ETV特集「小さき命のバトン」 2015.04.25


(泣き声)産まれたばかりの掛けがえのない命。
目が今…あ〜目開いた。
あ〜目が開いた。
(女性)目開いた。
赤ちゃんを抱いているのは産みの親ではなくこの子を育てていく女性です。
出産した女性はこの扉の向こう側にいます。
10代の少女は未婚のまま妊娠。
一人で育てていく事は難しいと悩み抜いた末赤ちゃんを手放すと決めました。
予期せぬ妊娠に悩み独りで苦しむ女性が後を絶ちません。
10代の妊娠。
性暴力被害による妊娠。
「お金がなく産んでも育てる事ができない」という声。
この病院はこうした女性たちの悲痛な声に耳を傾けてきました。
行き場のない女性たちと向き合い赤ちゃんの命を守るための支援を行っています。
更に女性がどうしても我が子を自分で育てる事ができない場合ある選択肢を提案しています。
赤ちゃんを産まれてすぐに新しい家族へとつなぐ「赤ちゃん縁組」。
全国でも珍しい試みです。
命が誕生する瞬間に立ち会っているのは長年不妊治療をしても子どもを授からなかった夫婦。
(赤ちゃんの泣き声)奮闘する病院のスタッフと幼き命を巡る女性たちの物語です。
熊本市内にある慈恵病院。
ベット数98床。
産婦人科を中核とする民間の総合病院です。
8年前日本で唯一の「赤ちゃんポスト」「こうのとりのゆりかご」を開設した事で知られています。
予期せぬ妊娠をした女性がどうしても赤ちゃんを自分で育てる事ができない場合匿名でも預ける事ができる施設です。
けれども病院はゆりかごはあくまで命を救うための最後の砦だと考えています。
おはよっ!おはようございます。
そのため女性たちのSOSを早い段階で受け止める専用の相談室をゆりかごの開設と同時に作りました。
この相談室の責任者で助産師の…45年間働き続けてきたベテランです。
女性たちからの電話相談を24時間365日無料で受け付けています。
いいえ。
うん。
「産んでも知らない」…。
ふ〜ん。
この女性は妊娠したものの相手の男性から結婚を拒否されているといいます。
周囲の誰にも助けを求める事ができず藁にもすがる思いで電話をかけてきました。
え〜。
相談員は9人。
主に看護師や助産師などの専門職です。
女性たちの声に耳を傾けるだけでなく命を救うための具体的な支援を行っています。
SOSは熊本県内だけではなく北海道や東北関東など全国から届きます。
関西地方に暮らす女性から電話がありました。
お金がなく産婦人科を一度も受診していないといいます。
通常の病院では未受診で母子手帳もない妊婦はなかなか受け入れてもらえません。
けれどもこのまま出産に至れば女性と赤ちゃんの命が危険です。
そのため田尻さんたち相談員は特別に受け入れてくれる病院を探し伝えました。
ね。
は〜い。
「誰にも妊娠を知られたくない」。
「産んでも育てられない」。
相談員たちは赤ちゃんの命を守るためこうした女性たちに寄り添い続けてきました。
電話相談は今年で9年目を迎えました。
これまでに全国から8,000件もの相談が寄せられています。
いろんな思いがあります。
予期せぬ妊娠に悩み抜いた末電話相談を通じてやっと病院にたどりついた女性がいます。
おはようございます。
この日スタッフを集めた週に一度の「ゆりかごカンファレンス」が開かれました。
妊娠しているのは10代の女子学生です。
女子学生が妊娠に気付いた時は既に中絶できる時期を過ぎていました。
娘の妊娠を知った母親が病院に相談の電話をかけてきたのです。
10代の由美さんです。
母親が知るまで罪悪感から妊娠を打ち明ける事ができませんでした。
お腹に宿った命をどうすればよいのか独りで悩み続けました。
「赤ちゃんを産む」。
そう決めたものの由美さんはまだ10代の学生。
相手の男性とは連絡が取れず現実に一人で育てていくのは難しいと考えていました。
病院では女性がどうしても赤ちゃんを育てられない場合「出産してからすぐに新しい家族に託す選択肢もある」と提案してきました。
「赤ちゃん縁組」という全国でも珍しい試みです。
相談員が妊娠中から丁寧にカウンセリングを行う事で女性は出産と同時に育ての親へ命のバトンを渡す事ができるのです。
由美さんは悩み抜いた末に「赤ちゃん縁組」を選びました。
産みの親が安心して命のバトンを渡せるように。
病院は赤ちゃんにふさわしい育ての親を探す事にも力を入れています。
養子縁組の斡旋団体と連携し年数回説明会を開いてきました。
