細木数子が、どれほど悪どい金の亡者かと言うことを説明するためには、まず、安岡正篤について説明する必要がある。 安岡正篤って言う人は、右翼思想家であり、陽明学者であり、佐藤栄作・福田赳夫・大平正芳など歴代の総理大臣のブレーンであり、池田勇人の派閥研究会 「 宏池会 」 の命名者である。 埼玉県に記念館まで建っちゃってるスゴイ人だ。 第二次世界大戦の終戦の時の、昭和天皇の玉音放送、 「 朕はぁ~ 」 ってやつ、あれの草案に対して加筆したとされる人で、今の 「 平成 」 って年号もこの人が考案したとされている。
安岡正篤 80才を過ぎたころから、だんだんにボケ始め、85才になった時には、完全な老人性痴呆症になり、日常的なことも、まともに判断できないようになっていた。 そんな安岡正篤に、細木数子の魔の手が伸びたのだ。 細木は安岡に近づき、痴呆で何も判断できない安岡に、自分との結婚を同意させたのだ。 この時、安岡は85才、細木は45才。 1983年3月のことだ。 しかし、安岡の家族は、これに猛反対。 明らかに財産狙いが見え見えの細木から安岡を隔離した。 実兄である高野山真言宗大本山管長、金剛峯寺第四〇三世座主の堀田真快氏のもとへ移して、細木と接触をさせないようにしたのである。 それなのに細木は、この年の10月に、ひとりで役所へ出向き、婚姻届を提出した。 そして、その僅か2ヶ月後の12月13日、細木のオモワク通りに、安岡正篤はこの世を去ったのだ。 その1983年の出来事を表にすると
ここで注目すべきは、8月29日に細木が安岡氏に署名、捺印させた 「 結婚誓約書 」 である。 常識で考えてほしい。 普通 「 結婚誓約書 」 など書かせるだろうか? もちろん書かせたりしないだろう。 本当に相手のことを信頼しているなら、誓約書など不要である。 にもかかわらず、細木はなぜこんなものを書かせたのか。 それは自著で再三にわたり 「 陽明学の大家 」 として安岡氏の名前を出し、ハクづけに利用していることからもわかるように、 「 安岡正篤 」 というビッグネームの妻になることは自らの格をあげる良いチャンスであり、絶対に逃すことはできないと判断したからだろう。 このときの細木数子は、とにかく なりふり構ってなどいなかった。 結婚誓約書では、翌年の4月に籍を入れると書かれているにもかかわらず、それを無視して半年も前の10月に婚姻届を提出したのである。 百歩譲って、細木が安岡を本当に愛していたとしよう。 でも、そうしたら、相手は何も判断できない85才の痴呆老人なのに、細木は、どうしてここまで 「 法律上の入籍 」 にこだわったのか。 その答えは何も言わなくても、誰の目にも明らかだろう。 そして、このあと予想通り、安岡正篤の莫大な遺産を巡って、遺族と細木との泥沼の訴訟合戦が、何年も何年も続いて行ったのだ。 この件についてのマスコミの対応は早く、『 週刊文春 』 が1983年12月22/29日合併号で既に記事にしていて、「 当時の安岡氏は、同じ内容の電話を10分間に二度かけるなど、痴呆の兆候があったという。 住友病院で行われた検査でも、全部で7つ見つかった症状のうちの1つに老人性痴呆症が挙げられていた 」 とある。 ちなみにその記事の中で安岡家側は「 同先生に確認を求めたところ、先生は婚姻届が提出された当時も現在も、旧姓細木数子様と婚姻する意思は全くないとの御返事でした。 なお、同時に同無効確認の法的手段を準備中です。 したがって( 中略 )安岡正篤先生の妻として認めるわけには参りません 」 と主張している。 後に細木は 『 週刊文春 』 1999年9月16日号に於いて、「 先生はボケてなんかいません。 