499 劣化
ドラマ『はつ恋』のロケ地がボクの故郷の富士市なので、具体的な場所を調べていた。で、たまたま主演の木村佳乃をクリックしたら、“劣化してる”という記事が出てきた。それで、最近は老化のことを劣化と呼んでいることをはじめて知った。
厳密にいうと老化イコール劣化ではない。老化は男女を問わず人類全体についての表現だけど、劣化はほぼ美人女優に限られる。しかも、大よそ10~20代の頃と30~40代を比べてみての感じ。ネットにアップされた女性芸能人の過去と現在の顔つきを見比べると、うまい写真を探してきたもんだと感心する。出てくる出てくる、過去と現在。綾瀬はるか、宮沢りえ、浜崎あゆみ、永作博美、矢口真里、渡辺満里奈、夏帆、華原朋美・・・・・・男は沢田研二だけ・・・・・・こういっちゃ悪いが確かに笑える。でも、皆さん今でも十分に綺麗ですよ。たまたまヘン顔を撮られちゃっただけだな。若い時だってヘンなショットはあったはずだけど、一番カワイイ写真と今のヘン顔並べられたら、そりゃ誰だって笑えるさ。でも可笑しい。ちなみに我が社の取締役も元美人女優だけど、十分に劣化してます(笑)。中々上手い言い方だな、“劣化”。だれが言い出したんだろ。
“劣化”という言葉は、もともとは生物に対してではなく物質についての表現。それが生身のヒトに転用される背景は、アンチエイジングと関係あるかもしれない。ほっときゃ自然に老けるのを、バケガクの力を借りて若そうに装う。ってことは自然じゃない訳で、ヒトが物質化していると言えなくもない。そのへんの皮肉も含め、実に上手い言い方だ。
かくいうワタクシも、かなり劣化している。むろんボクだけじゃない、このあいだ同窓会で会った旧友はみんな劣化ウラン弾みたいだった。ウィキによると、劣化は物理的劣化、機能的劣化、社会的劣化、遺伝的劣化に分類される。もちろん物質に関してだけど。そこを敢えてボクや同級生に当てはめると、機能的劣化や社会的劣化になるかな。小さい字が読みづらい。これは機能的劣化。定年後の再雇用で役職がなくなった。これは社会的劣化。でもココロは、たいがい深化してますよ。ココロさえ劣化しなけりゃ、まぁ善しとしましょう。
北野武監督の最新作は『龍三と七人の子分たち』。不良のジイさんがたくさん出てくるらしい。たぶん劣化も老化もどこ吹く風だろうな。こういうのがイイんだ。
最近、自分の劣化を大いに自覚する出来事が重なった。
普段、音楽制作やプレゼンにはMac、事務仕事にはWindowsを使っている。ウィンドウズマシンはVAIO-Proの10インチ。これが目茶目茶薄くて軽く、たったの800グラムちょい。でも画面が小さいから、自宅では24インチの外部モニターに接続してある。外出する時は本体だけ持って出る。今回、このエッセイを東京事務所で書くつもりでいたのに、どうしてもできなかった。リーディンググラスを持っていなかったので、VAIOの文字がからっきし読めない。拡大表示すれば?と思うかもしれないけど、タブレットならともかく普通のPCだと面倒臭い。目の具合は意欲に直結しているのだ。つくづく実感。書く気になれないんですよ。先週エッセイを挫折したのはそんなワケ。
結局エッセイ書くのを止めて、吉田カバンのクラチカ池袋にキャメルのブリーフケースを買いに行った。これが中々良い。手帳と資料はここに入れて、名刺はここ。夜のうちに準備万端整えて、次の日出かけたら携帯を忘れた。携帯を忘れるだけなら、これまでにも2、3回は記憶にある。でも今回はちょっと違って、劣化が露呈した感じ。
Tさんとは、3時頃に用賀のジョナサンで、ということにしてあった。着いたらボクから電話します。Tさんのオフィスには行ったことがないけど、ジョナサンから2分の距離らしい。で、駐車場から電話しようとして携帯がないのに気付いた。さあ、どうしよう。
いつしかボクラは、携帯ありきの生活を送っている。手帳のどこを探してもTさんの電話番号は書いてない。途方に暮れたけど、ともかく電話を掛けられる場所を探すしかない。でも公衆電話がない。交番で頼んだら、警察の電話は本署を通さないと外部には掛けられないからダメ。