今から私たちのところに相談があって…参加者の多くは長年不妊治療をしても子どもを授からなかった夫婦です。
「赤ちゃん縁組」は民法の「特別養子縁組」という制度を活用しています。
「特別養子縁組」は実の親が子どもを「育てる事が著しく困難」など「特別の事情」があり「子どもの利益のために特に必要」と家庭裁判所が認めれば成立します。
一般的な「特別養子縁組」の場合赤ちゃんは児童相談所の判断でまず乳児院へと送られます。
その後「育ての親」に託され特別養子縁組が行われます。
一方赤ちゃん縁組は赤ちゃんの心身の成長には早い時期から家庭が必要との考えから国も「有用である」としています。
けれども愛知など一部の自治体を除いてほとんど広がっていません。
この日赤ちゃん縁組を行う事になった一組の夫婦が病院を訪れました。
事前に親になる準備をしてきた高橋夫妻。
「間もなく赤ちゃんが産まれる」との知らせを聞き駆けつけました。
出産をするのは20代の未婚女性。
一人で育てていく収入がないため赤ちゃんを育ての親に託したいと考えています。
高橋夫妻は赤ちゃん縁組の心構えについて改めて確認を求められました。
「養子となる子どもの資質病気障がいを含めて全てを受け入れて育てる事」。
親の好みで子どもを選ぶ事はできません。
(田尻)「実母が審判中の意志の変更…」。
実母に意志の変更がある場合裁判所の審判が確定する前なら合意は中断される。
つまり出産した女性が心変わりをした場合縁組はストップします。
赤ちゃんと母親の権利を守る事を考えての仕組みです。
病院に到着してから1時間後「赤ちゃんが産まれる」との連絡が入りました。
母親としての第一歩を踏み出すため高橋さんも妊婦と同じ服に着替えて分娩室に向かいます。
難産のため急きょ帝王切開をする事になりました。
手術台の上の女性と高橋夫妻の距離は僅か7メートル。
お互い直接顔を合わせる事はありません。
それが一番ですよね。
高橋夫妻は6年間不妊治療を続けてきました。
お腹に宿った命を失うというつらい経験を何度もしています。
産声が聞こえてきません。
(産声)
(田尻)あ〜大丈夫大丈夫。
きつかった。
赤ちゃんがきつかった。
大丈夫大丈夫。
泣いてくれた。
この世に命が誕生する瞬間に育ての親もできる限り立ち会う。
これが病院が8年間取り組んできた赤ちゃん縁組の姿です。
(赤ちゃんの泣き声)赤ちゃんとの初対面。
は〜いおめでとう。
ちょっとだけ。
(泣き声)
(田尻)よかったよかった。
十分です。
(泣き声)また会いにきて下さいね。
保育器に入りますね。
ありがとうございました。
・すぐ「しょうたくん」ってお呼びしていいですか?
(高橋芽生)お願いします。
帝王切開で赤ちゃんを産んだ20代の女性。
命のバトンを渡すという大切な役目を終え安堵していました。
本当に今回の出産…そういう事例を通して私たちも学んでいくんですよね。
本当に。
慈恵病院はこの8年間で200組を超える赤ちゃん縁組を成立させてきました。
病院の院長を務める…産婦人科医として3万5,000人余りの誕生に立ち会ってきました。
ずっと心を痛めてきたのが産まれてすぐに命を失う乳児たちの存在でした。
女性が予期せぬ妊娠をした結果ひっそりと捨てられ命を落としていく赤ちゃん。
毎年数十人もの赤ちゃんが公園やゴミ捨て場に捨てられ中には遺体で発見される子どももいました。
こうした命を救うため2007年日本で初めての赤ちゃんポスト…予期せぬ妊娠をした女性の中には周囲に絶対に知られたくない人もいます。
そのため赤ちゃんの命を守る最後の砦として匿名でも預けられるようにしました。
この8年間で101人の赤ちゃんが預けられました。
「こうのとりのゆりかご」には開設当初から反対意見もありました。
設置の許可を行った熊本市は専門家の検証を続けています。
報告書によると「ゆりかご」が安易な預け入れを助長しているのではないかとの批判。
また子どもが実の親を知る権利いわゆる出自を知る権利について匿名性に重きを置いた「ゆりかご」の運用はこうした子どもの権利を損なう可能性があるなどの批判があります。
一番私たちが望んでいる事は赤ちゃんがもう預けられないという事。
それが一番大事なことだと思っております。
預ける前に是非相談して頂きたいと。
いろんな内容の悩みがあると思いますけどもそれをもう安心して相談して頂けたらと思っております。
「ゆりかご」は命を救うための最後の砦。
蓮田医師は扉の横に「あずける前に相談して下さい。
