「本のへ理屈ですが」(No21)
(c)2013北日本新聞(クリックで拡大できます?)
今回は、私の尊敬するご近所姉さん「ムーさん」のエッセイを糸口に、美智子皇后陛下の、とある作文をひもときました。
「元祖昭和キャリア女性」として国際社会を渡り歩き、アパレル大企業のCOOを歴任したムーさんですが、栄光ばかりでなく、たくさんの辛酸もなめていらっしゃいます。
終戦時には10歳で、国が昨日までと真逆なことを言い出して、ポカーン。もっと年上なら事態を飲み込めただろうし、もっと年下なら、その後の時代の渦に巻かれてぜんぶ忘れただろうけれど、
10歳という微妙な年齢にとっては、事態がよくわからないまま、たくさんの焼死体や荒野の風景を心にプレスされ、漠とした開き直りが育っていったようです。
このアプレ世代(無軌道、無責任、無鉄砲)と言われる人達には独特の感傷⇔クールの狭間の感覚があるのかも。
終戦後、急にたくさんの物語やアートや文化が解禁になった10歳たちは、なんていうんでしょう…「小5病」的なものにかかったんじゃないかと思います。
やがて「小5病」を克服できた一部のアプレ世代は、
「どんなに辛い苦しいことも、それは長く大きな尺の一部のキズにすぎない。尺はこれからも続き、繋がっていくのだ」というトリの目、俯瞰の視点をもつに至った。お涙やウエットは少なめな人たちです。
そのお一人が恐らく美智子皇后陛下、ムーさんと同い年です。
「某新聞社の成人の日の作文コンクールで、入選した、まだ独身の美智子さまのお名前を覚えていた」
とムーさんがおっしゃって、気になって調べたら、ムーさんと同じような視点をもってらっしゃるので、感心しました。
何となく生きづらいこの時代に、アプレ世代女性たちの言葉が刺さりそう。
美智子皇后は、少女誌『ひまわり』などで、中村メイコ氏らとならぶ投稿少女として有名でしたが、
なぜかその事実は宮内庁でタブー視され、宮内庁職員から他言しないでと頼まれた中村メイコ氏方面もずっと黙秘していたそうです。
この作文も、インターネット上ではほとんど検索もできず、スタッフに国会図書館で調べてもらいました。
宮内庁の意図はあるのでしょうが、もっと今の方も知ってよい作文だと思う。もしかして、また検閲削除されるかもしれないけれど、全文掲載します。
昭和30年1月15日讀賣新聞 成人の日記念感想文入選作品「はたちのねがい」
二位入選『虫くいのリンゴではない』正田美智子 より
成人の日を前にして、過去二十年の私の足どりを静かに顧みる時、私の脳裏には、 ある老人の語られた言葉が強くよみがえって来るのです。
「不安な、よりどころのない環境から、貴女達年齢の者に共通した性格が生れて来ている」
世間ではいわゆる「アプレ気質」で通っている私達に共通した性格、それは他の多くの人からも聞くことなのですが、私達年齢の者が二種に大別される--つまり感受性の強い 小学校五、六年のころを、変転の激しい不安な環境の中に過ごした結果、ある者は極端に 空想世界へと逃避し、他はあまりにも現実を見つめすぎる傾向が強いというのです。
前者は実生活に立脚した夢を忘れ、後者は非現実の存在すら認めようとしない、つまり、その中庸をとって夢を抱きつつ、しかも、それを実現させようと努力する 人間が少ないという事でしょう。
ギャング映画の主人公に魅せられて強盗を働いた、こんなのは前者の極端な例です。 また、ちょっとした過失から後先見ずに自殺を企てるなどは後者の例と思われます。
「この世界はリンゴの実のようだ」とハーディーの書いたテスはいっています。 「虫のついた実とついてない実と…」そして、自分は虫食いのリンゴの中に 生まれついたのだといっています。
この二、三年、私達の経て来たさまざまな体験を思い返して見るごとに、 私がはとかく自分もテス同様、虫食いの世界に生まれて来たのだと投げやりな 気持で考えがちでした。いいかえればいくら夢にむかって努力した所で、あの恵まれなかった 過去から急に明るい未来が生れ得るものではないと信じていたのです。
しかし成人の日を迎えるに当り私はもう一度、自分に聞いてみようと思う。
「私達が困難な時代に生れて来たことは確かだ。 しかし私達はこれを十九世紀の宿命論者のように全くの運命としてあきらめきってしまうべきなのだろうか。そして戦争で背負わされた多くのハンディキャップをいつまでも宿命として負って行って良いのだろうか」と。
もし、この答が「イエス」であったなら、そしてもし私達すべてが、自分は宿命的に不運な世界に生れついたのだと、考えて投げやりな生活を送ったとしたなら、私達の時代が来た時、それが暗たんたるものである事だけは間違いありません。
私の“はたちのねがい”―それは私達年齢の人々が過去の生活から暗い未来を予想するのを止め、未来に明るい夢を託して生きる事です。それは同時に、現在を常に生活の変り目として忠実に生きる事でもありましょう。現在は過去から未来へと運命の道を流れていく過程の一つではなく、 現在を如何に生きるかによって、さまざまな明日が生れて来る事を信じようと思います。
あるフランスの詩人が「生きているというのは少しずつ新しく生れて行く事だ」という意味の言葉を言っています。そして、これを私は成人の日を迎える私共の深く味わうべき言葉だと思うのです。自分の力で常に新しい自己と未来を生み出して行く、そして次に生れて来る未来を息をひそめて待つという生き生きした期待にと毎日を生きたいと思います。
戦争と戦後の混乱を背景に過ごした私達の生活は、確かに恵まれたものではありませんでした。しかし、それはすでに過去のものであり、私達の努力次第で明日は昨日に拘束されたものではなくなるはずです。成人の日を迎える今日、私はこう言いたいのです。
「むしばまれたリンゴは私達の世界ではない。私達がその中に住んでいたのは単にある一つの “期間”であったに過ぎないのだ」―と。