大きな貝殻に乗りうららかな春の岸辺に現れた愛と美の女神。
ルネサンスを代表するイタリアの画家ボッティチェリの傑作「ヴィーナスの誕生」。
ボッティチェリは生涯聖母や女神を描き続けました。
春の楽園で舞い踊り喜びをうたう女神たち。
ところがその表情を見ると不思議です。
どこか物憂げな女神たち。
それはルネサンスという美の革命に挑んだボッティチェリの挑戦でした。
女神の姿には絵に命を宿すさまざまな仕掛けが秘められています。
体の構造としては極端すぎるぐらい首を曲げています。
すごくこの女性の魅力的なものに取りつかれてるような。
謎多きボッティチェリの女神たち。
その瞳の奥にある世界をのぞいてみましょう。
「日曜美術館」です。
今日は15世紀後半イタリアフィレンツェで活躍したボッティチェリです。
あの「ヴィーナスの誕生」は多くの人が知ってるという作品になりますよねきっとね。
必ずどこかで見た事のある絵だと思うんですけれども特にやっぱり表情に目が行きますね。
とても神秘的で謎めいた印象を受けます。
身近な作品だからこそその謎ミステリアスな部分に深く入っていきたくなるような作品でもあります。
今回はこうしたヴィーナスをはじめとする女性像に注目してボッティチェリの世界を見ていきます。
東京・渋谷で今「ボッティチェリとルネサンス」と題した展覧会が開かれています。
初期から円熟期まで貴重な作品が来日しました。
「怖い絵」などの著書で知られ西洋文化の歴史を研究する視点から名画にまつわるさまざまな謎を読み解いています。
中野さんはボッティチェリの絵にもミステリアスな魅力が秘められていると考えています。
まず目を留めたのは初期の頃の作品です。
(中野)これもまだマリアの顔を見ただけでは本当に愛らしさだけでまだ内面の深さとかそういうところにまでは至っていない初期の姿ですね。
ただこの絵面白いのは目がね他の同時代の画家の絵と比べると目が違いますね。
どこを見ているとか何とも言えない口にできないプラスアルファの目力というのが違います全然。
それがだんだん成熟していって「ヴィーナスの誕生」みたいになるとああいう悲しい目にまたなっていくんですよね。
幅5メートルを超える壁画の大作「受胎告知」。
風をはらみ舞い降りた大天使が聖母マリアに神の子をみごもった事を告げる場面。
ボッティチェリ30代半ばの作品です。
この辺りぐらいからさっきの丸い顔の少女っぽいマリアからちょっと大人っぽくなった感じが。
お受けしますって言いながら何となくちょっと悲劇的なような顔になっていますね。
ある意味女性にとっては悲劇ですよね。
だってこれから別の人と結婚しようとしている時に自分は神の子をみごもってその神の子はいずれ磔刑されるんだという事も全てそこで一瞬にして分かってなおかつ受け入れますと言った時はやっぱり悲劇でもありますよね。
すごくこれなんかはいいと思いますね顔がね。
円熟期の作品。
ひざまずき我が子に祈りをささげる聖母の姿です。
顔なんですけどちょっと病的な感じなんですよね。
当時結核なんかがはやっていたから胸を病んでる時のあれだと言われてる。
これはマリアが我が子でありながら我が子ではない人類を救う神の子だという事に対して祈っているわけなんだけれどもでも自分の子ですよね。
自分が生んだというその複雑な思いというのがちょっとうかがえるような顔になっていますよね。
愁いを帯びた女性像。
そこにはどんな秘密が隠されているのでしょうか。
ボッティチェリが生涯を送ったイタリアフィレンツェ。
ルネサンス発祥の地として知られる芸術の都です。
街の中心に世界有数の美の殿堂ウフィツィ美術館があります。
数千点に及ぶコレクションの中で特に際立つのがルネサンスを代表する画家たちの傑作です。
この絵を描いた時レオナルドはまだ20代。
大天使と聖母マリアの姿を精緻を極めた筆で描いています。
イエスを担ぎ上げようとする聖母の姿にはたくましさがみなぎっています。
そして最も人気が高いのがボッティチェリの展示室です。
代表作「ヴィーナスの誕生」。
海の泡から生まれたヴィーナスが貝殻に乗って岸辺に打ち寄せられる場面です。