ジョナサンは2階にあって、外からアクセスする階段が雨に濡れて光ってる。数件隣に魚菜屋という居酒屋さんがあって、どうやら仕込みの最中らしい。そこに頼み込んで電話を借りてみたものの、Tさんに繋がる情報は得られなかった。PCでは散々メールのやり取りしてたのにね。親切な居酒屋の女将さんが、自分の携帯に掛けてみれば場所が判るかもって言うけど、そういうモンダイじゃないです。
最近は電話番号を覚えることがなくなった。自分の番号さえ怪しい。便利と言やぁ便利だけど、認知機能の劣化を促しているような気がする。7桁か8桁の数字を丸暗記するのは短期記憶の領域で、電話番号を押すのは、その訓練になっていたはずだ。
それで止む無く1時間かけて事務所に戻ったら、案の定、ボクの携帯にはTさんからの着信が何回も入っていた。ゴーメーンーナーサーイ。ちょっと不機嫌そうな声でTさん曰く、2時半からジョナサンで待ってたのに。ガーン!!! 携帯を忘れて動転したワタクシは、一度もジョナサンを覗かなかったのだ。もしも2階じゃなくて1階だったら・・・・・・。今となってはなぜ覗かなかったのか、自分でも理由が判らないけど、こんな経験は初めて。これを劣化と呼ばずに何と呼ぼう・・・・・・・・老化でしょ。いんやはや。
玉川学園の事務所から名古屋に戻るには、横浜・町田インターから東名高速に乗る。その手前のローソンに立ち寄ってノンアルコールビールと“柿の種ワサビ”を買い込んだ。ボリボリ食べながら走ると眠気に良い。ドライブ用のノンアルコールビールは冷蔵庫に入れてあったのに、前の晩、ビールを何本も飲むうちに、アルコール無しとはまったく気づかずに飲んでしまっていた・・・・・・・・ああ、これもまた劣化・・・・・・・・老化でしょ。
さらに、インターでは静岡方面に入るべきところ、気づいたら都内に向かって走っていた。オイオイ。次の横浜・青葉で降り、引き返したのは言うまでもない。250円の往復、損した。
最近、高速道路を逆走する老人が増えて問題になっている。そこまで行くと社会的劣化が甚だしく、もはや介入が必要になる。なにはともあれ、逆走しなくて良かったです。ハハハ。
ここで改めて。“劣化”という言葉は、やっぱり美人女優にこそふさわしい。でも例外的に、吉永小百合さんはちっとも劣化しませんね。ココロのモンダイだろうな。
おしらせ
過去のエッセイをアップしました。
006 魂は雑音に宿る 2005.01.24
007 国立ストリップ劇場 2005.01.31
挫折 その30
遅れ馳せながら、今週は挫折です。
出張ですが、旅先で書けると思っていたらどうにも無理。
夜ランもポッカリ抜けてしまって、目標達成に黄信号点滅。
でもオープンカーの季節になってココロはウッキウキ。
バッテリーはビンビンチャージしたし、ブレーキフルードも注ぎ足したし、早くMG乗りたいッス。
という訳で、いつもアクセス頂きありがとうございます。
また来週。
佐野芳彦
498 同窓会 その2
物心ついたころ、最初に友達になるのは近所の子。それが幼稚園、小学校の中学年くらいまで続く。高学年になると、いっちょ前に自転車なんか乗ったりして行動範囲が広がり、少し遠くに気の合う友達が出来たりする。中学になるとクラブ活動が始まってテストの成績も貼り出されるようになり、好むと好まざるとに関わらずただの無邪気な友達という関係が成り立ちにくくなる。いわゆるアイデンティティーの確率ってヤツだな。
ボクにとっては向かいに住んでいたマァちゃんが、まさにそんな感じ。ちっちゃい頃は、そこらの犬っころみたいに遊んでいて大の仲良しだったのに、どうしてだかだんだん違う友達と遊ぶようになって、やがて別々な高校に通うようになり、とうとう、あまり話さなくなってしまった。前の路地ですれ違う時も、なんとなく緊張したりした。そんな状態のまま、それぞれが引っ越してしまって、そのままプッツリ縁が切れてしまった。それが同窓会で45年振りに会ったら、疎遠だった一時なんかまるで無かったみたいに子供の頃に戻れるんだから、不思議。ココロのどこかに微かに沈殿していた不透明な粉末が、溶けて透明になった感じ。今回いちばん嬉しかった。時間ってもんは、大したもんだわサ。
