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ベンチャー役員三界に家なし

2015-04-27 老人が保守的だという偏見に気づかされた話 このエントリーを含むブックマーク

ごきげんよう
先日、長い付き合いでもある仕事仲間の(とは言っても一回り以上も上だが、、)の女性会社役員と久しぶりに食事する機会があった。
特にアジェンダのない会食だったのだけどとても考えさせられることがあったので書き記しておこうと思う。

彼女の会社はコンサルティング海外進出の支援を行っている会社なのだけれど、お付き合いで相談を受けているとある服飾雑貨メーカーのコンサルティングについて、食事をしながら愚痴を聞いていたのだがよくよく聞いていて驚いた。

その会社とは僕が個人的な付き合いで支援をしている会社だったからだ。

なんたる奇遇。世界の狭さを感じさせるのだが、なぜこれまで気が付かなかったかというと、プロジェクトオーナー(依頼主)が彼女と私で違ったからだ。

その服飾雑貨メーカーA社は現在70歳を過ぎた社長が一代で興したメーカーで主に、国内外のブランドのOEM製造手掛けてきた。
独自のルートで買い付けている上質な素材や国内工場の職人によるメイドインジャパンならではの丁寧な仕事を武器に多くのブランドから信頼を受けて商品を作り黒子として商品を納品している。

しかし、百貨店売上の低迷が象徴する国内市場の低迷とデフレユニクロをはじめとした安くて高機能なSPAブランドの台頭により老舗で確かなモノづくりをしてきたこのA社も戦略転換を迫られていた。

そこで、大きく期待されたのが2代目である専務である。40代で海外留学経験もあり、語学も堪能な彼が中心となって次の一手を打って行こうということになったのだが、そこで思わぬ事態が発生する。

社長(父)と役員に名を連ねる母、と息子である専務との戦略の方向性が真正面からぶつかったのだ。

つい最近聞いたどっかの家具屋のお話を思い出す人も多いかもしれない。

そのタイミングで、社長は古くからの友人に相談し紹介されたのが、僕の仕事仲間の女性会社役員。彼女は社長の考えを具現化する為のサポートを頼まれる。

そして、専務はどうにも話のかみ合わない社長にしびれを切らし、以前から自分の温めていいたビジネスモデルに賛同してくれ、何かとアドバイスや手伝いをしてくれていた旧知のベンチャー役員に相談をする。それが僕と言う訳だ。

そして、代理戦争をしていた2人がひょんなことからこうして食事をしている。

「もう、、話が止まっちゃってから1年半になっちゃったわよ。。」

そう彼女は言った。

「そうなんだ、、僕は基本ビジネスというか友人の手伝いだから。あまり社内の状況までは踏み込んでないから。。」

僕は元々A社の作るモノが大好きで、壊れてしまったある商品の修理を直接メーカーに出来ないか手紙を出し、それに丁寧に対応してくれたのが専務との出会いで、共通の趣味や同年代の子供がいるのでその気安さから個人的な友人として交流してきたし、なので良かれと思って手弁当でいろいろな仕事を手伝ってたのだ。

僕は、ものすごく緻密で丁寧なモノづくりをするA社の製品にいつも感動していたし、A社に比べればもっと作りが雑で、低いグレードの素材を使った商品がヨーロッパのラグジュアリーブランドでは3倍〜5倍の価格で販売されていることを知っていた。
だから生き残るために「メイドインジャパンの高品質」「先端のデザイン」「ラグジュアリーブランドの半額の価格」という自社ブランドを確立してメーカーとして独立してゆくべきだという考えを持っていたし、所謂ファクトリーブランドとして勝負をしたいという専務の考えは今取るべき戦略だと賛同し、ずっと自分なりに応援をしてきた。
数年前から無事に立ち上げた自社ブランドは本当に少しづつではあるが違いの分かるユーザーに名を知られるようになってきたところで、取り扱ってくれる百貨店なども増えてきたところだった。
しかし、専務の苦悩も聞いていた。
「社長が私のやり方での独自ブランドの拡大は望んでいない。社長は自分に相談せず外から入れたコンサル夢物語を語って悦に入ってる。あれではダメだ。。」と。