官能的な裸体は古代ギリシャ・ローマの彫刻に学んだもの。
宙を舞う西風の神ゼフィロスと花をまく妖精クロリス。
ヴィーナスに春の風を送っています。
その風を受けながら時の女神が大きくマントを広げヴィーナスを迎えようとしています。
春を謳歌する優美な神話の世界。
しかしこの絵が多くの人を引き付ける訳はそれだけではありません。
甘美な肉体そこに寂寥感まで漂います。
ボッティチェリは革新的な美をつくり出そうとしました。
それまで女性のイメージは聖母や聖女ばかりで宗教的なものに限られていたのですがボッティチェリは人間的な肉体を描く事で新しい女性の美を表現しようとしたのです。
そしてメランコリックな表情はボッティチェリの絵画を読み解く重要な暗号になっています。
ボッティチェリの革新的な美。
それはルネサンスという時代の中で育まれたものでした。
フィレンツェで中世から続く復活祭。
14世紀以降この街は貿易と金融業で栄え市民社会が花開きました。
そうした中新たな芸術運動ルネサンスが幕を開けます。
ボッティチェリが画家になったのはそんな時代でした。
当時書かれた「芸術家列伝」。
ボッティチェリの人となりを知る唯一の手がかりです。
ボッティチェリは1445年ごろ皮なめし職人の四男としてフィレンツェで生まれました。
子供の頃から絵を描く事が大好きでした。
15歳で画家フィリッポ・リッピの工房に弟子入り。
デッサンの巧みさは別格だったといいます。
これは師匠のリッピが描いた聖母子像。
表情は気品と優しさに満ち初期のルネサンスを代表する作品です。
ボッティチェリは人間性豊かな表現を師匠リッピから学びました。
線の美しさやリアルな表情の描き方を自分のものにしていきます。
ルネサンス以前の中世の時代。
宗教画は人間性を持たせずに描くのが常識でした。
13世紀に描かれた聖母子像です。
キリスト教の禁欲的な価値観の下人間は汚れた存在とされ聖母の姿は神々しく荘厳でなければなりませんでした。
絵の人物は祈りの対象であり個性や感情はむしろ排除されるべきものでした。
ボッティチェリは聖母を描きながら新しい時代の絵画を模索していたのです。
やがて師匠のもとを離れ20代半ばでフィレンツェに自分の工房を構えます。
そして有力なパトロンとなったのがフィレンツェを支配していた…ロレンツォは郊外の別荘で知識人たちの集まりを主催していました。
メンバーは哲学者や詩人芸術家たち。
古代ギリシャ・ローマの思想を復興し人間の本質に立ち返ろうという対話が交わされました。
ボッティチェリはロレンツォを通じてこの集まりに参加します。
そして人間への洞察を深めていきました。
そうした探求を続ける中で絵にも変化が現れます。
表情が豊かになり温かみまで伝わってくる聖母の姿。
そしてあの傑作が生まれます。
春の風に乗って現れた愛と美の女神「ヴィーナスの誕生」。
(ポンス)精神的な美内なる世界への関心はボッティチェリにとって重要なテーマでした。
人間とは何か人間の精神の崇高さとは何かそれを突き詰める事で永遠なる美に近づこうとしたのです。
そうして生まれた新しい美のイメージがヴィーナスでした。
ボッティチェリはどのようにしてヴィーナスの内なる美を描き出そうとしたのでしょうか。
アントニオ・チッコーニさん。
女性の肖像画を数多く手がけています。
ボッティチェリのヴィーナスを模写する中で表情に独特の仕掛けがある事に注目しました。
彼女の目を見て下さい。
非常に詩的で物思わしげに感じますよね。
ボッティチェリはこのまなざしにとてもこだわって人物の性格や個性を強く出そうとしているんです。
よく見て下さい。
透明感のある目をしていますが少しだけとろんとさせて描いています。
実際に模写してみてよく分かりました。
そうする事でヴィーナスに物憂げな感情を与えているのだと思います。
今回のゲストは作家でドイツ文学者の中野京子さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回展覧会場にも足を運んで頂いて会場でも改めてボッティチェリいいなと思われた魅力からお聞かせ頂けますか?やっぱり初々しさとそれからこの描線の優雅で繊細なところ。
