どこまでも青いエーゲ海。
島々にそびえるのは白亜のギリシャ神殿です。
大理石で造られた白く壮麗な姿。
古代ギリシャ文明は紀元前7世紀からおよそ500年にわたって栄えました。
白く輝く建築や彫刻。
古代ギリシャはまさに白い文明です。
しかし今その常識が覆されようとしています。
舞台はロンドンの大英博物館。
収蔵庫に眠るギリシャの至宝。
バックヤードで行われている最先端の科学分析。
その結果意外な事実が浮かび上がってきました。
ギリシャの彫刻は今とは全く違う姿をしていました。
真っ白だと思われていた彫像は鮮やかに彩られていたのです。
エーゲ海に突如花開いた古代ギリシャ。
その謎も大英博物館の調査で明らかになってきました。
遠く離れたエジプトの神殿に残る古代ギリシャの落書き。
文明発展の裏に隠された思いがけない真実が浮かび上がります。
そして古代ギリシャの至宝を巡り大英博物館で起きた衝撃の事件。
大英博物館の未公開コレクションを中心に白い文明古代ギリシャの新たな真実に迫ります。
古代ギリシャの真実を求め大英博物館を訪れたのは…かつてエーゲ海周辺で繁栄を極めた古代ギリシャ文明。
始まりは全て古代ギリシャです。
ギリシャ文明が栄え始めたのはおよそ2,700年前の紀元前7世紀。
その200年後にはギリシャ文明の象徴ともいえるパルテノン神殿が建造され全盛期を迎えます。
そしてアレクサンドロス大王がギリシャに攻め入った後の紀元前2世紀。
古代ギリシャに影がさし始めます。
それでもギリシャ文明の輝きは今も残る巨大神殿や数々の彫像が証明しています。
ここはパルテノン神殿を飾っていた彫刻群の展示室です。
優雅で美しい白い大理石の彫像。
こうした白い彫像はギリシャ文明が白い文明とされるゆえんです。
ところが今回その常識を覆す重要な発見がありました。
年間600万人が訪れる世界有数の博物館です。
創立は1753年。
始まりは個人のコレクションでしたがイギリスの発展とともに収集品を増やしていきました。
現在の収蔵品は800万点。
しかし展示室で公開されているのは収蔵品の僅か1%。
残りの99%は収蔵庫に眠っています。
一定に保たれた温度と湿度。
収蔵庫は急激な環境変化がないよう厳重に管理されています。
ここは博物館の収蔵庫ですが展示されていないギリシャの彫刻が保管されています。
数千年前の至宝がひっそりと眠る収蔵庫。
静まり返って薄気味悪い所です。
幽霊を見たと言う人も多いんです。
私はまだ見た事がないのですが…お目にかかってみたいわ。
これは2,600年前の棺。
蓋には生前の姿がかたどられています。
大英博物館が所有する同様のものは全部で180点。
数が多いためその大部分は地下に置かれたままです。
収蔵庫に置かれている古代ギリシャ・ローマ部門の品々は全部でおよそ9万点。
通路の左側には3メートルを超える馬の胴体。
4頭立ての馬車の一部でしたが組み立てると場所を取り過ぎるため展示室には頭のみ。
大きな彫像の大半は収蔵庫に収められています。
およそ2,500年前に作られた金のアクセサリー。
限りなく薄い月桂樹の葉。
繊細で壊れやすいため収蔵庫で厳重に管理されています。
大英博物館は最先端の技術を駆使しこうした収蔵品の科学分析を続けています。
更に各地で発掘調査を行うなど世界有数の研究機関でもあります。
数々の調査が行われる中今注目を浴びているのはトロイヘッドと呼ばれる大理石の像です。
この白い像から予想外の事実が発見され古代ギリシャの常識を覆すきっかけとなりました。
調査を行ったのはジョバンニ・ヴェリ博士。
大英博物館科学調査部で色の研究を続けてきました。
強力なライトを像に当て特殊なカメラで撮影します。
2007年に大英博物館が開発したこのシステム。
古代の青色の顔料に含まれる特殊な成分を感知するとモニターに反応が現れるというものです。
目の部分に光を当てると…反応がありました。
青い色の痕跡を感知したのです。