秘密は守ります」とメッセージを添えました。
ゆりかご電話相談そして赤ちゃん縁組。
慈恵病院が行ってきた命を救うための取り組みです。
「赤ちゃん縁組」でしょうたくんを迎えてから4日後。
高橋夫妻は初めてのもく浴に挑戦していました。
掛け物は赤ちゃんが安心するので掛けて下さい。
(芽生)しょうちゃんお風呂。
気持ちいい〜気持ちいい〜。
この病院では「赤ちゃん縁組」を行った女性も出産した母親たちと同じように入院して学ぶ事ができます。
(笑い声)ほんと?うん。
ほんとにそう思います。
ねえ。
よかったねしょうちゃん。
おいしいですか。
よかったよかった。
「産みの親」から「育ての親」へと渡された命のバトン。
バトンを託された家族には乗り越えていかなければならないハードルがあります。
5年前に「赤ちゃん縁組」で男の子を迎え入れた高口茂雄さんとアメリカ人の妻ルースさんの家族です。
お名前は?お名前は?裕志でございま〜す。
(笑い声)裕志くんにはきょうだいがいます。
高口夫妻の実の子どもの恵美さん。
そして里子の光くんです。
光くんは実の親と一緒に暮らす事ができないため夫妻が預かっています。
3人は血がつながっていませんが実のきょうだいのように育てられました。
え〜!え〜ん。
え〜ん!高口夫妻は不妊治療の末10年前長女・恵美さんを授かりましたがその後は子どもに恵まれませんでした。
そのため「赤ちゃん縁組をしたい」と慈恵病院を頼りました。
2009年10月一家は病院を訪ね産まれたばかりの裕志くんに出会いました。
裕ちゃんグッドモーニング。
(高口)あっ…あっ!ハハハハ。
裕志起きて。
ほら足が出とるよ。
(裕志)起きん!起きてよ。
(ルース)かわいい〜!これちっちゃい。
ママもはいていい?「赤ちゃん縁組」で子どもを迎えた夫婦がまず直面するハードル。
それは「なぜ家族に迎える事になったのか」を伝える「真実告知」です。
ううん。
え…ううん。
パパのお腹から出たっけ?ううん。
お姉ちゃんのお腹から出たっけ?ううん。
光くんのお腹から出たっけ?
(ルース)高校生の女の子から産まれたね。
なかなか本当の事を言い出せない家族が多い中夫妻は裕志くんが2歳になった頃から告知を始めました。
(ルース)長〜いやつ。
裕志くんを「物語の主人公」になぞらえ絵本の読み聞かせのように繰り返し伝えてきました。
そしたらそれを切った事でパパとママは裕志を「オギャーオギャーオギャー」ってだっこした〜。
覚えてる?結局裕志の命をバトンを受けたんですね。
ここから私が代わってお母さんになったので続けて走るしかないですね。
泣いてごめんなさい。
うれしい涙です。
フフ。
本当に裕志にも言うんですけど「あなたを産んでくれた方は裕志が嫌いだったらママとパパにくれなかったと思う。
どっかにね置いてしまったり知らない人にでもあげたかもしんないけどパパとママがいいお父さんとお母さんになると信じてくれたので本当に彼女は裕志の事大好きだったと思うよ」って教えてあげる事は何度もあります。
子どもが成長するにしたがい新たなハードルが現れます。
周囲の人たちに子どもの生い立ちを理解してもらう事です。
おはようございま〜す。
先生おはようございます。
皆さんおはようございます!夫妻は裕志くんが通う幼稚園の先生や保護者にも「息子を縁組で迎えた事」をありのまま伝えました。
赤ちゃんの命を守りたいと一民間病院としてできる限りの取り組みをしてきた慈恵病院。
それでも「救い切れない命」があります。
去年10月ある事件が起きます。
「こうのとりのゆりかご」に赤ちゃんの遺体が預けられたのです。
ゆりかごが出来て以来初めての出来事でした。
病院のスタッフの間に衝撃が走りました。
もうここに入った時異臭でしたよ。
(取材者)異臭?異臭。
もう鼻を…。
もう息ができないぐらいの悪臭。
もう普通の赤ちゃんじゃないですよね。
事件の翌日一人の女性が逮捕されました。
31歳の母親は「死産した赤ちゃんの遺体を預けた」と供述しました。
12月上旬。
裁判所で事件の初公判が開かれました。
蓮田院長と田尻さんは事件の背景を確かめるために傍聴に出かけました。
裁判からは女性の孤独な境遇が浮かび上がってきました。
女性はシングルマザーで難聴の障害がありました。
おととし勤めていた会社が倒産し解雇された直後に妊娠に気付きました。
しかも相手の男性とは連絡が取れなくなります。