そして何よりやっぱり顔ですね。
女性の顔。
特に目。
それがボッティチェリの独特のところだと思いましたね。
僕もボッティチェリの描くヴィーナスの表情というところにとても興味深いなと思っていて。
表情の背景の中にボッティチェリがどのような事を意図してこのような表情へと…。
行ったのかという。
このヴィーナスの事なんですけれどもヴィーナスの誕生までの神話にはすさまじいものがあってですね。
まずこの世の始めにガイアという大地の女神が生まれて天空の神のウラノスと結婚するんですね。
子供たちというか神々ですけどたくさん生むんですけどウラノスが気に入らない子供を始末していくんですね。
それでガイアは怒って息子のクロノスに大鎌を持たせてこれで父親を殺すようにと言うんですね。
クロノスは母親に言われたとおり自分の父親であるウラノスを殺してなおかつウラノスの男性器を鎌で切り取って海へ捨てるんですね。
そうするとそれはプカプカ流れていって海の泡と混ざってそして生まれたのがヴィーナスなんです。
だからもうヴィーナスというのは子供時代がなくて生まれた瞬間に完璧美女でこれだけでもちょっと悲しいものがあるんですけど。
あとはやっぱりこの世の最初の殺人ですよね。
なおかつ息子の父殺し。
そういう特殊な生まれ方をした美と愛の女神を描く時にやっぱりそういう背景を背負ってきた人ならぬ美の女神の表情というものを考えていくわけですね。
すさまじい背景を背負った作品。
やっぱり神話はすごいですね。
その時に今の私たちは画家というものは1人で構成して全て1人でやるという考え方があるじゃないですか。
しかしこの当時はパトロンたちが…ここだとメディチ家なんですけどもパトロンがいてそのパトロンの周りにやっぱりいろんな人文学者とかいろんなインテリがいてそういう人たちがいろいろ話し合って「ここにこれを配置しよう」とか「こうしよう」とか「そしたら女神はこうでなくちゃいけない」とかそういう話をやっぱりするんですね。
そして作り上げていくのでボッティチェリが1人で全部やったという事ではないです。
例えばヴィーナスだったら大抵オールヌードなのでヴィーナスなのか何なのか分からないですよね。
そのために大抵バラを持ってたりします。
この絵でもバラが。
このバラの花というのはヴィーナスの誕生と共に生まれたと言われるんです。
こういうものを入れるようにというのは皆話し合った。
例えば帆立て貝なんかは子宮という事をやっているし。
かなり細かな注文があったと。
はい。
ただそれでもそれに応えて彼はそれ以上のものを作ったからあのメディチ家に気に入られて次々オファーが来るわけですよね。
当時の知識人たちの本当に知恵や工夫が凝縮されて見事にボッティチェリの筆力によって開花した作品なんですね。
フィレンツェのウフィツィ美術館。
ここにボッティチェリのもう一つの代表作があります。
「春
(プリマベーラ)」。
メディチ家からの注文で結婚祝いの品として描いたと言われています。
春の楽園に集う個性豊かな神々。
西風の神ゼフィロスが追うのは花をまく妖精クロリス。
このクロリスが変身して隣にいる花の女神フローラになります。
全身にまとった色鮮やかな花々。
でもその顔はちょっと疲れているようにも…。
実在する女性のようなリアルな表情。
軽やかに舞い踊る三美神。
愛の女神は何を見つめているのでしょうか。
少し顔を赤らめ切ないまなざし。
薄い衣を身にまといしとやかにたたずんでいるのが主役のヴィーナス。
その表情は秘めたものを感じさせます。
人生の喜びをうたい上げたルネサンスを象徴する作品です。
「春」に描かれた女神にボッティチェリならではの仕掛けがあると考えている人がいます。
解剖学などの観点から独自の美術批評をしている…「春」を見た時にまず目が行くのがこの三美神の踊りとこちら側のこのニンフがフローラに変身する場面と両脇に目が行きがちで。
それに比べて真ん中のヴィーナスは何となく絵全体の中で地味な感じがするんですけれどもボッティチェリの人体あるいは女性の描き方という事から見ると真ん中のヴィーナスにボッティチェリ的な特徴が実は表れてるんじゃないかというふうにも思います。
