ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
私は今九州の沖合にあります長崎県の対馬に向かっています。
あちらに島影が見えてきました。
かなり大きな島ですよ!今日はあの対馬を舞台に繰り広げられたドラマチックな歴史に迫ります。
日本と韓国の国境を望む対馬。
島から北へ50キロほど行けばそこはもう韓国のプサンです。
3世紀の「魏志倭人伝」にも登場する対馬は朝鮮との架け橋として長い歴史を歩んできました。
島には謎めいた遺跡や貴重な文物が眠ります。
何でしょうねこれは…。
古代の人々があがめた巨大な岩や竜宮伝説と深い関わりを持つ神社。
更には大陸からもたらされた仏像。
千年以上もの間島民の手でひっそりと守られてきました。
そんな対馬に突如存続の危機が訪れます。
戦争で断絶した日本と朝鮮。
対馬はなんとか国交を回復しようと奔走します。
しかし甚大な被害を受けた朝鮮が日本につきつけてきたのは到底のむ事のできない困難な要求でした。
このままでは交渉は決裂する。
追い詰められた対馬はある秘策に打って出ます。
それはなんと国書の偽造。
日本と朝鮮双方が満足するような偽の国書を作るというバレれば死罪の危険な賭けです。
今宵は対馬を舞台に繰り広げられた400年前の知られざる日朝交渉の物語です。
九州の福岡から高速船に乗っておよそ2時間。
「国境の島」と呼ばれる対馬です。
これ周り見渡す限り入江がたくさんあります。
で平地浜辺が見えないんですよね。
山から海にど〜んと落ち込んでいる。
そういう地形ですねえ。
土地の9割が山という対馬。
島の中心にある浅茅湾はリアス式海岸で天然の良港が多くあります。
ひとたび湾の奥へと進めば波は驚くほど穏やか。
こちらは「西漕手」。
古代から続く港です。
奈良時代都を出発した遣唐使がここで大陸へ渡る船に乗り海へ漕ぎ出した事からその名が付いたと言われています。
あちら!あの入江の奥になんと海の中に鳥居があるんですよ。
1つ2つ…何だか安芸の宮島嚴島神社みたいになってますよ。
平地が少ない対馬では島民の生活の足は船でした。
鳥居は船のための参道です。
平安時代の記録にも登場する…本殿に祭られる豊玉姫は海の神様の娘で竜宮城の乙姫様のモデルとも言われています。
地元の人々は海上の安全を願って参拝してきました。
うわ〜何でしょうねこれは。
本殿の裏手に現れたのは大きな岩。
神が降臨すると伝わる「磐座」です。
ここに社殿が造られるはるか前いにしえの頃より島民にあがめられてきたものです。
この大きさに圧倒されてこの荘厳な雰囲気で…。
悠久の歴史の中で国境の島対馬は度々外敵に襲われてきました。
海に鳥居を建てたのはその事も関係しています。
13世紀の…15世紀の…危機に見舞われる度に対馬の人々は神の加護を願って一つまた一つと海に鳥居を建ていつしか今の形になったそうです。
大陸から海を渡ってきたのは外敵ばかりではありません。
あら〜。
(藤島)これは女の人の神様でそれはもう昔から祭ってます。
8世紀に新羅からもたらされたという…日本に初めて仏教が伝えられたのも対馬でした。
いいお顔ですよね。
きれいなお顔ですね。
こりゃ男神様ですね。
男神様の方はちょっとお顔が何かユニークな…。
かわいらしいというかひょうきんなお顔をしてらっしゃるけど。
こうした仏像は「渡来仏」と呼ばれ島全体で120体ほどあります。
地域の人々の手で千年以上も大切に守られてきました。
対馬の経済を支えたのが貿易です。
戦国時代から江戸時代にかけて朝鮮の文物が対馬を通じて盛んに輸入されました。
朝鮮の焼き物は「高麗茶碗」などと呼ばれ茶道具として珍重されました。
大名が競って手に入れようとし大変な高値がつくものもありました。
こちらは…いずれも滋養強壮の漢方薬の原料とされ日本では手に入らない貴重品でした。
対馬から北へおよそ50キロ。
韓国のプサンです。
ここにかつて「倭館」と呼ばれた対馬藩の出張所がありました。
広さおよそ10万坪。
最盛期には200人以上が対馬から出張し貿易や外交を行っていたといいます。
日本から朝鮮への輸出品は主に銅など貨幣の材料でしたが中にはこんなユニークなものもありました。
