現在72歳のマッカートニーさん。
去年、来日したときは、公演直前に体調を崩し、コンサートが中止になりました。
今回のツアーは、明日、大阪から始まり、28日には、49年ぶりとなる日本武道館での公演も予定されています。
(黒柳)皆様このお美しい方はどなたでしょうか?これは何年ぐらい前になるんでしょうか。
松竹にいらした頃…女優さんでいらした頃でいらっしゃいます。
そう今は2人の横綱のお母様におなりになった方ですけど。
藤田紀子さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
でも本当にお奇麗で今でもいらっしゃるんですけどもまあ普段の鍛え方のすごく違う方なんで…。
よろしくお願いいたします。
この前お兄ちゃん…お兄ちゃんがお嫁さんと…最近のお嫁さんと…。
「最近の」って変ですけど。
再婚した…倉実ちゃんっていいます。
倉実さん。
倉実さんといらしてくださってとても可愛いお嫁さんで何よりだと思ってました。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
これその時のお写真ですね。
ねえ可愛い…。
ねえ。
とてもいい子です。
あっそうですか。
ここの家にももう百華ちゃんと桃果ちゃんという…。
ちょっと難しいですよね名前がね。
そうそうそうそう。
百華ちゃんが5歳で桃果ちゃんが1歳。
はいそうです。
でもなんかとても幸せだっていうふうに仰ってましたんでね。
はい。
嫁しゅうとの関係はうまくいってると仰ってましたけどどうですか?ええ。
おかげさまで。
「仲よきことは美しきかな」じゃないですけどやっぱり仲いいのは幸せです。
楽です。
外から見ててもねそりゃそうですね。
それで「何でも困ったことがあったらお母様にまず伺って」ってお嫁さんも仰ってましたので。
それは何よりと思っていました。
それからお兄ちゃんもなんかねお幸せそうな感じがした…なんかね。
そうでしたね。
お兄ちゃんはどういう性格の方なんですか?この方は。
あのですね子供の時からね元気がよすぎて親の言うことを聞かない手のかかる子でした。
本当に?本当に。
この子は逆に見えますね。
手のかからない子かと思って…。
そうですか?でもね明るい…っていうか陽気。
お客様が多かった家じゃないですか。
何しろね人にウケ狙いをする。
ちょっとおかしなことをやってねみんなを笑わせるとすごくいい気分でいるような子供でした。
そういうような子だったんですか。
じゃあ今とまあ…。
今のお仕事合ってるかもしれません。
そうかもしれませんね。
でもまあ横綱でいらしたんですからねなんていったってね。
横綱っていうのがピンとこないんじゃないですか?まあね。
でもあのお2人が…息子さん2人が横綱っていうのはやっぱり本当に…。
優勝して自動車で行く時にあなたとご主人といらっしゃって送りに出ていらっしゃる時のあのこう…これ以上の幸せはないだろうっていう…。
本当日本中が誇りに思ったさ…ご家族でしたのでね。
まあでもそういう瞬間があったのはでもよかったと思いますよ。
本当日本人もみんなで素敵って思ってね。
はい。
子供たち2人を…親方が貴ノ花という四股名の力士だったもんですからみんな貴ノ花ファンが2人の息子たちの成長をずっと見守ってくださったんですね。
ですから自分の子供が優勝したごとくに皆さん喜んでくださったもんですから…。
そうですね。
その時に親子がいつもこう画面に映ったりするので皆さんきっと本当に幸せな家族だな…。
確かに幸せだったんですけどね。
そうですよね。
もう絵に描いたような幸せな家族だと思っていました。
でもまあそういう時があったっていうことは本当にお幸せなことだと思います。
現在なんですけども藤田紀子さんは…お一人でしたっけ?はいそうです。
お一人で。
それで非常に体を鍛えてらっしゃるっていうことがわかってびっくりしたんですけど。
バレエは昔から…?クラシックバレエ。
はい。
最初はですね小さい頃は日本舞踊をやってたんですよ。
でも正座して踊りの順番待つのが耐えられなくて。
やっぱり跳んだり跳ねたりのほうが好きなんですね。
それでバレエに転向して。
すごいですよ皆さん。
これ現在ですから。
最近ですこれ。
やっぱりしょっちゅうやってらっしゃるともう全然こういうの普通にできちゃう?でもあの…しょっちゅうというか毎日ストレッチしてないと…年齢も年齢ですから体が硬くなるんです。
やっぱりね。
すごい。
