ICUでベッドで寝ている甥っ子は呼吸器をつけていた。
(まるでドラマのワンシーンだな)
不謹慎にも冷静にそんなことを考えていた。
自殺しようとしたところをすぐに近所の人に発見されて緊急搬送。
自分の勤める会社のブラック具合が羅列してあり、もう耐えられないから死ぬ、とまとめてあった。
俺一人で見舞いに行った。甥っ子は「死に切れなくてすみません」と一言目に言った。
義妹夫婦とは結婚前からの付き合いで、中々子供ができなかった俺たち夫婦にとって、
甥っ子は息子も同然の存在だった。いや、年の離れた兄弟だったかも知れない。
彼が恋をしたときも、受験に失敗したときも「親父には言えないけど」と前置きをして俺に相談しに来ていた。
初めて一緒に酒を飲んだ時、嬉しさの余り号泣してしまった俺に、
「その涙は自分の子供にとっとくべきでしょ」と笑いながら彼も一緒に泣いていた。
「なんでこんなことになったのか」聞いた俺に
「会社が、会社が全部悪いんだ。僕は全面的に被害者だ」と彼は答えた。
(違う。それはそうなんだけど、大事なのはそこじゃないんだ)俺は思った。
義妹夫婦が会社への訴訟準備を進める中、このままだと彼は大事なものを見落としてしまう、
そう思った俺は、彼にしっかり伝えなきゃいけないと思った。
俺は「会社は悪いことをしたと思うか」とトーンを変えて聞いた。
彼は「でなきゃ他に誰が悪いのか」と怪訝な顔で答えた。
「じゃあヤツ等を、悪を許すなんてもっての他だな」俺が聞き返すと
「当たり前じゃないか」強い眼差しで彼は言った。
確かに。今回の場合は会社が悪い。悪だ。それは絶対的な事実だ。
「けれどな」
俺は前置きして続けた。
社会的、法律的、倫理的、そういった観点からすると会社が悪いで帰結するかもしれない。
けれど悪いと思ったのなら何故声をあげなかった。助けを求めなかった。
命は一つしかない。死んだらそれで終わりなのに、
どうして戦うことをせずに、生きることを放棄したのか。
本当に辛かったのなら逃げることもできた。
会社に行かずに親や俺を頼ることもできた。
生きてさえいれば、どんな風にでも修正はできた。
「でもお前は逃げたんだよ。逃げることで悪を許したんだ」
彼は驚いた顔で俺を見つめ返した。当たり前だ。
周囲の人間が「あなたは被害者だ。あなたが被害者だ」と騒ぐ中で、
俺だけが真っ直ぐに「一方でお前は加害者でもある」と言い放ったのだから。
そのころ世の中ではブラック企業に追い詰められ、自ら命を絶つ若者のニュースが蔓延していた。
それは間違っていない。一番に責めるべきはブラック企業だ。でも俺はそれだけではダメだと思う。
「何故ブラック企業は生き続けるのか」
その根本原因を正さない限りは、彼等はまるで根を張ったカビのように、絶されては出現しを繰り返す。
彼等にエサをやっているのは誰だ。それは力無き若者だ。無知を恥とも知らぬ若者だ。
そしてそんな若者を量産し、根っこを絶やさずして表面ばかりを掃除し、
ほら、綺麗になった。と安心している国だ。またそこには次のカビが生えるとも知らずに。
彼等はブラック企業に命を賭して勤め、声を挙げることなく死んでいく。
悪を悪と言うこともせず、黙ってカビにエサを与え続け、気が付けば身も心もボロボロになり死んでいく。
ブラック企業は益々強大になる。また、次のエサ(命)を与える若者が出てくる・・・。
「ブラック企業は悪いですよ」
違う。そんな教育じゃない。
そんなことは誰にだってわかっているんだ。
その考えを、方法を教えていかなきゃ行けない。
ブラック企業を育てることで、あなたが加害者にならないように。
今ブラック企業に勤め、苦しんでいる若者はそれどころではない。
当たり前だ。そんなことわかっている。
けれど今まさにそういった立場に置かれている一人一人が立ち上がることで、
また、今後そういう立場に置かれてしまった人が、臆せず立ち上がることで、
甥っ子がブラック企業に捕まった若者を助ける仕事に就き、もう数年が過ぎた。
「ゴールデンウィークに飲みに行こう。俺が奢るよ」
偉そうな口を叩くようになった彼のセミナーを先日初めて見た。
「つらいですか。つらかったですか」
ほぼ全員の手が上がった。
いくつかの手が下がり、7割程だろうかパラパラと残っていた。
次に彼は大きな声で言った。
随分過激なセミナーだな。