東南アジア産の水牛の角で作った弓です。
水牛の角は弓の材料に欠かせないものでしたが輸入は東南アジアと交易ルートを持つ日本に頼っていました。
日本と朝鮮は互いになくてはならない貿易相手でした。
中世以来こうした日朝貿易を主導したのが……を訪ねました。
この本堂の傍らに代々受け継がれてきた大変貴重な品があるというので伺いました。
こちらです。
これ。
仏具なんだそうですが大きいですよね一つ一つが。
…と呼ばれる青銅製の仏具です。
重厚な花生け。
獅子の形の香炉。
鶴をかたどった燭台。
いずれもこまやかな文様が施された大変貴重なもの。
宗家がいかに朝鮮から信頼されていたのかを物語ります。
日本と朝鮮の架け橋として繁栄してきた対馬。
ところが戦国時代の末存亡の危機を迎えます。
豊臣秀吉が天下統一を果たして2年後の…時の島主宗義智は秀吉から大坂城に呼び出され思いがけない事を命じられます。
そ…それはまことでございますか?しかし朝鮮は対馬の隣国。
いかに太閤様のご下命とはいえ…。
朝鮮との貿易で島の生活を支えてきた義智はなんとか戦闘を回避できないかと働きかけますが秀吉の決定は覆りません。
心の声これは大変な事になった…。
義智は不本意ながらも先鋒を務めます。
朝鮮半島に上陸しプサン城を攻め落とすと日本軍は各地の朝鮮軍を破りながら破竹の勢いで北上。
僅かひとつきで現在のソウルハンソンに迫ります。
被害は歴代の朝鮮王にも及びます。
ソウルの中心部を望む王陵…第9代の国王を埋葬したこの墓が掘り返され王の棺も行方不明となりました。
朝鮮王室では日本が攻めてきただけでなく王家の墓にまで手をかけた事で怒りが爆発します。
王様我らはこの恨みを晴らさずには死ねません!日本に対する感情はもはや止めようのないほど悪化の一途をたどっていました。
最悪の事態に陥ってしまった日朝関係。
対馬にとって朝鮮との関係がいかに重要であったかを示すものが残されています。
これは…。
「宗家文書」と呼ばれる記録です。
日々の業務を記した日誌や外交交渉の記録貿易の帳簿。
更には日朝の歴史書など8万点余り。
江戸時代初期から幕末までを網羅する第1級の史料で国の重要文化財に指定されています。
(山口)これは朝鮮からの使節を迎えるにあたってかなりの茶道具が必要だったようで…
(山口)…というように茶碗だけでもかなりの数の茶道具を必要としたと。
更に使節の人々が使う硯や筆墨などはわざわざ朝鮮から取り寄せて用意しています。
朝鮮から来てる使節の方に朝鮮の墨や筆を用意するんですか?そうですね。
書き慣れたそういった道具を用意して書いてもらうと。
心尽くしでもてなしたという事が言えるかと思います。
ささいな事でも全て記録をつけ朝鮮外交に万全を期してきた宗家。
対馬にとって朝鮮との国交断絶は死活問題でした。
そこで…秀吉の死により戦いが終わった翌年の慶長4年。
しかし…それでも義智は何度も使者を送り続けますが国交回復には程遠いものでした。
やがて転機が訪れます。
天下を握ります。
朝鮮と国交を回復したいと考えた家康は宗義智を呼び出します。
先の戦で日本と朝鮮の交わりが絶えて久しい。
その方から国交回復を朝鮮王に働きかけてみよ。
朝鮮国と再びよしみを結ばれると…。
それがしにその役を?ありがたき幸せにございます!心の声願ってもない機会だ。
国の正式な使いであれば朝鮮側も応じるにちがいない。
義智は期待に胸を膨らませ使者を送りました。
ところが使者の姿勢は慎重でした。
我が国は日本が再び攻めてこないか警戒しています。
日本に和を結ぶ気がどれほどあるのか王様は疑っておられます。
日本側が本気だという事を納得させるためにもこの機を逃してはならない。
ならば是非あるお方にお引き合わせしたい。
それは京の伏見城。
家康は使者に述べます。
余はこの度の戦とは無関係じゃ。
朝鮮国と余の間には何の恨みもない。
余が和を通じる事を望んでいると国王に伝えてほしい。
確かにお伝えいたします。
これで国交回復も近い。
そう考えた義智でしたが事はそう簡単には進みませんでした。
朝鮮に帰国した使者の報告を受けて王宮には侃々諤々の論議がわき起こります。
(臣下)日本とは断交を続けるべきです!
