2015年04月24日
秘密。
今日は、願望の実現の仕方を、特別に教えよう。
本当は秘密なのだが…。(笑)
1. 先ずは、新しいストーリー(物語)を想像することが始まりだ。
2. 次は、それをイメージ(視覚化)することだ。
3. 次は、それを言葉にすることだ。
それらを繰り返していると、やがてその新しいストーリーを信じるようになる。
そして、自分の信念が願望と合致するようになれば、願望は必ず実現する。
(信念とは、抱き続けている思考のことだ)
病気、お金、仕事、家族、人間関係、その他どんな問題を抱えていても、それらは絶対に良くなる。
望むものの間に立ちはだかる障害は、ただ自分の思考パターンだけだ。
そして、もう一つ秘密を教える。
願望が叶うかどうかは、その物事を考える時の気分で分かる。
その物事を考えて、明るくていい気分になるのであれば、その願望は実現する。
気分がいいのは、その物事を受け入れている証拠だからだ。
その物事を受け入れていないと、波動は調和しない。
願望に自分の波動が調和していると、明るくていい気分になり、願望は実現する。
では、Have a good day !☆
2015年04月23日
理由(原因)は後から宇宙がつくるもの。
一見ネガティブに見える出来事も、必ずポジティブな見方をすることだ。
ポジティブな意味に食い下がり、ポジティブな出来事にすることだ。
でも、どうしてもネガティブに感じてしまう時には、「これをきっかけにして…」と思うことだ。
これをきっかけにして学ぶ、知る、分かる。
これをきっかけにして、変わる、良くなる、もう大丈夫だ、と。
必ず、変化のきっかけにすることだ。
そうすることで、ポジティブな出来事になる。
全てのもの・こと・人について。
それは、「望むとこに行けるやり方」なのか、「望むとこには行けないやり方」なのかよく考えるべきだ。
ともかくも、今はそのこだわりを、その言い分を、その怒りを手放すことだ。
今は一旦、社会のルールを、自分の信念を、これまで信じてきた世界・物語を忘れよう。
今は今であり、これまでの世界(過去)とは全く違う。
今は、全ての自分の新たな世界を・ストーリーを構築するときだ。
身体、お金、人間関係、家族、社会のルール、世界観、哲学等、あらゆることについて。
問題が解決する理由(原因・現実)を整えるのは、考えるのは、私の仕事ではない。
私に必要なのは、問題が解決した、望むものが手に入った気分・感情・感覚を味わうことだ。
味わうために現実の状況は必要ない。
現実は、後で宇宙が整えるし、届けられるからだ。
「何らかの変化」や「問題の解決」・「願いが叶うこと」に、原因が必要だというのは、もう遥か遠い昔の世界・物語だ。
原因があって結果が起きるのではない。
先に結果(状態)をつくることで、味わうことで、感じることで、後から原因(理由・現実)が整うことを知るべきだ。
「原因がないから無理だ」と思っているうちは、状況は永遠に変わらない。
「内なる自分」(本当の私)は、いつも私を豊かだと思っている。
私を健康だと思っている。
どんなことだろうと苦しむ必要などないと思っている。
私を前向きな気分にさせようと思っている。
全ての問題を解消しようと思っている。
そして、私はその(そうなる・そう変わる)理由や原因を全く知る必要などなく、知らなくていい。
私は全ての荷物を下ろしていいし、全ての悩みを背負う必要はない。
どんなことにも、理由(原因・現実)なんて必要ない。
理由は、宇宙が後から運んでくるものだ。
これから慌てて宇宙がつくるものだ。
2015年04月22日
不足は見つめない。
「内なる自分」との調和だけが大切だ。
「内なる自分」と調和することに時間をかけることだ。
波動(あり方・エネルギー)を調整しないと、何をしても(必死で行動しても)無駄だ。
「内なる自分」と調和すると、全てが整い、全てがスムーズに流れ、全ての問題が消える。
不足感や不満・不安を満たせるのは、ただ「内なる自分」との調和だけだ。
行動ではなく、思考とあり方のパワー(引き寄せ・創造)を知るべきだ。
「内なる自分」とつながるためには、自分が望むものだけを見つめ、明るくていい気分になることだ。
肯定的な側面だけを見つめることだ。
「大丈夫だ」・「心配はいらない」と思い、言葉にすることだ。
望むものの肯定と受容が波動を上げて、「内なる自分」との調和を実現し自分を救う。