布施さんがまず注目したのはヴィーナスの…本来目というのは頭まっすぐにすれば水平になるんですけどもこれは若干上下にずれていまして。
それはある意味例えばピカソのキュビスムみたいなもので右の顔と左の顔を別々に見てある種合成しているというかその合成のずれの中にまた表情とかある心の動きを表現しているというところはあると思いますね。
左右の顔を比べてみて下さい。
何か若干違う所を見ているようなところがあってつまり一つの世界ともう一つ別の世界を同時に見つめているというようなある種うつろなまなざしをしているところがあって。
現実世界だけではなくてそれを超えた永遠なるものというかそれも同時に捉えようとしていたボッティチェリの崇高な視線というのもそういったスタイルの中に表れてるんじゃないかと思いますね。
あともう一つはこのヴィーナスはちょっと体の構造としては極端すぎるぐらい首を曲げています。
実はこれがボッティチェリらしい一つの特徴になっていて。
ボッティチェリの顔の描き方というのは口の端とか目とかを上げたり下げたりするという事で心を表現するのではなくて顔だけ見るとどちらかというと無表情ですね。
その時に表情ではなくて首と頭の曲げる角度であるとかそしてそこから生まれるリズム感であるとかそういった事からある心の表現というのをやっていてより心がぐっと動く感じを表現しようとしたボッティチェリの手法なんだと思いますね。
「春」に描かれた女神たちにボッティチェリの野心が見てとれると言う人がいます。
ルネサンスの時代を題材にした「チェーザレ」という漫画を描いています。
ボッティチェリの「春」も登場。
女神の描き方には新しい時代への挑戦が感じられると言います。
当時の宗教観念からいったらかなり攻撃的な絵をお描きになっててこの薄ぎぬですよね。
これかなり当時ほんとぎりぎりだったと思うんですよね。
キリスト教徒の女性は絶対裸になりませんので人前で。
官能的って今なら言うんですけどその官能的に描く事が淫らというふうにとられてしまうので。
こういう首をかしげた形の女性とかって下手をしたらしなをうってるみたいなこびを売ってるようなポージングにも見えるんですよね。
ボッティチェリにしてみるとかなりこれは実験的というか表現の自由を自分のできるかぎりというのをやってみたいという創作者の意地みたいなさがみたいなものはあったと思います。
更に惣領さんは「ヴィーナスの誕生」には「春」よりも過激な挑戦がかいま見えるといいます。
それまでが女性が女性でないというかやっぱりマリアのイメージで半分生きてるんだか血の気があるんだか分からない女性というのをずっと描いてきてたのが一挙にこの方で女性の魅力というのがここに主張されてるという。
美しくて華やかで男性を誘惑するものであるという。
でもその誘惑というものが女性の最大の魅力であるというこれを絵の中に出しているという。
男性を誘惑する女性像。
しかしそれを描いたボッティチェリにはこんな一面も。
実は女性嫌いで生涯独身。
縁談を勧められた時悩んで一晩中街をうろついたというエピソードも残されています。
女性嫌いというのがどういうとこでこうなっちゃったんでしょうねという話なんですけどね私はすごくこの女性の魅力的なものに取りつかれてるような気はするんですけどね。
多分そうですね。
「萌え絵」ですよね。
そういう表現していいのかどうか分からないんですけど。
彼の中の理想だったと思いますね。
そのボッティチェリが女神を通して人間を深く掘り下げ見つめていっているのかもなというふうにも感じるんですけれど。
これはやっぱりぱっと見ると舞台のような感じがちょっとしますね。
役者たちが集まってきて「はいポーズ」って撮ったような感じがちょっとしてそれはそれですごく面白いんですけどね。
先ほどの「ヴィーナスの誕生」ではちょっと違った関係性に見えてきたあの西風の神と妖精がなぜ連れ去ら…どうしてこんな関係性に。
結婚したんじゃないでしょうか。
これを見ると嫌がってるように見えるけれども口からお花というか出していますよね。
それが隣の人の服になっていってる。
