港町横浜。
港に程近い掃部山公園にやって来たのは?横浜の開港を決断しその発展の基礎を築いたこの方に会いに来たんです。
幕末の大老井伊直弼。
ご政道に異議を唱える者たちを一人残らず捕らえよ。
一網打尽に致せ!「大河ドラマ花燃ゆ」で井伊直弼役を演じている高橋さん。
日本の開国を進め桜田門外に散った直弼の真実の姿を今日は高橋さん自身が追跡調査しようという次第。
例えばこちらは直弼直筆のラブレター!冷酷といわれた直弼が切ない恋の歌を詠んでいます。
お相手はどんな女性だったんでしょう?この国を守らんにゃならん。
その直弼に反発し安政の大獄で死罪となったのが長州藩の吉田松陰。
こちらは伊勢谷友介さんが演じています。
人は学ぶんじゃ。
2人がもし最後に会っていたとしたら…。
「花燃ゆ」にはそんな場面が登場します。
敵と味方に分かれた2人ですが実は若い頃の松陰は直弼を深く尊敬していたのです。
この井伊直弼という人物は安政の大獄で反対派を粛清しその結果みずからは暗殺されたためにドラマでは悪役として描かれる事が多いようですね。
でも本当はどんな人物だったのかあまり知られていません。
今日はここ横浜を皮切りに直弼の人物像に迫ってみたいと思います。
井伊直弼の知られざる実像に高橋英樹さんが迫ります。
題して…井伊直弼の実像に迫る旅。
琵琶湖を望む城の町…直弼の生まれ故郷です。
いいですね〜。
ここは城下町の雰囲気に合わせてこの商店街がつくられているんですよ。
まずは地元で直弼がどんなイメージで捉えられているのか聞いてみました。
そういう意味ではすごいよね。
ところで歴史上の人物を数々演じてきた高橋さん。
今「高校講座・日本史」でAKB48に歴史の面白さを伝えているんですよ。
今回の時代と3つの要!彦根の町の一角に井伊家御用達だった和菓子店があります。
こちらが直弼ゆかりのおまんじゅう。
表面には不思議な模様が。
早速頂きますか。
あ〜なるほど。
うん。
和菓子なんだけどちょっと洋風な薫りもする。
おいしいおいしい。
何か不思議な柄ですね。
そうですね。
こちらは柳の紋様なんですけれども。
あっ柳なんですか!何か最初鶴みたいな感じの…。
こちらのデザインは井伊直弼公がみずから手彫りしてデザインされたものと伝えられております。
そうなんですか!はい。
えっそんな知らずに食べちゃった。
こちらがその今現在使っている木型のレプリカなんですが。
本当だ!こうやって見ると柳ですわ。
確かに。
直弼が描いた柳。
風に揺れながらも倒れる事のない強くしなやかな柳に直弼は自分自身を重ね合わせていたのです。
江戸幕府の中核を担った彦根藩。
その藩主の14男として直弼は生まれました。
14男ではまず藩主にはなれません。
しかしある時養子として別の藩の藩主になるチャンスが巡ってきます。
弟直恭と一緒に意気揚々と江戸へ向かった直弼。
しかし養子に選ばれたのはなんと弟の方でした。
直弼の落胆はいかばかりだったでしょうか。
直弼は藩から与えられた屋敷で15年もの間質素に暮らし続ける事になります。
そこを埋木舎と名付けて。
ここが若き日の直弼が暮らしたという埋木舎です。
何でそういう名前を付けたんでしょうね?なぜかといいますと直弼自身がこんな歌を詠んでおります。
世の中で活躍もせずに埋もれている自分だけれども心は決して埋もれてはいないよ。
直弼は人生に絶望する事なく文武両道の修行に励んでいくのです。
直弼さんは特にいろんな本を読まれてたというのが特徴としてあります。
いろいろな本を読むという事はいろんな人の意見を取り入れる。
更にその上で自分の意見をその中から一つ導き出すという事をされてたというのがその勉強の特徴と言えると思います。
茶の湯の場合ですとその中で自分の考えを一つまとめられた有名な言葉があります。
「一期一会」です。
この有名な言葉なんですけれどもその考え方そのものはすでにあったんですが四字熟語的といいましょうか「一期一会」という言葉をまとめられたのは直弼さんが初めてなんですね。
「一期一会」。
この一度の茶会を一生に一回のものとして大切にしようとそういう考えですね。
