【コラム】ベトナムから韓国に来た2人(1)

【コラム】ベトナムから韓国に来た2人(1)

2015年04月26日12時34分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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  長い時間が過ぎても忘れられないことがある。何十年が流れてもきのうのことのようで、消したくても消せない傷のようなものだ。ベトナム戦争も筆者にはそうした記憶のひとつだ。

  1992年12月22日、韓国とベトナムが修交した。当時の李相玉(イ・サンオク)外務部長官はハノイで修交声明に署名した。筆者は李長官に同行していた。最大の関心は過去史だった。出入り記者は多くの討論をした。韓国としては初めて海外に軍隊を送って戦った国だ。修交する前にどうにか過去史を整理しなければなければならないと考えた。しかし李相玉長官の発言は意外に簡単だった。「一時的に不幸だった時期があったことを遺憾に考え、未来指向的へと発展させる必要があります」。

  その前の88年ソウル五輪の時だ。ベトナム戦争後に政府要人が初めて選手団長として訪韓した。レ・ブ団長は韓国軍と戦った経験もあると話した。彼は記者会見で「そうした過去史を持つ韓国を訪問した気持ちはどうか」と尋ねられると、「昔の話は伏せておきましょう」と話した。私たちはだれが間違っていたのかもわからない表現で「遺憾」を示し、ベトナムは「伏せておこう」としてやり過ごしたのだ。

  このように「昔の話」に関心を持ったのは大学生時代のある記憶のためだ。維新末期の学生たちは軍事訓練を受けた。大学1年生の時には訓練所に入り1週間集中訓練を受けた。筆者が訓練を受けたある日、文武台野外訓練場に大佐、中佐らが数人訪ねてきた。大学生に精神教育をするということだ。私たちの小隊前に立ったある大佐は自身のベトナム参戦経験を聞かせた。内容はこうだ。

  ベトナムにいた彼の部隊が作戦に投入された。移動に先立ち偵察兵を送った。ところがベトコンの襲撃を受け全員死んだ。山のふもとの村に隠れているベトコンの仕業だと確信した。村を訪ね村長にベトコンを出せと要求した。知らないと言った。きょう中に差し出さなければ全員殺してしまうと脅迫した。それでも言うことを聞かなかった。砲兵部隊に支援を要請した。村の座標を知らせた。敵軍が防御線を張っており前進できないので砲射撃で支援してほしいと言った。村は火の海になった。ひとりも生き残ることができなかった。(中央SUNDAY第424号)

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