それでこれは変身物語であって変身を描いてるんだと。
ただ顔がね違うんですよね。
そうなんです。
変身してこんな顔変わっちゃうのかなという。
これはちょっとお疲れ…。
とても共感を覚えるというか。
この中で1人だけ血が通ってるようにも見えるという。
あ逆にね。
一番生きてますよね。
生きてる感じがすごいありますね。
そして一応センターに立っているけれども主人公であろうヴィーナス。
一番目立たなくなってます。
大抵ヴィーナスってヌードで描かれますから服を着ててしかも手をこういうふうな形というのは知らない人が見たら聖母マリアじゃないかと思うと思うんですね。
同じヴィーナスとはいえ表情の描き方のアプローチが全く違うのかなとも感じますけども。
「ヴィーナスの誕生」の方のヴィーナスの方がインタビューでみんなが「切ない」とか「メランコリックだ」と言ってるように非常に複雑な表情をしていますよね。
ヴィーナスというのは日本だと美と愛の女神と言うけど正確には美と愛欲なんですよね。
官能なんですよ。
単なる愛ではなくて愛欲によって引き起こされるものというのはものすごくいろいろあるじゃない。
憎悪も嫉妬もそれから殺人も。
相手をそういう気持ちにもさせるし自分もいろんな神々と恋愛とかもするんですね。
喜びも与えるけれども傷もつけるというそういうもの。
自分も傷つくというかね。
ある種の苦痛ですよね。
愛の裏の苦痛というんですかね。
それをも含めたヴィーナスなんですね。
それが非常にうまく仕上がっているので誰もがこの顔を見た時に特に目ですね目を見た時にやっぱり悲しいような切ないような強烈な魅力があるんでしょうね。
本当にボッティチェリは多くの作品が人気を博していわば時代の寵児にもなります。
しかしその後の人生は大きな時代の波に翻弄されていきます。
ボッティチェリの後半生は苦難に満ちたものでした。
それを物語る作品があります。
学問の女神パラスが暴力と欲望の象徴ケンタウロスを押さえつける場面です。
知性が暴力を支配する。
しかし勝ち誇っているはずの女神の表情はなぜか深い悲しみに満ちています。
この絵が描かれた頃フィレンツェはメディチ家の黄金時代を迎えていました。
しかし反対勢力との対立を抱えボッティチェリのパトロンロレンツォの権力は盤石ではありませんでした。
そんな中フィレンツェの大聖堂で事件が起こります。
反メディチ勢力がローマ教皇と結託。
この大聖堂でロレンツォと弟のジュリアーノを暗殺しようと企てたのです。
幸いロレンツォは難を逃れますが弟ジュリアーノは惨殺されてしまいます。
報復に出たロレンツォは暗殺に関わった者たちを捕らえ政庁舎の窓につるし処刑しました。
ボッティチェリはその様子を壁画に描くよう命じられました。
この過酷な体験をしたあとに描いたのが「パラスとケンタウロス」でした。
ケンタウロスの髪をつかみ暴力を押さえ込む女神。
そのまなざしは深い悲しみをたたえ遠くを見つめています。
その後ロレンツォが亡くなりメディチ家は衰退。
フィレンツェの街から追放されてしまいます。
ボッティチェリは大きな支えを失いましたがやがてその画風を変え絵を描き続けます。
影響を与えたのはメディチ家のあとにフィレンツェの政治の実権を握ったサヴォナローラという修道士でした。
サヴォナローラはメディチ家の時代の芸術を退廃的だと非難し書物や絵画などを焼き払います。
それはルネサンスの一つの終焉でした。
虚飾を排するというサヴォナローラの思想の下描いたのがこの作品。
そこには優美さも官能もなくとげとげしいほどの緊張感が張り詰めています。
髪をつかまれ引きずられているのは「無実」を象徴する青年。
「不正」を表す審判官が裁きを下します。
争いを繰り広げる女性たちは「嫉妬」「欺瞞」「誹謗」。
人間の醜さを表しています。
傍らに裸で立ち尽くしている女性は「真実」の象徴です。
ヴィーナスを思い起こさせるポーズ。
しかしその表情は硬直し深い絶望感に覆われています。
人間とは何か。
激動の時代の中ボッティチェリは最後までその答えを探し求め65年の生涯を閉じました。
見てますと痛いぐらいの緊迫が伝わってくるような作品ですけれども。