ところで直弼といえば安政の大獄の冷酷なイメージで捉えられがち。
しかしそんな直弼が切ないラブレターを書いていたという情報を得て京都の美術館を訪ねました。
ちょっと触ってはいけないものばっかりですよこれ。
いや〜見て下さいこれ。
わっこれ本物の駕籠です駕籠。
大名駕籠。
高橋さん大興奮です。
所狭しと置いてあります。
いや〜こちら2階。
1階入った時はまあびっくりしましたけど2階に来たらまたすごいですねこれは!まずこちらは埋木舎時代に直弼自身が素振りをするのに使っていたという刀。
重さおよそ4キロ。
これで一日300回も素振りをしたと伝えられています。
鞘でも重い!これで実際の居合をやると軽くなる訳ですよね身が。
ああそうですね。
野球のバットの3本まとめて素振りするのと一緒で。
そやからこれで鍛錬しておいて実際やる時は軽いからね。
スピードがもっと出るから。
何かこちらにとても珍しい恋文があると伺ったんですが。
それは例の「花の生涯」などで知られています村山たかですね。
才色兼備で知られる女性で兄の侍女を務めた後に直弼と知り合いました。
2人の交際はその後も長く続いたといいます。
その彼女に20代の直弼が書いたラブレターというのがこちらです。
きれいな字だな〜。
これね直弼は一会の会も2〜3回やったけれどもそのままになってしまっていると。
なぜかいうとお前が出立の後はどうにも寂しく始まり申さず。
お茶の会もしてられんと。
寂しくて。
もう寂しくてやってられない。
ほう〜!かわいいじゃないですか!もう全然できないと。
落ち着かないもう。
更に直弼はたかにこんな歌も贈っているのです。
グラッと来るねこれは。
これここに「たか」という名前詠み込んであるんですね。
ちゃんと詠み込んでありますね。
あんたがいないから欠けて見えると。
いや〜すごいな〜!こういう句を書くっていう事はやっぱり純情だったんですかね。
そうですね。
まあこの時代の同世代の彦根藩の侍よりもずっとうぶな人ですわ。
ほう〜。
冷酷な独裁者と思われがちな直弼ですが純情で繊細な一面も持っていたんですね。
そんな青春時代を送っていた直弼に思いも寄らない出来事が起こります。
1846年彦根藩主の跡取りに決まっていた兄の直元が急死。
更に4年後藩主直亮も病死。
運命のいたずらから36歳にして直弼は彦根藩の藩主となったのです。
いや〜この階段…これいつ上ってもきつい。
急勾配です。
これはね何か敵が攻めてきた時にいつでも突き落とせるようにわざとこう急角度になってるんだそうです。
いや〜きつい。
こちらが天守閣の最上階。
ね〜。
いや〜藩主となって初めてこの天守閣に上った時の直弼さんの気持ち。
ここから琵琶湖そして彦根の町を見下ろした時の直弼の気持ち。
感無量だったでしょうね〜。
彦根藩30万石の藩主となった直弼。
就任後最初に行ったのが前の藩主直亮の残した遺金を家臣や領民に分配する事でした。
その額は一説によると15万両。
藩の1年分の予算に相当する額でした。
更に領内を隅から隅まで巡見して村に貢献した者に褒美を与えたり難病の者に医師の診察を受けさせたりもしているのです。
領民たちが藩の事を大事に思う一体感を出そうという事を考えたという事があります。
埋木舎時代からかなり領民とか近くにいた武士ではない地元の人たちともどういう生活をしてたとか比較的交流する機会もありましたので領民の事を思うというのはほかの藩主よりも比較的あったとは思います。
そんな直弼の思いやりのある藩主ぶりをある人間が褒めたたえているんです。
それが誰あろうあの吉田松陰さんなんですね。
直弼が藩主となった当時松陰は見聞を広めて自分を高めようと九州や江戸へ遊学の旅を続けていました。
そのころ兄へ送った手紙の中で松陰は彦根藩の藩主となったばかりの直弼の歌を引用しています。
道がいっぱいになるほど領民が出迎えてくれている。
恥ずかしくてたまらないが顔を覆うには自分の服の袖は短すぎる。
松陰は「実に君主たる人物の歌です。
一度詠むたびに三度感嘆して感涙にむせんでいます」と直弼を褒めたたえているのです。