わざとボケたフリをして隠遁生活をしていただけです。 お年を召されて、自分の話を本当にわかってもらえる同年代の人をいなくなったし、若い弟子たちを相手に話すのも煩わしかっただけのこと。 弟子は先生に相手にされなかったものだから、私に嫉妬して色々いうのよ。 先生がボケていなかったことは、近未来に必ず証明してみせます 」 と当時の安岡が「 痴呆が疑われる状態であった 」 事を認めている。 ちなみに細木は神楽坂の5丁目にある事務所に 「 財団法人 安岡正篤顕彰記念 細木数子事務所 」 と掲げているが、 「 安岡正篤顕彰記念 」 なる財団法人は存在しない。 テレビで細木数子の半生を特集する時、なぜかこの話題にだけは、どの局も触れないようにしている。 それが、制作サイドと細木との暗黙の了解だし、テレビだけに限らず、スポーツ紙でも週刊誌でも、すべてのマスコミは、この話題に触れないようにしている。 これは、なぜかと言うと、細木のバックには暴力団がついているからなのだ。 細木は、20代後半から30代後半まで、ある暴力団幹部の愛人だった。 暴力団の名前も、幹部の名前も、もちろん知ってるけど、さすがに、これだけは伏せておく。 ちょっとだけ書くと、K一家のHMと言う幹部だ。 そして、細木は、暴力団がバックについてることを利用して、島倉千代子を騙したり、悪徳石材店とツルんで、サギまがいの霊感商法を始め、悪どく儲け続けた。 細木がインチキ占いをして、「 このままだと不幸が続く。 救済は先祖供養しかない 」 と相手を脅し、ツルんでいる石材店を紹介して、1000万円もするお墓を買わせる、と言うものだ。 そして、こんな大金など無いと言う人には、自分のバックの暴力団が経営している高利貸しを斡旋するのだ。 このために、どれだけの人たちが苦しめられたことだろう。 「 このままだと不幸が続く 」 と言われた人たちは、細木に騙され、何倍も不幸になっていくのだ。 ある記者が、この細木の霊感商法をつきとめるために、この石材店に取材をした。 そしたら、数日後、細木がひとりで編集部に乗り込んで来て、担当の編集者に、まるでヤクザのアネさんよろしく、ドスの効いた声でこう叫んだ。 「 あんたっ! 畳の上じゃ死ねないよっ!」 これが、仮にも、自ら 「 人を幸せにすることが私の生き甲斐なの 」 って言ってる人間のセリフだろうか? こういうのを “臍で茶を沸かす” というのだろう。 テレビでも、何も分からないようなアイドルタレントを相手に、 「 あんた、地獄へ落ちるよ! 」 なんて平気な顔して言ってるけど、さすが、元ヤクザの情婦だけのことはある。 こんなことばかり続けていて、本当に地獄へ落ちるのは誰なのか、それは、神様だけが知っているだろう ……。 「 占いは独学で学んだ 」 って言ってるけど、ふつうに本屋で売ってる 「 ゼロ占星術 」 って言う本を読んだだけの細木数子。 そんなインチキ鑑定のクセに、たった30分で10万円もの暴利をむさぼってる細木数子。 借金で困っていた島倉千代子を助けるフリして、暴力団とツルんで騙した細木数子。 アテネオリンピックが始まる前に、 「 ヤワラちゃんは絶対に金メダルはとれない! 」 って断言したクセに、ヤワラちゃんが金メダルをとったら、その話題には触れないようにテレビ局に根回しした細木数子。 他にも、数えあげたらキリがないほどの悪行を積み重ねて来た細木数子。 ガッツ石松の 「 ガッツ伝説 」 のように、どこまでも続いて行く極悪非道な 「細木伝説 」、数年後にやって来るであろう、そのゴールには、舌を抜くペンチを握りしめた閻魔様が、真っ赤な顔をして待ち構えているに違いない ……。 |