追悼特別企画ラーメンより大切なもの〜山岸一雄の人生〜 2015.04.25


亡くなる3日前。
病室でのうわ言です
この日東池袋大勝軒の山岸一雄さんはめったに休まない店を休業にしました
(山岸)ない。
(山岸)でも俺ほら。
長野だから。
寒い雪とかさそういうのは慣れてるからね。
そういうのは好きなんだけど。
弟子の一人からラーメンの味を直してほしいと頼まれ北海道小樽に足を運んだのです
(山岸)ちわ。
どうも。
奇麗な店ですが客はまばら
早速スープの味を確かめます
今やラーメンブームのけん引役ともなったつけ麺はこの山岸さんが生みだしました
そして多くの弟子たちが山岸さんの下で修業し独立していったのです
(山岸)こういうもの入れるとね辛味もしょっぱさも出るんで。
出されたスープの中にジャン油や酢を入れて調合を始めました
この間わずか1分足らず
麺を絡めて味を確かめます
やっぱり難しいんですよ。
そして厨房に入った山岸さん
スープの仕込みの工程を確認します
(山岸)チャーシューは?同時進行?
(山岸)ずーっと持っててそのまますぐこうやって。
もう色々とこういう感じで。
すぐこうやって。
これが嫌なんだから。
(山岸)それ?
何十年もかけて作りあげたその味を全ての弟子たちに惜しげもなく伝える山岸さん
それでも彼の味を出せる者は他にはいません
ラーメンの神様と呼ばれる伝説の男
しかし神様と呼ばれる本当の理由は他にありました
(男性)でっけえ。
(山岸)どうも。
どうもありがとうございました。
最大に切ないところだもん。
繁華街のすぐ近くに昔ながらの町並みが続いていました
この街角に突如現れるのが東池袋名物大勝軒の行列
いつも2〜3時間待ちは当たり前というから驚きです
行列の最後に並んでいる人にはある役割があります
(女性)並ぼうかなと思ってるんですけど。
(女性)ホントに?どうも。
並んでも食べられない。
それがこのラーメン
(男性)でっけえ。
麺の量は普通の店のおよそ2倍。
300g
豚骨と鶏がら野菜から取ったスープにしょうゆがベースの東京ラーメンです
こちらが大勝軒のご主人。
当時67歳の山岸一雄さん
山岸さんは…
中学卒業後上京してきた山岸さんは親戚の勧めでラーメンの道へ
10年間の修業を経て1961年に独立
東池袋に大勝軒を開きます
いつも支えたのは…
でも52歳のときがんで亡くなりました
その後は山岸さんの妹節子さんが支えてきました
創業以来ずっと愛され続けてきた大勝軒
浮き沈みの激しいラーメン業界では極めてまれなことです
でも山岸さんの口から自分は幸せだという答えは返ってきませんでした
なぜでしょう?
大勝軒の1日が始まるのは午前4時
普通の店なら仕込みは弟子の仕事ですが大勝軒では山岸さんが誰よりも先に厨房に立ちます
(山岸)これ先やらないとね。
この同じずんどうでスープ作るわけだから。
これからね。
最初の仕事はチャーシューの仕込み
長年無理を続けてきた山岸さん
手が思うように動かなくなっていました
立ち仕事が続いたため足も悪くなっています
チャーシューの煮あがり時間のメモを弟子に残し山岸さんは厨房から店の奥へ移動
今度は1日分の麺作りを始めます
ほとんどの店は製麺所に頼みますが山岸さんは全て自分で作ります
(山岸)で下から上がってくるやつをねこう握って見るわけ。
まだ全然…。
日によって配合を微妙に変えます
1日およそ250食分。
普通の店なら3日分の量です
大勝軒の店先に早くも最初の客が現れました
毎日やって来る常連たち
勝手に仕事を見つけています
(スタッフ)宗教?
(男性)宗教。
店の外にはすでに30人ほどの行列が
11時。
ようやく開店です
山岸さんが厨房に帰ってきました
弟子が仕込んだスープを仕上げます
最後にはいつも山岸さんが微調整していきます
つまり山岸さんの舌が大勝軒の味
このスープの仕上げだけは他の誰にもまねができません
営業が始まるとラーメンを作るのはほとんど山岸さん一人
厨房が狭い上に弟子も多いのでほとんどの弟子はただ見ているしかありません
結局山岸さんばかりに負担がかかっています
一度に作れるのは20人分
山岸さんは営業時間中ずっとラーメンを作り続けているのです
営業終了。
いつも完売
客がいなくなると店内の模様替えが始まります
実はここが山岸さんの寝床
なぜこんな場所で寝ているのか?
板の上で疲れが取れるのでしょうか?
(いびき)
連日の行列
大勝軒には多くの常連がいます
この人は自宅に持って帰って食べるようです
こちらは自分で岡持ちを運ぶ常連
ついていくとそこは町工場でした
大勝軒とは創業以来の付き合い
2日に一度みんなの昼飯です
