警視庁は、免許証などから、俳優の萩原流行さんと見て確認を進めるとともに、そばにバイクが倒れていたことから、バイクに乗っていて転倒したと見て、詳しい状況を調べています。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
私の後ろに見えますのが昨年開業100周年を迎えた東京駅です。
開業当時の姿に復元された赤レンガの駅舎は実に堂々としていて東京の表玄関にふさわしいたたずまいです。
2020年のオリンピックを前に世界から注目される町東京。
今日はその歴史をたどります。
TOKYO!TOKYO!5年後のオリンピック開催を控え建設ラッシュに沸く東京。
しかし400年前は一面芦の生い茂る湿地帯でした。
そこへやって来たのが…家臣たちに命じます。
刀をくわに持ち替え慣れない土木工事。
家臣たち…江戸誕生までの家康と家臣たちの奮闘記です。
時は流れ明治時代。
「江戸」から「東京」に名前も変わりました。
そんな東京を一変させる計画が持ち上がります。
なんと町ごとヨーロッパ風に大改造!?今宵幻に終わったヨーロッパ風の東京がCGでよみがえります。
江戸そして東京の400年にわたる町づくりの物語です。
天正18年豊臣秀吉が天下統一を目の前にしたちょうどそのころ。
秀吉は一人の武将を呼び出します。
男の名は徳川家康。
現在の中部地方に広大な領地を持つ大大名。
秀吉に次ぐ実力者でした。
秀吉は家康に言います。
家康どのそなたに頼みがある。
すまぬが新たな領地に移ってもらいたい。
そこには江戸というよい場所があるそうじゃ。
そこに移るがよかろう。
は…はあ…。
江戸へ行く事になった。
殿江戸など聞いた事もありませぬが…。
う〜ん…。
家康は不安を抱く家臣と共に…しかし…。
これは…なんとひどい所でございましょう。
そこは一面芦の茂る海辺の湿地帯。
屋敷を建てられる土地も僅かでした。
家康たちが入った江戸の地。
現在陸地になっている所まで400年前は海が深く入り込んでいました。
この国替えは…今さら後戻りはできん。
なんとしても目の前の沼地を徳川にふさわしき町につくり替えるほかあるまい。
この辺り一帯は当時「前島」と呼ばれ水はけの悪い軟弱な地盤でした。
家康は…殿土地をひらくにも大勢人足を集めねばなりませぬが…。
されどこの江戸の地には人足など一人もおりませぬ。
ん?おるではないか。
ここに。
(家臣一同)え!?よいしょ!よいしょ!しかし皆さん工事の素人。
一体どうやったのでしょう?記録にはひたすら地面を堀るだけだったと記されています。
一見単純に見える作業ですがそこに秘密がありました。
すると…とはいえ全ては手作業。
家臣たちも大変です。
いや〜刀をくわに持ち替えての慣れないお仕事お疲れさまです。
数か月に及ぶ…土地は出来た。
されど人がおらぬ。
今度はここに住む者たちを集めてまいれ。
当時江戸に移り住んできた商人の記録です。
江戸で独占的に薬を販売できる免許をもらったと記されています。
こうして江戸は次第に活気ある町となっていきます。
しかしまだまだ問題は山積していました。
中でも大きかったのは飲み水の確保です。
江戸は海に近く真水がなかなか手に入らなかったのです。
心の声う〜んいかがしたらよいものか…。
そんな折。
殿お疲れでしょう。
甘い菓子でもお召し上がり下され。
家臣の一人が家康に献上しようと菓子を作ってきたのです。
心の声待てよ…おおそうじゃ!一つ聞くがうまい菓子作りに欠かせぬものといえば何じゃ?それは…水でございましょうか。
良き菓子には良き水が欠かせませぬ。
それゆえ日々方々を探し求めております。
それじゃ!この江戸でも良い水を探す事ができるか?はっ承知いたしました。
お任せ下さりませ。
家臣は良質の水を求めて旅立ちました。
そして見つけてきたのは江戸から15キロほど離れた場所にある大きな池。
早速家康を招きその水でたてたお茶を飲んでもらうと…。
うまい。
この水がよい。
それが現在の井の頭公園。
井の頭とは「一番の井戸」最高の湧き水という意味なのです。
ただちに井の頭から水を引け!ははっ!江戸の人々はようやくおいしい水を飲めるようになったのです。
水は足りた。
次は食い物じゃ。
江戸は田畑も作れるほど広うない。
何か良い考えはないか?殿船で一気に運んでくるのはいかがでしょう。
当時家康の領国内を流れる利根川流域には米や野菜の産地また塩の一大生産地行徳もありました。
船を使えばこうした食料を大量に輸送する事が可能です。
しかし…。
妙案なれど江戸の海はとかく荒れるからのう。
なるほど船ではかえって危ういか…。
海を通らずに船を使える手だてがあるぞ。
それは堀じゃ!また堀ですか…。
