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注意喚起についての謝罪および反省

全体公開 2015-04-23 12:28:40 137views

【前書き】

●挨拶

いるまりすです。

とある注意喚起で指摘されたデータ授受について、自身の視点で経緯説明をとのご要望があったと理解しましたので、こちらに記述いたします。



●お読みいただく前に

以下の点ご了承のうえ、お読みいただければ幸いです。

・ ご質問はすべて私までお願いいたします。

- 連絡先:laulurunoja@gmail.com

- 受領メッセージは引用のうえこちらに掲載する可能性がございますことをご了承ください。

・ 長文のため、またpixivの利用目的と反れるため、privatterでの投稿といたしました。全体公開ですので、どなたでもご覧いただけます。

・ 作品名・特典名はクラスタ間対立の助長やこれから参入されるファンの方のジャンル自体に対する偏見・抵抗に繋がるものとして考慮し、明記いたしません。(調べるまでもなく確認は可能かと思います)

・ 本文書中に表れる法・経営・倫理学上の言及については門外漢である私の調べた範囲の内容であるため、その内容の確実性を保障するものではございません。


【本文書構成】

1. 前書き

(ア)挨拶

(イ)お読みいただく前に

2. 本文書構成

3. 事実概要

(ア)顛末

(イ)追記事項

4. データ授受の経緯について、私の視点から

5. 各種検証

(ア)著作権法違反

(イ)経営上の不利益

(ウ)倫理上の問題

6. 反省点

7. あとがき

8. 参考資料



【事実概要】

●顛末

wiki参照(2015年4月22日現在、私の知りうる範囲において掲載内容と事実に相違なし)
wiki: http://www41.atwiki.jp/ihouhaihu_junu/

●追記事項

受領データについて(削除済みのため、例示不能)

・ 手打ちのテキストファイル(txt)データ

・ 表紙を含む画像、出展の記載など、本文以外の配布・転記なし

・ おそらく完全転記物(原本を見たことがないため比較不能)



【データ授受の経緯について、私の視点から】

展開開始から1年経ったころ、遅ればせながら作品に出会いました。これまでコンテンツ展開の手広い作品を追いかけたことなく無知な中、既出のコンテンツの存在を少しずつ古参のフォロワーさんに教えていただいたり、調べて見つけたりしていました。ツイッター上で特典の中古での購入を思い悩んでいたところ、仲良くしていただいていたフォロワーの方からデータで渡せるとのリプライをいただきました。恥ずかしながらデータの違法性などについて考えの及ばぬままに、友人と漫画を貸し借りする、くらいの感覚でこれを受けとってしまいました。あまりに思慮の足らぬ軽率な行為であったことを深く反省しておりますとともに、ご迷惑おかけしました皆様にこの場を借りて改めてお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。

こちらの文章の発端であります注意喚起の他に、各種ご意見を拝見しました。たとえば、現在販売されていないコンテンツであるため制作会社自体に実害はないのではないか、これに対し、特典コンテンツが後ほど無料で手に入ると知れば特典つきのものを購入しなくなる者が現れるのではないか。再録再販されればいいのではないのか、いや再録されると知って特典版を買わない層が増えてしまっては下も子もないのではないか。再録再販さえされなければ利権者が不利益を被るわけではないので大した問題にはならないのではないか。データをやりとりする人は大勢いるのだから、ツイッターという公然の場でやりとりをしたことが一番の問題なのではないか。手に入らないのであれば我慢するという理性的選択肢もあったのではないか。など。おっしゃるとおりだと反省を新たにする内容と、私の無知ゆえか、それはどうなのだろうかと首をひねる内容とありました。

もともと特典の購入について葛藤していたのも、希少価値のため高額となっており、次展開につながる利権者でなく古物商に投資することがためらわれたためでした。結果的に情けないことに利権者に対してもっとも行ってはならない行為に出てしまいましいたが、これを受けて反省しました、データは消しました、では何の解決にもなっていないため、せめて同じ轍は踏まぬようにと、専門家でもなんでもありませんが自分なりに調べ、何が問題であったのか、今後どのように心がけるべきなのか、考察いたしました。