(男性)そうね。
37年のときに来たんだからこっちへな。
(スタッフ)慣れちゃう?
片道2時間半の道のりを大勝軒のラーメンを食べるためだけに毎週通ってくる人もいます
栃木県に住んでいる…
実は河内さん。
耳が不自由です
常連といっても山岸さんと言葉を交わしたことはありません
ただ黙々と食べて帰るだけです
ここには味だけではない何かがあるのです
やっと終わりました。
客に対してだけではありません
山岸さんは自分のラーメンを誰にでも惜しげもなく伝えます
李和駿さんは北千住でラーメン屋を開いています
(李)「えっ!?」と思って。
李さんは自分の店で使っているたれを山岸さんに味見してもらうことにしました
名古屋からやって来た…
彼はちょっと訳ありです
山田さんはまったくの素人。
役には立ちません
それでも山岸さんは厨房の中にいさせました
この日で山田さんの短い修業が終わります
家の事情で名古屋に帰らなければならないのです
(山田)ありがとうございました。
どうも。
(山岸)これ気持ち。
(山田)そんな。
とんでもない。
(山岸)いいから。
気持ち。
(山田)こんなことしてもらって…。
(山岸)いいのいいの。
(山田)すいません。
ありがとうございます。
(山岸)頑張ってな。
(山田)涙が出てきちゃう。
ヘヘヘ。
ありがとう。
すいません。
じゃあ失礼します。
(山岸)じゃあ。
またほら。
(山岸)元気になってな。
(山田)すいません。
(山田)失礼します。
(山岸)それじゃあね。
(山田)はい。
どうもありがとうございました。
(山岸)頑張ってな。
地元に帰ってラーメン屋を開くつもりだと言っていました
気になるものを見つけました
厨房の奥に掛かる1枚の絵
どうやら猫が描かれているようです
でもどうして油まみれなのでしょうか?
この絵は猫好きだった奥さんのために山岸さんが買ったものでした
山岸さんと奥さんの二三子さんは同い年でいとこ同士
何となく雰囲気も似ています
結婚は店を開く1年前
以来2人はずっと一緒に働いてきました
しかし二三子さんが52歳で亡くなってから20年以上この絵は忘れ去られたように油まみれになっていたのです
そして気になる場所が厨房の裏にありました
無数の袋がびっしりとつり下げられた奇妙な場所
よく見るとその奥には部屋があるようです
まるでその存在を隠すようにドアは封鎖されていました
妻二三子さんと25年間暮らした部屋
山岸さんは二三子さんについて多くを語ろうとはしません
どうも。
はい。
気を付けて。
なぜ思い出の部屋は閉ざされているのか?
聞いてみることにしました
(スタッフ)マスターマスター。
(山岸)うん?
(スタッフ)ちょっと聞きたいんですけど。
この右側に部屋。
何か上に荷物があるんですけどそこって部屋なんですか?部屋?部屋だよ。
4畳半の部屋だよ。
俺の憩いの場だったの。
(スタッフ)これって中は?
(山岸)空っぽさ。
(スタッフ)空っぽ?
(山岸)空っぽじゃないけど。
そのまんま椅子もあればそのうほら。
スピーカーだってそのまんまなんだけど。
全然。
(スタッフ)見せてもらっても?
(山岸)いやいやいや。
それは駄目だよ。
廃墟だから。
廃墟。
(スタッフ)昔のまんまなんですか?
(山岸)昔のままっていうか俺がさ一番いいときさ。
女房がいて。
そのまんま残しておいてネズミの巣になってる。
どうしようもないよ。
(スタッフ)駄目っすかね?
(山岸)駄目駄目。
そんなの。
冗談じゃない。
俺の一番つらい切ないところなんだから。
ねっ。
一番楽しいところが聞く気にもならなくなってきた。
そういうあれだもん。
俺にしてみれば一番もう…。
最大に切ないところだもん。
そんなん人に見せるところじゃないね。
これ見るって言ったらやめてもらうよ俺は。
そのぐらいだから。
ホントさ仕事一生懸命してんのにさ人の心臓をえぐるようなことされたくない。
2階もそうなんだけどね。
結局は全然。
もう入れない。
自分でそういうふうにしたんだからしょうがない。
大勝軒の山岸さんの妻二三子さんに胃がんが見つかったとき医者から宣告されたのは余命半年でした
1986年。
二三子さんは亡くなりました
それから20年。
大勝軒の中は奥さんが亡くなる前と何一つ変わっていなかったのです
使う道具もそれを置く場所も
もう仕事だけがさ俺の生きがいなんだから。
だからそれ以上はね。
一応健康で仕事ができれば俺の幸せで。
絶対幸せを求めてね生きてるわけじゃないから。
いつ死んでも俺はいい。
そういう人間なんだ。
ラーメンだけが生きがいになりました
(ノック)
(弟子)マスター。

