いつも僕は恋するんだろう ~KinKi Kidsを応援するおのぼりさんのblog~

宮城生まれの宮城育ち。故郷への想いはありつつも東京でやりたいようにのんびり暮らしてます。
KinKi Kidsにどハマり中。
周りを気にし過ぎず生きていこうと最近人生の軌道修正中。


テーマ:
光一くんのソロコンツアーが発表になりましたねー!
実は私、一度も光一くんのソロコン行けたことがありません・・・
(剛くんソロはご縁をいただき何度か行けました)
なので、倍率すごいとは思いますが、絶対一度でいいからあの空気を体感してみたいと願っています。
あー楽しみだなあー!(まずはチケットを当てなきゃない・・・)


がしかし、ネットを見ているとかなりの不穏な空気。
正直悲しかったです。
光一くん(剛くんもですが)は事務所に雇われている身ですし、
KinKi Kidsは光一くんと剛くんの二人だけでなく、様々な方が絡むこと。
自分の事務所じゃないのだから、ある程度の希望は通せたとしても、二人の一存で最終的に決めることはできないでしょう。
そもそもコンサートの会場を押さえたり、仕事を取ってくるのは営業・マネさんの仕事なのだから、頑張ってる二人が責められるのはなあと思ったり、兎に角モヤモヤしてました。
が、どうもこのままだと上手く説明ができないので、たとえ話から。


私には子供がいません。
ここ数年子供が欲しくて色々治療をしております(年初の記事参照)。
しかし原因があるからできません。正直辛いです。
実親は理不尽な文句ばかり言ってきます(金は一円も出さない)
義両親からは腫れ物に触るような扱いをされました(嫌味も昔は相当言われた)
子供が欲しい、子供が欲しい子供が欲しい子供が欲しい子供が子供が
朝起きてから夜寝るまでその考えに支配されるようになりました。
当然睡眠も浅くなります。寝ているのに起きているかのような感覚。疲れは取れません。
気付かないうちに勝手に涙が流れている時間が増えました。
ご飯を食べても味がしない。胃が痛い。頭が痛い。
気分転換に外出をすると、そこかしこには楽しそうな親子連れ。羨ましくて帰ってから号泣。
正直自分の頭がパンク寸前、限界でした。

子供が欲しい、子供が欲しい、子供が欲しい、
子供が欲しい、子供が欲しい、子供さえ居たら・・・
その考えに至ったある瞬間、
私は自分がおかしいということに気づきました。


「子供が居たら」どうなんだ、と。
その後に続く言葉は、何なのだ?と。


「子供が居たら」我が家は幸せになる のか?
「子供が居たら」義両親は喜んでくれる、親孝行になる のか?
「子供が居たら」夫は幸せになる のか?
「子供が居たら」私のこの苦しみはなくなる のか?

違うだろう、それは違う。
子供が私を満たしてくれるのではない。
子供が居たら幸せだけど、子供が居ないから不幸になるのではない。
要するに、子供が居ないという事実ではなく、私のこの考えそのものが今の不幸せな状態を呼び寄せているのだ、と。
どこかに日々の不満を【子供がいないせいにして自分の問題から目を逸らしている】自分がいるのではないか と、気付いたのです。


そんな風に
「子供が居たら幸せ」

「子供が居さえすれば幸せになるはず」
になってしまった時点で、おかしな方向に行ってしまっていたことに、私は気付いていなかった。
だから被害妄想ばかりが強くなってき、周りが見えなくなっていた。
そもそも「子供が居たら幸せ」という思考の時点でおかしいのですよね。
子供の居る生活は確かに幸せに満ちたものかもしれないが、
決して【子供は幸せになるための道具】ではない。
つまり私は『自分の今の生活における不満を、子供がいないことのせいにしているから苦しくなっている』だけでした。

この考えでいる以上は、私は絶対に幸せな気持ちになることはない、苦しいままです。
万が一何らかの形で子供を持てたとて、今の考えのままなら、きっとまた新たに不満が出てくるでしょう。
うちの子が苛められるなんてあるわけがない!どうしたらいいの?
うちの子がお友達ができないみたい、何故こうなるの?
うちの子がおかしいみたい、何故普通の女の子みたいにしてくれないの?
何故うちの子がこんな変な病気になるの?
何故うちの子は言ったとおりにしてくれないの?もう子供なんて嫌だ!

