都構想住民投票告示:提唱から5年 選挙や国会で攻防
毎日新聞 2015年04月27日 12時31分(最終更新 04月27日 12時42分)
大阪都構想の賛否を問う大阪市民対象の住民投票が27日、告示された。橋下徹・大阪市長が大阪都構想に言及し始めたのは、大阪府知事時代の2010年1月。「広域行政と基礎自治体を大阪で整理する作業をしたい」「府、大阪市、堺市を含めた行政組織を一回ぶち壊す」と打ち上げ、政治団体を作って翌年4月の統一地方選で争点化する考えを示した。前月に府市の水道事業統合が白紙となり、大阪市の平松邦夫市長(当時)と対立する状況下だった。
橋下氏は自らを代表とする地域政党・大阪維新の会を設立し、11年4月の府議選で過半数、大阪市議選で第1党に躍進。11月には知事を任期途中で辞めて市長選に出馬し、平松市長を破った。知事選は維新幹事長の松井一郎府議(当時)が制した。
ただし、都構想で政令市を解体して特別区を設置するには、新たな法律が必要だった。橋下市長は国政政党に法律作成を要求。大阪での選挙の強さを背景に、応じなければ国政進出すると圧力をかけた。結果、12年8月、与野党7会派の議員立法で、都構想の手続きを定めた大都市地域特別区設置法が成立。道府県と関係する基礎自治体の各議会での議決を経た上で、住民投票で有効票の過半数を得れば、特別区を新たに設置できると定めた。
法が成立しても国政進出はやめなかった。12年9月、国政政党・日本維新の会を設立。同年衆院選では公明候補が立候補する大阪・兵庫の6選挙区で候補者擁立を見送り、大阪維新が過半数に届かない大阪市議会で、第2会派の公明党の協力を取り付けた。
公明は特別区の区割り案絞り込みを巡っていったん決裂したが、14年衆院選で維新の党が比例で府内第1党を確保すると、「住民投票実施には賛成」と方針転換。今年3月の府市両議会で都構想の協定書(設計図)議案は、維新と公明の賛成多数で可決され、今回の住民投票実施が決まった。
橋下市長は1月、住民投票で反対多数の場合に「政治家を辞めます」と発言し、野党は「自らの信任投票に持ち込もうとしている」と反発している。双方とも今回の住民投票を、都構想を巡る最終決戦と位置付けている。【野口武則】