実験の結果この彫刻には色がついていた事が明らかになりました。
恥ずかしながら初めてそれを知った時は感動して涙が出ました。
今は真っ白に見えるこの像。
しかし2,000年前その目には青色が使われていたのです。
早速ギリシャでも同じ調査が行われました。
アテネにそびえる古代ギリシャの中心アクロポリスの丘。
パルテノン神殿の隣に立つ…神殿にも色が塗られていたのか本格的な調査が行われています。
これは大英博物館がギリシャに調査のノウハウを全て提供する事により実現しました。
神殿に大規模なエレベーターを設置。
大英博物館が開発した青い色を感知するためのあのシステム。
光を天井に当てて調べてみると…。
さあどうでしょうか。
四角いくぼみの部分に反応がありました。
ここには青色が塗られていたのです。
ものすごい驚きです。
本当にすばらしい。
真っ白な部分に色が浮かび上がったのですから。
青い色に塗られた天井。
まるで青空の下にいるかのようにすばらしかった事でしょう。
このギリシャ神殿も真っ白ではなく青く彩られていました。
大英博物館が発見した古代ギリシャの色。
その影響は大きく今世界各地で新発見が相次いでいます。
ヴィンツェンツ・ブリンクマン博士。
色彩研究の世界的権威です。
博士は青色だけではなくほかの色の調査も進めています。
博士はまずそれぞれの色が持つ独自の波長データを収集しました。
その後ギリシャ彫刻の表面を調べ肉眼では見えない色の痕跡を測定しどの色の波長と一致するかを解析しました。
例えばこれは赤の波長。
測定したデータがこのグラフの形と一致すれば赤色だと特定できます。
調査の結果実に多彩な色が使われていた事が分かってきました。
博士は純白の彫像を作り当時の姿を再現しました。
およそ2,500年ぶりに彫像がよみがえります。
鮮やかな文様も全て科学的な測定に基づき厳密に再現されたもの。
肌にも色が施されていました。
よみがえった馬と騎手の像。
そこには色と色がぶつかり合う極彩色の世界が広がっていました。
肉眼では全く見えなかった模様もよみがえりました。
聖なる動物たちが描かれていたのです。
古代ギリシャ人は彩り豊かな衣服を好みその姿を鮮やかな像として残していました。
この驚きの結果に私自身衝撃を受けました。
装飾の色使いや模様の豊かさに困惑しているほどです。
ギリシャの画家たちは大理石を白いキャンバスとして利用していたのです。
これは厳密に科学的に測定して出た結果なのです。
更に大英博物館の調査でまた新たな事実が分かってきました。
きっかけはエジプト展示室にあった一枚の壁画でした。
3,400年前のこの絵には青く塗られた植物や鳥が描かれていました。
ここに光を当ててみると…鳥や植物が白く光っています。
この青色はトロイヘッドに塗られていた色と全く同じでした。
そもそも青色はそのもととなる顔料が自然界にはほとんどないため人工的に作り出さなければ手に入らない色です。
大英博物館が分析した結果この青色はエジプシャン・ブルーと呼ばれ古代エジプトでしか作れなかった色だと判明しました。
青い色ははるばるエジプトからギリシャにもたらされていました。
カラフルな色や文様はエジプトなど外国からもたらされたものでした。
西アジアのペルシャから来たものもあります。
ギリシャ人はそうした色彩に興奮し美しさや荘厳さを感じました。
ギリシャ文明はアフリカやアジアの色を取り入れる事で初めて色彩豊かな芸術を作り上げる事ができたのです。
最新の研究成果を総合し当時のギリシャをコンピューター・グラフィックスで再現してみます。
神殿には鮮やかな文様や壁画が描かれ華やかに装飾されていました。
古代ギリシャでは神殿も町も何もかもが鮮やかに彩られていました。
その姿は私たちが想像していた白い古代ギリシャとは全く違っていたのです。
古代ギリシャは鮮やかな色彩にあふれた文明だったんですね。
ギリシャ文明のイメージが一新されました。
色鮮やかな古代ギリシャ。
実はこの文明は紀元前7世紀に一気に花開きました。