(山岸)うん?
(弟子)おはようございます。
3年ぶりに大勝軒を訪ねたとき山岸さんの姿に驚かされました
体重が25kgも増え風貌が一変していたのです
深刻なのが膝
2年前には立っていられるのは長くてあと1年という診断を受けていました
山岸さんは厨房に立つのが難しくなっていました
体重はさらに増えそして太ったことで睡眠までじゅうぶんに取れなくなっていたのです
全然楽になったと思えばある程度は…。
そういう少なく…。
少ない体重…。
夜深い眠りが得られないため昼間でも意識がもうろうとしてきます
このときは話している最中に眠り込んでしまいました
山岸さんは店で倒れ弟子たちによって病院に担ぎこまれました
(飯野)今日あしたが結構ヤマ場というか。
マスター自身が結構大変なとこだから。
それをクリアすればいい状況になるけど…。
まだ結果が分かんないから。
これからどう変わるか分かんない。
店は相変わらず長蛇の列
厨房はてんやわんやです
開店時間が過ぎてもラーメンが出せません
ほとんど山岸さん一人が作ってきたので弟子たちにはどうしていいか分からないのです
全てが手探り
後は常連たちの舌が頼りです
(弟子)多い?ごめんなさいね。
(男性)脂が…。
(弟子)ごめんね。
2004年7月
(一同)せーの。
よっ。
山岸さんは両足に人工関節を取り付ける大手術を受けました
(山岸)これからの自分の人生。
やっぱし希望なりホントに夢なりね。
これから開けてくもんがあるよね。
(スタッフ)マスターの希望とか夢何ですか?具体的に。
ラーメンと共にさ生きてきた人間のねこれからの道。
やっぱし…。
しかし店からは行列が消えていました
退院から2カ月たったころ山岸さんから連絡がありました
店に復帰するというのです。
9カ月ぶりです
かえって狭い方がいいや。
あることに気付きました。
あの猫の絵
(山岸)拭いたんだよ。
猫ね。
拭いたのあれ。
猫のさ。
(スタッフ)どうしたの?
(山岸)ねっ。
これがカワイイやつで。
色はさめたね。
ヘヘヘ。
(山岸)もう全然。
1回も拭かないでさ。
ずーっと。
思い出としてほら。
昔猫が大好きだった奥さんのために山岸さんが買った絵
奥さんの二三子さんが亡くなった後は存在を隠すように油まみれになっていました
それを今回山岸さんが弟子に奇麗に拭かせたというのです
「夢よ再び」じゃないけどもさ。
これからまたほら。
頑張れるなっていうことで。
やっぱりほら。
だんだん声もちゃんと出てくるようになるしね。
だからみんなにもはっきりと指示したりするから。
再出発を期す山岸さんの決意が伝わってくるようでした
復帰の日
御大が来た。
誰か撮ってくれ。
弟子たちの熱い視線の先には蘇ったラーメンの神様の姿がありました
いよいよ伝説の男が再びラーメンを作ります
この日の店は朝から常連客で満員でした
どこで復帰を聞き付けたのか開店からすでに2時間待ちの行列が
(高井)撮んないでいいよ。
あのころの情熱と活気がまた戻ってきたようにも思えました
(男性)マスター。
ごちそうさまでした。
(山岸)どうも。
どうもありがとうございました。
しかし20分もすると厨房を弟子に譲ってしまいました
暑いややっぱり。
9カ月ねもう。
9カ月。
丸9カ月やってないんだもん。
ねっ。
うん。
まあ懐かしいっていうか。
指が痛くて駄目だ。
全然駄目だね。
全然痛くてもう。
だから痩せたから余計だね。
結局この日山岸さんは最初の20分しか厨房に立ちませんでした
そしてそのまま3カ月
店に姿を現さなかったのです
ラーメンの神様にいったい何が起きたのでしょうか?
(山岸)店行ってたの?店。
(スタッフ)えっ?ちょっとだけ。
手のね痛みがさ全部肩へきちゃって。
こうやったって上がらないんだもんね。
それで「ああ。
駄目なんだ」ってさ。
やっぱり自分のあれは終わったなっていうふうに思ったもんね。
でも自分なりにさ頑張ってきたつもりだから。
いいんじゃないのそれで。
自分でさ…。
自分の生きざまをそれなりに振り返ってさやっぱしいい思い出につながっていけば俺はもうそれでさ満足だと思うよ。
そしてその日がやって来ました
(山岸)ありがとう。
ありがとう。
その日大勝軒の周りには実に9時間待ちの行列ができていました
(スタッフ)どっから来た?
(弟子)全員揃いましたか?
それは惜しまれながらの華々しい引退となりました
弟子はみんな頑張ります。
弟子は頑張ります。
よろしくお願いします。
どうもありがとうございました。
・どうもマスター。
ご苦労さまです。
この一帯は再開発されることになりました
閉店から1週間後。
店の取り壊しが始まりました
慣れ親しんだ大勝軒の看板がついに外されます
俺は46年さいたんだここに。
フフフ。
自分のラーメンのさ。
自分が辞めてもねうちは残るんだ普通は。
店は。
やっぱり店までなくなっちゃうっていうのはさ思い切りいいね逆にね。
俺はほっとしてるよ。
厨房の奥から見守っていた猫の絵も外されていました
そしてつり下げられた袋でびっしりと覆われ閉ざされていたあの奥の部屋
山岸さんがつらい思い出を封印した部屋です
これ見るって言ったらやめてもらうよ俺は。
そのぐらいだから。
ホントさ仕事一生懸命してんのにさ人の心臓をえぐるようなことされたくない。
2階もそうなんだけどね。
結局は全然。
もう入れない。
自分でそういうふうにしたんだからしょうがない。