【各種検証】

●著作権法違反

言うまでもありませんが、今回一番問題となるのは著作権法でしょう。

著作権は製作した瞬間から作成者個人に帰属し、その死後50年は継続的に保護されます。また団体に帰属する場合、作品発表から50年間継続的に保護されます(著作権法第五十条)。作成今回はいずれが利権者にせよ発表から2年も経たないため、著作権に保護された作品でした。この他に著作隣接権という権利があります。直接コンテンツを作成した者以外に、収録発行などに深く関わった人物・団体に対して認められる著作物に対する権利で (著作権法八十九条)、これは対象の人物・団体が関わった製作の発表時点から50年(著作権法一〇一条)、実演家(ピアニスト、歌手など)やレコード会社、放送事業者に対して認められます。

著作物はその閲覧、視聴に加え、個人的利用の範囲での複製は自由に行えるものです(著作権法第三十条)。この個人的利用というのは公衆に使用する目的でなく、違法にコピーコントロールなどを回避せず、などの条件がふくまれ、インターネット上で拡散する目的での複製は違法となります。また、インターネット上にある情報をローカルに保存することも、複製にあたります。今回著作物を入力したのは私ではありませんが、この入力をインターネットで配信する目的で行った場合、違法となるようです。個人で楽しむため、たとえば移動中に手軽に読みたい、などの理由で複製することはいたって合法です。また、複製元が違法であると知りながらダウンロード(複製)した場合も違法となるようです。また関連する処罰として、2012年10月1日から著作権法新設119条3項により違法ダウンロードは処罰の対象となりましたが、これは有償著作物等という有料で提供されている音楽や映画を違法と知りながらダウンロードした場合、二年以下の懲役か、二百万円以下の罰金などの処罰の対象となるそうで、書籍・漫画は違法ではあるものの、処罰の対象ではないようです。

処罰と損害賠償はまったくの別物ですので、裁判を通し損害賠償を利権者に払うことは書籍や漫画の場合でも当然あります。また違法行為を働いた場合、裁判で有罪判決を受けてはじめて前科となります。示談・微罪・書類送検・取調べ・裁判開始、までは前科はつきません。警察により書類送検に至らないと判断された場合は微罪として扱われ、警察記録には残るものの前科にはあたりません。また警察をさしはさまず当事者同士で合意形成し収める場合を示談といい、示談書を取り交わし和解とする。示談の際に収められる賠償金を示談金といい、示談にいたっても刑事裁判にいたることがあります。

以上をふまえ、おそらく今回の自分の「データを受け取った」という立場に関しては著作権法複製権の違反に当たる可能性があるかと思われます。何も考えずに受け取ってしまったものの、データの出所が法に触れることについては冷静になって少し考えたら分かることですから、追求を免れることはできません。とはいえこれらの違法性・法的処罰の判断は自己に対し、まして素人が行うものではないのでしょうから、何が違法か知ったことで今後の行動に役立てるに留めます。

途中まで調べた段階で、利権者に対して自己申告することも考えましたが、法的対処をすることによる時間コスト(工数のロス)と裁判事態にかかる費用を考慮し、またいわゆる「公式」に迷惑をかけることの禁という文化に則り(黙殺すれば容認と捉えられかねないが、法的対処をした場合風評に関わるなど、政治的機微が対応に求められるため)、そして何より匿名のインターネットだからこそ自己申告しなければ個人の特定には容易にはいたることができないゆえのわが身かわいさの黙秘権を行使し、思い直しました。行動と結果を考えたとき、結果の責任を持てないような行為をすることはつまり責任の事前放棄であり、卑怯このうえないことだと自覚しております。せめて今後意識を新たにし、利権者に対する敬意を保つことを肝に銘じます。浅慮の致すところで、権利を侵害した無礼、深く反省いたします。



●経営上の不利益

法は法としてその解釈は専門家にしか正確にはわからないにせよ、マナーや礼儀といったものは別途存在するものであり、ファンとしてコンテンツ制作会社の繁栄、ひいては自分の好ましく思うコンテンツの拡充を願うのは当然のことと思います。ゲーム業界について調べた限りでは、俯瞰的な業界動向を超える細かな状況を知り得なかったため、想像の範疇ではございますがご指摘いただいたような点を考察いたしました。