へえー。
これがすごいなと思うんですけどね。
だから毎日やってると…それは私ジャイアント馬場さんがね私に「ヒンズースクワットを毎日50回やってください」って仰ったのは毎日やってると昨日できたことも今日できる。
でも昨日やらないと昨日やらなかったことが今日もうできないかもしれないから毎日やってればできるって仰ったんですけど。
あれを毎日のようにやってらっしゃる?積み重ねですねこつこつ。
どうしても焦りが出ちゃうんですね。
自分でどうしてこれができないのかしら?とかなるんですけど言い聞かせて。
「焦っちゃ駄目だ毎日こつこつやったらいつかできるようになる」ってね言い聞かせてやってるんですけれども。
でも昔からあのぐらいおできになった?昔はもっと柔らかかったと思います。
あっそう。
じゃあ続けてらっしゃることで今おできになるっていうことですよね。
でもすごいですよね。
3枚目…これなんかだってね。
本当にすごいと思いますけど。
あとお歩きになるんですってね。
よく歩きます。
タクシーはあんまり乗らないですね。
30分とか1時間以内だったら歩いてしまいます。
うわー!そうですか。
はい。
やっぱりそういうこと心掛けないとねなかなかね。
あのね人間ってねこう…楽したい時あるじゃないですか。
それで楽をしちゃうとそっちにいっちゃうのでそういう時はもう自分にムチ打って駄目!楽しちゃ駄目!ここで頑張る!って言い聞かせてねやるんですけれども。
でも部屋も随分なさいましたよね。
はい。
私現役の親方と結婚して相撲の世界31年間おりました。
そうすごい。
31年間おかみさんやってらしたんですもんね。
その前に関取の奥さんだったんですけど力士という生活を知らなくて嫁ぎましたので全部手探りで。
すごい。
それから部屋のおかみになってなんか色々…慣れないことやってきました。
31年間っていうのも随分あれですよねみんなの…。
それでご飯作るとかそういうことだけじゃなくてみんなの…何ですか身の上がどうなるかとかそういうことが一番大事ですものね。
大事です。
人を預かってるわけですから。
まして体は大きくても子供なんですね。
そうですよね。
はい。
大体中学卒業見込書で来ると早生まれが14歳あと15歳の子供たちが来ますのでホームシックとか色んなことがあって。
そうですよね。
はい。
それでおまけにその中には息子さん2人も入っていてね。
そうなんです。
そうね。
まさか2人がプロになるなんて思わなかったんです本当に。
だって親方は2人が生まれていつも言ってたことは「絶対自分と同じ仕事をさせない」っていうのが口癖だったんです。
そんなお気持ちだったんですか。
はい。
どうも皆さんはそういう英才教育で力士にしたんじゃないかと思われてるんですけど実は違うんです。
大体親っていうのは子供に同じ苦労をさせたくないっていう思いがあるじゃないですか。
だから絶対に他の道に行かせるっていうのが私たち夫婦の希望だったんです。
でもまあこういう美しいおばあ様がいらっしゃるのはいいんですけど。
お子さん全部で何人ぐらい?孫…。
はい合計9名です。
9人おります。
随分ですよね。
多いですね。
子供2人しかいないのにね。
多いですよね。
はい。
それで多くの子供は全部名前付けました。
あっそうなの?おばあ様がお付けになった。
そうですか。
あのですね今の再婚してできた2人の子供だけが私が付けたんじゃないんです。
さっきの桃果ちゃんと百華ちゃん。
ちょっと難しいお名前なんですけど。
あれは私じゃないんですけど。
あっそうですか。
今ハワイにいる4人の子供の名前とあの…そうですね弟のほうの子供の…。
えーと…。
貴乃花さん?うん。
…の全部じゃないんですけど付けました。
そうなんですか。
じゃあみんなおばあ様から付けておもらいになったお名前。
全部で9人?9人です。
随分お若いですね。
お若いのに9人もいらっしゃって。
いや私は若くないですよ。
いやいやお若く見える。
そうですか?ありがとうございます。
あのね私…「おばあちゃん」と言われたことないので自分でね表現が難しい…。
息子も私のことを…。
もうママじゃないですよね。
「おかみさん」しか言えないんです。
お嫁さんも「おかみさん」なの。
今でも「おかみさん」って言うんですか。
そうすると子供たちも「おかみさん」って言うんです。
ハハッ!可愛いじゃないでも。
だからあだ名みたいなんです。
「おかみさん」。
孫たちも「おかみさん」と言う。