そもそも古代ギリシャが誕生する以前からギリシャの周りには既に高度な文明が栄えていました。
北アフリカのエジプトそれに西アジアのメソポタミア文明です。
ギリシャはそれぞれの地域から長年にわたって多くの影響を受けてきました。
しかし紀元前7世紀までは大きな変化は起こらなかったのです。
その当時のギリシャの様子を知る手がかりはほとんどありません。
あるのは…こうした素朴で単純な土器です。
ところが!ギリシャに劇的な変化が訪れます。
ギリシャ文明が急速に花開いた謎を解く手がかりが大英博物館に眠っています。
彫像の一部分巨大な足の指です。
この彫像の全体像はどんなものだったのでしょうか。
エーゲ海に浮かぶ…足の指はこの島から発掘されました。
足の指以外にも彫像の一部分が島に残されたままになっています。
2つの大理石の塊。
これは肩から腰にかけての上半身の一部。
そして腰から太ももにかけての下半身の一部。
大英博物館の足の指もここに残されていました。
更に周囲8メートルにもなる彫像の台座もありました。
ここにあった彫像はギリシャが人体像を作るようになった最も初期の時代のものと考えられます。
それはかつてない見上げるほどの大きなものでした。
現存する体の一部を基に再現された高さ9メートルの巨大な像。
この像が造られた紀元前7世紀古代ギリシャは急速に花開きます。
色鮮やかな巨大神殿も紀元前7世紀を境に次々と建てられました。
この時期ギリシャで一体何が起きていたのか。
そのヒントも大英博物館にあります。
私が一番好きなものがここにあります。
高さ15センチにすぎない小さな石像です。
とてもミステリアスな出土品です。
この像には異なる文明の要素が見て取れます。
エジプトとギリシャの要素が入り交じっていてとても不思議な珍しい石像なんです。
この石像が見つかった場所が一緒に発掘された土器に記されていました。
器にはギリシャ文字が記されています。
ナウクラティスとは紀元前7世紀にエジプトにつくられた町の名前です。
19世紀の終わりにイギリスの考古学者ピートリーが発掘。
あの石像を発見しました。
ほかにも古代ギリシャ文字が記された土器が大量に出土。
ギリシャはエジプトと深い関係があった事をうかがわせたのです。
エジプトとギリシャを結ぶナウクラティス。
そこにギリシャ文明誕生の謎を解くどんなヒントが隠されているのか。
謎の解明に向け大英博物館は今ナウクラティスの本格的な発掘調査を計画しています。
準備のために4人の専門家がエジプトを訪れました。
その中心が…カイロから車で3時間。
小さな農村を越えた先。
静かな湿地帯の中にナウクラティスの遺跡がありました。
ようやく来られてとてもうれしいわ。
更に地元の古老が教えてくれた事がある発見につながりました。
それはこの白い石でした。
石にはある特徴がありました。
見るからにギリシャ風のこの石はギリシャ神殿の一部でしょう。
ギリシャ人が住んでいた証しです。
これまでの研究を基にナウクラティスの町を再現します。
エジプトにそびえるギリシャ神殿。
ナウクラティスは商人や職人をはじめとする多くのギリシャ人が住む貿易港として栄えていました。
この町の始まりは紀元前7世紀。
広大な土地はファラオがギリシャ人に与えたものでした。
そしてある職業に携わる人々を住まわせました。
その人々とは一体誰なのか。
答えは古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの記述にあります。
「エジプトのファラオは言った」。
青銅の男たちとは青銅のかぶとを身につけたギリシャの兵士の事。
エジプトのファラオは彼らを雇い傭兵としていました。
そしてこの傭兵がギリシャ文明の発展に大きく関わっていく事になります。
当時の古代エジプトは最盛期を過ぎ混乱期を迎えていました。
国境地帯では周辺の国々との紛争が絶えませんでした。