不足や不満・不安を思い、言葉にすると、状況は更に悪くなる。
抵抗や拒絶は、マイナスの引き寄せエネルギーだということを知るべきだ。
自分のことも、人のことも、社会のことも、不足は見つめないことだ。
不足を見つめないことを癖に、習慣に、楽しみにすることだ。
そんな世界を、私は実現したい。
2015年04月20日
喜ばないと開かないドア。
私のいる部屋。
そして、ドアの向こう側には沢山の幸せがある。
私が今まで望んできたもの、願ってきたものの全てだ…。
私は、本当に沢山の願い事をしてきた。
健康について、豊かさについて、成功について等々。
いつも必死に、真剣に、そして本当に具体的に。
でも、そのドアが開くことは決してなかった。
願いが叶うことはなかった。
それが何故なのか、私にはどうしても分からなかった。
私はいつも失望していた。
絶望していた。
でも、その理由が分かった。
愚痴や不満を抱えたままで、そのドアを開けることはできない。
今いる部屋の中の不幸を見つめながら、幸せにつながるドアを開けることはできないのだ。
望まないものを抱えながら、望むものを部屋に招き入れることは絶対にできない。
何故なら、それらは「波動」が違うからだ。
部屋の向こう側にある望みや願いが叶うことを喜ばない限り、そのドアは決して開かない。
波動が変わったときに開くのがそのドアなのだと、私は分かった。
愚痴や不満を抱えていると、不幸を見つめていると、ドアは絶対に開かない。
望みを部屋に招き入れるためには、その望みが叶うことを私は喜ばなくてはならなかったのだ…。
「喜ばないと開かないドア」が、ずっと私の部屋にあった。
2015年04月19日
自分との調和。
私の役目は、人のことに関わることではない。
私の役目は、ただ自分自身のバランスを取ることだ。
自分の気分に注目して、「内なる自分」と調和することだ。
私が何を望むべきか、どう振舞うべきかについて、人の意見や気分を気にしていれば、私はバランスを失う。
何故なら、「自由の感覚」こそが、私の存在の核だからだ。
人のことは放っておいて、自分とのつながりだけを目的としていれば、私は人を喜ばせようとする気分から解放されて、いつも幸せでいられる。
また、自分自身という地に足のついた感覚でいると、私は人の批判や攻撃にも防御を必要としない。
私が自己防衛を必要とするのであれば、それは私が「内なる自分」と調和していないからだ。
自分の幸せを何よりも大切に考えることは、間違っていない。
人のことは、コントロールできないからだ。
私の役目は、「内なる自分」と調和することだけだ。
「内なる自分」と調和すると、もしかしたら私は人の手本になるかもしれない。
だが、私が人に調和を与えることはできない。
人が何を選ぼうと、それは全く人の問題だ。
2015年04月18日
望みの実現。
望むものの反対を見つめながら、望むものを実現することはできない。
ないものを見つめて、ある状態にすることはできないのだ。
だから、現実とは違う世界を見つめて、違うストーリーを語らなくてはいけない。
望みが実現する前に、望みが叶ったと感じる方法を見つけなくてはならない。
ネガティブな感情があるうちは、望まないことを引き寄せるモードにある。
ポジティブな感情が、望むことを引き寄せるモードだからだ。
望むことを引き寄せるためには、何を考えるとしても、どんな言葉を口にするとしても、どんな行動を取るとしても、必ずポジティブな感情でしなければならない。
思考のエネルギーが整っていないと、ポジティブな感情は伴わない。
だから、行動の前には必ず思考を整えなければならない。
思考のエネルギーが整っていないのを、行動で補うことは絶対にできない。
見方・感じ方を変えないと波動は変わらず、新たなエネルギーにアクセスすることはできない。
不足を嘆き、不満を言っている間は、自分を不自由な存在だと宣言していることになる。
自分は自由なのだと感じることが必要だ。
自由なのだと認識することで制限がなくなり、シンクロニシティの扉が開く。
生産的な思考やアイデアが生まれ、自分を助けてくれる情報や人々が現れ、自分のためになる状況や出来事が起こる。
呼吸する空気は、永遠と無限の象徴だ。
いつだって吸い込めば沢山入ってくる。
いくら出してもまた入ってくる。
不足することも無くなることも、守ろうとする必要もない。
