古代の巨大建造物。
全長486メートルの…日本の巨大古墳はピラミッドや始皇帝陵と並ぶ世界最大級の墓です。
3世紀半ばからおよそ350年にわたり造られました。
しかしこの時代は文字による記録がほとんどないためいまだ多くの謎に満ちています。
それを解く鍵がイギリス大英博物館にあります。
今から120年前に一人のイギリス人が日本から持ち帰った…日英の合同チームはコレクションの本格的な調査を開始。
その全貌が明らかになってきました。
今はなき古墳から出土した貴重な品々。
その調査から幻の古墳が現代によみがえります。
天皇の墓とも考えられる古墳についての詳細な記録も残されていました。
そこからは日本独自の進化を遂げた巨大古墳の知られざる実像が浮かび上がります。
大英博物館の未公開コレクションや最新の調査研究から古代日本の象徴巨大古墳の謎に迫ります。
古代日本の真実の姿を求め大英博物館を訪れたのは…
(堺)この先に日本の展示室があります。
大英博物館にある日本のコレクションはおよそ3万点。
柿右衛門の陶磁器や北斎の浮世絵など江戸時代のものが特に有名です。
しかし大英博物館の収蔵庫にはもっと古い時代のコレクションが収められています。
それは古墳時代のものです。
古墳時代は弥生時代の次にあたります。
3世紀の半ばからおよそ350年続きました。
ちょうど卑弥呼の時代から聖徳太子の時代の間です。
古墳時代の特徴はこんな鍵穴のような形をした前方後円墳が数多く造られた事です。
東北から九州に至るまで全国におよそ4,700も造られました。
これほど身近にありながら多くの謎に包まれている古墳。
その謎を解く貴重なコレクションが大英博物館の収蔵庫に眠っていました。
ロンドンの大英博物館。
収蔵品は800万点を誇ります。
しかしそのうちの実に99%は収蔵庫に眠っています。
ニコル・ルーマニエール博士。
日本の歴史や美術を30年にわたり研究してきた第一人者です。
長い廊下を渡りいくつもの扉を開けた先に日本や中国のコレクションを収めたアジア部門の収蔵庫があります。
中国の陶磁器やインドの仏像などおよそ15万点が収められています。
展示室に並べきれないものや調査が十分に行われていないものなどが静かに眠っています。
棚の中に日本の古墳から出土した貴重な品々がありました。
これらは全てウィリアム・ガウランドという一人のイギリス人が集めたものです。
ガウランドは明治5年大阪の造幣局に金属加工の技師として招かれました。
同時に考古学を研究していたガウランドは16年間で400以上の古墳を訪ね歩きました。
そして地元の人々から購入した品々などおよそ1,000点をイギリスに持ち帰り大英博物館に収めました。
ガウランドが興味を持った古墳とは一体どんなものなのでしょうか。
最初の巨大古墳とされるのは3世紀の半ばごろに造られたといわれる…全長280メートル卑弥呼の墓ではないかともいわれています。
全国に造られた前方後円墳。
まだ国が統一されていなかった当時各地を支配した豪族たちが同じ形の古墳を造る事で緩やかな連合体を築いていたと考えられています。
天皇の墓は特に巨大に造られました。
全長486メートル。
日本最大の…これまでの研究で建造当時の姿が明らかになってきています。
大量の土を盛り固めた墳丘。
斜面には無数の葺石が敷き詰められていました。
古墳の上に並べられた埴輪はおよそ3万。
完成までには延べ680万の人々と15年の歳月が必要とされています。
巨大古墳の建造は膨大な時間と労力を費やした大事業でした。
しかし肝心の棺が収められている石室の様子はよく分かっていません。
巨大古墳の多くは天皇や皇族の墓とされ宮内庁により原則立ち入り禁止となっているからです。
それ以外の古墳の中には発掘調査が行われたものもあります。
しかしそのほとんどは既に盗掘されており副葬品は失われています。