きっと次から次へと問題なんて山ほど出てくる。
でももしかしたら奇跡的に何も不満が出てこないかもしれない、それはわからない。
ただ確実に言えることは、何か不満がある時に「人のせいにだけする人」は、何か一つ問題が解決されてもずっとぶーぶー文句を言う人生なのだろうなと。

ちなみに上記の事は私が幼少期から今までに母親から言われたことの一部です。
『子供が居たら幸せよ!早く産みなさい!』『孫が居なかったら私の老後の楽しみはどうなるの?』と現在何度も私に言ってくる母親は、自分が子育ての最中は不満ばかり言っていました。
嫌だ嫌だと言いながら、何も改善しようとせず、放っておくか私を含めた周囲の人に押し付けるか。
自分が今楽しくないのは、孫が居ないからだと責任転嫁している。
今ならわかります。自分が楽しくないのは自分のせいです。
そしてきっとこれからも彼女は不満を言い続けて生きていくのでしょう。根本が変わっていないから。

ここまで書いて何となく、過激な悪口を常に言い続けるアンチの方々や、KinKiファンでも過激な悪口を繰り返している方々の言葉を見ていると、うちの母親と似たような感じの考えをする方なのかもな、と思いました。何となく言い回しが似てるので。
自分に折角与えられている筈の幸せに気付かず、不満ばかり言う。
少し視点を変えたらずっと生き易くなるだろうに、幸せな気持ちになるだろうに、自分の思い通りにならないことだけを主張して騒いでばかり。
人間平等じゃないのだから、全て自分の思い通りに行くわけないのに。願いが常に叶うわけじゃないのに。
人の意見には全く耳を貸さない。都合が悪くなるとわめくか泣くか。
文句を言い続けていれば誰かが何とかしてくれると思ってる。自分では何もしない。
そんなに嫌なら止めればいいのに逃げればいいのに止めない、動かない。そのせいで余計に不満が溜まるから更に文句ばかり。
口癖は「私は悪くない!」「何で私ばかりこんな目に遭うの?」「私は頑張ってるのに!」「あんたのために言ってるのよ!」
うん、貴女が正しいかどうかはどうでもいいし、貴女だけが辛い想いをしてるわけじゃないし、貴女が頑張ってるのはわかるけど、だからって悪口を垂れ流していいわけじゃないよね。

そして、あんたのためとか、そういう詭弁はいらないよ、と思います。
正直に「気に食わないから言うこときけ」と言ってくれた方がマシだなと。
敬愛する大島弓子先生の話の中にこういった台詞があります。
『あんたのために ということばは いついかなる時も美しくない』
あんたのために という感情は、悪ではない。
でも、その言い回しは潔くないよね。美しくないよね。
だから「光一くんのために」「剛くんのために」と声高に叫ぶ人を見ると、美しくないなあと思います。
「自分が気に食わないから」「自分の思い通りにさせたいから」と言ってる人の方が、まだ納得できます。
「誰かのために」なんて耳障りのいい言葉で言い訳する人は、光一くんのよく言う「ブス」に見えますね。個人的には。

