しずりんです。
あまり綺麗にまとめられないので、長くなってしまうかもしれません。ごめんなさい。
名古屋の遠征が終わった後実家に帰って、クララが亡くなったことを知りました。
2月27日だったそうです。
母は、一人暮らしの私がそれを知った時のことを心配して、帰ってくるまでは絶対に言わないと決めていたそうです。
このことを今伝えるかどうかすごく迷いました。
だけど、クララのことを好きだと言ってくれる方がいて、クララを可愛がってくださる方がたくさんいて、みんなにクララが愛されていることが本当に嬉しかったし、クララのことを好きでいてくれたみんなに嘘をつきたくなかったので、正直にお伝えしました。
大晦日の、私が帰省した日に祖父が亡くなったのですが、間に合いませんでした。
お葬式の日がちょうど1月3日のO-EASTのライブの日で、見届けてあげることも出来ませんでした。
クララのお別れにも立ち会うことが出来なかった。
今からでもクララに会いたい、もうクララのところに行きたいと思うけれど、両親がクララのことで傷ついているのを見て、クララの次に私もいなくなるなんてことは出来ないと思ったし、こんなに悲しい思いを誰にもして欲しくないから、がんばらなきゃいけないと思いました。
祖父にもクララにも、最後にありがとうと伝えることも出来なかった。
大切な人とお別れすることが出来なかった。
だけど、そうまでしてやってきたことを無駄にはしたくないです。
悲しい思いをしている人、疲れている人、楽しみに会いにきてくれた人を元気にすることが出来たら、救われた気持ちになります。
口で言うことは簡単だけれど、実際、最近の私はしっかりしたパフォーマンスも出来ていないし、楽しませることも出来ていません。
頭痛持ちであることと、右耳が平均よりも聴こえやすく、聴力に左右差があることが原因でライブハウスでの大きな音が響いたり、頭が痛くなることがあります。
理由を曖昧にしてみんなに余計な心配をかけたくなかったので、この場を借りてお伝えさせていただきました。
悪い病気でもないし、普通の生活音ではなんの支障もないので、大丈夫です。
だけど時々、音がつらくて全部投げ出したい気持ちになります。
でもクララはつらいことをつらいとも痛いとも言えずに、最後まで一生懸命がんばって生きていました。
だから私も投げ出さないで、一生懸命がんばります。
祖父やクララのぶんまでがんばります。
暗い話になってしまってごめんなさい。
最後に
生前クララのことを気にかけてくださって、クララの話をたくさん聞いてくれて、すごく嬉しかったです。
クララという名前をつけたのは私で、クララ・シューマンという美しくて、深く愛される人生を送ったピアニストから名付けました。
その名前の通りに、かわいくて優しいクララはたくさんの人に愛される人生だったと思います。
クララという名前をつけてよかった。クララに出会えてよかった。みんなにクララを好きになってもらえてよかった。
ありがとうございました。