そのため古墳が造られた当時の石室の様子を知る事は非常に困難なのです。
いまだ謎に満ちた古墳。
それを解く手がかりとして大きな期待を集めているのがガウランド・コレクションです。
大英博物館と日本の研究者たちが合同調査団を結成。
5年がかりでガウランド・コレクションの本格的な調査を行う事になりました。
今回はすばらしい機会です。
この合同調査では土器や金属製品などできるだけ多くの調査をするつもりです。
新しい発見を期待しています。
ガウランドが収集した品々は古墳時代の全般にわたる幅広いものです。
(ニコル)島田まげ。
なるほどなるほど。
調査では一つ一つの大きさや形などを正確に記録し整理していきます。
その結果ガウランド・コレクションの全貌が徐々に明らかになってきました。
墳丘の上に並べられた埴輪です。
埋葬者に仕えた女性を表しているといわれています。
当時の人々の髪型や装飾品の様子などがうかがえます。
須恵器と呼ばれる高温で焼いた土器。
死者を弔うための副葬品でした。
馬の口にはめる馬具です。
当時貴重だった鉄で形づくられ金メッキが施されています。
その繊細な作りは高度な金属加工の技術があった事を示しています。
これは面白い。
こうした貴重な品々に加えガウランド・コレクションの特徴は写真や図面をはじめとするさまざまな史料が残されている事です。
(忽那)お〜。
お〜すごいね。
当時大変高価だった写真。
それが200枚以上も見つかりました。
(忽那)こちらの仁徳陵はこれはすごいですね。
これは仁徳陵ですか?
(忽那)そうですね。
全然違いますね。
(忽那)周りはもう宅地になってしまっていますので現在ではホントにこんな写真は撮れないと。
当時は明治政府が主な古墳を天皇や皇族の墓に指定しているさなかでした。
かつては入る事ができた仁徳陵古墳はいち早く管理が強化されこの時既に立ち入り禁止となっていました。
しかし立ち入り禁止になる前に撮った別の古墳の写真もありました。
普通は古墳なんか発掘しますと埴輪が全部壊れてしまっているんですけどこれを見ますと当時立っていた位置そのままで出ているという事でどのくらいの間隔で埴輪が据えられていたのかという事が分かる貴重な一枚ですね。
ガウランドが撮ったこれらの写真は明治時代の古墳の姿を今に伝える極めて貴重な史料です。
ガウランドはまた実際に古墳の発掘調査も行いました。
出土品の情報を整理した目録も見つかりました。
一つ一つに番号がつけられています。
そして寸法や出土した古墳の名前が細かく記されていました。
1,000点を超える品々と膨大な記録がまとまって残されているガウランド・コレクション。
それは第一級の史料なのです。
ガウランド・コレクションは実際の物と記録この両方の豊かさにおいて並ぶものがありません。
今回の調査は古墳時代に新たな発見をもたらすでしょう。
日本から遠く離れた大英博物館にこれほど多くの古墳のコレクションがある事は驚きです。
120年前にガウランドが残した記録の数々。
実はこうした史料の中から古墳の知られざる実像に迫る重要な発見がありました。
それは今は消えてしまった古墳のコレクションです。
そこからはこれまで謎に満ちていた古墳内部の様子が分かってきました。
合同調査が続く中極めて重要な発見がありました。
今は存在しない古墳に関するものでした。
古墳の測量図の上には「芝村」と書かれていました。
芝村があったのは現在の東大阪市。
今は新興住宅地になっています。
ここにかつて芝山古墳という名の古墳がありました。
しかし昭和37年宅地造成で破壊されてしまいました。
今はなき幻の古墳です。
ガウランドは明治20年にこの古墳を調査していました。
その際の図面が残されていました。
石室をブロックに分けどこに何があったのかが詳細に記録されています。
この図面から芝山古墳はほぼ未盗掘だった事が明らかになったのです。