これなら波や風の影響を受けずに安全に食料を輸送できます。
もはや本職顔負けの工事の達人となった家康の家臣たち。
瞬く間に運河が造られました。
江東区を流れる小名木川。
この時造られた運河です。
そのほとりのお寺に当時の名残がありました。
こちらが宝塔寺の「塩なめ地蔵」です。
地蔵の周りにはたくさんの塩。
産地から江戸までこの小名木川を使い塩を運んだ商人たちがお供えしたのが始まりです。
運河を利用した大量輸送システムによって江戸は更に発展していきます。
これで日々の食事にも事欠かなくなった江戸の町。
でも家康さんなぜかご不満な様子。
(家康)今日も菜っぱか。
たまには魚でも食いたいのう…。
そういえば…あの時食った魚は実にうまかった。
家康の頭に浮かんだのは関西を旅していた時の事でした。
道中川が行く手を遮り家康一行は立ち往生。
そんな時近くの漁師たちが見かねて舟を出してくれたのです。
家康はこの事に感謝したくさんの褒美を与えました。
すると後日その漁師たちから家康に献上品が届けられます。
取れたての白魚でした。
心の声あのうまい魚を今一度食いたいのう…。
そうじゃ!あの漁師たちを江戸に呼べばよいのじゃ!御免!家臣たちは必死に説得。
そのかいあって34人の漁師が江戸へ移住してくれる事になりました。
大阪市西淀川区。
ここはかつて家康を助けた漁師たちが住んでいた村。
その名も佃村。
そうです。
東京の佃島は大坂の佃村の漁師たちが移り住んだ事からそう呼ばれるようになったのです。
漁師たちがとった魚は日々の食卓に上り…何もない海辺の湿地帯から急速な発展を遂げた江戸の町。
その陰には家康の家臣たちの汗と涙の物語があったのです。
大変な苦労と工夫の末手つかずの湿地だった江戸を「町」へとつくり上げた家康と家臣たち。
その後家康が天下をとると江戸は大名・徳川家の根拠地から日本の中心に変わります。
そのシンボルとなったのがこちら。
将軍様の居城江戸城でした。
ここにひときわ大きな石垣の台があります。
かつてこの上には江戸城のシンボル天守閣がそびえていました。
なぜ今は台しか残っていないのか。
そこには家康・秀忠・家光三代の将軍の日本一をめぐる熾烈なバトルがありました。
勝利を手にした家康は征夷大将軍となり一躍天下人に。
心の声ようやく徳川の天下となった。
それを世に認めさせるにはどうすればよいかのう。
そうじゃ!豊臣家の大坂城を超える城を造るのじゃ!当時日本一とうたわれた大坂城。
天守の高さはおよそ30m。
黒漆塗りの壁を金で飾った豪華な建築でした。
家康が考えた江戸城の天守はそれをはるかに超えるスケール。
慶長11年。
家康は全国の大名に号令をかけ工事を開始します。
江戸築城がいかに大変だったか。
その事を示すものがあります。
こちらの石垣。
ひし形に三の文字。
渦巻き。
さまざまな印が刻まれています。
大名たちが自分の運んだ石に目印としてつけたものです。
東京からはるか120km離れた静岡県伊東市。
山道を歩いていくと…。
これご覧になれますでしょうか?刻印が入ってます。
ひし形に三の文字。
江戸城にあったものと同じです。
江戸城の石はこの伊豆半島の山からはるばる運ばれてきたのです。
運ぶと一口に言ってもそれは大変な作業。
まずは山の中から100人がかりで海辺へ。
船に積むのも一苦労。
石の重さは…大変だったでしょうねえ。
およそ1年にわたる大工事の末江戸城の天守が完成。
大坂城の3つ分の体積という前代未聞の天守となりました。
外見も対照的。
黒い壁の大坂城に対し江戸城は真っ白。
おお!富士じゃ!富士のお山じゃ!記録には「まるで富士山のように高くそびえ夏も雪山のように白かった」と記されています。
どうじゃ余の天守は!真っ白で雲にかかっておる…。
こんな大きい天守見た事ございませぬ。
これからは家康様の天下にございますなあ。
ハハハ…アハハハ!家康は日本一の天守を造る事で天下人の実力を見せつけたのです。
家康を継いで2代将軍となった息子の秀忠。
しかし父・家康があまりにも偉大であったため常に比べられ将軍となったあとも家臣から頼りないとうわさされる始末。
心の声あの父上を超えるにはどうしたらよいものか…。
そうじゃ。
父よりも大きい天守を建てればよいのじゃ!秀忠は出来上がって僅か16年の家康の天守を壊します。
心の声さらば父上!そしておよそ1年かけて天守を新築。
石垣を低くし建物を一回り大きくする事で重厚感を出しました。
どうじゃ?余の天守は。
家康公の時より大きい…。
堂々としたお姿じゃ。
これからは秀忠様の天下にございますなあ。
秀忠は家康をしのぐ日本一の天守を造る事で偉大な父を初めて乗り越えられたのかもしれません。
3代将軍家光も新しく天守を造ります。
余は生まれながらの将軍じゃ!