まずは前提として、調べた範疇でのゲーム業界の構造について。ゲームに関連する企業というのはその役割や商材によって多岐に分けられ、今回の製作元は「コンシューマ向け」の「パブリッシャー(販売会社)」にあたるものでした。パブリッシャーというのはゲームの販売・広告を行うもので、場合によっては同時に「デベロッパー(開発会社)」の企画・開発業務も内包しているとのこと。またゲームソフトの流通の背後にはこの他に、ダウンロード販売の場合はハード会社のサーバが、現物でのやりとりの場合ハード会社、問屋、小売など多くのプレイヤーが関わり、開発を行うデベロッパーは固定報酬であることが多いのに対し、パブリッシャーを含む他のプレイヤーはゲームの売り上げ次第で収益が変動します。パブリッシャーについてはゲームソフト本体以外に、グッズなどの展開でもライセンス料を得ることができます。

つまり固定費での開発を踏まえ、また費用に関して消費者側から働きかけることは困難であることからコストカットを除くと、消費者が直接的に関わる部分での利益構造としては、以下の売り上げの二本柱に依存すると考えられます。

① どれだけゲームソフトが新品で売れたか

② とれだけのライセンス料をグッズ等から得ることができるか

まず②については、グッズ制作会社と利権者との関係・利益構造についての情報が調査した範囲からは不足しているため、また今回はグッズ制作会社に絡んだ状況ではないと推察されるため、割愛いたします。

次に①について、これは単純に販売ゲームソフト本数×単価による売り上げ計算かというと、おそらく開発にかかる先行投資を考えると、発売から一定期間内に売り上げ立つことを指標とし、継続展開を検討するものではないかと考えられ、初動売り上げが肝要ではないかと導くことができます。いずれにせよ、推定するに以下のパラメータに分解して考えることができるかと思います。

a. 新品で売れたか

b. 累計何本売れたか

c. 単価はいくらか

d. どのタイミングで売れたか

まずはaについて、新品でない商品では利権者・製造元などすべての利権者は一銭の儲けにもならず、古物商のみが儲かることとなります。よって、新品以外で売れた品の数は販売元にとって一切利がありません。今回に関連して言えば、古物商経由で当該の特典を手に入れたところで、制作会社にとっては一利もありませんでした、ということ以外とくに関係はありませんが、今後コンテンツを購入する際には気をつけたいことです。

次にbの累計何本売れたか、の重要性は自明です。ではこの実現についてですが、「特典」というのがキーワードになる可能性があります。特典が販売店舗ごとなどで数種類つけば、特典を目的に一人で複数同じゲームソフトを購入するユーザが現れる可能性が高くなります。特典製作にかかるコストと比較したときの投資対効果については調査不足のため推し量るすべもありませんが、本数だけは稼げるでしょう。

Cの単価について、この重要性も自明でしょう。ゲームソフトの場合、単価は希望小売価格が設定されているものの、販売元が在庫リスクを負い販売するため、在庫リスクに比較的なやまずに済む大量購入ができるオンラインショップは値引きができる、といったような状況はありますが、消費者に対していくらで販売されようと、原則として販売元に入る売り上げは固定と考えられます。ハードウェア会社のクラウドを通じたダウンロード販売の場合に販売価格が低く設定されているのは、おそらく物理的商品の場合必要となる梱包・パッケージ・製造代などの費用が、販売プラットフォーム利用料や中間マージンなどの費用より高くつくためではないかと考えられるため、1本あたりの利益としてはハードコピーとして購入する場合と大差ないのではないかと想像できます。よって同一のソフトの場合値段に差をつけるとすれば、なんらかの特典を付け、付加価値のある特装版として高値で販売することが考えられます。特典製作にかかるコストによっては損益としてプラスになると言い切れるものではありませんが、少なくとも売り上げはあがるでしょう。

最後にdの売り上げ発生のタイミングについてですが、ここで特典製作に仮にコストがかかったとしても特装版を作成するメリットが眠っていることと推察します。つまり初動で次期展開の可能性が決まる場合、仮にコストがかかったとしても、最初に多くがはける構造を作り、後の展開では前作から転用できる部分を既存のアセットを利用しコストカットしつつ利益があがる確度の高い戦略下での製作ができることを期待しつつ、コスト回収を先延ばしにするという構造です。今回のデータ授受の対象となった特典も、おそらくこういった戦略下で作成されたものでしょう。企業は投資して成長するものですから、投資に響くというのは痛手になると考えられます。