芝山古墳の石室で発見された貴重な品々。
ガウランドはその中の主なものを大英博物館に収めていました。
大英博物館科学調査部。
ここではコレクションの修復作業が行われています。
これは馬の飾りに使われた馬具。
腐食してバラバラになっていました。
(ボールドウィン)ここがつないだ場所です。
5つの破片でした。
つなぐまでこれが何か分かりませんでした。
この飾りは首の周囲に沿うように手綱からぶら下げられていたのでしょう。
修復された馬具を含む出土品。
そしてその出土状況を詳細に記録した史料。
それらを基に合同調査団はある試みを行いました。
失われた芝山古墳の復元です。
原寸大に作った石室のシートの上にガウランドの記録どおりにコレクションを置いていきます。
壊れやすい鉄製品などは同じ大きさの写真パネルを。
非常に小さいものや記録にしかないものは文字のプレートを置きます。
木製の棺は長い年月の間に朽ち果てていました。
しかし石室に残されたものから棺が置かれた位置を推測する事ができます。
検討の結果この石室には少なくとも2つの棺が収められていた事が分かりました。
更に調査団が注目したのは石室の真ん中に置かれた大きな須恵器です。
棺のそばに須恵器を置きその上にささげ物を載せて死者を弔ったと考えられました。
石室を復元した結果当時の人々の死者に対する思いの一端が明らかになってきたのです。
ガウランド・コレクションを基にコンピューター・グラフィックスで芝山古墳を再現します。
コレクションの分析や石室の造り方からこの古墳は6世紀前半のものと分かりました。
この地を治めた有力者の権威を示すため大阪平野を見渡す絶好の場所に造られていました。
今はなき幻の古墳がガウランド・コレクションにより現代によみがえったのです。
謎に包まれていた古墳の実体が徐々に分かってきました。
古墳内部の様子がこれほど忠実に復元できた事は大変珍しい事です。
実はこれまでの研究で巨大古墳が造られた時期については明らかになってきています。
これは巨大古墳の変遷を表したものです。
最も古いのが卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳。
一番大きいのが仁徳陵古墳です。
そしてこの中にガウランドが特に注目した古墳があります。
古墳時代の最後を飾った巨大古墳。
丸山古墳です。
丸山古墳は今宮内庁によって内部への立ち入りが禁止されています。
ところがガウランドはこの丸山古墳の中に入って調査をしていました。
この日収蔵庫から大きな巻物が取り出されました。
ガウランドが描いた古墳の測量図でした。
調査団が目にするのは初めての事です。
墳丘の形や大きさが色つきで丁寧に描かれていました。
これは最後の巨大古墳と考えられる丸山古墳の測量図でした。
全長310メートル。
奈良県最大の前方後円墳です。
日本各地の古墳を訪ねては調査を続けていたガウランド。
彼がこの丸山古墳にやって来たのは明治15年。
来日して10年後の事でした。
ガウランドは丸山古墳の墳丘の大きさに圧倒され徹底的な測量調査を開始しました。
ガウランドが撮影した丸山古墳です。
墳丘の上に畑が作られている事が分かります。
実は当時は今のような立ち入り制限はありませんでした。
そこでガウランドは丸山古墳の中に入り調査をする事ができました。
その時の様子を詳細に書き残しています。
ガウランドは自然のままの巨大な石が精緻に積み上げられている事に驚きました。
それはこれまで調査してきたどの古墳のものよりも大きな石室でした。
棺を目指し更に奥へと進んだガウランド。
突然行く手を阻まれました。
結局棺の置かれた一番奥の部屋まではたどりつけませんでした。
しかしその巨大な石室の造りからこの墓の埋葬者をある人物と推測しました。
「すなわちそれは天皇の墓である」。
ガウランドが天皇の墓と考えた巨大な丸山古墳。
