戦艦大和:沈没70年 呉で追悼式 戦死3千人の冥福祈る

毎日新聞 2015年04月07日 11時30分(最終更新 04月07日 13時51分)

「戦艦大和戦死者之碑」の前で執り行われた追悼式=広島県呉市で2015年4月7日午前10時半、大西岳彦撮影
「戦艦大和戦死者之碑」の前で執り行われた追悼式=広島県呉市で2015年4月7日午前10時半、大西岳彦撮影

 旧日本海軍の戦艦「大和」が沈没してから丸70年となった7日、大和が建造された広島県呉市にある旧海軍墓地で追悼式が営まれ、遺族や海上自衛隊関係者ら約300人が黙とうをささげた。参列者は、特攻として出撃し海に沈んだ戦艦の非業の最期に思いをはせ、戦死した約3000人の乗組員の冥福とともに、平和への誓いを新たにした。

 大和は呉の海軍工廠(こうしょう)で建造され、1941年12月に就役した。戦艦としては世界最大級の全長263メートル、最大射程約42キロに及ぶ46センチ口径の主砲3基を搭載していた。だが45年4月6日、米軍が上陸した沖縄に向かう水上特攻作戦のため停泊地の徳山(現山口県周南市)沖を出撃し、翌7日に鹿児島県沖で米軍機の猛攻を受けて沈没。乗組員3332人のうち9割以上が亡くなった。

 追悼式は乗組員の遺族や市民らでつくる「戦艦大和会」が主催。高齢化などで生存者が年々減り、会主催の追悼式は2005年以来。会長の広一志さん(91)=呉市=は、41年8月から2年間、信号兵として大和に乗船した。

 「若い世代は(日米開戦の)12月8日を知らない人もいる。大和を通じて、若い人にも戦争を知ってほしい」と話した広さんは、「失った大和の友人たちにも夢があり、生きていれば家庭も持ったはず。彼らの犠牲のおかげで今の平和がある。だからこそ、平和を大切にしていきたい」と話した。【石川裕士】

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