以上を踏まえ、今回のような再販の見込みが薄い初回特典を授受することは、以下のような不利益を生じさせるかと思います。

a. 現時点で直接的影響なし。

b. 今後の作品展開時に複数購入を検討する消費者が減る可能性。

c. 現時点で影響なし。今後特典コンテンツ付きの特装版などの買い控えに波及した場合、単価が下がる可能性。

d. 現時点で影響なし。今後特典コンテンツ付きの特装版などの買い控えに波及した場合、初動での購入をひかえ様子を見る、特典をそろえることを目的とした複数購入を控えることにより、初動売り上げが下がる可能性。

いずれも経済効果について定量化するに至りませんが、悪影響をあたえかねないのは紛れもない事実だと確認できます。

遅れて出会ったファンとしては販売時にはそもそも存在さえ知る由もなかったのだから再販して欲しいと思うものですが、企業としては「もしかしたら再販されるかもしれない」との思いで買い控える顧客がでるのであれば、それは確かに問題でしょう。「再販されたとしても今買いたい」「再販は再販で別途欲しい」と思わせる細工、たとえば再販は非常に高価だとか、再販時にはなんらかコンテンツを増強するだとか、再販はX周年だとか、あればいいのかもしれませんが、このへんの効果も影響も消費者心理も私の調べた限りでは分かりかねるのでなんとも言えません。



●倫理上の問題

大前提、法に触れる時点で倫理も何もあったものではない禁則事項なのですが、一応指摘にあがっていたため考察します。法はともかく「他の人もやっていれば許される」のかという点、また今回のデータ授受が違法行為であることをふまえ「なぜ法を守る必要があるのか」という点、最後にツイッター上でのやりとりが問題視されたことから、気付かれないように済ませたらよかったのではないか、転じて「人に迷惑をかけなければ何をしてもいいのか」の三つの側面からアプローチします。

みんながやっていればやっていいか、という赤信号みんなで渡れば怖くない効果は、現実ではままあることであったとしても、決してなんらかを正当化する理由にはならないと考えます。例としてカントの定言命法(「実践理性批判」にて言及)を引きますと、「あなたの意思の格律が常に同時に普遍的立法の原則として妥当たるよう行為せよ」とあります。つまり、個人の従う、いわば自分ルール、というのが、もし万人に共通だった場合でも成立するなら、これは妥当なルールだ、という発想です。極論、「私はあなたを殺すがあなたは私を殺さない」というルールを個人が設けたとして、相手も同じく「私はあなたを殺すがあなたは私を殺さない」とのルールを設けたら、これはお互いに殺すが互いに殺されないという矛盾を含み、成立しません。しかし、「私はあなたを殺さないし、あなたも私を殺さない」であれば万人が同様に掲げたとしても成立し、これは道徳法則といえる、というものです。なお「私もあなたも互いを殺す」でもこの二者間の道徳法則にはなるものの、相互に死ぬためにこの後に発達せず、妥当な共通的道徳法則とはいえません。また社会全体に波及した場合、仮に相打ちで最後の一名まで相互殺人という目標を達成できたとして社会構成員がなくなり社会自体が破綻しますし、一名でも残ってしまった場合、最後の一名は他者に殺されることなく自然死するため、条件は満たされず破綻します。よって、「他人を殺さない」というルールが、殺人に関する道徳律として妥当だといえるのです。

今回のみんながやっているから許されるのだという状況を前述の定言命法に当てはめてみます。「わたしは購買行為なく著作物を得る」と置いたとき、これが万人の共通法則であれば消費経済は回らないため、コンテンツ産業は破綻します。加えて余談ですが、みんな、というときこれは人類共通の全体性を示すものでなく、大衆の一部をあいまいにして言う表現であるため、みんながやっているから、というあいまいな証言からなんらか道徳律を導くことができません。以上がわたし一人だから、不特定多数も行っている行為だから、という理屈の成立しない所以です。やはり、周囲も行っている可能性があるから、を行動の根拠としてはならないと再確認することができます。