僕は社長には会ったことはなかったので、「そうなんだ。。やはり現行の付き合いやビジネスモデルはなかなか変えられないんだな。まぁ年齢も年齢だしな、、」と思っていた。

が、、代理戦争の相手だった仕事仲間の女性コンサルと話していて分かってきたのはちょっと違った絵だった。

「社長さんのビッグピクチャーに保守的な専務がなかなか賛同してくれなくて、自分の自社ブランドの納入先の顔色をうかがって、なかなか大きな舵取りをするうえで経営が一枚岩にならないのよ。」

「専務が保守的??、、、そういえば詳しく聞いたことがなかったけど、社長の夢ってなんなの?」

彼女は白ワインをもう一つ。と飲み物の追加オーダーをして、静かに語り始めた。

「社長は、ベトナムに工場を移して素材とデザインを日本から供給して、本場ヨーロッパを直接攻めたいのよ。同じラインのヨーロッパブランドに比べて価格を5分の1に下げてね。」

僕は驚いて言った。
メイドインジャパンじゃなくなっちゃうじゃないか!」

「それは、それじゃ、、、アップルじゃないか。」

彼女は頼んだ白ワイン香りをかぎながら言った。

「そうよ。社長は奥様と二人、もう老い先短いから最後は世界ブランドとして勝負をしたい。ヨーロッパに直販で攻め込んで奴らを驚かせたい。って言ってるのよそのためのベトナムの工場や、直販店舗、海外アパレルEC大手などの取引先の選定も終わってるわ。」
「でも、、、専務は今取引のある国内デパートのバイヤーや、今のA社のモノづくりを愛してくれる顧客を裏切る行為だ。そんな安物を作ってとバカにされる。と言って協力してくれないのよ。語学に堪能で世界中に友人も多い彼なしに次世代のA社は立ち行かないわ。A社は彼の会社でもあるから。」

(A社のモノづくりを愛してくれる顧客、、、か、、、)

僕はこれまで、メイドインジャパンをブランドにと高付加価値な自社ブランドを国内百貨店に売り込んだり、ヨーロッパの服飾見本市に出展して好反応を受けている話を聞いてとても手応えを感じていたし、これまでの下請けビジネスモデルを脱却する革新的なビジネスモデルを専務と構築しているつもりでいた。
それを理解できない旧来型のビジネスモデルに固執する老社長という、ありがちな絵面が先入観としてあったことも否定できない。

しかし、保守的だったのは自分たちの方だと言われ、、本当に驚いた。

確かに、夢物語のように聞こえるが、ビジネスのスケールや戦略としては明らかに社長の絵の方が大きく、そして柔軟だ。

「そう、、なんというか、、」

「無理に何も言わなくていいわよ。私たちは外野なんだから。」

彼女は呆れたように言い、タバコに火をつける。

「私はあのお母さん好きだなー。『ヨーロッパでお父さんの作ったモノ沢山の人使ってくれたら嬉しいわね!』って嬉しそうに言うの。」

焼野原から欧米で粗悪品の代名詞と言われたメイドインジャパンを世界のメイドインジャパンまで持って行った張本人たちにとっては、もしかしたら「ジャパン アズ ナンバーワン」という発想はないのかもしれない。むしろ沈みゆく日本のモノづくり、メイドインジャパンに保守的に固執しているのは僕ら誇り高いメイドインジャパンに囲まれて育った世代なのかもしれない。

イノベーション」、「グローバル」様々な言葉を叫ぶのは容易だが、夢を追う力がモノづくりに宿らせることができればどこで作ってもメイドインジャパンになるという発想持つ70歳の職人上がりの社長に、悦に入ってたてついていた自分の在り方に頭を殴られたような気がした。

気が付くとすっかり手元のウィスキーの味がなくなってしまったのは氷が解けたせいか、ショックで味が分からなくなったのか。。

僕は今、戦後焼野原からこの国を作った世代におまえら団塊Jrは保守的だよなと言われたことに、きちんと反論できていない。

なんとか持ち場を守るだけではなく、しかるべきタイミングでもっとチャレンジをし、せめて年寄りに保守的だなどと言われる恥ずかしいことは避けたいなと思った次第だ。

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※実際の会社や事例をブログ用に改変したフィクションです。