シニア・インダストリー・アナリスト 城 浩明
Ⅰ ピケティ氏の『21世紀の資本』がブーム
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』(みすず書房)が話題になっています。2013年の原著の出版以来、多くの言語に翻訳され、全世界での発行部数は100万部を超え、昨年12月に発売された日本語版も、約1カ月で13万部に迫るとされています。また、著者の1月末の来日に合わせて各種のメディアが取り上げ、経済誌が特集を組むなどブームになりました。
ピケティ氏らによる研究の功績は、フランスを中心に主要国の税務データを過去200年超にわたって集積し、資本と所得の推移を実証的に分析したことです。
データの分析から、資本収益率(r)と成長率(g)の関係が、第二次世界大戦後の一時期を除いて、歴史的にr>gとなっていることを示しています。加えて「資本収益率が経済の成長率を大幅に上回ると、論理的に言って相続財産は産出や所得より急速に増える」とし、資本蓄積による格差の拡大のリスクを指摘しました。それに対する処方箋として「資本に対する世界的な累進課税」などにより、人為的にrの水準を引き下げることを提案しています。
読後感としては、本書は欧州の事例を中心とした冷静かつ緻密な実証分析であり、経済書であると同時に歴史書のような印象すらあります。
Ⅱ 証券アナリスト的なr>gの解釈
本書を読む前は、「不等式r>g」は「当たり前のことなのに今更なんだろう」という認識でした。なぜならば、企業価値を分析する際の割引現在価値を求める計算式で、期待収益率(r)はキャッシュ・フローの成長率(g)より大きくなければ、その投資価値を計算できないからです。定率成長モデルを想定する場合、キャッシュ・フローの現在価値は次のようになります。
また、この一期目のキャッシュ・フローを配当と考えれば、成長率を一定と置いた場合の配当割引モデルの株式価値を算出する式となります。
さらに、両辺を利益で除すと、理論的に株価収益率を説明する式に変形することができます。
従って個人的にはr>gであることが実証されたことで、割引現在価値を求める計算式の分母が正であることが実証され、むしろ居心地が良いという思いです。
さて、同書で氏は「資本主義の第一法則」および「資本主義の第二法則」として、次の式を示しています。
資本の第一法則は、いわば定義式のようなもので、資本に資本収益率を乗じて、所得で割っている恒等式です。また、第二法則は、資本の増分の所得に対する比率である貯蓄率と、所得の増分の所得に対する比率である成長率は、長期的に資本と所得の比率に収束することを示しています。
この二式は以下のようにまとめることができます。
ここで、分子の(a-s)に注目すると
このβの式の分子(a-s)は、企業における外部流出としての配当性向と同じように考えれば、前述した株価収益率の式と同じ形になり、βは株価評価における株価収益率と同じように解釈することができるのではないか、というのが筆者の視点です。
Ⅲ 株価を意識した経営
さて、企業経営者あるいは株式投資家にとって、株式価値の式は示唆に富む式といえます。理論的には初年度のキャッシュ・フローと期待収益率(r)、成長率(g)の関数になっているのです。株式価値を高めるためには、分子であるキャッシュ・フローを高めるか、分母である(r-g)を小さくする必要があります。分子のキャッシュ・フローを増やすことは言わずもがなとすれば、分母の(r-g)はどのように考えればよいのでしょうか。
企業価値分析では期待収益率(r)は、「必要収益率」あるいは「資本コスト」とも呼ばれ、現在価値を求める際の割引率にもなります。株式の資本コストは、市場によって決定されるため、通常は資本資産評価モデル(CAPM)に基づいて算出されます。具体的には、国債の利回りなどのリスクフリーレートと、株式市場への変動性(通常ベータ値と呼ばれる)を加味したリスクプレミアムの和になります。
さらに、企業の資本調達は負債と株式の両方であるため、それぞれの資本コストとを平均した、加重平均資本コストを割引率として用いることになります。
また、成長率(g)は、通常は内部成長率として、
を用います。利益のうち再投資される部分に株主資本利益率(ROE)を乗じたものです。
従って、株価を意識した経営がROE重視とされるのは、ROEを大きくすることで、分子のキャッシュ・フローを大きくすると同時に、成長率(g)を大きくして分母の(r-g)を小さくし、企業価値を高めることと理解してもよいかもしれません。
Ⅳ 3月期決算の発表が本格化
4月の最終週からゴールデンウイークを挟んで3月期末企業の決算発表が本格化しています。従前の企業収益の着地見込みは、金融を除く上場企業1,520社の15年3月期決算合計で、売上高3.6%増収、経常利益2.6%増益の見通し※となっています。
為替変動の影響が素材産業や流通産業では、業績にマイナスのインパクトを与える一方で、海外展開が進んでいる電機や自動車産業はプラスになるなど、単純に円安メリットを享受するだけの状況ではなくなっています。続々と発表される決算実績がどうなるのか、注視していく必要があるでしょう。
また各社が発表する16年3月期決算の見通しにも注目が集まります。昨年8月以降の円安が定着し、年後半の為替メリットによる業績押し上げ効果が一巡する一方で、昨年4月の消費税増税による駆け込み需要とその反動減の影響もなくなります。特殊要因が解消した状態でどのぐらいの増益が可能なのか、日本企業の真の成長力を図る絶好の機会となるはずです。
企業価値の極大化には成長率(g)の拡大は必要不可欠であり、収益の拡大による健全な株式市場の活性化は、経済全体にも好循環を生むと期待されているのです。
- ※「日本経済新聞」15年2月17日