「批判をするなら代案を出せ」は面倒な人への対処ツールにすぎないのでルールのように扱わないほうがいい
「批判をするなら代案を出せ」的なことをいう人がいます。
これはたぶん、何かと批判をする人に対して「じゃあお前はもっといい案あるのかよ」ということだと思うので、気持ちはわかります。要は「いろいろ考えたけど、これがベター。」というのがビジネス上では多いにもかかわらず「ベストじゃない」というので批判する人への返答にすぎません。
まあ、要は、決まり文句みたいなもんで、面倒な批判されたときに、これをいっておけば片付くという、便利ワードだと思います。
これは、批判をされたくない場合や、相手にしたくない批判をされたときに、とりあえず逃げるための答えなんですが、これをスタートアップの現場で使う人とかもいるのですね。つまりは、「面倒な人への適当な返し」にすぎない言葉なのに、まるで守るべきルールのように振りかざす人もいたりするのです。
たとえば、何かを批判するメディアとかに「批判するなら代案を出せ!」とかコメントしちゃう人とかですね。批判する記事のたびにわざわざ代案を出していたら、読みづらいでしょう、と思っちゃう。
んで、本題なんですが、「批判をするなら代案を出せ」をスタートアップ状態の企業内でやっちゃうと、あまりメリットないかなあ、と最近思っています。
別に批判だけでもいいんじゃね
スタートアップの場では、「サービスをよくして、ユーザーに支持されて、そこからお金を稼いでいく」というビジネスの当たり前を意外とできなかったりするのです。
要は、はじめて作るケースが多いので、「どう考えてもダメだよねそれ」というものすらやっちゃうケースがあるのですね。大企業だと、お金をもらうまでの経験が多いので、それを守っていれば、そんなにずれないんですが、スタートアップだと、とんでもない間違いを犯したりしがちです。
極論、スタートアップを立ち上げて、100万かかるものを0円で配るとかまでできちゃうのがスタートアップです。そのままお金が尽きるまでやったら当然倒産するわけですが、そういう間違いすらできてしまいます。
で、そんなものはですね「いや、ダメでしょそれ」ですましたほうがよかったりするんですね。議論は、ある程度の範囲が決まっている場合はしたほうがいいんですが、そうでない場合、無駄なものも多いです。
先ほどの例だと
「この100万円のダイヤを0円で配るんだ。お客が殺到するぞ」
「いや、それだと損するだけでしょう。やめたほうがいい。」
「何を!お客が100人集まれば、きっと何かのビジネスになるはずだ!もっといい案があるというのか!」
「100万円のダイヤを100万で売って、集めた名簿を他のビジネスに使うとか・・・?」
「100万円払うお客を連れてくるなんて手間がかかりすぎるだろ!0円だからいいんだ!」
みたいなやりとりをするとしたら、不毛すぎるでしょう。ダメなものはダメといって、さっさと次のプランを考えたほうがいいケースが、スタートアップだとすごく多くある気がするんですよね。
スタートアップで一番重要なリソースは時間なわけで、時間を消費するようなことは避けるほうが合理的だと思うのですが、批判されたくない人が、いちいち代案を相手に求めてたらもったいなすぎるかなあ、と。
もちろん、とりあえず批判しちゃう性格の人とか、批判が趣味な人、仕事したくないからあらゆるアイデアをとりあえず否定しておく人とかもいるので、そういう人への対処法として「代案を出してね」というのはいいと思うんですが、スタートアップ企業での場合、その人達は無視しちゃうほうが楽だとは思います。
まあ、最初にも書いた通り、面倒な人の、面倒な批判への、簡単な対処法にすぎないので、ツールにすぎない言葉だよねえ、、、と思っているこの頃です。