2人にもこんな時期があったんですね。
今日本は開闢以来の危機にひんしておる。
おのおの方のお力を不肖井伊直弼にお貸し下され。
このころ政局はもめにもめていました。
開国派の直弼はアメリカの迫る通商条約を締結しようとします。
しかし前水戸藩主徳川斉昭たちは「外国と交易するなどもっての外」と猛反対。
直弼は条約の締結に朝廷の許可を得ようとしましたが天皇も開国には反対でした。
一方アメリカの駐日総領事ハリスは条約の即時締結を求めてきます。
背景には当時中国で行われていた戦争でイギリスとフランスの勝利が決定的となっていたという事がありました。
彼らが次に日本にやって来たら過酷な条約締結を迫る事は目に見えていました。
このままではこの国は前に進む事ができぬ。
異国との戦を避け前に進むには…。
英仏と先に貿易を始めた中国ではアヘンがまん延して民衆が苦しんでいました。
秩序を重んじる直弼としてはそうなる前にできるだけ早く条約を締結しておきたかったのです。
しかしライバル徳川斉昭は直弼に対して怒り心頭。
水戸藩はさまざまな朝廷工作を行いました。
その後天皇から条約調印を非難する勅諚命令書が出されます。
しかもそれは幕府よりも先に水戸藩にも送られたのです。
幕府へ下すべき勅諚を水戸藩に下されるとは。
ご政道に異議を唱える者たちを一人残らず捕らえよ。
一網打尽に致せ!はっ!勅諚を幕藩体制への挑戦と見なした直弼は関係者を次々と逮捕していきます。
歴史に残る粛清安政の大獄の始まりです。
手を緩めるな!攘夷を旗印に朝廷に取り入り国を大乱に導こうとする者らを決して許してはならん!みずからの愚かな政を省みる事なく正義を語る者の口を閉ざそうとするとは…。
幕府はいよいよこの国を滅ぼすつもりか。
そのころ尊皇攘夷の思想家となっていた吉田松陰は朝廷の許可なく開国へと向かった幕府を非難。
勅諚への関与を疑われ江戸へと送還されてしまいます。
疑いはすぐに晴れたのですが裁きの場でなんと彼は…。
ご老中間部様を京にて待ち伏せ死を覚悟しておいさめしようとした事でございます。
松陰は直弼と共に安政の大獄を推し進めた老中間部の暗殺計画を告白してしまうのです。
幕府に対し松陰は意見を述べたかったのですがずっとチャンスがありませんでした。
老中暗殺をほのめかす事で松陰はかつて尊敬していた直弼に会おうとしたのかもしれません。
今幕府はこの国の未来を憂えて立ち上がった者たちを次々に捕らえ拷問し処刑している。
徳ではなく力で政を押しつけんとする井伊大老にこの国の未来を託す事ができましょうや!ドラマの中ではその声は直弼に届きます。
吉田寅次郎。
クライマックスで両者の思いがぶつかり合います。
ここから先は「大河ドラマ」でご覧下さい。
それにしてもこのシーンお二人はどんな気持ちで演じたのでしょう。
お互いぶつけ合う訳ですけれども微妙なずれがあるんですよ。
それが結果的に2人を不幸にしていく訳ですけれども。
それが非常にやり取りとしては面白かったです。
まあ伊勢谷君もかみついてきますしね。
私は私でそれをどう受け止めるか。
またどう相手に伝えようとするか。
その辺の腹芸みたいなもの。
久方ぶりに面白かったね。
うん。
僕はお白州にいてそれに負ける訳にいかないんでそういうふうな態度はしてないですけど。
僕は何かその時は・「テテテテテテテテテテテテテ」って来てる時…言われてみれば確かにゴジラ…。
それこそ井伊直弼いい加減にしてくれっていう思いの中であの人と話してきちんと論じ合いたいって思いの中ででもまあまずかなう訳ないし諦めかけてたところに現れたんでもう僕からしたらすごくうれしかったですね。
その8人の中に松陰も含まれてしまったのです。
領民思いだった直弼にとって国の秩序を守る事が大老としての最大の使命でした。
安政の大獄は直弼が下したギリギリの決断だったのです。
生まれた時代が少し彼にとって不幸だったのかなっていうふうに思います。
一番厳しい時期に生まれて一人で要するに条約を結ばなければならなかったというね。
その責任をすべてを背負ってしまったというところに彼の不幸があるのかなと。
