2月都内の書店にできた女性たちの長い行列。
その先にいるのは…。
じゃあ…はい。
バラエティー番組の司会などマルチな活躍を続けています。
あんた逃げたんだろ?いや逃げたんじゃないですよ。
スタジオゲストも来なきゃそのうちロケゲストも来なくなるんじゃないか。
その歯に衣着せぬ発言が支持されています。
3歳で芸能界にデビューした忍さん。
おばあちゃん一緒に御飯食べようよ。
名子役として活躍しました。
しかし15歳の時両親が離婚。
出版社社長だった父が多額の借金を残し蒸発します。
そのため忍さんは母と共に残された借金の返済に追われました。
父への憎しみをバネに仕事を続けてきました。
5年前その父が亡くなりました。
以来自分たちを苦しめた父の生き方について考える事が多くなったといいます。
番組では忍さんに代わり知られざる家族のルーツを取材しました。
かつて国内有数の炭鉱三池炭鉱があった大牟田。
断固闘いぬく事を…。
変貌する時代の中で強く生き抜いた家族の姿。
祖父が抱いた政治への野望。
そして手がけた事業の数々。
時代をしたたかに読んでいきました。
太宰治に憧れた型破りな人生。
心中未遂多額の借金。
その裏にあった知られざる葛藤とは。
更に父の遺品から浮かび上がった…坂上忍さんは家族の歴史と初めて向き合う事になります。
15歳の時から父勝也さんとは離れて暮らしてきた忍さん。
父のルーツについて聞いた事はありません。
坂上家は曽祖父末彦の代まで熊本で暮らしていた事が分かりました。
かつての本籍地熊本県玉名郡小天村を訪ねました。
現在の…山がちだったため江戸時代から有明海を干拓してきました。
その干拓地の一画に坂上家の本籍地がありました。
今は畑になっているこの土地が曽祖父末彦の代まで暮らしていた場所です。
こんな事分かるんですか?え〜っ。
坂上家の事を知っている人がいないかたずね歩きました。
こんにちは。
あの〜。
あああああああれは…それはな…山迫さんの祖母サミさんが末彦の姉だった事が分かりました。
でその子供が坂上忍さんなんです。
違う違う違う。
坂上二郎さんの子供じゃないです坂上忍さんは。
山迫さんによると明治の初めに生まれた末彦は干拓地の田畑を耕していました。
妻と4人の子供がいました。
しかし大正3年台風による高潮が干拓地を襲います。
田畑のほとんどが流されてしまいました。
この時の被害状況を記録した資料が地元の図書館に残されています。
こちらですね。
小天村で被害を受けた耕作地は130ヘクタール。
被害総額は26万円。
現在の価値で3億円近くに上りました。
被災者の名簿に忍の曽祖父末彦の名前がありました。
家や田畑を失った末彦は移住を決断します。
大正7年一家が向かったのは福岡県大牟田。
国内有数の炭鉱三池炭鉱があり仕事を求めて日本中から労働者が集まっていました。
末彦は当時43歳だったため坑内の採炭ではなく運搬や加工の仕事に携わっていたと考えられます。
そんな中末彦の長男勝はある事業を始めます。
小さな新聞社を立ち上げたのです。
炭鉱の仕事で潤う会社や商店から広告料を取り配布する新聞でした。
かつて大牟田で印刷会社を経営し地元の新聞業界に詳しい…そして昭和6年。
勝は知り合いの紹介で2歳年下の熊本出身の女性スソエと結婚します。
スソエは再婚で6歳になる一人娘がいました。
どうもはじめまして。
その一人娘…母スソエには波乱の歳月があったといいます。
スソエは若くして最初の結婚に失敗。
その後両親と共に南米への移民を決意します。
しかし出発を前にスソエの母親が心臓発作で倒れてしまいます。
やむなく知人を頼り大牟田にやって来たのです。
そして出会ったのが小さな新聞社を営む坂上勝でした。
昭和12年日中戦争が始まると国を挙げて石炭の増産が急がれ三池炭鉱は更に活況を呈します。
続々と労働者が集まる中住宅の供給が追いつかなくなります。
そこに目を付けた勝は新たな商売を始めました。
それは出稼ぎ労働者のための下宿でした。
スソエの娘ソエ子さん。
下宿の繁盛ぶりを覚えています。
暮らしぶりは順調で昭和13年4人目の子供勝也が誕生。
後の忍の父です。
終戦後の昭和22年。
勝は政治の世界に乗り出します。
大牟田市議会議員選挙に立候補したのです。
当時の開票結果が市役所に残されています。
え〜っ…順位68番で坂上勝さんですね。
40議席に対し121人が立候補。
勝は68位で落選でした。
その後も勝は地域で目立つ存在でした。
地元の中学校の校長室でその足跡が見つかりました。
勝の写真が飾られています。
炭鉱の好景気が続く中勝は商売を広げます。
更に広告を集めようと新たに新聞社を2つも立ち上げたのです。
一方家庭での勝には別の顔がありました。
