黒磯の温泉饅頭より美味い「素晴らしき饅頭本」とは?
- 2015/04/24(金) 05:40:29
黒磯の温泉饅頭より美味い「素晴らしき饅頭本」とは?
(2015・4・24・金曜日)
「饅頭本」という本がある。
ネットなどでは、「配り本。著名人の一周忌などで配られる私家本。内容は物故者の伝記や随想であることが多い。転じて団体の記念誌などを含む非営利出版物一般もさす。後にごく一部のものに限り古書価が高くなることがある。葬式饅頭になぞらえて言われる」と説明されている。
古本屋や古本市などでは、よく見かける。有名人、無名人、さまざまな追悼本がある。
この前、買った『作品人間・水野成夫』 (サンケイ新聞社出版局)なんかはそんな本だろう。箱入りで分厚い。レコードも入っていたかと。500円と安かったから買った。ただ、水野氏は、左翼文化人からの転向、産経新聞社の社長などを務めた人。それなりに面白そう。
そのほかにも、積んどくしている自叙伝的、追悼文集的本は多々ある。
まぁ、人間、ジキルとハイド。しかし、こういう「饅頭本」は故人の追悼集だから、当然、「恥部」や「欠陥」には触れないものだ。金日成や金正日を追悼する本が出ているかどうか知らないが、この手合いに関しては「饅頭本」は生きている時から多々出ていたかと。
しかし、それにしても……と感じたのは、「安江良介追悼集」刊行委員会編の『追悼集 安江良介 その人と思想』 (1999年刊行・同刊行委員会・頒価2000円)だ。
以前、小田実の追悼雑誌、追悼本に関して、こう書いたことがある。
永遠にさらば、小田実! 「脱走兵」は助けても「脱北者」は無視?
2013/09/04(水) 20:43:08
小田実といえば、昨日紹介した寺尾五郎の顔(いや顔は知らないから「名前」)がすぐに浮かぶ。というのも……。
藤原書店編集部編の『われわれの小田実』 (藤原書店)を読んだ。
本書は、以前、同書店刊行の雑誌『環』が小田特集号を組んだことがあるが、それに若干の追記などをして、単行本にまとめたもののようだ。
小田特集をした『環』は刊行時に一読し、彼の北朝鮮礼讃記である『私と朝鮮』 (筑摩書房)と『「北朝鮮」の人びと』 (潮出版社)に関する考察がまったくないのに唖然とした覚えがある。
本書でも、それに関して「追記」したり「反省」を促すものはないようだ。
やれやれ。ベトナム戦争にしても、サイゴン陥落後の難民流出に関して、彼が何か行動を起こしたという「記録」はない。反ベトナム戦争運動家でもあったサルトルはまだ難民救出のために行動したというのに…。
北ベトナム側の人間で、元ニャンザン副編集長でありながら、「解放」(陥落)後のベトナムの現状に絶望を感じてフランスに亡命したタイン・ティンの『ベトナム革命の内幕』 (めこん)などを読んだ記憶のある人間として、彼の身内(北ベトナム)に対する批判を無視してベトナム戦争を語ることはもはや許されないだろう。
「民族解放とは結果的に占領であり、併合に近いものだった」「悲惨だったのは「再教育」キャンプに送られた旧政府の士官や公務員の姉妹や妻たちだった。「アルミを磨き尽くした」あげく、彼女たちはもはや身を売るしかなかった。そして、彼女たちを買う客の多くが北部から来た官僚たちだった」「再教育キャンプと言いながら、その実態は刑務所で、収容人数があまりにも多いため、各キャンプは劣悪な状態に置かれていた」
また、小田実やベ平連は、生前、ベトナムからの「脱走兵」には関心があっても、北朝鮮からの「脱北者」支援には何の関心もないようだった。
アメリカの青年が、ベトナム戦争への参戦を拒絶して逃亡したくなる気持ちはわからないでもない。それをアジアの一国である日本人が手助けするというのも、その是非は別にして、ありうる話なのかもしれない。
だが、「ベトナムに平和」が訪れたというのに、難民が大量に出てきたりしたら、違和感を覚えないのだろうか。「ベ平連」のあとに「ベトナムに自由を」という「ベ自連」をなぜ結成しなかったのだろうか?