だからこそああいう苦難にも遭うという。
それがやっぱり定めだったのかなと思いますね。
井伊家の菩提寺である…埋木舎時代の直弼が禅の修行を積んだお寺です。
あっどうも。
お邪魔しますどうも。
ありがとうございます。
よろしくお願い致します。
実は直弼はこの寺で生前に戒名を決め位牌まで作っているというのです。
こちらが井伊家のお位牌が納められた寂光堂でございます。
はあ〜こちらが井伊家のお位牌ですか。
歴代の藩主とその子どもたち正室に側室など100人以上の位牌が安置されています。
こちらが井伊直弼公のお位牌でございます。
はあ…。
これが直弼の位牌。
みずから選んだという戒名です。
おお〜ちゃんと柳が入ってるんですか。
そうですね。
直弼公柳がお好きでしたので。
はあ〜。
枝葉は揺れても幹はぶれない。
自分の生き方を重ねた柳の文字を直弼は戒名にも使っていました。
この戒名っていうのは亡くなられるもっと前に?そうですね。
亡くなられる5年前に自分で名前を決められてこのお寺に納められております。
亡くなる5年前といえば大老になる前。
そのころから直弼は非業の死を予感していたのでしょうか。
相当な覚悟があって江戸に向かわれたんだと思います。
そうですよね。
普通いませんよね?生前に戒名…。
なかなかいないですね。
はあ…。
東京にやって来ました。
大老の直弼が江戸で住まいとしましたのはこちらこの江戸城をお堀で挟んだここですね。
彦根藩の上屋敷。
現在はあちらに見えます憲政記念館の建つ場所です。
1860年旧暦の3月3日雪の降る朝。
直弼を乗せた駕籠は総勢およそ60人であそこを目指しました。
江戸城桜田門です。
そして一行が門の前に着いたその時…。
尊皇攘夷派の18人が襲いかかったのです。
一発の銃弾が駕籠の中の直弼に命中。
その首が奪われるまで襲撃開始から僅か十数分の出来事でした。
この場所で直弼は暗殺されてしまいました。
その後ライバルたちが政権を握りますと直弼一人に非情な独裁者というレッテルを貼った訳です。
しかし直弼の足跡をたどる事で彼が決して悪人ではなかったという事が分かって頂けたのではないでしょうか。
東京・世田谷区にある…30歳の若さで亡くなった吉田松陰がここに眠っています。
そこから西へ歩く事僅か10分。
こちらの豪徳寺には井伊直弼が眠っています。
享年46。
志半ばで亡くなった2人。
もし生まれた時代が違っていたら2人の関係はどうなっていたでしょうか。
直接もし会っていたら…結構友達になってたんじゃないかなっていう思いはしますね。
ただお互いが非常に好き嫌いの激しい人間なのでその辺で基本的にどうなのかというふうには思いますけどでもそれを乗り越えた部分でお互いに話し合う時間があれば何かとても仲のいい関係になれたんじゃないかなって思えるんですよね。
この国を守らんにゃならん。
死は覚悟の上じゃ。
誰に命を狙われようと一歩も引くつもりはない。
2015/04/26(日) 17:00〜17:30
NHK総合1・神戸
高橋英樹特別講義「“花燃ゆ”井伊直弼 悪人にあらず!」[字]
幕末、安政の大獄で吉田松陰を死に追いやった大老井伊直弼。「花燃ゆ」で井伊を演じる高橋英樹が、彼の知られざる素顔に迫る。【出演:高橋英樹 伊勢谷友介】
詳細情報
番組内容
幕末、日本を開国に導いた大老井伊直弼。一方直弼は安政の大獄によって吉田松陰ら反対派を数多く処刑した。直弼は冷酷な独裁者なのか、それとも日本の近代化に貢献した改革者なのか。俳優の高橋英樹さんは、そんな直弼に以前から強い興味を持ち、是非一度演じてみたかったと言う。大河ドラマ「花燃ゆ」でその夢をかなえた高橋さんが、ゆかりの地である彦根市や京都、江戸城桜田門を訪ね、謎の多い井伊直弼の人物像に迫る。
出演者
【司会】高橋英樹,【ゲスト】伊勢谷友介
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 生涯教育・資格
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:21937(0x55B1)