4次会の席が隣になったヨシエちゃんは、大通りの向こう側の家だった。今は埼玉県に住んでいる。ボクはぜんぜん覚えていないけど、小学校の頃、給食のパンをよく届けに来てくれたらしい。その日学校を休んだ生徒には、給食に出たコッペパンを近所の子が届けることになっていた。そう言やぁ、そんな記憶がないでもない。イジメられた経験はないけど、どうしてだか時々、学校をサボリたくなる癖があって、よく仮病を使った。でも、具合が悪いと言って、なんとか寝ていられるのも昼まで。午後になると外に出て遊びたくなるから困った。その仮病のせいで毎回コッペパンを届けるハメになったのがヨシエちゃん。ご迷惑をお掛けしました。深謝。
3年4組の女子の幹事がヨシコちゃん。ずっとピアノを習っていて音楽が得意だった。小中学校の音楽の授業では、楽譜が読めて楽典が出来て合唱団みたいな歌い方の出来る子が、成績が良かった。今はまったく偏見ないけど、当時はあの歌い方がどうにもニガテだった。なんたってコチトラ、はしだのりひこですから。♪ いとはたれもたたーいーとり。そのヨシコちゃん曰く、「ヨシヒコ君、ジャー・パンファンと一緒にやってるんだー」。ネットで検索したらしい。いやいや一緒にやってるワケじゃないけど、「紫翠水明」というアルバムでコラボしました。そんじょそこらには居ない素ン晴らしい胡弓奏者で、カンペキ。でもジャーさん知ってるなんて、かなりツウ。昔はお稽古事みたいに見えてたけど、ヨシコちゃん本当に音楽が大好きなんだ。ボクの偏見、というより音楽の風岡先生にいつも褒められていたから、嫉妬してたかもネ。
音楽つながりで言うと、もう一人の嫉妬の対象がアキラちゃん。仲良しだったけど。小学校のリード合奏で唯一のコントラバス担当だった。ボクはアルトのハモニカ。つまらなかったな。いつも退屈して、小さな音でわざと違う音出して楽しんでた。指揮は板垣先生。アキラちゃんは音楽のセンスも体格も良かったから、コントラバスにうってつけ。それに比べるとボクは背が低くて華奢だったから・・・・チクショー、ハモニカだぜ。女の子みたい。6年生の時の鼓笛隊でもアキラちゃんはたった一人の大太鼓。ボクは小太鼓。この小太鼓でも、ボクはテキトーにフラムやオカズを入れたり、当時は楽譜も読めなかったから、好き勝手に叩いてた。そうしたら板垣先生が新米の5年生を集めて言った。小太鼓の人はサノ君を見習って叩くように。自分では音楽が抜群に出来るのに誰も認めてくれないと感じていたから、とにかく嬉しかった。先生が見ていて、いや聴いていてくれたんだー。いやぁ、子どもにとって先生のひと言は大きいです。先生方、ココロなされよ!
中学に入るとボクの背は急に伸び始め、それに反して、たぶん早熟だったんだろう、アキラちゃんの身長はピタッと止まった。高校に入ると、むしろ小さい方になった。たまたまトイレで横になった時、こんなに背が低かったかなと小学校時代を思い浮かべていたら、突然、「ヨッチャンは国公立?」。これには面食らったゾ。そんなこと、なーんも考えてなかったからね。
中学に入ってボクよりも更に、やたらデカくなったのがナス君。卒業する頃は巨漢。誰にも文句言わせぬ威圧感も備わった。高校になると風の便りに、番長になったという話が伝わって来た。さもありなん。ところが45年振りに再会したら、警察官になっていた。それも、聞くところによるとボータイ。つまり暴力団対策。今も巨漢で強そうだから、面と向かって言う人はいなかったけど誰ともなく小声で、取り締まられる側だと思ってたけどねェ~。そんなナス君が舞台に立って、みんなお喋りに夢中でほとんど誰も聞いていない演説に曰く。ワタシはあと4日で警察官を退職するので、この際みなさんにお教えします。新東名の制限速度は100キロですが、120キロまでは取り締まらないので安心してください。おいおい、懲戒免職にならないかね。