お金もなく健康保険証も持っていなかった女性は誰にも相談できないまま自宅の風呂場でたった一人で出産。
けれども産まれてきた赤ちゃんの体は冷たく息もしていませんでした。
事件が報道された翌日慈恵病院に一通のメールが届きました。
女性の中学時代の恩師からでした。
「彼女は中学校の時にもいじめられていて友だちはほとんどいなかったでしょう。
大人になった今も相談できるような友だちが一人もいなかったのかもしれない。
そんな中で自宅で一人で出産するなんて!どれだけつらかったろうと思います」。
(田尻)彼女の事を…「教え子」ですよね。
その新聞報道を見て真っ先にこのメールを下さった。
こういう彼女にもこういう先生がいらっしゃってまあ「彼女も救われたな」という思いでした。
女性は死体遺棄の罪で懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡されました。
孤独の中で出産をしていかなくちゃいけないという女性のね心情を考えた時にねもう私はいつもねとっても胸が痛むんですね。
そして犯罪という気持ちがなくて預けてまあ「弔ってもらえるんじゃないか」という思いで預けてそして捕らわれて手錠をかけられて捕縄で縛られて出てきたその姿を見た時には私はたまらない気持ちがしました。
長い間いじめに遭いそして差別を受けている人たちはね声を出せないんですね。
「どうして友達に言えなかったんだろう」それから「親に言えなかったんだろう」という思いを強くする事がね何度も何度もありました。
そういう孤独で自宅で出産するという事を防ぐために何らかの方法で広報をして「私たちのところに相談して下さい」という呼びかけをですねやらなくちゃいけないとも思いますし。
声をあげる事さえできなかった女性。
事件は手を差し伸べるべき存在を改めて浮かび上がらせました。
孤立した女性たちが陥る「負の連鎖」。
この連鎖を断ち切りたい。
病院は相談につながった女性を立ち直らせる事にも力を注いできました。
(ノック)田尻さんは「赤ちゃん縁組」を考えている一人の女性と向き合っていました。
30代の仁美さんです。
未婚のまま妊娠しました。
電話相談にたどりついた時仁美さんは「赤ちゃんを産んでも幸せにできない」と打ち明けました。
仁美さんは母子家庭で育ちました。
自身が父親がいない寂しさや貧しい生活を経験。
「赤ちゃんに同じ思いをさせたくない」と縁組を考えるようになりました。
仁美さんは生活のため会社に妊娠を隠して仕事を続けました。
無理をした結果切迫早産で入院。
幸い早産は免れました。
この体験が仁美さんの意識を少しずつ変えていきました。
元気な赤ちゃんを産み命のバトンを渡す事。
それが自分の果たすべき役目だと自覚するようになったのです。
まあ赤ちゃんの方に少しこうスイッチが切り替わったと感じましたね。
繊細な人なのでまあ結構一つ一つ何でも質問をしてこれでいいのか赤ちゃんのためには自分はだからどうしたらいいのかという事で胎教の話をして声かけをしたりそういう事をするようになりましたね本当に。
田尻さんが書き留めた仁美さんの言葉です。
「今日エコーみた。
赤ちゃんのようすをきいてとてもうれしかった。
元気でいることがはげみになる」。
母性が芽生えた仁美さんは「自分で育てる事が難しい現実」とのはざまで3か月間葛藤を繰り返します。
「自分で育てようかとかっとうする日もあるがやはり自分が母子家庭で苦労してきたのでこの子にはお父さんのいる家庭で幸福になってほしい。
私と同じ思いはさせたくない」。
出産の日仁美さんは穏やかな表情で分娩室へと向かいました。
(産声)頑張った頑張った。
仁美さんは無事に産まれてくれた赤ちゃんに二度「ありがとう」と伝えました。
赤ちゃんを手放す事を決めた仁美さんの心のケアも相談員の大切な役目です。
仁美さんが少しずつ前へと進めるよう寄り添います。
本当にね彼女の…「我が子を手放す」という重い決断をした仁美さん。
人生の再出発です。
ね。
はい。
「予期せぬ妊娠」に苦しむ女性を一人でも減らしたい。
田尻さんが度々訪れている場所があります。
中学や高校。
ここ数年10代で妊娠した若者からの相談が増えています。
(拍手)よかったね〜。
西部中のみんなに抱っこされて。
重い。
重い?赤ちゃんと同じ重さの人形を抱き命の重みを体感します。
みんなに伝えたいのはメール相談が今増えていて…。
田尻さんは相談室に届いた10代からのSOSのメールを生徒たちに読みました。
「私は中学生です。