話を戻します。
何度も言い方を変えて母に伝えたけれど、わかってもらえるどころか逆切れして騒ぐだけ。
彼女は悪い人じゃないのです。愛情もある人です。ただ全て誰かのせいにしてるだけ。みっともないだけ。
きっと考えが変わらない以上、死ぬまで文句ばかりを言い続けて、不満を垂れ流して、上手くいかないことは全て人のせいにして、自分は不幸だ不幸だと言いながら生きていくのだろうなと。
視点を変えて別方向で幸せを求めればいいのに、しない。
その生き方が正しいのか間違ってるのか、それを判断するのは私ではないし、他人のことだから直してくださいなんて言う権利はないけれど。
やはりそんな人には側に居て欲しいとは思えないし、周囲の人を不快にさせる。何よりその姿は見てて醜いし、一般的にその行動は周囲に害を呼ぶ気がします。
母のことは大好きだし、感謝しているしそれを返したいし、全く恨んではいない。
ただただ、可哀相な人だなとだけ思います。
今からでも遅くないから、考えを変えたら楽に生きられるのになとだけ、思います。
悪口ばかり言い続ける人にも、そっくりそのまま同じように思うのです。


子供が居たら幸せ ではない。
親は子供と共に幸せを作っていくのだ。
きっと母はもしも私に子ができ、孫を抱けたとしても、それだけでは幸せにならないだろうと思います。
気付いていないからです。
自分が今不満でいっぱいなのは孫が居ないせいではなく、自分が引き起こしていることなのだと。
○○さえ出来たら私は幸せ
そんな魔法みたいなものは、人生においてなかなかないものだなと。
悪口ばかり言ってる人も、母も、気付かない限りずっと文句ばかりを周囲に垂れ流していくだけで決して満たされることはないのでしょう。
そもそも、子供は「授かりもの」と言われるだけあって、どれだけ頑張ってもできないものはできない。
自分の一存で動かせないものにずっとぐちぐち言ってても意味がないことなのですよね。
自分の一存でどうにもできないことに振り回されるのは苦しくなるだけだと思います。
苦しいなら、視点を変えてみたらいいのです。もしかしたら楽になるかもしれない。

というわけで私は、自分の努力でどうにもならないことに悩まされ続けるのは嫌だ、と
最近、子供のことで悩むのをすぱーっと止めました。
でも、治療を止めたわけでも子供を諦めたわけでもありません。
治療も続けます。養子縁組が結べるように準備を続けていきます。
決して、出来る努力をやめたわけではありません。
でも、悩んでも仕方ないことだと気付いたから、
私の努力でどうにもならないことに悩まされるのはやめることにしました。
他の誰のためでもない、いつか会えるかもしれない子供のために、私はマシな大人になりたい。
そのせいか大分心が落ち着きました。これからどうなるかわかりませんが、良い方向に変わっていくことを信じて、頑張ろうと思ってます。

上記の「子供」を「KinKi Kids・光一くん・剛くん」に置き換えても同じかなと。
問題の性質は違えど、根っこは一緒。
「不満を何かのせいにしている人は、いつまでたっても満足することはない」なーと。
頭ではわかってても、実感した出来事でした。


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そしてきっとこれこそが、剛くんが昨年辺りからよく言い出した
『僕に依存し過ぎないでくださいね』
という言葉に隠された意味の一つなのかもな、と思います。

剛くんの曲を心の支えにするのは素敵なことだと思う。
剛くんの言葉に縋りたくなる気持ちもわかる。
でも、剛くんは剛くんであり、私とは別個の人間で。
剛くんに自分の幸せや人生の道筋を決めてもらえるわけではないから。
逆に、自分が剛くんの行動をどうこうすることもできないから。
自分の幸せを剛くんだけに委ねてしまうのは危険だと思います。