はいそうなんです。
なるほど。
「おばあちゃん」とは言わない…。
じゃあ誰も「ばあば」だのなんだのって言われてない?ないんですはい。
「おかみさん」なんですね。
じゃあいつまで経っても…。
もうおかみさんお辞めになったのに。
はいそうなんです。
もうとっくに卒業してるんですけれども。
そうですよね。
あれですね紀子さんのお父様は大分県警の警察官でいらしたの?そうです。
とても厳しい方だったんですって?はい。
厳しかったです。
剣道もやってましたから。
あっそう。
大変。
なんかお行儀なんかも…言葉遣い?そういうことも…。
一番厳しかったのは…。
あっえーと…眼鏡掛けたのが父です。
右から2人目。
そうですはい。
この写真皆さんでお集まりの時ですかね。
はい。
でももうカラーにはなって…。
そうですね。
長男が生まれてえーとですね6か月ぐらい…。
私運転免許を取りに大分に帰ったんです。
この髪の毛長いのがあなたですよね。
私ですが…。
すごい。
あの向こうに…ご主人でいらっしゃる。
手前で…勝なんです。
赤ん坊は勝なの。
あっそう。
お兄ちゃん。
だっこしてるのが私の母なんです。
あっそう。
へえー。
随分可愛いお嫁さんだったんですね。
だから親方にとってはものすごく自慢のねお嫁さんだったと思いますよね。
お掃除とかなんかきちっとするのがお好きなんですって?実は両親がものすごい奇麗好きなんです。
あっ大変。
ですから私も本当にもう…時間があったらでれっとしたらいいんですけど家でテレビ見ようと思ってもハッと目につくとあっあの引き出しを全部出して片づけようとか一日そんなことをしてます。
あっそう。
ですから突然どなたか訪ねてきてどこの引き出し開けても大丈夫。
すごい。
それすごいですよね。
それがね…それはねもう決して褒められたことじゃないんです。
私ね医者によく言われる。
「のんびりしてください」って言われるんですけど。
息子2人もとても几帳面のようです。
あっそう。
はい。
もうそれは…よくないですね。
お嫁さん大変だと思います。
でもお嫁さんも仕方がないからみんなやるんでしょ?きっとね奇麗に。
でもね率先してお兄ちゃんの場合は自分が動いてますからね。
高校では演劇部?はい。
高校で…。
その前までは踊りのほうが好きだったんですけど高校に入って演劇を始めたものですからちょっと演劇に取りつかれました。
だからだんだん…。
あっ可愛い。
この中…。
これは高校入学の時なんですね。
一番左側。
一番左側ですよね。
これまだ入学したばっかりですから1年生が三つ編み3段で2年生が5段でとか…規則のあった学校なんですね。
ミッションスクール…。
ミッションスクールです。
そうですか。
この高校時代は大分から別府まで3つ乗り物を乗り換えて学校に通ってました。
その頃まだそちらにいらっしゃったんですか?はい。
そのあとじゃあ女優さんに…。
お母様の実家があったの?横浜に。
はい。
横浜でした。
それで松竹の試験受けるとかそういう時には…。
そうですはい。
だからまあ…演劇部お入りになったことからでも女優さんになってみたいというお気持ちになったんでしょうねきっとね。
なんか遠いところだったんですけど色んな新聞の広告で女優になる本なんて売ってたらすぐに申し込んで買ったりね。
どうやったらなれるのかしらとか思いながら夢中で演劇部で色んなことやってました。
あのねご主人だった方がね…。
昔ここのテレビ朝日のねそばに喫茶店があったんですよ。
そこでね何かでひゅっとお会いしたらね「黒柳さん相撲好きになってくださいよ」って言われちゃって。
私があんまり相撲わからないもんだから。
びっくりなすってね。
でも素敵な方でしたねとってもね。
ずっと大関で。
すごい長い間大関で…。
50場所でしたかしら。
そうですよね。
だからそりゃもう並大抵のあれじゃなかったでしょうね精神的にも。
そうですね。
長男は親子の中で身長が一番低いんですけど親方は体重が最高でも122キロぐらいしかいかなかったんですね。
身長は183あったもんですから…。
それぞれ恵まれてない部分があるんですけれども相撲の世界では小さい体で…。
うわー。
これ何の時?これはねお付き合い始まって間もなくです。
ふーん。
親方19歳です。
本当?でも随分大人っぽいのねなんか感じがね。
着物を着てるのでね。
それからちょっとこう抱き方もなんか大人っぽいっていうかね。
なんかほら…。
ちょっと…なんていうの?あなたのほうすごくお可愛らしくってなんかね。
