行ってきたぜニコニコ超会議!
楽しかった!電車で2時間弱かけて会場まで来て、1時間くらい列に並んで入場して、10時間以上立ちっぱなしで足の痛みがズキズキと頭に響くほどで、そのわりには誰とも会話せずぼっちでうろついてただけなんだけど、それでも楽しかった!
うん。いや、しかし、皆もすなるオフパコというものを僕もしてみんとしたい人生だった。なんだよオフパコって?オフパコという響きだけで強くなれる気がするよ!!
イベントの内容が見たいだけならお家で見ればいい。もともとニコ動はそういうものだ。PCは快適だし二窓三窓もできる。スマホも寝っ転がって見れて楽でいい。
僕が会場に行くのは、そこにいる人を視るため、空気を感じるためなんだよね。なんだかんだで現場は圧倒的に情報量が違うから。ネットであらゆるものが見やすくなったからこそライブの価値が上がるというのは、なかなか救いのある逆説だよな。
それで僕は、わくわくした気分で展示を見て回ったり、カップルにすれ違うたびにリア充氏ねと思ったり、企業展示の美人コンパニオンを見てやっぱりプロはすげえなあと思ったり、だんだん足が痛くなってきたけど座ったら負けだと思って自分と戦ったりしていた。そんなことのために時間と金をかけて幕張までやってきたのだ。まったく後悔はなかった。
実は僕、普段はずっと家か大学に引きこもっていてモテる気配も彼女ができる可能性もないのだけど、清楚で初心な女の子よりもコスプレイヤーとかイベントにたくさん参加するような女の子が好きなのだ。(うしじまいい肉のTwitterとかもリストに入れて見てる)彼女たちは、なんというか、自由な感じがして魅力的だ。
たった一人で大きなキャリーケースを抱えてやってきて、ただコスプレをして帰っていくレイヤーはたくさんいる。キャラや見た目やクオリティがどうこうではなく、僕はそのようなあり方を、ただ美的に美しいと思った。会場の空気はそんな祈りのようなものに彩られるのだ。
ニコニコ超会議の規模が年ごとに増していくのは、現地に行ってみれば十分に説得力がある。色んな人がいて、色んなものが入り混じって、それを許せるような空気が、そこにはある。
そして、僕はどこかで「日本」というものを感じていたのかもしれない。ハレの世界だ。素人もプロも企業も政党も入り混じり、カオスで、平等で、自由だった。
権威もなく、階層もなく、中心もなく、すべてを愛らしく残念に包み込む世界。この国には、たくさんのネ申がいる…。
日本とはなんなのか。教育やメディアによって形作られ、利用され、このご時世誰もが容易く振り回すことのできる「日本」…それがなんなのかはわからない。しかし僕にとっての日本は、今日のニコニコ超会議のようなものだった。
厨二病的な言い回しをすれば、「守りたいもの」ということになるのかもしれない。そこには実感があった。現実と虚構の間で、皆が同じような期待と裏切りの中にいるのだろう。
今日の会場にいた人たちは皆かけがえのない仲間だったし、そこにあった空気はどんな優れた理念が抱える自由よりもずっと自由だったが、それは祭りの間だけのことだ。非日常は終わる。僕たちは次のお祭りに向かって生きて行くのだ。
祭りが終わって「蛍の光」がながれてきた。ニコ動世代にとって蛍の光と言えばFooさんなのだろうか。
ほたるの光 まどの雪
書(ふみ)よむつき日 かさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく
会場を出たところに、「まっすぐ現実に帰ろう」というプラカードを持った男がいた。道が埋まるほどの人混みの、同じ足取りの中に僕もいた。明日からまた日常が始まる。来年も行くぜニコニコ超会議。
オフパコの余韻に浸りながらキーボードを打つからこういう感傷的な文章になったのではない。できなかったからこうなるのだ。
もっと積極的にお祭りに参加できるようにならなければ、という思いもある。目標を決めよう。
これからのニコニコ超会議の目標
超会議2016:積極的にユーザー生放送や超神社などのイベントに参加する
超会議2017:出演者として登壇する
超会議2018:オフパコ
超会議2020:超結婚式