クローズアップ現代「絵巻がひもとく清水寺〜知られざる1200年の歩み〜」 2015.04.24


四季折々その装いを変える京都・清水寺。
1年間におよそ500万人が訪れます。
ところで、本堂の舞台がいつどのように造られたのかご存じでしょうか。
その謎を解く絵巻がこのほど完成しました。
全9巻、長さ65メートルに及ぶ平成縁起絵巻。
清水寺1200年の歴史が描かれています。
戦乱や火災によって何度も焼失を繰り返した寺。
そのたびに再建を支えてきたのは復興を願う街の人々でした。

大きな寺の絵巻としては近代以降、初めてとなる今回の試み。
西陣織の絹織物に日本古来の技法を使って描かれました。
観光ツアーだけでは分からない清水寺の知られざる歴史。
新たに完成した絵巻からひもといていきます。

新緑が美しい京都・清水寺の名園「月の庭」に来ています。
その名前のとおり月の光に照らされた光景が美しいことで知られています。
春は桜に新緑、秋は紅葉。
一年を通じて多くの人々でにぎわう清水寺。
創建されたのは奈良時代末の778年。
1200年を超える歴史がある清水寺は京都でも最も古いお寺の一つです。
その歴史は波乱に満ちています。
清水の舞台から飛び降りるということわざで有名な本堂の舞台や清水寺の建物。
戦火や火災でたびたび消失しています。
現在ある清水の舞台やお寺の建物のほとんどは江戸時代の初めに再建されたものです。
この清水寺の1200年の歴史を描いた絵巻がこのほど完成しました。
10年の歳月をかけて作られた清水寺平成縁起絵巻。
日本古来の伝統的な画法や技術を使って作られ全長65メートルもある大作です。
清水寺には室町時代に作られた絵巻がありましたが明治時代に流出したため寺の歴史を記した絵巻を作ることは清水寺にとって悲願でした。
日本にある絵巻の多くは平安時代や室町時代に作られました。
本格的な絵巻を今、作るにあたって清水寺の歴史をどのような視点で描くのか。
物語の作者もそして絵巻を描いた画家も京の都とともに歩んだ清水寺の歴史を後世に残そうと制作を続けてきたのです。
完成した極彩色の絵巻に込められたさまざまな人々の思い。
絵巻を通して見えてきたのは清水寺を支えてきた人々の姿です。

毎朝6時清水の舞台のたもとに地元の人たちが集まってきます。
清水寺の起源とされる音羽の滝です。
地元の人たちは、この湧き水を飲み水や料理などに使ってきました。

今回完成した清水寺平成縁起絵巻。
全9巻1200年にわたる歴史はこの音羽の滝を巡る物語から描かれています。
清水寺を開いた僧侶延鎮。
修行の旅の途中、京都・東山で清水の湧き出る滝と出会います。
時は奈良時代の終わり、778年。
これが清水寺の始まりです。
そのとき、延鎮が彫ったとされる観音様。
清水寺の本尊です。
宗派や身分にかかわらず誰でも分け隔てなく救うといわれています。
清水寺がある京都・東山。
山肌の急しゅんな地形に寺は建てられています。
京に都が移ったとき庶民にとって数少ない祈りの場所でした。
当時、近くには鳥辺野と呼ばれる墓地がありしかばねが野ざらしで置かれていました。
その地を通ってでも寺に向かう人々。
身分を問わず誰でも受け入れるという観音様に救いを求めたのです。
より多くの人を迎え入れたい。
平安時代の末崖にせり出すように造られたのが清水の舞台でした。
時代とともに訪れる人が増え舞台はさらに拡張されて今の形になったと伝えられています。
今月初め完成した平成縁起絵巻が寺に奉納されました。
清水寺にとって寺の歴史を描いた絵巻は長年の悲願でした。
実は、かつて寺には室町時代に描かれた絵巻がありましたが明治時代に入ってから流失してしまいました。
大きく傾いた舞台。
明治の神仏分離令をきっかけに神道が唯一の国教となる中で仏教排斥の動きが広がったのです。
寺は財政難に陥りました。

新たな絵巻作りが始まったのは10年前。
絵を託されたのは日本画家の箱崎睦昌さんです。
近代以降、初めてとなる大きな寺の絵巻。
箱崎さんは途絶えそうになっていた日本古来の技法を復活させたいと考えました。
絵を描く素材に用いたのは一般的な和紙ではなく京都・西陣で織られた絹織物。
「絵絹」と呼ばれています。
極細の糸で織られたしなやかな素材。
和紙に比べて光沢がありこすれに強いとされています。
絹だからこそできるのが裏彩色と呼ばれる平安時代から伝わる特殊な技法です。