気に入らない事があると妻スソエに激しい暴力を振るったのです。
そんな勝の前に立ちはだかったのが当時13歳の勝也でした。
母を守ろうと必死に父に刃向かいました。
昭和26年勝とスソエは離婚します。
そして勝也は母と暮らす事になりました。
勝也は後年父勝についてこう回想しています。
「馬鹿な父親」。
「母に深い心労を与えてきた忌まわしい人物」。
勝也の中学校時代からの親友…当時の勝也の様子を覚えています。
勝也は家族を捨てた父がどうしても許せませんでした。
いやぁ…はぁ〜…。
そっか…。
ハハハハハハハ…!両親が離婚し母に引き取られた勝也。
父への不満を胸にしまい込んでいました。
家計を支えるため新聞配達をしながら中学校に通います。
悩みや苦しみを紛らわそうと没頭したのが読書でした。
広田さんが偶然持っていた学力テストの成績表。
(広田)坂上勝也は…ここ。
(取材者)あっほんとですね。
読書好きの勝也は他の科目に比べて国語が得意でした。
昭和29年地元の三池高校に入学します。
勝也は文芸部に所属しました。
ある日友人から一冊の本を渡されます。
勝也は太宰治との出会いについて文集に書いていました。
(猿渡)「高校一年生の夏である。
私は宮川から一冊の本を借り受けた。
太宰治の『人間失格』であった」。
「人間失格」は苦悩を抱えながら自殺未遂を繰り返すある若者を描いた太宰の自伝的小説。
「自殺したと見られる玉川上水では…」。
昭和23年「人間失格」を書き上げた直後太宰は愛人と入水自殺。
太宰の死を嘆きその生きざまに共鳴する若者が数多く現れます。
勝也もその一人でした。
そして高校2年生の夏休み勝也は衝撃的な事件を起こします。
郊外の山の中で知人の女性と心中を図ったのです。
病院に担ぎ込まれた勝也を見舞いに行きました。
この事件がきっかけで勝也は高校を退学します。
退学直前勝也が文芸部の文集に投稿しています。
タイトルは「自滅」。
そして勝也は決心します。
小説を書いては文学賞に応募し続けます。
これはこのころの勝也の写真。
太宰を意識したのか着物姿でポーズを決めています。
しかし応募した小説はことごとく落選。
「自分には才能がないのか…」。
勝也は映画専門の新聞で記事を書くアルバイトを始めます。
当時大牟田には20軒ほどの映画館があり映画ファン向けの新聞が人気を集めていました。
その新聞が地元の図書館に残されていました。
映画の公開日時や批評が掲載されていました。
紙面の片隅の詩のコーナー。
勝也は阿坂弘というペンネームで書いています。
当時同僚だった…しかし昭和35年国を揺るがす大事件が起こります。
断固闘いぬく事を…。
戦後最大の労働争議…高度成長期エネルギーの中心が石炭から石油に転換していく中大量解雇に反対する炭鉱労働者がストライキを起こし暴動にまで発展したのです。
争議は1年近くに及び町から活気が消えていきます。
勝也が携わった映画専門新聞の発行部数も落ち込んでいきます。
そんな中勝也は上京を決意します。
そして銀座にあった交通新報社に就職しました。
「交通新報」は主に運輸業界の動向を報じる業界紙でした。
勝也はそれまでの経歴が認められ記者として働き始めます。
定職に就く事はできたものの小説家の夢から遠ざかった複雑な心境を友人に書き送っています。
高校の同級生の垂水さんがその時の葉書を保管していました。
「ぼくもようやく二万円の月給取りになりました。
月給取り淋しいがいいもんですネェ」。
そんなある日…。
勝也は新しく入った事務員の女性に心奪われます。
明るい笑顔が印象的な女性。
後に忍の母となる女性でした。
いや…「どうでしょう?」って…。
(取材者)こんばんは。
いらっしゃいませ。
忍さんの母淳子さん。
新宿で飲食店を営んでいます。
淳子さんは山形の農村で生まれ育ちました。
農家の6人きょうだいの末っ子だった淳子さん。
13歳の時に父が他界し高校卒業後上京しました。
新聞社の事務員として働く中知り合ったのが2歳年上の勝也でした。
出会って2年後の昭和38年二人は結婚しました。
間もなく長男そして昭和42年次男忍が誕生します。
勝也は母スソエを呼び寄せました。
離婚して以来苦労続きだった母に少しでも楽をさせたかったのです。
スソエは忍をかわいがりました。
しかし昭和44年。
スソエが脳出血で倒れ62歳で亡くなります。
あっこれでなんだ。
すると幼い忍に異変が起きました。
少しでも環境を変えようと淳子は忍を地元の児童劇団に通わせる事にしました。
すると忍はその愛くるしい表情と演技力で次々とテレビドラマに出演します。
お母さん。
うん?おばあちゃんずっとうちにいるの?8歳の時には大ヒットドラマ「となりの芝生」に出演。