あの部屋が開けられていました
誰も入ることの許されなかった2階の部屋も
妻二三子さんのものが亡くなった当時のまま残されていました
永遠の笑顔
(山岸)もうね女房の思い出なんてさ心の中にあるんだから。
でもたまたまねここにさ俺ら住んで46年っていうかさ。
住んで培ってきたこの場所にさ…。
2011年春
大勝軒の跡地には52階建ての複合ビルが建てられていました
その程近い場所に東池袋大勝軒は復活し弟子たちがラーメンを作っていました
そこに…
(山岸)どうぞ。
食券買って。
すぐ中入れますんで。
どうぞ。
いらっしゃいませ。
どうぞ。
いらっしゃいませ。
弟子に任せたこの店で山岸さんは店番を務めていました
まあ陽気が陽気だからね。
あつあつがいいかなって。
自分が好きだからだよね。
やっぱりラーメン。
みんな好きじゃないですか。
ラーメンはね。
それをこよなくラーメンをさ愛してくれる人たちが毎日来るんだから。
それをお迎えしてね。
それで少しでもおいしいラーメンをね。
つけ麺を食べてもらうってことでやっぱりこうねここに座ってられるだけでも自分は幸せだ。
現役を退いても山岸さんにしかできない仕事があります
それは開店前のスープの味見
その舌が大勝軒の味なのです
じゃあねオーバーヒルで1:3。
(山岸)いらっしゃいませ。
ことし4月8日
50本以上ののぼりに彩られ弟子たちによるラーメン葬が営まれました
そこにはあの山岸さんの笑顔が
別れには800人以上が参列しました
(柴木)すごく残念でね。
夫婦で切り盛りした店
二三子さんが亡くなってからは一人で大勝軒を守ってきました
分け隔てなく自分のラーメンを教え続けました
たくさんの人におなかいっぱい食べてもらいたい
誰よりもラーメンを愛した男
そして…
ラーメンより大切なものを知る男
2015/04/25(土) 03:51〜04:51
関西テレビ1
追悼特別企画ラーメンより大切なもの〜山岸一雄の人生〜[字]

ラーメンの神様、大勝軒の山岸一雄氏が世を去った。病床で呟き続けた言葉は「いらっしゃいませ」…その偉業を偲び放送する。

詳細情報
番組内容
 一杯のラーメンに人生を賭けた“ラーメンの神様”山岸一雄さん。
 その山岸さんが今年4月1日に80歳で世を去りました。東池袋大勝軒には山岸さんを偲ぶラーメンファンが列をなし、各地で大勝軒ののれんを受け継ぐ弟子たちは涙でテレビのインタビューに答えています。
番組内容2
 山岸さんの偉業と80年の人生を振り返る追悼企画「ラーメンより大切なもの〜山岸一雄の人生」。映画のために撮り下ろした引退後の生き様を加えた特別版です。
出演者
【語り】
谷原章介
スタッフ
【構成】
岩井田洋光 

【チーフプロデューサー】
味谷和哉(フジテレビ) 

【プロデューサー】
西村朗(フジテレビ) 

【演出】
印南貴史 

【制作協力】
エッジュ 

【制作著作】
フジテレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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