ヒデトシちゃんは幼稚園から高校まで一緒。ボクの曾祖母がヒデトシちゃんの先祖から嫁いで来たから、親同士が“またいとこ(はとこ)”の関係。今は会社の社長さんで、同窓会では全体の幹事を務めてくれた。ヒデトシちゃん家の隣がノボルちゃん家で、よく三人で遊んだからノボルちゃんの消息を訊ねたら、お父さんが転勤族で今はどこにいるか判らないらしい。ヒデトシちゃんと野球をすると、ホームランは打たないけど見事なライナー性のヒットを放った。グランドと全く平行な見事なスイングを、ストップ写真のように思い出す。
同窓会の次の朝、9時半ころかな、ホテルの部屋が隣だったイノウエ君から電話があった。ヨシヲがさぁ、早朝野球行けなかったらしくて、今から迎えに行くって言ってるから、10時に出て来てくれる? そりゃそうだろ、〆のラーメンもいれると6次会だよ。夜中の4時。朝7時から野球できる訳ないじゃん。てなわけで、3人で繰り出したのが“しらす街道”。その一軒で“しらす丼”をほおばった。ボクとイノウエ君は“しらす+ウニ丼”を食べたかったのに、ヨシヲ君が、勿体ないからやめとけと言うもんだから、不承不承ただの“しらす丼”にした。そのまま新富士駅から新幹線で帰るつもりだったけど、イノウエ君が掛川まで乗ってけと誘ってくれたので、黒いV60に便乗して由比の海岸を満喫した。イノウエ君は時々富士に来るから特段懐かしくもなかったと思うけど、ボクには至上のひと時だった。ありがとう。
同窓会の案内をくれたアオヤマ君、ナオシ君、エツコちゃん、アキオ君、シノブ君、ヒロコちゃん、イナバ君、マサヒコ君、タカヒデ君、サカヨリ君・・・ハナちゃん。5年後、また会えるといいね。
497 同窓会 その1
ヨシヲ君からメールが来て、中学校の同窓会があるから来ないかという。卒業以来はじめて。今年はみんなが還暦だから45年振りということになる。少し前、これもヨシヲ君情報だが、同級生の何人かと飲み会をしたら、「昔ヨシヒコに殴られた」ってナオシ君が怒ってたらしい。こっちは全然記憶にないけど、殴られた方は死ぬまで覚えてんだろうなぁ。それも謝らなきゃいけない。
高校の同窓会は何年かごとに開かれているけど、一度も行ったことがない。バイクの事故で3年の夏に転校した。それで故郷の高校の卒業名簿にはボクの名前が載っていないから、そもそも案内が来ない。転校先の高校では数人の友人以外ほとんど付き合いがないまま、1年いただけで大学に進んだから、もともと馴染みが薄い。一般に、中学より通学範囲が広い高校の同窓会は、出席率がそれほど高くないらしい。それにくらべると中学はいわゆる地元で、ほとんどは小学校と同じ校区だから全員が丸々9年間、幼馴染ってことになる。
我が富士中は1学年が7クラス。1クラスがだいたい40人ちょっとだから、全部で300人弱。そのうちの160名が今回の同窓会に出席したというから凄い。圧倒的に男が多かった。ボクの3年4組で出席できなかった男子は、だいぶ前に死んじゃったイグチ君、入院中のフルマキちゃん、夜の仕事が忙しいアンドー君、それに、どうやら同級生の女の子に悪いことをして顔を出し辛いらしいミチアキ君の4人だけ。本人は否定してたけど、3次会になってノコノコ出かけて来たところをみると、ミチアキ君の話はやっぱり本当だろう。で、男子の出席率は80パーセント。それもそのはず、殆どのクラスメイトが故郷の富士市周辺に住んでいる。遠くから来たのは、掛川でお茶の製造販売をしているイノウエ君とボクくらいなもの。
それに比べると3年4組の女子の出席はたったの4人。みんな遠くにお嫁に行っちゃったのかねぇ。ご主人の転勤で鹿児島に暮らすスワさんからは、クラス全員に薩摩の日本酒が届いた。会いたかったですスワさん。ありがとう、旨かったです。