次になぜ法を守らなくてはならないのか、という観点ですが、これはそもそも法律の原点に立ち返って考えます。法律とは社会契約です(ルソー「社会契約論」)。権利を主張するからには義務を全うせよというもので、社会(国家)によって人権を保護されたい保障されたいと思うならば、法に従う必要があるというものです。人間が人間であり動物と異なるのは集団生活を送る習性にあり、この集団生活における個人の知の限界をたすけ調和をはかるのが法の支配です(アリストテレス「政治学」)。やや乱暴ですが、裏を返せば社会において、人間の人間たりうるにはまず法を守れということになります。概念的な話はともかく、少なくとも日本や多くの民主主義国家において、私たちの自由は法の遵守のもとに保障されており、自由を求めるならば法に従わねばなりませんし、また法に逆らう場合見合った処罰を受けることも、この社会契約に織り込まれています。不当な法には従うべきでないという市民的不服従等の考え方もありますが、ここでは法の是非を問うことは目的ではないので割愛します。また国土が分かたれ国際法まで制定された今事実上法に一切縛られず自由に生きることは不可能とも捉えられますが、これも前提のデータ授受と大きく反れるため割愛します。要するに、「買ってきた食べ物に異物が混入しているなんて信じられない(食品衛生法違反)」、「私の物を盗むなんて最低だ(窃盗罪)」、「顔写真をインターネットに勝手に晒されてしまった(肖像権侵害)」などの権利の侵害を指摘し保護されるべきと主張するつもりならば、自分も法を守るという義務を全うする必要があるということです。なおこれは倫理的な観点であり法ではないため、相手が違反をすれば自分も相手に違反を働いて良いという関係は成立せず、報復行為であったとしてもそれぞれにそれぞれの罪を裁かれるということは念頭に置く必要があります。

最後に、人に迷惑をかけなければ何をしても良いのか、という観点です。今回、ツイッター上の公開アカウントでやりとりをしていたため、この公然性を問題視するご意見も拝読しました。法的・道徳的にそもそも違法・不当と上述した内容を踏まえたうえで、あくまでやりとりをしていた本人たち以外の他者に迷惑をかけたことの是非について考察します。ひとつの考え方に、愚行権というものがあります(JSミル「自由論」)。どんなに非合理的な行動であっても、これを実行する権利があるということです。たとえばお風呂をあがって全裸で踊り狂うことも、さっき買ってきたプラダのかばんを砂場でバケツ代わりに使うことも、言ってしまえば本人の自由です。今回になぞらえると、「私はこれからデータの違法な取引を致します!」とツイッター上で吹聴することは、本人たちにとってどう考えてもマイナスにしかならない文字通りの愚行ではあるものの、権利と考えることができます(ツイッターの規約に違反する可能性はありますが)。ただ往々にして、自分では「他人に迷惑をかけない」と思っていても風が吹いたら桶屋が儲かるバタフライ効果であったり、自分の見識の狭さゆえに気付けなかっただけの余波だったり、無意識のうちに迷惑が現れてしまうものではないでしょうか。私がご指摘として拝読した中でそのように実感されたのは、「特典コンテンツならわざわざ買わなくても、いずれ無料で手に入ると考える人間が現れる」というものでした。言い訳がましいですが、自分はもし今利権者から販売されていたら買っただろうにという文脈で悩んでいたため、今後現れるコンテンツに対して周囲が感じることにどのような影響を及ぼすかなど、微塵も意識が向かなかったのです。人通りのない物陰に自転車を路駐しても迷惑などかからないように思えても、もしかしたらそこに点字ブロックがしいてあって、目の不自由な方にとっては通路をふさがれていた、なんていうこともあるかもしれなませんし、もしかしたら業者用の通路になっているだとか、想像のおよばぬどこかに迷惑がかかっている可能性は否定できません。個人の考えですが、そもそも「人に迷惑をかけない」という前提こそ証明できないものであり、よってルールに従うことで最低限ルールの範疇では人に迷惑をかけていない状況を担保できるのではないかと考えます。よって、人に迷惑をかけないように思えても、何をしてもよいという理由にはならないと結論付けます。

倫理学というのは得てして答えの出ない学問のため、いずれの議論に例示した説も、突き詰めたら矛盾があることは既存の学問で指摘されています。また、意図的に割愛した部分で、理論的には違反を働くことを擁護してしまうような論説が存在することも確かです。道徳感はすくなくとも今の学問では、理屈だけで解決できるものではなく、そのために定義された法というものがあるのではないかと感じました。