(家臣一同)ははっ!この格の違い天守造りでも存分に見せてくれようぞ!家光は出来て15年しかたっていない父・秀忠の天守を壊し新しい天守を建てました。
こちらはその設計図です。
注目すべきは工事期間。
寛永15年7月に始まり11月に完成。
その間…家康や秀忠が1年近くかけたものをどうやってこんなに短い間で?組み上がってるところから見るとこれは…つまりこういう事。
秀忠の天守をバラバラにしてその部材を再利用。
それが家光の天守になったというわけなんです。
城の部材の再利用はこの時代よく用いられた建築手法でした。
例えば彦根城の天守は大津城の天守の部材を使ったと記録にあります。
とはいっても家光の天守。
単なる建て替えではありません。
壁には高価な漆塗りの銅板を惜しげもなく使い白壁だった家康・秀忠時代よりもはるかに豪華。
どうじゃ余の天守は!こんな短い間に…。
なんと豪華な天守である事よ。
これからは家光様の天下でございますなあ。
ハッハッハッハッ!結局どの将軍も自分の天守が日本一じゃなきゃ気が済まなかったという事なんでしょうか。
(半鐘の音)ところがその家光の天守の完成からおよそ20年後。
江戸の町を襲った…江戸城天守は二階の窓から火が吹き込み全焼してしまいました。
将軍の代替わりとともに贅を尽くして造られてきた天守。
しかし焼けた町の復興にお金をかけるべきだとしてその後再建される事はありませんでした。
「天守閣のない」江戸城。
その後200年余り続いたまさに太平の世の象徴となったのです。
さてこちらは古都・京都。
1,000年の都として栄えたのには秘密があります。
町の北東にある比叡山。
陰陽道で不吉とされる「鬼門」の方角にあたります。
そこに延暦寺を建て災いを防ごうとしたのです。
実は江戸の町づくりにもこの京都の仕組みが取り入れられています。
江戸の鬼門にあるのは…上野公園の近く寛永寺にやってまいりました。
この寛永寺は徳川家が造ったお寺です。
さてご覧頂きたいのがこちら。
「東叡山寛永寺」とあります。
東の比叡山という事なんですね。
京都の鬼門に比叡山があるように江戸にも東叡山を建てたのです。
比叡山や京都に倣ったのは他にも。
寛永寺の程近く不忍池です。
不忍池は琵琶湖の写し琵琶湖に見立てているのだそうです。
比叡山の麓にあるのが琵琶湖だとすると東叡山の近くにはこの不忍池。
琵琶湖から見ますといささか小さいような気がいたします。
更に霊験あらたかな京都のお寺も建てられました。
清水寺に見立てて造られた清水観音堂。
五重塔まであります。
古都・京都にあやかった上野。
江戸が末永く繁栄してほしいという願いが込められていたんですね。
時は流れ江戸は東京とその名を改められました。
明治時代初期に撮影された東京の写真です。
木造の建物が並んでいました。
しかし…それは一人の外国人の来日から始まりました。
彼の名はヴィルヘルム・ベックマン。
ドイツを代表する建築家の一人です。
ベックマンさんこの東京にヨーロッパ列強にも負けない西洋建築を造りたいんです。
ベックマンを招いたのは時の外務大臣井上馨。
その背景には日本が長年抱えていた外交問題がありました。
遡る事30年…その時日本は…ベックマンへの依頼は次の3つ。
いずれも法治国家の要法律に関わる建物でした。
ベックマンは早速それらのデザインに取りかかります。
こちらは裁判所。
ネオバロック式の建築様式を採用し華麗で厳かな雰囲気に。
国会議事堂はドーム形。
当時ヨーロッパ各国の議会で流行したもの。
こちらは司法省。
いずれも日本が西洋に肩を並べる国家だとアピールするのに充分なデザインでした。
しかし遠い…それは一筋縄ではいかないとベックマンは考えていました。
心の声日本の気候や地質をもっと知らねばなるまい。
建設予定地の地形はどうなっているのか。
西洋建築に欠かせないレンガは日本の風土に合っているのか。
幕末から明治にかけて東京では度々大きな地震が起こりました。
安政の大地震ではおよそ1万4,000棟を超える家屋が倒壊。
直後に発生した火災が多くの被害をもたらしました。
その後明治に入ってからも地震による被害は多数報告されています。
それは井上を驚かせるものでした。