「何で剛くん○○してくれないの!」って思い始めてしまった時点で、残念ながらそれは依存なんですよね。
「○○してくれたら嬉しいな」と願うことと、
「なんで○○してくれないの?」とやきもきすることとには大きな差がある。
剛くんのおかげで幸せな気持ちになれることはあっても、剛くんが私達を幸せにしてくれるわけではない。
剛くんは神様じゃない。万能でもない。便利な道具でもない。
一人の人間である。彼自身の意志を持った、一人の人間。
剛くんには私達を幸せにしてくれる義務も何もないから。
剛くんをいい意味で上手く「利用」して、私達は自分の力で幸せになっていくしかないのだ、と思います。
自分の意志与り知らぬ所で決められることにやきもきしても、どうにもならない。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、
「剛くんに○○して欲しいな、してくれたら嬉しいな」と願って行動に移すことそのものはとても素敵なこと・尊いことなのだという事実です。
要望を出したり、ファンレターを書いたり、ラジオにお便りを送ったり、偉い人になって直接お話し出来る立場になれるように頑張ったり・・・
素晴らしいことだと思う。実際に大好きな人の励みになっていると思う。

私の不妊・子供が欲しいという上記の問題と一緒です。
なんとか子供が欲しいと、不妊治療に通ったり、結果が出ないなら他の信頼できる病院を自分の足で探したり、方向を変えて養子縁組について調べたり説明会に参加したり、そういった努力をすることそのものは大事なことだと自分でも思っています(実際にしてるわけだし)。

でも、そこで、「何で私には子供ができないの!子供ができなきゃ私は幸せになれないのに!何で他の人には出来てるのに私にはできないの!」と思ってしまうとしたら、それは違うよなあと思うんですよね。
努力することそのものは とても尊いものだけど、
その努力が実らないからといって、自分は不幸だと嘆いたり、思い通りにならない世の中を・思い通りにできない相手を恨んだり、実際に八つ当たりしたり攻撃したり引きこもったり人生そのものに絶望してしまったりすることって、
良くない意味での【依存】だと思います。


子供が欲しいからこそ/剛くんが大好きだからこそ、
子供/剛くんのせいにしてはいけないんですよ。
基準はあくまで自分。
大事にしなければならないのは自分の人生なんです。

子供を授かることも、剛くんの芸能活動も、私には決定権がない。
そんなことに振り回されていたら、自分の人生ではなくなってしまう。
敢えて言います「そんなこと」だと。
光一くんも剛くんも、自分の人生の責任なんてとってくれない。
ただの他人です。大好きで尊敬できるだけのただの他人。
もっと言えば、親だって夫だって他人です。人のせいにしちゃいけない。
私が不幸なのは私のせいです。
自分で決められないことにいつまでもしばられているせいです。


まあ上記説明は、勿論「剛くん」の部分を「光一くん」に変えようが「彼氏」に変えようが何だろうが、根本は一緒です。
昨年たまたま私が生で剛くんの「僕に依存し過ぎないでくださいね」という言葉を聞けたので、彼を単語例に取らせていただきました。
勿論、剛くんご本人にはもっと素晴らしい意図があったのかもしれませんが、私はこのように捉えております。


ちなみに【依存する】ということは犯罪でも何でもありません。
否定されることでもないです。依存したい人はし続けていいと思います。
ただ、それが、残念ながらあまり品がよくないということと、好きな人の重荷になってしまうかもしれないということだけは頭に入れておきたいなと。
好きな人の幸せを願うなら、どうするのがいいだろう。
その答えは人それぞれだと思います。

私は光一くんが大好きだから、彼に何も心配事とか抱えて欲しくないし、のびのびと仕事をして欲しいから、ただ応援することしかできない。ただ楽しむしかしたくない。
依存しないように気をつけようとするのではなく、自分の人生を楽しむことを考えていたら、結果的に自然と誰にも依存しなくて済むようになるのだろうなと思うのです。



結構荒れそうな内容を書いてしまったという自覚はあります。
どれだけの方が見てくださるかわかりませんが、反論も恐らくあるのだろうなと思ってます。
寧ろ、そうやって気付きなり反論なり、何かを投げかけられるのであればこんなに嬉しいことはありません。
何も変わらないかもしれない。それは私にどうにもできないことだから。
だから、ただ書いてみました。
偉そうに言いながら、私もまだその道の途中です。強く優しく生きていきたいものです。
お粗末様でした。
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