「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著
お吸い物、麺類のスープの調味料として出汁をとったり、料理に混ぜたり、サラダなどのトッピングにしたりと、現代日本の食生活に欠かせないかつお節だが、この誕生から一般化の過程は、日本、沖縄、そしてインドネシアやミクロネシア連邦に至る広大なかつお節ネットワークの形成を特徴としている。
現在のかつお節の原型が誕生した江戸時代中期から現在までの三百年、日本から東南アジア諸地域までの四千キロに及ぶかつお節ネットワークはどのようにして形作られてきたのか、かつお節生産に携わった様々な人びとのオーラルヒストリーを丁寧に集めつつ、その緩やかなグローバル化の過程を鮮やかに描いた一冊である。新書ながらなかなか読み応えあって面白かった。
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干物や燻製などのかつお節の原型はかなり古くから存在していたが、現在のようなかつお節が生まれたのは江戸時代中期、十七世紀末の土佐だったと言われている。土佐から紀州へと製造法が伝わり、大坂、京都、江戸がその消費地として登場する。江戸期から昭和初期までかつお節は概ね富裕層の贈答品としての用途が主で、明治時代以降は保存食向きの特徴から陸海軍の携行食として重宝されるようになり、需要が拡大していくことになる。
軍需物資としてのニーズから、かつお節の大量生産の動きが始まり、その産地として中西部太平洋地域でのカツオ漁とかつお節の製造が二十世紀初頭から開始されることになるが、これには「漁船の動力化、生産地の南下、南洋諸島の植民地化、「南洋節」の企業化の四条件」(P41)があったという。
明治三十九年(1906)、日本初の石油発動機付きカツオ漁船が建造され、翌明治四十年に21隻だった発動機付き漁船は大正四年(1915)に2511隻と急増、漁船の動力化は生産量の増加と遠洋化をもたらし、従来の産地であった静岡、鹿児島、宮城に加えて沖縄、台湾がカツオ漁とかつお節生産地として台頭、生産地の南下が始まる。第一次大戦後の大正八年(1919)、日本は南洋諸島を委任統治領として獲得、政府の「北守南進論」政策を背景にして、南洋諸島に次々と移民が送られサトウキビ農園と製糖工場、そして漁業振興策に基づきマグロ漁業が盛んになる。これを受けて1920年代、現地で日本人企業家が次々とかつお節製造企業を設立、急速に大規模化して本土の産地を脅かすほどになり、本土向けに南洋産のかつお節を供給するネットワークが形成されてくる。
そのかつお節南進を支えたのが沖縄からの移民であった。元々沖縄ではカツオ漁は行われていなかったが二十世紀初頭に本土式カツオ漁とかつお節生産が持ち込まれると、わずか二十年でかつお節生産量で本土の三大産地岩手・鹿児島・静岡と肩を並べるほどに繁栄する。しかし、昭和四年(1929)の昭和恐慌によって沖縄の経済が壊滅状態になり、あわせて多額の借り入れによって運営されていたかつお節製造業も次々と倒産を余儀なくされた。その活路として彼らが見出したのが南洋進出で、「一九四二(昭和一七年)に南洋で水産業に従事していた日本人は一万一〇八二人、うち八五%にあたる九四三五人が沖縄県民」(P75)だったといい、他県出身者よりも漁業に長じていたこともあり、南洋でのカツオ漁・かつお節生産業を起こして軌道に乗せていった。
日本の南方植民地拡大とともにかつお節製造も拡大していったが、太平洋戦争の勃発が全てを変えた。南洋のカツオ節企業は国策会社化し、漁船も漁師も軍に徴用される。戦時中、民間船が多く徴用されて軍事転用されたり輸送・兵站部門を担っていたことはよく知られているが、南洋の漁船も同様で、「政府機関や陸海軍の指揮系統下に置かれ、補助監視船、特殊漁船、特設監視艇などの名のもと、小口径機銃を装備して輸送、連絡、哨戒、監視などの任務を負わされた」(P62)。また、漁師たちも軍の指揮下で軍納用の漁を行わされた。軍は漁師たちに対して暴力を振るうことも多く、「軍属である漁師が食事を減らされることは日常茶飯事」(P71)であったから、漁師たちが魚を隠して自分たち用の食糧を確保するエピソードや、兵士への横流しのエピソードなど戦時下の漁師たちの興味深い話も多く紹介されている。さらに、敗色濃厚になると現地の移民たちも空襲や戦争に巻き込まれて多くが犠牲となり、また収容所生活を余儀なくされた。
敗戦によって多くの犠牲者とともに海外のかつお節生産拠点は消滅、1960年代にやっと昭和初期の水準までかつお節生産量が戻るが、国民食化するのは1970年代のことだ。昭和四十四年(1969)、「フレッシュパック」という削り節の小口パックが発売されると、これが爆発的に売れてかつお節生産量も増加の一途を辿る。これは様々な変化をもたらした。第一に、削り節にすればいいので従来必要だった形を綺麗に整える職人の地位が相対的に低下、大量生産システム化して、国内の産地再編が起こり、同時に小規模事業者たちからなっていたかつお節製造業者は大手調味料メーカーの傘下に次々と入ることになった。また、削り節に向いたカツオというのは、削り節にしたときに「ふわふわときれいな『花』になっていることが消費者へのアピールになる」(P132)から、あまり脂が乗っていない方が良い。そうなると日本近海より熱帯地域のカツオの方が好ましくなる。ということで、あらためて東南アジアにかつお節生産拠点が造られるようになった。
日本復帰前後の沖縄の漁師たちがこのような合弁企業下で漁師として働き、冷凍技術の革新によって冷凍カツオが日本に送られてかつお節化するという流れでかつお節生産の南進は再開され、やがてカツオ輸入元が多様化していく中で、あらためてかつお節生産自体も東南アジア現地法人化が進むことになった。
1985年にインドネシアで設立されたあるかつお節製造会社は華人資本家兄弟が始めたもので、日本人水産技術者がその将来性に惚れ込んで参画、さらに日本留学経験があり水産学の博士号を持つ現地大学教授がアドバイザーとして加入し、海外産かつお節輸入元としてシェアを伸ばしているという。また、沖縄出身移民の子孫たちが多く現地のかつお節製造・かつお漁に従事しており、日本へも彼ら移民の子孫が技術習得で多数訪れているのだそうだ。国内での中小企業淘汰・大企業系列化と海外でのベンチャー企業勃興・価格競争というまさにグローバル化の典型例でとても興味深い。
近代化、移民、植民地、戦争、食文化の変容、グローバリゼーション、様々なキーワードを「かつお節」とその当事者たちの人生と証言でつなぎあわせた、とても面白い本だった。本書のタイトルから想像するような、「日本人」性は特に感じなかったが、これは、岩波新書の既刊「エビと日本人」「バナナと日本人」といったシリーズを意識したタイトルということで、「かつお節と近代化」とか「かつお節と近代日本の南洋進出」あるいは、「かつお節と移民」といった方がしっくりくる。とはいえ、著者も両書から影響を受けていることを書いていて、どちらも未読だったので今度読んでみようと思った。
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