また、今日、同じアジアの一国である北朝鮮に於ける明々白々な人権弾圧、そこから逃れる脱北者への支援を、かつてのベ平連の面々が黙々とやっているのだろうか?
何もしていないとなると、結局は、特定のイデオロギー国家を「祖国」とみなすような軽蔑すべきナショナリストでしかなかったのではないか。
この本にも小田実のことを、あなたは「アジアの友です」と称賛するポエムが掲載されているけど、安江良介(岩波元「世界」編集長)と並んで、「北朝鮮の友」であったのは間違いないだろう。
国会議員の辻元清美氏は、韓国民主化支援の国際会議に出席した時に、小田氏に「お前はアホや、勉強せえ」と言われたことを回想している。
このお二人は「北朝鮮民主化支援の国際会議」に出席したことはないのだろうか?
小田の辻元氏に対する言葉も所詮は、「天に唾する言葉」ではなかったのか。
北朝鮮礼讃の過去に沈黙するものは現在にも盲目となる。
『われわれの小田実』なる本は、実に虚しい本である。
同じ虚しい思いを、『追悼集 安江良介 その人と思想』を読んでも感じた。
金沢大学出身で岩波書店に入社。当時の大学の先生の思い出なども出てくる。それはまぁ、「恩師」からみれば、そんなものだろうか。勉強熱心だったとか……。
僕だって、高校時代、大学受験で「内申書」めいたものを担任が書いてくれたが、「見ていいぞ」というので、中を読むと、「文筆力があり論理的思考力があり正義感が強く…云々」と書かれていたものだ。成績に関していうことがないからだが、恩師はありがたいものなり?
ともあれ、社の同僚というか先輩の緑川亨元社長は「安江氏の努力は、一方では北の金日成主席から個人的信頼を寄せられ、一方では韓国の民主化運動にたずさわる人々と深く結びつき、後にあのTK生による『韓国からの通信』の長期連載として結実する」と書いている。
1999年当時、まだ「拉致」の犯人が確定していなかったにせよ、こういう筆致はいかがなものか? ヒットラーから「個人的信頼を寄せられ」なんて書いているも同然と受けとる人もいることだろう。
北朝鮮の民主化には何の関心も寄せていなかったではないか、TK生のレポートは単なる反体制派韓国人による杜撰なものでしかなかったではないかと(この点は、西岡力氏が批判)
唯一、藤村信氏が、金日成とのインタビュー記事の感想として、画期的ではあったが、安江さんが主席のことを「閣下」と呼んでいるのが気になって、いつか会った時に「あれでは、へりくだりすぎます。ジャーナリストが国家元首に対談する場合、主席ないしはミスター・プレジデントと呼べばいいのではありませんか?」と尋ねたことがあったという。
「安江さんの当惑の表情をみて、つまらぬことを聞いて気の毒なことをしたと思いました」と述懐しているが、それは正論であろう?