まず裏から色を塗り絹の織り目を通して絵の具を表に、にじみ出させます。
そして表からも色を重ねることでより深みのある色になるのです。

絵巻の物語を作ったのは6年前に亡くなった横山正幸さん。
高校の社会科教師でしたが退職後、寺の歴史の研究にささげました。
横山さんが手がかりにしたのが寺が手放したかつての絵巻。
現在は、東京国立博物館に保存されています。
室町時代に描かれた絵巻は寺の権勢を誇る戦の場面が強調されています。
今の時代にふさわしい絵巻とは何か。
横山さんは全く違うものにしたいと考えました。
横山さんが、新しい絵巻の大きなテーマにしたのが人々によって支えられてきた寺の歴史。
清水寺は火災によって10回以上焼失しましたがそのたびに再建を繰り返してきました。
その一つが応仁の乱。
戦乱によって京都の街は焼け野原となり寺の建物もすべて燃えました。
そのとき支えとなったのが庶民の力でした。
多くの人々が再建のために寄進したといいます。
寺には当時の記録が残されていました。
西日本各地から寄進が寄せられたことが克明に記されています。

応仁の乱が終わると人々の寄進をもとにぼん鐘が作られました。
境内に運び込む人々で京の街が大騒ぎになった様子が描かれています。
ぼん鐘は7年前まで500年以上にわたって使われてきました。
今でも寺に大切に保管されています。
庶民によって支えられてきた寺の歴史は、今も息づいています。
地元の人たちが作る警備団。

ホース班、操作かかれ。
よし!
皆、ボランティアで参加しています。
二度と火災は起こさない。
歴史の教訓が引き継がれています。
平成の世によみがえった縁起絵巻。
近代から現在に至るまでの新たな寺の歴史も描かれています。
神仏分離令をきっかけに創建以来の危機を迎えた明治時代。
経済的に困窮し、傷んだ舞台が手前に大きく傾いている様子が描かれています。
そのときも窮地を救ったのは庶民でした。
募金で買った丸太を運び込み寺の再建へと結び付けたのです。
寺を支えてくれた人々へ恩返しをしたい。
清水寺の先代の貫主大西良慶和上。
全国各地を行脚し講話を行いました。
晩年の大西和上です。
107歳の生涯を通じて貫いたのは宗派や身分を問わず受け入れるという清水伝統の精神でした。
清水寺には、今も宗派をこえて多くの人が祈りをささげにやって来ます。
大阪に住む高見さん夫婦です。
毎年、桜の季節になると訪れます。
19年前、最愛の娘を失ったのがきっかけでした。
当時、大学4年生だった娘の雅子さん。
就職活動を始めようとしていたやさきに突然、不整脈で亡くなりました。
親としてなかなか受け入れることができなかった娘の死。
そんなときに知ったのが清水寺の観音桜。
寄付した人のために桜の苗木を植えると募集していたのです。

高見さん夫婦が娘の名前を付けた桜の木。
当時は苗木でしたが今では見上げるまでに成長しています。

絵巻の最後を飾るのは山肌を覆い尽くす満開の観音桜。
争いや災いのない平和な世の中が続いてほしい。
いつの世も変わらぬ人々の願いが込められています。

先ほど、私がおりました、月の庭をよく望むことができる、清水寺の本坊、成就院に移動してまいりました。
完成した絵巻は、この成就院で、あさってから公開されることになっています。
今夜はその一部をご覧いただいています。
今夜のゲストは、作家の五木寛之さんです。
よろしく。

