。投影は日常生活においてよく起こっている。例えば、なんとなく嫌いだった人物が、実は自分の否定的な、認めたくない面を体現していたなどである。(中略)
ユング心理学では、元型の一つ影 (Schatten) とも関連し、否定するのではなくそれを自分の一面として認識し受容することで、もっと大きな「大いなる自己」・自己実現へと成長するきっかけとして活かすことができると言う。(引用再びwikipedia)

その上でもし罪悪感というものがこの世界に一切なかったとすればどうなるでしょうか。

命が本来の純粋無垢なものであったなら。

本来の世界の姿に戻れば誰も罪を犯さなくなります。
自分自身が愛であることに気付ければ、周りも愛にしか見えないからです。

この世界は自身の心の鏡なのです。

罪悪感のデメリット

罪悪感は自分の選択の過ちに気付くことには役立つかもしれません。

激しい後悔の中、「もうこんな体験はうんざりだ。明らかに私は選択を誤っていた。これからは正しい生き方をしよう」と思えるならまだ良いです。
しかし、自分自身を責め続け、一切動けなくなったり自ら命を断ってしまっては意味がありません。

過剰な罪悪感は自分自身を縛り続けるだけの人生の足かせとなります。

自分自身を必要以上に苦しめ、死ぬことは償いではありません。

愛ははじめからそのようなことは望んでいません。
そもそも本来の生命に罪という概念はありません。
生命そのものに罪があるのであれば、その創造者である神にも罪があることになってしまいます。

 

罪悪感はなぜ生まれた?

「本来の命に罪がないのであればどうして罪悪感があるの?(;´∀`)」

そう思うのはごもっともです。

ぶっちゃけ罪悪感とは人の一番最初の選択の誤りにより生まれた幻想です。です。
それゆえに人は「自分たちは非難され裁かれるべき存在だ」と勝手に思いこみ、神を恐れるようになりました。

自分で転がり落ちる選択をして不信に陥っておきながら「どうしてこんな目に合わせるのか」と恨むようにもなりました。

そこで人が素直に信頼し続けることができたなら結果はもっと違ったことでしょう。

つまり、罪という概念は人が創った何のメリットもない幻想なのです。(大切なことなので同じようなことを二回言いました)

罪悪感は人を縛りつけますが、愛にはそのような制限や束縛はありえません。

罪悪感は人を操りますが、愛は人を自由にします。

そのように愛と宇宙は本来人が幸せに満ち溢れることを望んでいます。

しかし現状がそうでなくなってしまったのは、愛ではなく幻想を選ぶ自由すら人には与えられていたからです。

ゲームに例えるなら一本道のみのストーリーではなく、主人公の複数の選択肢をも受け入れる度量と自由度がこの宇宙には予め含まれていたということです。

愛はとんでもなく広大で器がデカいのです。

罪悪感を消す方法

ではようやく、具体的な方法に移ります。

罪悪感を消すためのヒントはあなた自身である人の選択にあります。

自分自身を罪悪感から解放するためには、愛を選択し直すことです。

それが罪悪感に支配されない本来の流れを取り戻す確実な方法です。

かつて人はそれを求めて、何度も生まれ変わらなければならなかったのです。

しかし、今の人生でそれができるチャンスがあります。

愛を選び続ければ、人生に後悔や罪悪感という幻想は確実になくなります。
罪悪感が消えていくと人生はどう変わっていくでしょうか?

人は光であることを思い出し、自然と笑いがこぼれるようになります。

罪悪感なく、この世界が楽しく美しいものであると気付くことができます。

とてつもなく自由で生きているだけで幸せでたまらなくなります。

人は自分自身をゆるすことが難しいと冒頭で言いました。

だから他者をゆるすことで自分自身をゆるすことを伝えてきた過去の聖人もいました。

しかし、本来の世界はゆるしすら必要なくなります。

なぜならはじめから非難するべきものがないからです。(本当に悟った者はそれがわかった上で暗闇の時代に一筋の光を伝えてくれていたのだと思い敬意を表します)

暗闇の中を一筋の光を求めてもがき苦しむ時代は終わりました。

これからは光が降り注ぐ時代です。できればあなたもそこに加わっていただきたい(本音)

穏やかに本来の流れを取り戻したい方はこちらの記事もどうぞ。

おすすめ記事「 大いなる世界の実現

動画も見ていただければ理解もより深まると思います(*’▽’)


ミラクル について

世界をひとつにするため 真実の「愛」を表現するため 【SP世界をひとつに】プロデュースの元、 【夢 ひとつ】という漫画を描いています。

罪悪感を確実に手放す方法 愛を選べば消えていく」への1件のフィードバック

  1. 格調高すぎてまぶしいです。

    そういえば、人は罪を与えようとしたり、投影したりしますね。
    それを正義と呼んだりして。
    幸せになってもいいのかな(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>