ご主人とお会いになって結婚するまでの間不思議なっていうか…。
そうです。
本当に縁がなかった人だったんです。
そうですってね。
私大分県大分市ですから相撲を見るなんて縁もなかったしお相撲さんを知らなかったんですけれどもね。
本当この近くの交差点のところにあるお寿司屋さんのご主人が野球選手とか力士とかをすごく知ってると。
あと芸能界の方も知ってるっていうことで引き合わせてくれて…年齢が近いので。
親方がちょうど最年少の幕内に上がって病気で十両に落ちてたんです。
あらら。
地位が落ちてた。
で私は所属してた会社を2年で辞めてフリーになった時だったんです。
それで2人ともこれから頑張るのにちょうど歳が近くていいんじゃないかっていうので…。
えー。
はい。
ただ私3回の呼び出しの電話3回ともお断りしたんです。
あら。
「いやちょっと私は行きたくないです」って言って。
でも4回目にはあまりにも失礼かなと思ってじゃあもう仕方ない。
「伺います」っていう感じの出会いでした。
あっそう。
でもまあお相撲は見てらしたんですか?いや見たことないです。
見てらっしゃらなかったの?全然。
あっそうか。
そのお寿司屋さんの2階のご自宅にお相撲さんが5〜6人いたんですけど…。
へえー。
本人…親方と付き人ですね。
そこでしゃぶしゃぶを食べてた。
へえー。
はい。
でも私はもう狭いお部屋で男性ばかりだから恥ずかしくて…。
びっくりしますよね。
はい。
もうテレビの野球中継をこうやって見てました。
あっそう。
そこになんか輪島さんもいらしたんですって?なんか。
その場にはいなかったんですけどそのあと色々ありまして初めて外でお会いすることになったんですね。
その初めてのデートが輪島さんが一緒で3人で…。
すごいですよデートに…。
やっぱりついてきて。
学ラン…日大の学生さんでしたから学ラン着て入ってきました。
へえー。
輪島さんまだ学生でしたか。
学生でした。
それで親方はシャイな人で話が苦手なんですけど。
すごい楽しい方で。
もう一人で…。
輪島さん。
笑わせるんですね。
だからなんか同級生と会ってるような感じになって。
輪島さんのほうが私より1学年下なんですけど。
なんか「みんな歳が近いわね」なんて言いながら。
じゃあちょっと…キューピッドでもないけどそんな感じ…。
それに近いですね。
はいはい。
それでまあご結婚というところまで…。
でもその時やっぱりお相撲さんのお家にお嫁に行くっていうのは随分お考えになるでしょうね。
いや何にも知らないので考えなかったです。
あっ本当に?はい。
もう…あっ結婚まで来たんだっていう感じでした。
あっすごい。
奇麗。
これ…。
奇麗ですね。
東中野の日本閣の結婚式です。
そう。
日本閣って有名でしたね当時ね。
へえー。
突然親方の師匠の先代に部屋に来るようにって呼び出されて行きましたら「婚約発表何日。
そのあと日本閣で結婚式」「わかった?」って言われてもうびっくりしました。
へえー。
そんなんですか。
はい。
相撲の世界ってきっとそういうものなんですね。
師匠が全部決めてくださるようです。
でも突然のことですけど離婚なすった時はまあ本当に…本当にびっくりしましたあの時。
色々なことたくさんあったんですがあの時。
その離婚が一番びっくりしましたねやっぱりね。
まさかと思ったあの時ね。
そうですね。
きっとまさかと思われた方が多かったと思いますけど。
ご自分で決心なさるまでやっぱり時間かかりました?えーとそうですね…。
そんなに長く考えたわけじゃないんですけれども色んな積み重ねで…。
31年おかみさんおやりになって…。
はい。
決して…私はっきり言えるのは子供たち…お相撲さんを育てるのが嫌とか相撲の世界が嫌とかそういうことでは全くなかったんですね。
親方と共に目標に向かって生活してる時はとてもやりがいがありましたから私も充実してました。
ただ色んなプライベートの親方との個人的な葛藤の中でもう息子たちが2人とも結婚して子供を持ってましたからもう私の役目は終わったかな…。
部屋に関しての若い衆には申し訳ないんですけれどもそう思って決断しました。
ご自分のことをおやりになる…。
まあバレエ一つにしてもねご自分のことをおやりになることできるわけですもんね。
ただその時は自分のことできなくても本当にやはり人を育てるっていうのはやりがいがあるんですね。
あっそう。
みんなが慕ってくれたり…辞めても成長していく姿。