そのためファラオは勇猛果敢な事で知られるギリシャの傭兵をナウクラティスに住まわせ戦いに備えていました。
数多くの傭兵を送り出した…土地が痩せ資源にも乏しかった古代ギリシャはエジプトと比較にならないほど貧しい国でした。
そのためエジプトからの傭兵募集の知らせが届くと若者たちは進んで志願したといいます。
エジプトでの任期は数年に及んだといわれています。
しかし戦いのためにエジプトに来ていた傭兵がなぜ文明の発展に関わる事ができたのか。
その手がかりがエジプトの奥地に残されていました。
ナウクラティスからナイル川を南に遡る事800キロ。
大英博物館の調査チームが向かったのは神殿の前面にあるラムセス2世の巨大な像。
その脚には古代ギリシャ語で書かれた数千年前の落書きが残されていました。
ある落書きが見つかりました。
上から2行目にはプサメティコスというギリシャ人の名前。
そしてそのあとには…この落書きはギリシャ人の傭兵によるものでした。
ここに名前を残した傭兵たちはファラオがヌビアに対して行った大遠征の帰りにこの場所に寄ったのです。
巨大神殿に驚きこの有名な建物に記録を残したかったのでしょう。
傭兵たちがここで目にした巨大なファラオの像。
ふるさとギリシャにはない壮大さに驚きました。
そして傭兵たちのこうした経験がギリシャ文明の礎になっていきます。
軍事遠征の度にそのさきざきでさまざまな文化に出合った傭兵たち。
中でも大きな影響を受けたのは鮮やかな色彩でした。
華やかな壁画の数々。
色と色がぶつかり合う極彩色の世界。
あのエジプシャン・ブルーも目にしたはずです。
傭兵たちは魅惑的な色の文化に感動しそれを急速に吸収していったと考えられるのです。
紀元前7世紀にここに来たギリシャ人が何を感じたかが想像できます。
ピラミッドなど数千年続いた偉大な文明の蓄積に触れたのですから。
巨大なスケールの建物や彫像あふれる色彩。
ギリシャ人にとってそれは刺激的で魅惑的なものでした。
エジプトでの体験がギリシャ人たちの意識を変えていった事は間違いありません。
エジプトにいたギリシャの傭兵は3万人を上回ったといわれています。
ほかにも西アジアのさまざまな国々に多くの兵士が雇われていました。
そして紀元前7世紀高度な文化と技術に触れた多くの傭兵たちが続々とギリシャに帰還し始めます。
久しぶりにふるさとの土を踏んだ傭兵たち。
彼らは遠征先で得た知識と共にそれぞれの村へ帰っていきました。
そして地元の人々に自らの経験を次々と伝えていきました。
傭兵たちが帰国した後ギリシャ文明は劇的に花開いていきます。
ギリシャスニオン岬にそびえる…古代ギリシャにこうした巨大神殿が出現するのはナウクラティス以降の時代です。
あのデロス島の石像も巨大なファラオの像の影響を受け造られたものでした。
そしてアテネのパルテノン神殿。
ギリシャ文明の目をみはる発展には決して歴史の表舞台に出る事のない傭兵たちが大きな役割を果たしていました。
傭兵が文化の担い手だったんですね。
生死を分ける戦いの合間に見たからこそ巨大神殿や鮮やかな色がより強烈に心に刻まれたんでしょうね。
アフリカやアジアの影響を基礎に発展した色鮮やかなギリシャ文明。
しかしその事実はある時期を境に次第に忘れ去られていきます。
実はつい250年ほど前まではギリシャ文明がアフリカやアジアの影響を受けていた事はごく当たり前の事として知られていました。
ところがある出来事をきっかけにそのイメージが変わっていったのです。
一体この250年の間に何が起こったのか。
なぜ古代ギリシャの歴史は歪められていったのでしょうか?大英博物館に古代ギリシャの至宝が収められています。
前を見据え円盤投げをする男性の彫像です。
この像は古代ギリシャの彫刻家ミュロンが作った像をまねて後のローマ時代に作られたもの。
手本となったミュロンの彫刻は失われローマ時代の模倣作品だけが世界で27体残されています。
そのうちの1体イタリアのローマにある彫像は顔が後ろを向いています。