なんと建築だけでなく東京の町そのものをつくり直す…特に力を入れたのは町の中心を貫く…地震が発生した時火災が広がるのを防ぐ役割を果たします。
町の中心には広場が置かれました。
そこからは道路が放射状に伸びていきます。
当時のパリに比べても遜色のないデザインの町となっていました。
井上閣下。
これからの東京に必要なのは建物だけでなく町全体のデザインです。
ベックマンの設計した東京の町をCGで再現してみましょう。
町の中心にある広場は人々の憩いの場。
広場から放射状に伸びる道を行くと裁判所が見えてきました。
町を南北に貫く幅の広い道路。
火災予防はもちろん将来の交通の発展を見越しての事。
そして天皇のいる宮殿を右手に見ながらたどりつくのはネオバロック式建築のドーム。
国会議事堂です。
ところがその1年後。
井上が条約改正に失敗して失脚。
東京改造計画は予算がかかりすぎると役人たちの反対で却下されてしまいました。
結局造られたのは当初の依頼分のみ。
裁判所司法省簡素なデザインに変更された国会議事堂の3つでした。
町そのものをつくり替えようというベックマンの壮大な計画は幻と消えました。
東京は未曽有の災害に襲われます。
地震でおよそ2万5,000棟が全壊。
その後の火災でおよそ18万棟が全焼。
町は壊滅的被害を受けました。
しかしそうした中ほとんど被害を受ける事なく厳然と建っていた建物がありました。
ベックマンの手がけた裁判所と司法省です。
地震に耐えた理由はその設計にありました。
ベックマンは壁と壁の間に耐震用の鉄材を巡らせ建物を補強していたのです。
震災後東京では防災を重視した町づくりが計画されました。
計画の柱は町を縦横に貫く道幅の広い道路網の整備です。
靖国通りや幅44mの昭和通りなどが造られ道路を軸にした都市建設が進められました。
ベックマンが災害に強い町として思い描いた幻の東京改造計画から実に38年の歳月が経過していました。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は大正昭和そして平成。
その後も東京は時代とともに姿を変えていった。
そんなお話でお別れです。
焼け跡からの復興。
そして昭和39年の東京オリンピックを経て高度経済成長へ。
東京の町は建設ラッシュに沸きます。
しかし失われたものもありました。
戦火を免れた古い建物が次々に取り壊されたのです。
ベックマンが設計した裁判所も建て替えのため…そして今改めてそうした建築の歴史的価値が見直されようとしています。
同じくベックマン設計の司法省。
平成6年に建築当初の姿に戻されました。
現在法務省の庁舎として使われており一角には建物の歴史を伝える展示室も設けられています。
東京駅は平成24年に開業当初の姿に復元されました。
戦災で失われその後資材不足で再建できなかったドームがよみがえり本来の姿を取り戻しました。
70年の時を経て東京の新しい玄関口として人々を迎えています。
海辺の湿地帯から400年の歳月をかけ姿を変えてきた東京。
5年後のオリンピックの時にはどんな町になっている事でしょう。
2015/04/22(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「がんばれ!東京〜泣いて笑って400年〜」[解][字]
2020年のオリンピックで注目される東京。一面の沼地だったこの地を日本第一の都市に築き上げた家康の奮闘ドラマや、明治の“幻の改造計画”など東京の原点に迫る秘話。
詳細情報
番組内容
2020年のオリンピックを前に注目を集める東京の歴史。今回は、小さな漁村集落だった江戸を日本第一の都市に築き上げた徳川家康と家臣のドタバタ奮闘劇、将軍が替わるたびになぜか取り壊され、新しく建て替えられた江戸城天守閣の秘密、そして明治時代、新生「東京」のために計画された、江戸の町並みを一変させる“幻の東京ヨーロッパ化計画”をとりあげる。世界的にも有数の都市となったTOKYOの原点に迫る秘話。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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