(臣下)しかし家康は友好を望んでおり断る理由はありません。
(臣下)そもそも家康が日本の代表と考えてよいものか…。
(臣下)王様いかがされますか?まず先の戦の時に…そして…最後に…この3点です。
朝鮮からすれば…以上が朝鮮国が交渉に応じる条件だと。
捕虜の返還に応じる事はできますが他の条件は極めて難しいものでした。
王の墓を荒らした犯人といっても戦の混乱の中での出来事では…更に…このままでは交渉は決裂です。
日朝貿易が中断して既に8年。
収入が断たれた対馬は存続の危機にひんしていました。
もはや事態は一刻の猶予もなりません。
心の声やむをえん…。
柳川近う寄れ話がある。
義智の秘策。
それは朝鮮側が納得する内容で偽の国書を作る事でした。
国書には「前代の非を改める」と書き家康が先の戦を謝罪した形にしました。
表には「日本国王源家康」と署名し最後に偽の印も押しました。
これで偽の国書が完成です。
義智はこうして朝鮮がつきつけた条件をクリアしたのです。
その気持ちの方がもちろん強い。
国書を受け取った朝鮮の対応はどのようなものだったのでしょうか?朝鮮の記録「朝鮮王朝実録」はこの時の議論について記しています。
意見に耳を傾けていた国王が最後に口を開きました。
日本へ使者を送る。
そう決断した一番の理由は日本に連れていかれたままの大勢の民でした。
焼き物の産地で名高い…窯元の近くに建つ無縁仏の墓です。
その多くは文禄・慶長の役で連行されてきた朝鮮の陶工たちだとされます。
日本に連行された正確な人数を示す日本の史料はありませんが韓国側には20万という数字もあります。
この時日本へ向かう朝鮮の使者は「回答兼刷還使」と名乗りました。
これは家康からとされる国書への回答と日本にいる捕虜を取り戻すという使命を表した名です。
いまだ強い警戒心を抱いたまま日本へと船出した朝鮮の使節。
そこで義智は大きな問題に気付きます。
一行が携えていた朝鮮王の国書が「奉復」つまり「返事」となっていたのです。
朝鮮の国書は先日の家康名義の国書に対する返答として書かれていました。
国書を書いた覚えのない家康が読めば当然つじつまが合わないところが出てきます。
そうなれば偽の国書を作った事が露見するかもしれません。
心の声まずい。
なんとかせねば…。
もはややるしかない。
この時作られた偽の国書が残されています。
表書きの「奉復」は「奉書」「書を奉る」と改められました。
更に「前代の非を改めたいと日本が謝ってきた」という文章を「前代の非を改め昔のように交流を行う」と書き替えています。
そして本物そっくりに偽造した朝鮮国王の印を押しました。
あとはこれを本物の国書とすり替えるだけです。
義智と使節の一行は対馬を出発。
九州を越え瀬戸内海を船で東へと向かいます。
岡山県の牛窓。
古くから風待ち・潮待ちの港として栄えたこの地で朝鮮の使節は宿をとっています。
江戸時代使節の宿泊所に使われた…日本は朝鮮の使節を最上級の扱いでもてなそうとしました。
こちらが当山客殿の「謁見の間」というお部屋でございます。
当時朝鮮通信使の方々を食事・接待等をしたというふうに言われてるお部屋でございます。
日本側の歓待ぶりに喜んだ使節は当時珍重されていた青磁の花瓶などを贈りました。
互いに打ち解け和やかな雰囲気の一行。
しかし義智だけは気が気ではありませんでした。
そのため偽の国書とすり替える事ができないのです。
隙をうかがいながらも機会が見つからないまま行列は進みます。
そしてついに朝鮮の使節は江戸に到着。
義智は追い詰められました。
朝鮮王の国書を差し出します。
(心拍音)
(心拍音)
(心拍音)大儀であった。
国書は将軍に受理されました。
そこにあったのはなんと義智が作った偽の国書だったのです。
これまで朝鮮側の厳重な管理下にあった国書は江戸城の一室に保管されていました。
この瞬間だけが国書をすり替える唯一のチャンスです。
国書を受け取った将軍は返事として…義智の10年越しの悲願は国書偽造という大きな危険と引き換えに達成されたのです。
国交の回復とともに対馬と朝鮮の貿易も再開されます。
宗義智は国交回復の8年後に亡くなります。
家老の柳川智永も生涯口を閉ざしたままこの世を去ります。
国書偽造の秘密は闇から闇に葬られたかに見えました。
ところがおよそ30年後。
2代目の藩主宗義成の代になってこの国書偽造が発覚。
幕府を揺るがす大問題へ発展してしまいます。