ルネサンスって本当に言葉の響きだけで言うと華やかな印象を抱きがちですが決して時代はそうではなかったという事ですか?やっぱりまだ絶対王政というわけではないので盤石じゃないんですよね。
単なる力のある家ですから別の家が勃興してくるとそこをたたき潰して自分がってなるわけだから。
殺し殺されというのが非常にあったんですね。
でもこれは一応メディチ家が勝利した時の絵なのでこれはこの辺にメディチのマークが描いてます。
とにかくそれが紋章なので。
つまりパラスがメディチの紋章を衣服につけてるという事は明らかにこれはメディチが敵方をやっつけたという。
もうむんずとつかんでますね。
ケンタウロスの表情なんかはとてもこのシチュエーションを素直に受け取れる表情をしてるんですけどもこのパラスの表情が全くシチュエーションに合ってないというか。
だからこそその物語や感情の奥行きがまた深く感じ取る事ができるなと。
まさにそうです。
これでカンラカラカラってやっていればただそれだけの事になってしまいますもんね。
だからまあやっぱり「ヴィーナスの誕生」と同じようにいろんな思いがあるのではないかと思いますよねこの絵を見ると。
そこがボッティチェリの深さとも言えるでしょうね。
後半生に描いた特にこの「誹謗」という作品が。
何でしょうねボッティチェリの一番いい面だった甘美な肌というか肉体というのがこわばってしまっていると言うんでしょうかね動きとかも。
非常に何かエロスが減退してるんですね。
だからもはやあんなに甘美な夢のような世界を描いていたのにまるでにおやかな薫ってくるようなああいう絵がこんな氷の冷たい…何でしょうねフリーズしたような絵になっていく。
でもそれでも自分はよかったんでしょうね。
いろんな人間の内面とか感情とかそういったものへのまなざしって間違いなく大事にしていただろうしそれが絵を描く言ってみれば一つのモチベーションみたいなものにもなってたとは思うんですけども。
だから芸術というのはその制約の中で精いっぱいやるわけですよね。
いろんな人と話をして何とかしてそうして自分らしさを出すというので。
だからかえってそこに天才性というのはそういうところにむしろ現れた。
「何でも描いていいですよ」というよりもこういういろんな壁がありますよといった時にいろんな事を考えるじゃないですか。
後半生に時代のうねりにのみ込まれたというか時代のうねりはあったにせよやはりすばらしいというふうに後の時代の人たちが感じるわけですよね。
本物の絵はやっぱりねず〜っと残りますよね。
つまり全然古びないんですねボッティチェリの描く女性たちの顔が。
色あせぬ魅力を輝きが放っているという事は間違いないですよね改めてね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/04/26(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「女神の瞳に秘めた謎〜ルネサンスの巨人・ボッティチェリ〜」[字]
「ヴィーナスの誕生」で知られるボッティチェリ。優美な女神の表情はどこか憂いをたたえている。そこには人間の心を深く見つめ、絵画の革新を目指した画家の思いがあった。
詳細情報
番組内容
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと並ぶルネサンスの巨匠・ボッティチェリ。代表作「ヴィーナスの誕生」や「春」は、女神の姿を優美に描いた傑作だ。しかしよく見ると、その表情は、哀愁を感じさせる。ボッティチェリは、人間の内面を深くみつめ、時代の空気を敏感に感じ取りながら、それまで形式的に描かれていた女神像に、新たな命を吹き込もうとした。憂いをたたえた瞳に秘めた謎とは。中野京子さんが読み解く。
出演者
【出演】翻訳家、早稲田大学講師、ドイツ文学者…中野京子,美術評論家…布施英利,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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