名子役と呼ばれました。
そんな中でも父勝也は忍をよく釣りに連れ出しました。
(取材者)それは坂上さんにとっては…?このころ勝也は副業として不動産投資を始めます。
えっそんな事やってたの?それが成功し暮らしぶりは派手になっていきました。
えっ!?勝也の羽振りのよさを覚えています。
おっしゃるとおりです。
大金を手に入れた勝也。
自分の小説を発表したいというかつての夢がよみがえり出版社を設立します。
そして釣りにちなんだ短編集「釣り談義」を刊行します。
著名な小説家や俳優など豪華な執筆陣に原稿を依頼。
自らも短編小説を書きました。
勝也が担当した「編集後記」。
しかし本の売り上げは伸びず大量の在庫を抱えます。
やがてその借金が膨れ上がり会社は倒産。
勝也は現実から逃げるように酒に溺れていきました。
自宅には連日借金取りが押しかけるようになります。
淳子はこう脅されます。
そして二人は離婚。
勝也は1億円近い借金を残したまま家族の前から姿を消したのです。
淳子は借金の保証人だったため離婚後も返済を余儀なくされます。
忍はこの時15歳。
大好きだった父の裏切りが許せませんでした。
とにかく一つの山を乗り越えてさ…。
多額の借金返済のため入ったばかりの高校を中退し休みなく働きました。
そして11年後26歳で借金の返済を終えたのです。
・それから間もなくの事です。
突然勝也から連絡がありました。
恨んできた父からの唐突な頼み。
忍は悩みます。
しかし引き受ける事にしたのです。
勝也の小説は青春時代に心中未遂した男性の生涯をつづった自伝的内容でした。
忍は父のふるさと大牟田に駆けつけます。
これはその時の写真です。
学生時代の友人に囲まれた勝也。
そしてその横で黙々とサインする忍。
サイン会に出席していました。
その後しばらくして久しぶりにすしを一緒に食べました。
ところが父は借金で迷惑をかけた事をひと言もわびようとはしませんでした。
何事もなかったかのように振る舞う父。
忍は怒りを抑える事ができませんでした。
決裂した後勝也は忍に宛てて手紙を書こうとしていました。
今回の取材でその下書きが見つかりました。
「初めに断っておかなければならない。
私は君に対して謝罪もしなければ頭を下げる気持ちもない」。
「木刀や竹光など半端なものでなく真剣で斬りかかって来るがいい」。
この一件以来二人の溝が埋まる事はありませんでした。
そして二度と会う事はなかったのです。
決別から15年後の2010年。
父勝也は72年の生涯を閉じました。
なるほど。
やっぱりこう…勝也さんの中学校時代からの親友猿渡さん。
勝也さんから届いた手紙を大切に保管していました。
手紙の中で自らの人生を振り返っています。
(猿渡)「小説という麻薬に…」。
「小説という麻薬にはまってしまって七転八倒の苦しみ」。
勝也さんと出会ってから半世紀以上。
その型破りな人生をそばで見てきた猿渡さん。
心中未遂離婚そして借金。
理解できない事も数多くありました。
それでも関係が途切れる事はありませんでした。
今回の取材で見つかった勝也さんの遺品の中に一通の手紙がありました。
それは決別したあと忍さんから送られてきたものでした。
え〜っこんなのあるの?書いた?これ俺。
そしてこの手紙と一緒に大切に保管されていたのが一冊のアルバム。
そこにはあのサイン会の日満面の笑みを浮かべる忍さんの姿がありました。
坂上忍さんの「ファミリーヒストリー」。
激動の時代を壮絶に生きた家族の姿です。
ありがとうございました。
あんな手紙書いてた?2015/04/24(金) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「坂上忍〜型破りな父 太宰への憧憬〜」[字][再]
両親が離婚し、父とは離れて暮らした忍さん。知らなかった坂上家のルーツが明らかに。一家を襲った高潮、三池炭鉱に翻弄された日々、文学を志す父の姿。壮絶な家族の歳月。
詳細情報
番組内容
15歳の時に両親が離婚し、父とは離れて暮らした忍さん。知らなかった坂上家のルーツが明らかになる。熊本で高潮に襲われ移住を余儀なくされた家族。移り住んだのは炭鉱の町、大牟田。そこでも、炭鉱の盛衰に翻弄されます。そんな中で、文学に出会った父。憧れたのは太宰治。しかし、型破りな父は、1億円の借金を作り、家族の前から姿を消しました。父への反発から、懸命に仕事をした忍さん。壮絶な歳月が浮かび上がります。
出演者
【ゲスト】坂上忍,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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