その後明治30年には宮内庁もこの丸山古墳を天皇や皇族の墓の可能性があるとして直接管理し始めました。
石室への入り口は塞がれて以来誰も立ち入る事はできなくなったのです。
大英博物館に残されていた丸山古墳の測量図。
この図面には不思議な点がありました。
棺のある部屋墓室の位置です。
墓室が墳丘の中心から大きくずれて描かれているのです。
通常前方後円墳の場合棺が置かれる位置は決まっています。
これまでの研究によるとその位置は丸い墳丘の真ん中です。
墳丘は人が入る事ができない聖域とされその中心に棺が収められたと考えられています。
これは古墳が造られて以来ずっと続いてきた日本の伝統です。
しかしその原則が丸山古墳では破られ墓室が中心から大きくずれてしまっています。
そのためガウランドが描いたこの測量図は間違っているのではないかと疑われたほどでした。
丸山古墳の不思議なずれ。
その謎を解くきっかけとなるある事件が平成3年に起きていました。
古墳の近くに住む…雨で土砂が流れ石室の入り口がおよそ100年ぶりに姿を現したのです。
その年の12月この穴から中に入って撮られた写真が突如マスコミで報道されました。
天皇のものかもしれない墓を写した衝撃的な写真でした。
宮内庁は急きょ石室の内部を専門家に公開しました。
それはガウランドが指摘したとおり日本最大の巨大な石室でした。
この出来事がきっかけで宮内庁は石室の詳細な測量を初めて行いました。
全長は28.4メートル。
こうして石室内部の詳細は明らかになったものの一体どれだけずれているのか墳丘との関係はこの時はまだ分かりませんでした。
去年8月。
今度は墳丘の詳細な測量が合同調査団によっていよいよ行われる事になりました。
宮内庁が行った石室の測量と合わせる事で両者の位置関係を調べるのが目的です。
墳丘にレーザー光線を当て古墳全体の正確なデータを3次元で記録します。
計測したデータから木や草などの障害物を画面上で取り除き造られた当時の墳丘の形を復元していきます。
調査から4か月後。
墳丘と石室の位置関係を示す模型が完成しました。
その結果墓室と墳丘の中心とのずれは…確かにずれていた墳丘と石室。
ガウランドの測量図は正しかった事が確認されました。
最後の巨大古墳といわれる丸山古墳。
それは従来の日本の伝統とは大きくかけ離れた古墳だったのです。
古墳時代の最後を飾った巨大古墳は特別なものでした。
ガウランドはその詳細を正確に描いていました。
ガウランドの測量図です。
この大きさからもガウランドがいかに丸山古墳に注目していたのかがよく分かります。
中心から大きくずれていた墓室。
一体なぜ丸山古墳で日本古来の伝統が破られていたのでしょうか?丸山古墳の墓室のずれは何を意味するのか。
そこからは日本で独自の進化を遂げた巨大古墳の実像が浮かび上がります。
大英博物館の調査でまた新たな発見がありました。
古墳から出土した鏡の中にある特徴が見られたのです。
もともとは中国から日本に入ってきたこの文様。
しかしそれを日本独自のものに変化させていました。
同じ事が須恵器でも見られます。
朝鮮半島では脚がついた高杯が主流でしたが日本では脚を無くした蓋杯が食器の主流となっていきました。
外国の文化を取り入れては柔軟に変化させていった日本。
調査団はこの日本化という流れが丸山古墳の不思議なずれと大きく関係していると推測しました。
なぜならあの丸山古墳の石室も日本化されたものだと考えられるからです。
そもそも石室には2つのタイプがあります。
古くから造られてきたのが竪穴式。
墳丘の中央に穴を掘り棺を収めるもので巨大古墳の多くはこのタイプです。
それに対し丸山古墳のものは横穴式。
墳丘の横から通路を造り奥の部屋に棺を収めるものです。
こうした横穴のタイプは紀元前に中国で生まれ5世紀ごろ朝鮮半島南部や日本でも取り入れられました。
百済の王武寧王の墓です。