卒業が近づいた頃、短い間だったけど、ミチアキ君とヨシヲ君とボクはフォークのバンドを組んでいて、シューベルツの『風』が得意だった。ミチアキ君がアルペジオ、ヨシヲ君はギターのベース、ボクはリズムの担当だった。京都の大学に進んで作曲家に弟子入りし本格的に音楽活動をはじめた頃、出演していたラジオ番組に、シューベルツのはしだのりひこさんがゲストでやって来た。ボクが中学の頃は人気絶頂でキラキラしてたのに、番組にやって来た時は既にバンドも解散して、どこかショボクレちゃった感じがして(失礼)、軽いショックを受けた。それで何も言葉を交わせずに終わってしまった。『風』の作詞をしたフォーク・クルセダーズの北山修さんとは、番組プロデューサーの紹介でお会いしたことがある。京都はかつてフォークのメッカ。ボクが大学に進んだのは、その熱気がまだ僅かに残っていた時期だった。後に北山さんは立派な精神科医になって大学で教鞭も執られたが、いま医学に関わるボクにとっては未だに眩しい存在だ。・・・・・・話が逸れつつある、モトヘ。
45年振りに会うと、当時のまんまただ老けただけの人と、変わったなと感じる人の二通りがあった。変わったと感じる人も、話していれば当時の面影が浮かぶ。そりゃそうだろ、本人なんだから。
先生は7人のうち3人が出席された。担任のスズキ先生は、壇上で挨拶された時、ただその声によってのみ記憶が蘇って来た。匂いの記憶は強烈だというけど、いやいやどうして、音の記憶も凄いぞ。その後でスズキ先生に話しかけられたけど、瞬間、誰だか判らなかった。ボクより背が低くなっていたし、白髪で禿げ頭のヨシヲ君より髪の毛がずっと多くて黒々してるから、同級生の誰かと勘違いしてしまった。こんど初めて知ったが、先生はボクより11歳年上なだけだった。
ザックさんは、外見は昔のまんまだけど中身は別人と思うほど。中学を卒業してすぐ父親が他界し、苦労した。一方で、広大な田畑を相続し高額納税者一位にもなったらしい。本人曰く、その後脱税で挙げられた。以来、資産をどのように管理運用するかで頭が一杯。背が低くて短い縮れっ毛。今も農業を続けているから色は黒い。そこに大きめの金縁メガネを掛けるもんだから、武富士の個人版にしか見えないぞ(笑)。イメージ戦略ならアドヴァイスするよ。
ヨシヲ君の釣り針がボクの目の瞼の裏側に引っかかった時、一緒に釣りをしてたのがウエマツ君。当時は華奢な体格で、よくしゃべる性格。ちょっと小心なところもあった。それが今では“超”がつく真面目な歯医者さん。太ってはいないけどそれなりの恰幅で、紺ブレにグレーのパンツ。落ち着いた声でゆっくり話す。どうしちゃったのサァ~。一時期、大学病院に勤務していて、そのせいかどうか学究肌に見える。近くに住んでいたなら、お世話になりたい。
もう一人の歯医者さんはカツヒト君。こちらはウエマツ君と真逆で、どうやら夜の帝王と見た。同窓会場のホテルより、5次会で繰り出したフィリピン・パブにいる時が一番イキイキしていた。酔っぱらったせいなのか、目が線になっちゃった。医者だもんネ、他人様の不健康な顔ばかり見てれば、そりゃストレスも溜まるワイな。スポーツでも始めればいいのに。そういえば昔、カツヒト君と素手でボクシングしたことを思い出した。
「ヨシヒコ君・・・・だよネ?」と話しかけてきたのはチカコちゃん。幼稚園から小2まで同じクラスだった。イメージが変わっちゃったけど、隣にクミちゃんがいたから判った。いつも二人だった。クミちゃんはスッとした顔立ちで、三日月に目鼻をつけたような感じだったから、男子の間では“花王石鹸”と呼ばれていた。チカコちゃんの実家はカメラ屋さんで、仕事で頻繁に写真を撮っていたボクのオヤジがよく通っていた。まったく知らなかったが、オヤジはチカコちゃんをずいぶん可愛がっていたらしく、いつも「チカコちゃんいる?」と訊いたらしい。そのあげく、「ヨシヒコが悪い事したら私に言いなさい」。どーゆーことなのヨ。
実はボクの初恋の人は、幼稚園の担任シンバ先生もしくはチカコちゃん。ハッキリどっちだったか自分でも判らないけど、親子そろってチカコちゃんが好きだったとは、血は争えないね~。
前にも書いたけど(連載 365 富士山 その2 : 2012.06.25)、今ちょうどNHKドラマ「はつ恋」が深夜に再放送されている。このドラマの舞台が富士市。ボクの家からはだいぶ離れた岳南鉄道の沿線。須津のあたりかな。木村佳乃の巧者ぶりと伊原剛志のダイコンぶりが、微妙な甘酸っぱさを醸し出している。一度見たのに、また見てしまいそうだ。
つづく