もともと同じ彫刻をまねたはずなのになぜ顔の向きが異なるのでしょうか。
実はローマの彫刻は完全な形で発掘されたのに対し大英博物館の像には頭がありませんでした。
そのため修復されたのです。
修復にはミュロンとは関係がない全く別の作品の頭が使われました。
ディスコボロスとは違う頭をつけてしまったのです。
しかし修復された彫像はその後も展示され続けオリンピックのポスターにまで採用されました。
誤りが広く浸透するにつれ本当の姿は忘れ去られていったのです。
古代ギリシャの見方が歪んでいったのもこの経緯とよく似ています。
きっかけは18世紀にイタリアで発見されたポンペイでした。
発掘された古代ローマの街から数多くの美術品が出土。
人々はそれらの美しさに驚きヨーロッパ中で古代芸術へのブームが巻き起こります。
この時古代ギリシャ彫刻に強烈に魅せられた一人の人物がいました。
ヨーロッパを代表する高名なドイツの美術史家でした。
ヴィンケルマンはギリシャ彫刻の造形に着目し人類が到達した最高の美であると断言。
極端に理想化してこう論じました。
ヴィンケルマンはギリシャ彫刻がアフリカやアジアの影響を受けており決して白くなかった事も知っていました。
しかしそれを無視し古代ギリシャはギリシャ人だけによって作られた白い文明であり純粋で高度なものであると考えたのです。
ヴィンケルマンのこうした考えはやがて利用されていきます。
ちょうどこのころヨーロッパでは産業革命が始まり急速に台頭してきた時期。
西洋が世界で優位に立つための歴史的な根拠を必要としていました。
そこで注目したのが古代ギリシャでした。
純粋で高度な白い文明だとされた古代ギリシャはヨーロッパのルーツとしてまさにふさわしいものでした。
この考えを普及させたのが教育です。
ドイツでは19世紀に古代ギリシャ語を必修とする教育改革が行われました。
ここでは実生活では全く使う事のない古代ギリシャ語を週5回4年間みっちりと教えられます。
こうして子どもたちのギリシャへの関心が高められていきます。
半年しか授業を取っていませんがギリシャがとっても好きになりました。
古代ギリシャ語を学ぶのは楽しいです。
ギリシャの高度な文化に驚かされます。
子どもたちにとってこの授業は特別な意味があります。
私たちの文明の源を学びギリシャ語を通して西洋思想の基盤を学ぶのです。
ヨーロッパのルーツとしてますます理想化されるうちに古代ギリシャの本当の姿は忘れ去られていきました。
そして19世紀のある流行が古代ギリシャを白い文明として決定づけます。
19世紀イギリスヴィクトリア朝時代。
女王が着た純白のウエディングドレスがヨーロッパ中に流行。
白い色が純粋で汚れのない理想的な色として大いにもてはやされました。
白いギリシャ彫刻はまさにその象徴として人々の人気を博しました。
ほとんどのギリシャ彫刻は時間と共に色が薄れていきました。
色が残っている事はほとんどなく白く見えました。
当時中には僅かに古代の色が残っているものもあったのですが一般の人々はそれを信じませんでした。
ヴィクトリア朝のイギリスでは色のついた大理石の彫刻は冗談か悪趣味という評価が与えられたため真っ白にされたのです。
白が重視される風潮が続く中大英博物館である衝撃的な事件が起こります。
収蔵庫の奥にひっそりと眠っていたもの。
テレビで公開されるのは世界で初めての事です。
簡素な紙の箱を開けると80年前に使われた道具類が現れました。
太い筆と銅で出来たへら。
中にはメモが残されていました。
エルギン・マーブルとはアテネのパルテノン神殿の壁や梁に備え付けられていた大理石の彫刻です。
現存する半分近くがイギリスに持ち運ばれ大英博物館に所蔵されています。
まさに人類の至宝といえるそのエルギン・マーブルが大英博物館で洗浄されたというのです。
1938年大英博物館常任委員会内部文書。
そこには事件の詳細が生々しく記されています。
「洗浄作業は地下の部屋で行われていた」。
