自然体で生きる

気楽に、気軽に何でも書きます。理想は現代版『徒然草』です。

哀しい素人ピアノ弾き

ピアノが趣味の人にとって一度や二度はあるでしょう、「何か弾いてみて!」と言われるシチュエーション。

特に学生時代だと、音楽の授業の後なんかでチラチラとピアノを気にしながら、「そういえば、○○ってピアノ習ってたんだっけ?」という質問を今か今かと待っていたりするものです。

この質問をされると、「ハイ、来ました!」ではなく、「まあ…、ちょっとね。」とかなんとか答えておきながら、少しずつピアノのほうに移動していくのが常套手段。

決して「弾きたいから弾いている」のではなく、「そこまでいうなら仕方ないナー」とばかりに弾き始めるがピアノ弾きの、なんといいますか、ちょっとした習性なのですよ。

それはともかく、素人ピアノ弾きにありがちな苦悩というものがあります。

「なにか弾いて弾いて!」といつも無邪気なあなたに、これは知っておいてほしいという裏側。

実は、素人ピアノ弾きにとって、ポロロンと見事に(?)奏でることができるのは、「たった今練習している曲が概ね仕上がったときだけ」なんです。

素人ピアノ弾きが一曲弾きこなせるようになるまでには、ある程度の時間と根気が必要です。

でもそれ以上に必要なのは「楽譜」です。

ピアノが上手な人だって何もないところから音楽を紡ぎだしているわけじゃないのです!(何でも奏でられるように見えるかもしれませんが。)

私など「楽譜があれば、すぐにでも演奏をお聞かせできるのに」と、何度思ったでしょう…。(盛ってます)

練習が佳境に入ると、楽譜を見なくても指が勝手に覚えていてくれるようになります。

正にこの状態にあるとき「弾いて弾いて!」と言われたいのです。

ですから素人ピアノ弾きが一番困るのは、「弾いて弾いて!」と言われた時期が、今取り組んでいる曲の練習途上にあったとき。

まだ指が覚えていませんから、はっきりいって「何も弾けない状態」に近いのです。

そこで、覚えている「曲の冒頭部分」をちょっくら弾いて誤魔化したり、今まで弾いてまだ覚えている曲を断片的に弾いてみたりするのです。

これで大抵の人は喜んでくれますが、一応のピアノ弾きとしてはクヤシイ。

ほんとはもっときちんと弾けるのに…。

ワタシの本領はこんなもんじゃないのに…。

そこで、あるとき私は考えました。

いつ、どんなときでも弾ける(持ち歌ならぬ)「持ち曲」を一曲作っておこうと。

要は、一曲通して演奏できれば良いのです。

短い曲だって、簡単な曲だって、一曲は一曲です。

そうと決めてから、わざわざ私は「持ち曲」を一曲こしらえて、いつでもどこでも弾ける状態になるまで練習しました。

これで、楽器店だろうがレストランだろうがいつでもみんなの前で弾ける!

いつでもかかってこい!

…ところが、社会人にそんな機会なんて滅多に訪れないことに気がつくまで、それほど時間はかかりませんでした。

「持ち曲」を作ると決めた時には、既に立派なオトナだったのです。

それでもやっぱり、いつ「弾いて弾いて!」と言われるかわかりませんよね。

そこで今でも私は、いつ訪れるとも知れないその時のために、独り「持ち曲」をさらい続けている*1のです。

シューマンの指 (講談社文庫)

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*1:「さらう」とは「練習する」という意味。業界用語を使いたかっただけ。