それは幕府の老中への意外な人物からの密告でした。
あの時朝鮮の使者が差し出した国書は実は宗家がすり替えた偽物にございます。
父柳川智永の跡を継いで家老となっていました。
このころ対馬藩ではお家騒動が勃発。
藩主である宗家と家老の柳川家が激しい勢力争いを繰り広げていました。
柳川は国書偽造を暴露して宗家の失脚をねらったのです。
う〜む…これはもはや幕府の威信に関わる問題。
上様にご報告せねばなるまい。
国書を偽造するなど前代未聞の重大事件。
時の将軍徳川家光は自ら尋問して調べる事にしました。
対馬藩主宗義成と家老柳川調興。
2人は江戸城に呼び出されます。
これはその時の江戸城大広間でのおのおのの座り位置を記した図面です。
将軍をはじめ老中目付が並び更に主な大名まで招集されました。
(家光)対馬守本日呼んだのは他でもない。
柳川調興が「先代の藩主義智が徳川と朝鮮の国書を改ざんしそれを取り替えた」と申しているがまことか?誰がいたしたのであれ…仰せごもっともでございます。
しかし調興は…。
義成の申し開きは苦しいものでした。
宗氏は大罪人なれば藩の取り潰しを。
国書偽造は日朝の外交関係に深く影響する問題です。
偽造の罪を問い宗家を取り潰すだけで果たして解決するのか?家光は考えます。
翌日裁きの結果が宗義成に告げられました。
「この度の儀…」。
国書偽造について宗家はおとがめなし。
領地もこれまでどおり。
おとがめなしという事は恐らくかなりの人が意外に思ったんではないかと思うんですね。
多分…それの天秤にかけたんではないかと思います。
このあと対馬藩は江戸時代を通じて朝鮮との外交役を務めました。
朝鮮の使節は「朝鮮通信使」と名乗り華麗な行列を伴って江戸へと向かいました。
「通信使」とは「日朝両国の信頼を通じる使者」という意味です。
江戸時代の260年間。
朝鮮通信使は12回日本を訪れ両国の友好の歴史を築き上げていったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
通信使がやって来ると地元では伊勢エビやタイなど贅を尽くした料理が振る舞われました。
使節を迎える各藩は豪華さを競い1回の通信使の往復で100万両以上が使われたと言われます。
この地に代々住む丸本さんは通信使が来た時の村の様子を伝え聞いていました。
当然ここに住んでおります…対馬で毎年8月に行われる…江戸時代対馬にやって来た朝鮮通信使の行列を再現したお祭りです。
楽隊を率い華麗な衣装を身にまとった一行が沿道の人々を魅了します。
お隣の韓国プサンでも朝鮮通信使を再現した行列が練り歩き大人気を博しています。
隣国とのつきあいで大切なのは何か。
かつて対馬藩で朝鮮外交に携わった儒学者・雨森芳洲はこう記しています。
「相手に誠実に接しお互いを信頼する事こそが肝心なのだ」。
2015/04/22(水) 14:05〜14:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「国書偽造 秘められた真実〜国境の島・対馬の憂鬱〜」[解][字][再]
豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した日本と朝鮮。そこから僅か10年で国交を回復させた立て役者が対馬の人々だった。その裏には国書偽造という恐るべき秘密が隠されていた。
詳細情報
番組内容
古来、朝鮮半島とのかけ橋となってきた国境の島・対馬。ここで400年前、幕府を揺るがす外交スキャンダルが勃発!秀吉の朝鮮出兵で断絶した日本と朝鮮の国交を、対馬藩は「国書偽造」という禁断の手で回復させる。しかし、やがてその偽造が露呈。前代未聞の国家の大罪に、将軍が下した決断とは…!日韓国交正常化50年をむかえる今年、日本と朝鮮がギリギリの交渉の末にたどり着いた、400年前の友好関係の原点をふりかえる。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
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ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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