京都にお住まいになられたご経験もおありで、全国のお寺や神社を回ってこられ、そしてこの清水寺にも、たびたび訪れていらっしゃるということなんですが、1200年の歴史を、どうやって絵巻に描くのか、実際に、ご覧になられて、どんな印象をお持ちになられましたか?
正直言って、ちょっと意外な感じがしたんですね。
私ども普通、絵巻物風とか、絵巻物的なとか、そういう言い方をしますけども、日本の絵巻物でお寺の縁起を描いたものというのは、例えば信貴山縁起とかね、石山寺縁起とかいろいろありますけれども、頭の中で、もっとこう、刺激の強いドラマティックな、そういう、劇的なものを想像していたんですが、非常に何かこう、静かでそして穏やかで、なんかいわゆる劇画とか、そういう感じではなくて、視点が違うところにあるんだなと。
今までの絵巻と違うところで、この絵巻を作られたんだなという感じがして、それが非常に印象的でしたね。
本当に明るい、この極彩色、絵巻ですけれども、しかし、物語を読みますと、例えば、今のVTRにもありましたけれども、この清水寺にたどりつくまでには、しかばねが野ざらし、死体が野ざらしになったような墓地を通ったり、大変今の境内の中も外も人であふれて、華やかな清水寺とは全く違う空間だったんだなと。
そうですね。
どんな場所だったんですか?
最初のころの、創立のころの穏やかな物語もそうなんですけれども、普通、劇画っていうか、絵巻物っていいますと、例えば合戦の場面とか、もっとこう、凄惨な血潮が吹き飛ぶような、そういう場面を想像しがちなんですね。
まして清水寺っていうのは1200年の間に10回ですか、大火事に遭ったり、あるいは応仁の乱とか、そういうところをくぐりぬけて、今日あるわけですから、さぞかしドラマティックな、そういう刺激的な物語が出てくるだろうと思ってましたら、非常に静ひつで、穏やかで、ある意味では、平和的な場面の連続だったんで、それが意外なという感じがしたんですけれども、なるほどっていう、納得するところもたくさんありました。
当時から、庶民の方が、特にこの絵巻にも、貧しい女性が祈りに来るようなシーン、さまざまな人たちが訪れているシーンがあるんですけれども、どういう位置づけのお寺だったんですか?
この絵を見ても分かるんですけど、まず女性が多いですね。
それから職人さんとか、そういう普通の階級の人がたくさん出てくる。
子どもも出てくる。
絵巻っていうと、王朝絵巻風といいますか、貴族とか、そういう、なんて言いますか、豊かな人たちの世界が描かれることが多いわけなんですけれども、この絵巻の中にある庶民の生活っていうか、つまり、清水が1200年続いたということは、すごいことなんですよ。
国家がそれを支えているわけでも、大きな権力に護持されているわけでもなく、それがね、やはり、この絵巻の中によくあるように、庶民大衆といいますか、全国のそういう人たちの志や、そういう思いをね、宗派をこえてって、さっきお話がありましたけれども、そういうふうに受け入れていく、広さというか、そういう、寛容さといいますか、ちょっと大ざっぱなんですけどね、そういうものがこの絵にもよく表れてるなという感じがしましたね。
檀家を持たない、非常に珍しいお寺というふうな位置づけですけれども、こうやって1200年、ひと言で言うと、続くということが、今、この世の中、変化が激しくて、そもそもいろんなことが続くということが、どれだけ大変かというふうに、実感される方も多いと思うんですけれども。
まあこの世の中では、さりげなくさらっとですけれども、つまり、鴨川の川を渡って、清水の谷にやって来るっていうことは、一つの異界に、違う世界に入ってくることなんですね。
かつてはそこには墓地もあったでしょうし、野ざらしの、かばねもたくさん累々としてあったでしょうけれども、いろんなものがあって病者の館もあったし、そういう中をくぐり抜けて、この清水の舞台に来たときに、なんか、違う世界に入ってきたというような、そういう感覚がここへ詣でる方たち、みんなの中にあったんじゃないかと思いますね。
一つの聖地のような感覚で人々は訪れていたと思っていいですか?
ですから、この絵巻、絵巻っていうのは日本の10世紀ぐらいから、室町時代ぐらいまで、ずっと続くわけですけれども、これほどね、穏やかにね、しかもなんといいますか、人々の日々の営みみたいなものを静かに描いたっていうのは、原案をお作りになった、お亡くなりになった、横山さんの遺志でもありましたでしょうし、絵をお描きになった箱崎さんのお仕事でもあるんですけれども、絵として拝見してても、非常に興味深いところがたくさんあるんですよ。
きっと例えば、ここでは遠近法っていうのが、逆になっているなというふうにね、見ながら思ったんですが、遠くのほうが広くなってるとかね、そういういろんなところ、ありますけど、根底を流れているものは、誰がこの1200年を支えてきたかっていう、そういう思いなんでしょうね。
それは人々であった。
大きな国の力でもなく、権力の財力でもなく、全国各地の人々が、心を合わせながら、このお寺を支え続けてきたんだということが、この絵巻を通じて、よく感じられますね。

そうした思いが、やはりこの清水寺の魅力、みんなで、もり立ててきた魅力。
今もう、すごく刺激の強い時代ですからね。
凄惨な事件も次々に起こってますし、そういう時代に、この絵は、すごく貴重なものを感じさせることでありました。
2015/04/24(金) 01:00〜01:26
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「絵巻がひもとく清水寺〜知られざる1200年の歩み〜」[字][再]

年間五百万人が訪れる京都清水寺。千二百年の歴史を描いた絵巻が完成、今月末公開される。戦火で繰り返し焼かれた寺とそれを支えた庶民の歴史が投げかけるメッセージに迫る

詳細情報
番組内容
【ゲスト】作家…五木寛之,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】作家…五木寛之,【キャスター】国谷裕子

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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