通路を抜けると棺を収めた部屋があります。
この横穴式の墓は同じ形に加工した小さなレンガを積み重ねて造られています。
一方日本ではこれと異なり違う姿に進化させていきました。
不ぞろいな自然の石を積み上げる事にしたのです。
そしてその石を徐々に巨大化させていきました。
初めは人が手に持てるほど小さかったものが何百キロもある巨大な石を使うようになったのです。
その背景には日本古来の信仰があるといいます。
自然を敬い巨石には神が宿ると信じた古代の人々。
その強い思いが石室の石を巨大化させていったと考えられるのです。
横穴式石室は大きな自然の石をジグソーパズルのようにうまく組み合わせて造られています。
原型は大陸でもそこに自然の形を取り込むのが日本の独自性であり日本人の感性なのです。
日本人が進化させて生み出した自然石の巨大な石室。
しかしそれは皮肉にも日本古来の巨大墳丘とは両立し難いものでした。
なぜなら巨大な石を使って造れる横穴の長さにはおのずと限界があるからです。
比較的小さな豪族の古墳なら墳丘の真ん中に墓室を据えるのは難しくありません。
しかし丸山古墳は巨大すぎて横穴を途中までしか造る事ができなかったのではないか。
従来の伝統である巨大前方後円墳と新たに進化させた横穴式石室。
それを両立させようとした結果起きたのが丸山古墳のずれだと調査団は考えました。
この時今後の墓の在り方を巡り大きな議論が起きたと推測されています。
巨大墳丘と巨大石室のどちらをとるのか。
日本は重大な選択を迫られたというのです。
その後の権力者の墓は一体どう変化していったのでしょうか。
蘇我馬子の墓といわれる…ここにはもはや巨大な墳丘はありません。
日本は古来から続いてきた巨大墳丘の建造を取りやめ横穴式石室を中心とする新たな道を選択したのです。
当時の人々にとってこの変化は驚きであり残念な部分もあったかもしれませんがとても重要な出来事だったのです。
なぜならこれは新しい時代の到来であり今に続く日本の基になったからです。
ちょうど時期を同じくして日本は大きな転換点を迎えます。
聖徳太子らを中心に仏教を軸とする新しい国造りを本格化させていったのです。
強力な統一国家の建設に向け新たな段階に入っていった日本。
そうした中緩やかな連合体の象徴だった巨大な前方後円墳はその役割を終えました。
日本列島の各地に残る巨大古墳。
その巨大な姿は日本独自の古墳文化の輝きを今も確かに伝えています。
350年続いた巨大古墳の時代は丸山古墳を最後に終わりを迎えました。
大陸の文化を柔軟に受け入れ日本独自の文化を生み出した古墳時代。
失うものと新しく得るもの。
その繰り返しで歴史は形づくられていく。
収蔵庫に収められたガウランド・コレクションはその事を静かに物語っているのかもしれません。
2015/04/26(日) 02:53〜03:43
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 知られざる大英博物館3.日本 巨大古墳の謎[字][再]
大英博物館の収蔵庫に眠る未公開の品々から、歴史の真実に迫るシリーズ。第3回は日本。ピラミッドをしのぐ世界最大級の墓、巨大古墳の謎と驚異の実像を描く。出演、堺雅人
詳細情報
番組内容
大英博物館の収蔵庫に眠る未公開の品々から歴史の真実に迫るシリーズ。第3回は日本。ピラミッドをしのぐ世界最大級の墓、巨大古墳。大英博物館の収蔵庫に、1人のイギリス人が日本から持ち帰った膨大な古墳のコレクションが眠っていた。日本と大英博の合同調査団は、本格的な調査を開始。その結果よみがえった幻の古墳。そして巨大古墳が消滅した背景にあった知られざる古代史秘話。古墳時代の謎をひもとく【ナビゲーター】堺雅人
出演者
【ナビゲーター】堺雅人
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