「それを見た時やめろと叫んだ」。
作業員たちは道具を使ってパルテノン彫刻の表面をこすり取っていました。
箱の中に保管されていた実際に使われた道具の数々。
へらには生々しく白い粉が残っています。
これはダイヤモンド並みの硬い石。
これで大理石をこすり表面の色を落としていました。
作業は大英博物館のスポンサーだったデュヴィーン卿の指示の下で行われました。
デュヴィーン卿に雇われた作業員たちは彫刻を念入りに磨きました。
大英博物館で起きたこの事件を詳細に取材した作家でもあります。
この馬はコレクションの中でも最も優れた作品とされています。
しかし磨かれてしまった馬の後ろの部分を中心に大きなダメージを受けています。
削る前と後ではどう違うのか。
これを見ればよく分かります。
左側は削ったために白くなっています。
右側は光沢があり色が残っているのがよく分かります。
この事件はギリシャは白いものという既成概念があった事で起きました。
更に博物館の来場者が大理石は白いと期待している事に迎合したのです。
芸術品を保管するには最も安全な場所であるはずの博物館で起きてしまった大事件でした。
この結果表面の数分の1ミリが削られてしまいフリーズやメトープと呼ばれる浮き彫り彫刻が白く滑らかになったのです。
私の後ろにある彫刻もその一部が磨かれてしまいました。
この事件は博物館の学芸員やスタッフが全く知らない間に起こりました。
やがて当時の新聞はこれをスキャンダルとして書き立てました。
その結果博物館のスタッフが数名解雇になる一大事となりました。
この事件は大英博物館の歴史上極めて異例の事でした。
この時期大英博物館以外でも多くのギリシャ彫刻が白く磨かれたといわれています。
古代の彫刻作品は芸術品であると同時に長い歴史を含んだ史料なのです。
オリジナルの表面を削り取れば歴史も永遠に失われてしまうのです。
大英博物館では今ロンドンオリンピックに合わせて公開する彫像の修復をしています。
もともとはバラバラだったものを丁寧に組み立てる地道な作業。
見つからなかった鼻は欠けたまま。
歴史の痕跡に手を加える事なくありのままを展示する予定です。
大英博物館収蔵庫。
ここにはまだ手付かずの至宝が数多く眠っています。
その一つ一つに古代ギリシャの真実を知る手がかりが秘められています。
エーゲ海に栄えた古代ギリシャ文明。
色鮮やかだった文明を花開かせ人類の大いなる遺産を築きました。
250年にわたる誤ったイメージから解き放たれた古代ギリシャ。
その真の姿を求めた解明はまだ始まったばかりです。
真実の姿がよみがえり始めた古代ギリシャ。
その歴史が歪められたのは作られたイメージが一人歩きしてしまったからなんですね。
ギリシャ文明の例はありのままの事実を知る事の大切さを物語っているのではないでしょうか。
さあそろそろオープンの時間です。
古代の巨大建造物。
2015/04/26(日) 01:54〜02:53
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 知られざる大英博物館2.古代ギリシャ “白い”文明の真実[字][再]
大英博物館の収蔵庫に眠る未公開の品々から、歴史の真実に迫るシリーズ。第2回は古代ギリシャ。白く見える彫刻は、実は極彩色だった。エーゲ海に謎を追う。出演、堺雅人。
詳細情報
番組内容
大英博物館の収蔵庫に眠る未公開の品々から、歴史の真実に迫るシリーズ。第2回は古代ギリシャ。真っ白い彫刻や神殿に象徴され「白い文明」といわれてきた古代ギリシャ。しかし今、その常識が覆りつつある。神殿や彫刻は、実は色鮮やかに彩られていたのだ。さらに、エーゲ海に突如花開いた文明の謎も解明されてきた。そして、大英博物館で起きた衝撃の大事件…。白い文明・古代ギリシャの真の姿を描く。【ナビゲーター】堺雅人
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