同じように、豊かさや健康など全ての望むものは、いつでも望むだけ手に入る、必要なだけ受け取れると認識(イメージ)することが大切だ。
静かにゆったりと呼吸をしながらするとよい。
手に入る・手に入ったと感じ取れるまですることだ。
ポジティブな感情を感じることだ。
2015年04月17日
引き寄せ。
「明るくていい気分になる思考」を習慣づけるべきだ。
そのためには、「自分がどう感じているか」に敏感になる必要がある。
ネガティブな感情が何を意味するのか知る必要はない。
だが、そのときは望まない引き寄せをしている状態だから、すぐに明るくていい気分になる思考に切り替える必要がある。
現実ばかり見つめていても、現実にだけ反応していても状況は変わらない。
見つめるもの、思い浮かべるもので、気分は変えられるのだ。
だから、たとえ今の現実ではなくても、「望むもの」を見つめ、思い浮かべると、気分がよくなり、好ましい引き寄せが始まる。
でも、望まないものを見つめ、思い浮かべると、気分が悪くなり、好ましくない引き寄せをする。
すぐに深刻になってしまう(思いつめる)自分にも、注意が必要だ。
深刻な状態とは、ネガティブな気分の状態だからだ。
大らかでいることが大切だ。
そして、引き寄せは言葉に反応するのではない。
赤ん坊は言葉はしゃべれない。
だが、きちんと引き寄せをしている。
見つめるものや感じ方という「波動」が引き寄せをしているのだ。
引き寄せには、NOという言葉(拒否)は通用しない。
「〜はいらない、〜は嫌だ」と言っても、宇宙には通じない。
YESと言うものだけでなく、たとえNOと言っても、「意識を向けたもの」は全て引き寄せられる。
だから、望まないものは見つめてはいけない。
きちんと望むものを見つめなくてはいけない。
「健康になりたい」、「裕福になりたい」等と…。
極端には、「健康!」、「裕福!」、それだけでいい。
だが、その言葉(イメージ)を思い浮かべたときに「自分がどう感じているか」は大切だ。
心の底でそれに抵抗していると、心地悪くなるから分かる。
それを、そうなることを、本音では拒否し否定していると、決していい気分にはならない。
そして、全てのものに「両面」があることを知らなくてはならない。
ポジティブな側面とネガティブな側面だ。
全てのものが完璧なバランスを備えている。
全ての場所に、全ての人に、全ての状況に、全ての出来事に、全ての物事に。
たとえ小さな粒子にも「両方の側面」が含まれている。
だから、肯定的な側面(ポジティブな側面)を見つめることが引き寄せの秘訣だ。
全ての物事の肯定的な側面を見つめるようにすると、明るくていい気分になり、好ましい引き寄せが始まる。
つまり逆に言うと、肯定的な側面を見つめられないうちは、否定的な現実が繰り返し自分に出現するということだ。
繰り返し出現するものには意味がある。
「あなたはまだ否定的な見方をしてますよ」ということだ。
2015年04月16日
前向き。
嫌な気分のときは、望まないことを引き寄せている。
だから、ネガティブな気分になっていることが分かったら、そのことに気づいてよかったと思えばいい。
そして、方向転換すればいい。
明るくていい気分になる思考を選べばいい。
少しずつ気分を改善していくことだ。
でも、どうしても前向きな思考になれないとき、失望や絶望に押しつぶされそうなときは、「明るくていい気分になる思考が欲しい」と願うことが大切だ。
「明るくていい気分になりたい」と願うことだ。
必ず、「内なる存在」(自分自身)と調和する思考が見つかる。
必ず、前向きな「ホッとする」気持ちになれる。
必ず、明るくていい気分になるための思考が、インスピレーション(直感)が、情報が届けられる。
だから、焦らないことだ。
イライラしないことだ。
自棄(やけ)にならないことだ。
決して、自信を、希望を失わないことだ…。
池に釣り糸を垂らすように、リラックスしよう。
今はこのプロセスが、自分には必要なのだと思おう。
自分にとっての完璧なタイミングを信じよう。
そして、一旦その問題を「手放す」(考えない・忘れる)ことで、光が届けられることも忘れてはならない。
また、今は手放すことを「学ぶ時」なのかもしれない…。
2015年04月15日
望むもの。
私は病気に対して心配する必要はない。
なぜなら、健康が私の自然な状態だから。
