誰かのために表現したり
(たとえば、歌ったり作ったり書いたり描いたり笑ったり泣いたり)
別に吉井さんのTALIを真似しているわけではないですが。
誰かのためにと言えば格好はつくが、実は全部それは排出行為みたいなもので
内側の底の底あたりに溜まったものを
形に出していく行為を、表現というのかもしれないし
それは、努力という形ではなく単にいっぱいになった時点で湧き出すものみたいな気がする。
私(ぼく)が歌ったり作ったり弾いたりするのは
なんでだろうな、とずっと考えていた。
ニコで歌ったり、それも過疎地区で誰もいないのにPCに向かってぶつぶつ独りで歌っている姿は自分ではっと気づいて「なんかこれおかしいんじゃないか」と思ったりもする。
だが
実際に
ものを作ったりこうやって表現したりすること自体「孤独な作業」であるわけで孤独だからこそ生まれるものだとも思う。
画面の向こうにはリスナーさんがいてもしかして聞いてくれているかもしれない、「かも」。
これは自分にとってのプラスなエールになる。
たった一人で生み出していると思い込んでいるだけで
自分ひとりではやっぱりなんにもできなくて
そこには誰かしらがいてくれて今のぼくがいるのかもしれないと思う。
とかなんとか書きながら
人間関係を築くのは相変わらず下手だし、自分もうだめぽとおもった時点でコミュ爆破してしまう。何十回やらかしたことやら。この7年で。・・・遠い目。なので相変わらず過疎です。
ずっと
何のために歌ってるんやろ、と考えていた。
今でも時々考える。
ただ、1日が終わって、自分ってものを取り戻した時間に歌いたくなる。
画面の向こう側に問いかけたくなる。
「もしかしてぼくはひとりじゃないかもしれないよね」なんてね。
相変わらず、厨二的文章しか書けないが
男でも女でも大人でも子供でもない、ぼくがここにいる。
それがニコニコ生放送の醍醐味であって
「もうお前、男でも女でも大人でもガキでもなんでもいいからとにかく放送してくれよ」って言われた時が一番嬉しい。
自分の中にいる無数の自分を、ここで見せられるのはありがたいことだな。
「変声期が来なかった残念な男子」としてこれからもよろしくかまってやってください。
てか
このブログを開設しようなんざ思ったのも、
ナニガきっかけだったのかしらんが、「そこにボタンがあったから」ただそれだけ。
ぼくがもし消えても、この文章は残る「かも」しれないし
必要なければデリートだ。
表現したもの、たちは
可能性の種だ。
ぼくがいつか辿り着くであろう場所への可能性。
そこはどこか自分では知っていながら知らんふりしていようとする。
まだ知らんふりしていたい気がする。
むかし、仲のいい友達が言った。
「必要なものだけが残る。あとは全部 要らないんだ」
ぼくの表現したいものは、果たして必要なものだろうか。
こたえは全部
今、ここにある。
(たとえば、歌ったり作ったり書いたり描いたり笑ったり泣いたり)
別に吉井さんのTALIを真似しているわけではないですが。
誰かのためにと言えば格好はつくが、実は全部それは排出行為みたいなもので
内側の底の底あたりに溜まったものを
形に出していく行為を、表現というのかもしれないし
それは、努力という形ではなく単にいっぱいになった時点で湧き出すものみたいな気がする。
私(ぼく)が歌ったり作ったり弾いたりするのは
なんでだろうな、とずっと考えていた。
ニコで歌ったり、それも過疎地区で誰もいないのにPCに向かってぶつぶつ独りで歌っている姿は自分ではっと気づいて「なんかこれおかしいんじゃないか」と思ったりもする。
だが
実際に
ものを作ったりこうやって表現したりすること自体「孤独な作業」であるわけで孤独だからこそ生まれるものだとも思う。
画面の向こうにはリスナーさんがいてもしかして聞いてくれているかもしれない、「かも」。
これは自分にとってのプラスなエールになる。
たった一人で生み出していると思い込んでいるだけで
自分ひとりではやっぱりなんにもできなくて
そこには誰かしらがいてくれて今のぼくがいるのかもしれないと思う。
とかなんとか書きながら
人間関係を築くのは相変わらず下手だし、自分もうだめぽとおもった時点でコミュ爆破してしまう。何十回やらかしたことやら。この7年で。・・・遠い目。なので相変わらず過疎です。
ずっと
何のために歌ってるんやろ、と考えていた。
今でも時々考える。
ただ、1日が終わって、自分ってものを取り戻した時間に歌いたくなる。
画面の向こう側に問いかけたくなる。
「もしかしてぼくはひとりじゃないかもしれないよね」なんてね。
相変わらず、厨二的文章しか書けないが
男でも女でも大人でも子供でもない、ぼくがここにいる。
それがニコニコ生放送の醍醐味であって
「もうお前、男でも女でも大人でもガキでもなんでもいいからとにかく放送してくれよ」って言われた時が一番嬉しい。
自分の中にいる無数の自分を、ここで見せられるのはありがたいことだな。
「変声期が来なかった残念な男子」としてこれからもよろしくかまってやってください。
てか
このブログを開設しようなんざ思ったのも、
ナニガきっかけだったのかしらんが、「そこにボタンがあったから」ただそれだけ。
ぼくがもし消えても、この文章は残る「かも」しれないし
必要なければデリートだ。
表現したもの、たちは
可能性の種だ。
ぼくがいつか辿り着くであろう場所への可能性。
そこはどこか自分では知っていながら知らんふりしていようとする。
まだ知らんふりしていたい気がする。
むかし、仲のいい友達が言った。
「必要なものだけが残る。あとは全部 要らないんだ」
ぼくの表現したいものは、果たして必要なものだろうか。
こたえは全部
今、ここにある。
広告