妊娠しています。
でも親に言えません。
もうすぐ産まれます。
学校に普通に通ってるし体育もみんなと同じようにやっています。
彼に妊娠の事を伝えたら『二人で育てよう』と言われました。
でも若いしそんな事考えられません。
最近はお腹が痛くなりおっぱいが張ったりします。
すごく不安です。
助けて下さい」。
もう一つ。
「生理が1週間ほど遅れて妊娠検査薬を使ったところ陽性に出ました。
親は仕事で忙しく余計なストレスを与えたくないので言うに言えません。
赤ちゃんの将来を考えるとやっぱりおろした方がいいのかもしれないけどおろすのは怖いです。
どうしたらいいのか全く分かりません。
助けて下さい」。
(心臓の音)これ心臓の音です。
もうお腹の中で生きてるでしょう?赤ちゃん。
だからもうお腹の中から「命」っていう事を感じない?ね。
「命」って何だろう。
ね。
自分の誕生は両親がいなければ産まれてない。
今の私はいない。
君もいないって事ですよね。
つながってる命。
命のバトン。
大切にしましょう。
病院が学校に相談員や助産師を派遣する「命の授業」は8年間で100回を超えました。
熊本の慈恵病院で「赤ちゃん縁組」をした高橋夫妻です。
しょうたくんは生後1か月。
新米ママは子育てに奮闘中です。
あ〜ゲロった。
やっぱりゲロっちゃうんだよね。
男の子なんかすごいがんがん飲むから吐乳もすごい激しいみたいで。
(笑い声)すごいのよ。
もうやだ〜もう〜。
かっこ悪いよ。
相談員の田尻さんからの電話です。
高橋さんが退院した後も母子手帳のもらい方や検診の受け方などこまやかに支えています。
すごいいい。
もうすごい。
一番不安な時期にサポートしてくれるのでパニックにならないっていうか。
なんか不安を抱えたまんまっていうのは全然なかった。
すぐに不安が解決されていくっていう感じ。
3人が正式な家族になるにはあと半年から1年かかります。
家庭裁判所の調査官が夫妻の様子と「産みの親」の意志を改めて確認し審判が確定すれば法律の上でも正式な家族になります。
熊本・慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」を開設してから9回目の春を迎えました。
この日5年前にこの病院で縁組をした裕志くんと高口さん一家が訪ねてきました。
(ルース)裕志が産まれた時にねこの先生の息子さんが裕志を取ってくれた。
夫妻は裕志くんに家族の原点を伝えるため度々病院を訪れています。
あのね裕志が産まれた時は…よいしょ〜!あのねあの窓分かる?一番向こう。
うん。
そこにママと恵美と裕志が毎晩一緒に寝てた。
川の字みたいに。
一人の女子高生がこの病院にたどりつかなければこの世に存在しなかったかもしれない命。
出会う事のなかった家族です。
またね〜。
ありがとう裕ちゃん。
はいシートベルトして下さい。
(ルース)裕ちゃん投げキッスしようか。
いいね〜。
(田尻)光くんもまたね〜。
じゃあまたね〜。
(田尻)またね〜。
は〜い。
「産んでくれてありがとう」。
5歳になった裕志くんから「産みの親」へのメッセージです。
女性たちの切実な声に耳を傾け続けてきた熊本・慈恵病院。
「赤ちゃん縁組」で救われた命。
この春233番目の命のバトンが新たな家族に託されました。
「教育」。
2015/04/25(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「小さき命のバトン」[字]

8年前に「赤ちゃんポスト」を設置した熊本の病院では、女性が育てられない赤ちゃんを、出産と同時に育ての親に託す「赤ちゃん縁組」というユニークな取り組みを始めた。

詳細情報
番組内容
熊本の慈恵病院は日本で唯一の“赤ちゃんポスト”「こうのとりのゆりかご」を運営する病院として知られる。病院がゆりかごの開設と同時に始めたのが妊娠中の女性たちのSOSを24時間無料で受け付ける電話相談だ。更に母親がどうしても育てることができない赤ちゃんを新しい家庭に託す「赤ちゃん縁組」も始めた。命のバトンを通して赤ちゃんに幸せになってもらおうと奮闘するスタッフの姿を伝える。【語り】薬師丸ひろ子(女優)
出演者
【語り】薬師丸ひろ子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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