国米あなんだ、岡本玄
2015年4月26日10時03分
「被爆建物は黙って立っているんじゃありません。『戦争をしちゃいけない』『核兵器をなくさなくちゃいけない』と訴えているんです」。爆心地に最も近い原爆ドームの絵を30年以上描いてきた被爆者の原広司さん(83)=広島市安芸区=はこう言い、保存に向けた取り組みの強化に期待する。
今年8月で、広島と長崎に原爆が投下されてから70年。ともに戦後を生き抜いた被爆者の多くはすでに亡くなり、体験を語り継ぐことがますます難しくなっている。「(被爆建物が後世に残されれば)被爆者がいなくなっても思いを代弁してくれるでしょう」と原さんは話す。
被爆建物を守る活動をしてきた被爆者も評価する。中西巌さん(85)=広島県呉市=は15歳で学徒動員されていた時、軍服などを製造していた「広島陸軍被服支廠(ししょう)」のそばで被爆した。爆風で損傷した建物は臨時救護所となり、多くの人が亡くなっていった。
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