【反省点】

今回の一連の騒動を通して私が学んだこと・反省したことを以下に記述します。

●著作権法について:著作権侵害の項にて述べたとおりです。

●コンテンツ業界について:経営上の不利益の項にて述べたとおりです。

●インターネットはいっそ公共の場より公然性が高い

誰にでも聞こえる公共の場での会話であっても、発言してすぐに音は掻き消え、録音している物好きなどそういるものではありません。一方ツイッター等のインターネットメディアは自分のタイムラインでは文字がながれてしまうように見えても、発言は残り、誰でもが後から確認できてしまいます。障子に目あり、壁に耳ありと心がけ、付き合い方に気を遣う必要があると感じました。

●知らなかったでは済まされない

当たりまえですが、法律を知っていようが知っていまいが違反は違反です。また影響が出ると知っていようがいまいが、不当な行為を働けば誰かが迷惑を被るという事実が変わるわけでもありません。知識の不足したままに権利を主張することこそが罪ともいえます。己の不勉強を反省するとともに、常識を身に付けるよう心がけ、また過ちを犯しかけている人を見かけた際には導けるよう、心がけます。

●法理的に否定されていることについて、その是非を問う余地はない

倫理上の問題の項にて述べたとおりです。

以上を踏まえ、今後義務と権利、責任、リスクについて勉強する努力を怠ることなく、最大限の注意を払い、道徳規範と法に従い行動することここに誓います。


【あとがき】

見解をとのご要望をいただいてから日数が経ってしまい、失礼いたしました。いただいたメールの内容を相違なく理解すること、自分なりに理解し反省すること、考えをまとめ文章化すること、そして正直に申し上げますと、アカウントをすべて削除しオタク生活自体なかったことにする誘惑と戦っていたこととで時間を要してしまいました。一度は逃げることを考えながらも、できる限りの誠意をもって振り返ろうと決心したのはひとえに作品がやはり好きだからという動機でした。思い返せば現れ方はどうあれ、本件に関わったすべての方の根底には作品に対する愛があり、作品制作元に対する冒涜を是正しようという働きに対し、なるべく冷静かつ真摯に向き合うことが、唯一自分が作品の繁栄を願って今からできることと考えました。

これまであまり考えたことのなかった内容を色々と調査し、拝読・拝聴したさまざまな角度のご指摘を考慮していくことで、己が普段どれほど物を考えていないか痛感させられました。ご指摘いただいた通り、愚かな過ちも無知と考え無しによるものです。しかし後悔先に立たず、覆水盆に返らずということで、事実をなるべく客観的な目線で評価し、今回このようなアウトプットとして反省を形にしました。日本的な謝罪とは異なる気がしてなりませんが、私なりの精一杯の誠意であることをご理解くださいますようどうかお願い申し上げます。また同様の過ちを犯してしまった方、犯しかねなかった方、考えたことも無かった方にとっても、ご一考いただける端緒になれば幸いです。

日本語は不得手なため、読み苦しい点も多かったかと思いますが、どうかご容赦くださいますようお願い申し上げます。

最後に、ご心配いただいた方、ご迷惑おかけした方、不快な思いをさせた方皆様に、お付き合いくださいましたお礼を申し上げますとともに、ご迷惑おかけいたしましたことを重ねて、心より深くお詫びを申し上げます。

いるまりす



【参考資料】

●著作権法

公益社団法人著作権情報センター<http://www.cric.or.jp/> 、2015年4月18日~23日アクセス

一般社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)<https://www2.accsjp.or.jp/> 、2015年4月18日~23日アクセス

六法全書

●ゲーム業界

産業調査部、みずほ産業調査コンテンツ産業の展望 —コンテンツ産業の更なる発展のために— Vol.48 No.5第2部 各論:各コンテンツ産業の現状分析 第5章 ゲーム産業、2014年発表<http://www.mizuhobank.co.jp/corporate/bizinfo/industry/sangyou/m1048.html>

コンシューマゲームパブリッシャー大手数社IR情報(オンライン公開分)

●倫理

加藤尚武「現代倫理学入門」講談社学術文庫 2008年発行

Aristotle and Stephen Everson. The Politics, and the Constitution of Athens. Cambridge, UK: Cambridge UP, 1996.

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いるまりす
ばくまつろっく隔離アカ みんなカワイイ せんせー贔屓 極めてうるさい OVER20

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