病気の原因とは、病気に対する心配だ。
私は困窮に対して心配する必要はない。
なぜなら、裕福が私の自然な状態だから。
困窮の原因とは、困窮に対する心配だ。
私は失敗に対して心配する必要はない。
なぜなら、成功が私の自然な状態だから。
失敗の原因とは、失敗に対する心配だ。
心配すると、恐れると、備えると、警戒すると、防御すると、私は残念ながらそれらを体験することになる。
病気、困窮、失敗、不和、別離、様々な困難・トラブル…。
望まないことを思い浮べているうちは、私はそれらとともに生きることになる。
それらが私の世界から姿を消すことはない。
望まないことを思い浮かべる必要はない。
意識を向ける、焦点を当てるものは、現実化する(引き寄せる)ことを知るべきだ。
不足や、欠乏、欠落、失望に、焦点を当てる必要はない。
望むものを思い浮かべ、望むものに意識を向け、望むものに焦点を当てるべきだ。
2015年04月14日
変化ということ。
信じていれば、祈る必要はない。
逆に言えば、信じていないから祈り、一生懸命努力する。
「願いは全て簡単に叶う」と信じていれば、何もする必要はない。
そして、願いを叶えるのは私たちの仕事ではない。
願いは、「絶対的な力」(法則)によって自動的に叶えられる。
「努力や行動」が願いを叶えると思っているうちは、宇宙を・自分を知らないということだ。
願いが努力なしに叶うことを自分に受け入れないうちは、偉大な宇宙の力(創造というもの)を知ることはできない。
疑いがなくならない限り、願いは叶わない。
疑いさえなければ、宇宙が、自分が、偉大な力(仕組み)がそれを自動的に実現する。
宇宙は、私たちに全ての願いを体験させようと、いつも待っている。
だから、不信をやめ、抵抗を止めて、素直に「目的地」に運ばれるべきだ。
だが、知らなくてはいけないことがある。
それは、願いが叶うということ・状況が変わるということは、「自分の波動が変わる」(自分が波動を変える)ということだ。
つまり、別人になるということだ。
今までの自分、認識していた・信じていた自分とは全く違う人格・人間に…。
(過去の記憶を変えてしまうことさえ可能だ)
だから、自分が「別人になる」ということを自分に許せないと、今の自分を変えたくないと、今の自分にしがみつくと、願いは叶わず、状況は変わらない。
今の自分にこだわらない人、今の自分を抱えない人だけが、波動の変化(上昇)を可能にし、願いを叶え、状況を変える…。
2015年04月13日
責任。
人に対する自分の責任について考えてみる。
人との関わりにおける自分の責任は、どこまであるのか。
どこまで責任を取ればいいのか。
境界線をどのように引いたらいいのか。
まわりの人を、世界を幸せにしてあげようと思っても、変えようと思っても、コントロールしようと思っても、うまくいかない。
私の方から人を幸せにしてあげることなどできない。
人を幸せにしてあげようと頑張れば頑張るほど、逆に相手は押し返してくる。
「どうか私のことなど構わないで下さい」
「あなたの言う幸せは、今の私にはいりません」と…。
つまり、私にできることは、ただ「ありのままのその人」を愛してあげることだけだ。
その人にとっては、その選択が必要なのだと、認めてあげることだ。
勿論、自分が思っていることは伝えてもいい。(勿論、伝えなくてもいい)
だが、思いを伝えてもその人が変わらなければ、その問題には執着せず、完璧に手放すべきだ。
何故なら、その問題に感情移入し、その人のあり方に抵抗すると、自分が波動を下げることになるからだ。
つまり、その境界線で線引きをして、その問題とは距離を置かなくてはならない。
でも、その人が私のその距離(境界線)を分からないとき、理解しようとしないとき、境界線を越えて私を乱すときには、私はその人と離れなくてはならない。
つまりは、別れなければならないこともあるということだ。
こういうことを見つめていくと、人との関わりの中において、「本当に自分が責任を受け入れるべき範囲はどこまでか」ということが明確になる。
だが、本来は自分の責任ではないのに、人の状態や感情を自分のせいだと思い詰めて、人の責任を背負うことがある。
「それは私が原因だ、私の責任だ」
「私がその人を怒らせている、傷つけている」
「私が何とかしなくてはいけない」
「その人には他には誰もいないのだ」と…。