母の日にはみんながお花届けてくれたり。
今でもそういう子がいるんですね。
当時の新聞記者も必ずお誕生日にお花が届いたりするんですね。
そういうことで決して…。
つらいことはあるんですけどつらさよりもよし頑張って一緒に強い人育てようっていう気持ちのほうが強かったもんですから…。
なるほどね。
ご主人が亡くなったこともあり兄弟がなんか仲が悪いみたいな色んなふうになっちゃったことがありその中で紀子さんはどんなふうに考えてらしたんですか?その時は私はもう…なんか色々の第二の人生で頭いっぱいだったもんですから気づかなかったんですけど。
一人になって14年目なんですね今年で。
そんなになるんですかね。
はい。
10年過ぎた辺りにふと色々考えた時に兄弟の関係それと親方が病気で早く亡くなった。
そういうことを色々と考えますと私がどんなことをしてもどんな…何があろうとあの場所にずっと最後までいたらこういうことがなかったのかなとか最近特に思いますね。
そうね。
そしたら兄弟も本当に普通に…普通の環境でお付き合いできて…。
まあね。
でもなかなか難しいのはお兄ちゃんは外の世界へ出ましたけどそれはよかったと思います。
兄弟が現役辞めても同じ仕事で就いてるとまた違った意味で色んな見方されるし心の葛藤があると思うんですね。
ただどうしても2人しかいない兄弟ですから仲いいことが最高のことだと思ってるんです。
やはりその時に私がいて何とかすればよかったとか私にできたかな?とか思うことが本当に多いですね。
結果はもう見えないことですけれども。
そうそうそうそう。
なんか本当に心残りなく出てきましたけれどもその後のことが引っ掛かりますね。
だからあなたがご自分がいらっしゃらなくなったらあんなことになっちゃうっていう…あんなにバランバランになっちゃうとは思ってらっしゃらなかったでしょきっとね。
はい。
想像つかなかったことですけれども…。
もうだって歳が近いもんですから双子のように遊んで…。
仲よくして…。
仲いい兄弟でしたからね。
2人とも横綱でね。
うん。
全く本当に今の状況は想像できませんからね。
はい。
でもあれですか弟さんのほうとも付き合ってはいらっしゃるんですか?あっ全く。
お父さんが亡くなる…父親が亡くなる辺りから全く…。
付き合いはない?ないです。
そうですか。
じゃあお兄ちゃんのほうとは…?はい。
長男とは…。
どうしても「お兄ちゃん」って言っちゃうんですよね。
お兄ちゃんです。
お兄ちゃんねお兄ちゃん。
でもね本当にまあ…どんな理由かわからないけどあの頃毎日毎日毎日毎日マスコミでね。
そういう一つの時代をつくった方たちはそういう…なんかものがきっとねあるんでしょうね。
でもまあ幸せでいてくださればいいと思ってらっしゃるでしょきっとね。
あっそれはねとてもうれしいことにテレビとかものを通して姿は見れますのでああ元気でやってると思って。
毎月父の月命日にお参り行くと2人の家族の全員の健康と無事をいつもお願いして祈ってます。
そうですか。
はい。
でもちょっとね私があそこを出なければあんなことにはならなかったって時々お思いになるっていう話を伺うと…。
それも人生で…。
そうですね。
でもちょっと悲しくなりますよねちょっとね。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』皆様どうぞご覧ください。
2015/04/20(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 藤田紀子[解][字]
〜今語る結婚・離婚・息子たち〜藤田紀子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
タレント・コメンテーターとして活躍中、藤田紀子さんがゲスト。
◇番組内容
美容と健康には毎日欠かさず気を使い、バレエのレッスンやジム・ウォーキングなど妥協しないトレーニングを行っている藤田さん。九州で警察官の厳格な父に育てられ、高校時代は演劇部で女優に憧れたという。上京後は松竹の女優として活躍。その後、当時人気上昇中の貴ノ花と出会い、相撲の世界に入って31年奮闘した。貴ノ花との出会い、結婚そして離婚、未だに打ち解けることのない若貴兄弟への後悔の念を初めて語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0x0818)
EventID:26082(0x65E2)