でも、その人がその状態にあるのは、そのような感情でそのような反応をするのは、誰のせいでもない。
それはただ、その人が「これはこうだ」と信じていることに基づいている…。
そこには、その人のこだわっている、信じている、抱えている「観念」(信念)がある。
つまり、たとえ意識していなくても、その状態は、その感情は、その反応は、その人が選んでいるということだ。
人にはそれぞれ「どうしても必要な体験」や「どうしてもしたい体験」というものがある…。
「選んでいる人の責任」ということがポイントだ。
究極的には、誰もそれを変えることなどできない。
誰の責任でもなく、ただその人の選択であり、責任なのだということを知らなくてはいけない。
幼児であっても同じだ。
魂で、そして生まれてくる前に選択していることだってある。
誰もその責任を背負うことなどできない。
その必要もない。
必要なのは、その人が変わっていくことを「許すエネルギー」だ。
そのためには、その人の選択を、ただじっと見守ってあげることだ。
「抵抗のないエネルギー」だけが、その人が変わることを許す・可能にするエネルギーだ。
人のことは、100%誰にも責任はない。
そもそも、みな自分の意志で生まれてきた。
生まれる場所も、身体も、親も、環境も、全てを選んで。
私たちはみな、生まれてから死ぬまでの全てを、それぞれ100%自分で選んでいる。
「その都度」、そして「あらかじめ」決めてきたものもある。
だが、そのことをネガティブにとる必要などない。
全てがその人にとって「ポジティブな選択」であり、「ポジティブなチャレンジ」なのだと見てあげることが大切だ。
普通の人にはできないような、大きな、困難なチャレンジを選ぶ魂もある。
全てを、ポジティブな見方で見てあげるべきだ。
その人の全ての「選択のタイミング」というものを信頼してあげることだ。
2015年04月11日
「喜び」と「希望」
人生の中で、どれだけ問題を見つめてきただろう。
考えてきただろう。
ほとんど全ての時間とエネルギーを費やしながら。
何が足りないのか。
何が修復されるべきか。
自分の肉体、考え方、感情、精神性。
人間関係、家族、仕事、経済。
社会問題、環境問題、世界の・地球の抱えている全てのこと…。
だが、直すべきところ、正すべきところなどきりがない。
人のこと、社会や世界のことまで見つめたら絶望的だ。
それは、朝起きた時から始まる。
今日も腰が痛い、身体の調子が悪い…。
今日の課題は何だ?
今日の仕事は?
今朝のニュースは?
社会は? 世界は?
原因は何だろう?
どうしたらいいのだろう?
どうしなければいけないのだろう?
一日中足りないことばかり考えてきた。
「ダメだ、違う、何とかしなければ、早くしなければ…」
その時考えても、全く仕方のないことまで。
自分には全く関係のないことまで…。
世界を背負いながら、常に「欠乏」を見つめ、悩みを抱えてきた。
つくり出してきた。
だが、自分の人生に、様々な「制限」(障害)をつくるのは何故だ?
「欠乏」ばかり見つめるのは、一体何故なのだろう。
困難な部分に意識を合わせれば合わせるほど、自分の世界が困難なものになるだけなのに…。
だが、人生は欠乏ではなく「希望」を見つめると大きく変わる。
だから、いつも喜びと希望を見つめる自分でありたいと思う。
ネガティブな世界で自分を満たすことが人生なのではない。
常に「自分を何で満たしていくか…」ということが大切だ。
そして、不完全に見えるものの背後にある「完全性」、そんな人生(創造)の不思議さが見えると、人生は完璧で、本当にシンプルなのだと分かる。
2015年04月09日
「正直な自分のあり方」
「本当の自分のあり方」、「正直な自分のあり方」でいられる今は幸せだ。
でも、長い間ずっとそれと闘ってきた。
自分にとってはそれが「真実」だということは、昔から知ってはいたのだが。
でも、もう今は他のあり方ではいられない。
それは、私にとっては全くうまくいかないことだし、心が痛むだけだからだ。
完璧なこの状態を創り出せたことは、まったくの奇跡のように思う。
でも不思議なのは、いつも「有るものは、何故だか突然のようにここに有る」ということだ。
これまでの道のりに感謝している。
そして、ここにたどり着けたことを誇りに思う。
「内側」が整うと「全て」が整うのだ…。
この幸せを永遠に満喫する。
ありがとう。