ともあれ、ここに登場する人にとっては、安江さんとは良き思い出があり、それを綴るのも当然のこと。この本に、西岡力さんなどが登場するのはヤボではあろう。とはいえ、やはり、なんともいえない違和感は残る。「素晴らしき饅頭本」だとは思うけど……。
(以下、その違和感とは何かを考える上での過去紹介ずみのブログを再録。一部略)
『物語 岩波書店百年史 「戦後」から離れて』 の読み方(2013・12・19・木曜日)
苅部直氏の『物語 岩波書店百年史 「戦後」から離れて』 (岩波書店)を読んだ。
『物語 岩波書店百年史』 は全三冊。苅部氏の本は三冊目。
一冊目は紅野謙介氏の『物語岩波書店百年史 「教養」の時代』、二冊目は佐藤卓巳氏の『物語岩波書店百年史 「教育」の時代』。
最初の二冊はまだ積んどく。苅部氏の本を先に読んだ次第。
書名からすると「社史」のような本といえば、社史ではあるが、外部筆者(苅部氏は1965年生まれの東大教授)による「世界」などの論調を中心に、岩波の「戦後」を検証したノンフィクション論壇物語ともいえる。
その筆致は、岩波書店に迎合するわけでもなく、淡々と「事実」を紹介しつつ、綴られており、いわゆる「岩波文化人」「進歩的論調」に懐疑的な読者層にも、それなりの読後感を与えるのではないかと感じた。
曲球(癖球)というのか、ギリギリ、ストライクゾーンに入る球というのか、いやボールじゃないかとクレームがつくような球種、コースというのか、人それぞれの受け取り方があるかもしれない。
苅部氏は「東京人」などでも書評をよく書いており、参考にしているが、本書も数多くの「世界」「思想」などの論文を読みこなし、左派系論壇内に於ける「対立」(岩波労組が日本共産党系ということもあり、左派内にあっても、反日共系などへの批判もしばしば見られたそうな。例えば、全共闘への批判など)なども論じている(とはいえ、「世界」の目次を見ると、非日共系識者なども登場しているとのこと)。
ただ、さまざまな岩波元社員の回顧録(小野民樹氏の『60年代が僕たちをつくった』洋泉社)などや左派系知識人の回想録なども渉猟しているのだが、元岩波社員の塙作楽氏の『岩波物語 私の戦後史』 (審美社)や、これまた元岩波社員の長島陽子氏の『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)などは活用されていない。この二人は「タブー」なのか? とりわけ長島氏は典型的な進歩的女史として、中国迎合派というか中国感激派だったのが、在社中の友好訪問の果てに「夢」から覚め、「さらば『日中友好』」となっていくのだから…。
それに、岩波文庫にトロツキーの本が入るのが、ソ連崩壊後だったことを考えると、やはり日共色濃厚というしかないだろう。最近でも、「世界」以上に「図書」などの「こぼればなし」を読むと、伝統衰えずということに「?」を感じることが多い。
ともあれ、大内兵衛が「世界」の大御所であったようで、彼の論文などを掲載すると、「久々に大内兵衛先生の経済論文をいただいた」「広く読まれることを期待している」などと編集後記で紹介されたりもしたそうな。
しかし、今や大内兵衛といえば、春風亭柳昇ではないが、今や…?ハンガリー動乱で、ソ連側に立った情けない進歩的文化人という定評しかもはやないだろう(小島亮氏『ハンガリー事件と日本』中公新書、稲垣武氏『「悪魔祓い」の戦後史』文春文庫参照)。
安江良介の岩波での歩みも詳述されている。一時退社して美濃部都知事の特別秘書になり、また復社して「世界」編集長,、社長になるが、金大中拉致事件などに関しては関心を持ってあれこれ論じるものの、北朝鮮の蛮行に関しては無関心、北に行って金日成独裁者とヨイショ対談などもやる。TK生というペンネーム(池明観)の筆者を使っての韓国内情を批判的に論じても、北朝鮮に対してのそうした試みはしない…。
苅部氏はそうした歩みをギリギリの曲球(癖球)で分析しており参考になるが、やはりこのあたり、安江サンのあまりの北朝鮮好き故に……佐良直美の「世界は二人のために」の歌ではないが、♪二人(安江&金日成)のため「世界」はあるの? と囃し立てられた過去はもっと直視すべきであっただろう。
北朝鮮のビルマラングーンでの韓国要人暗殺テロに関しても、北がやったのだろうかということで、その「根拠は薄く、疑いも多い。おそらくは『現代史』が一区切りをもつまでは、不明のままに推移するものと思われる」(「世界」83年12月号「編集後記」)と庇っていたのだから。
同じ号で、T・K生などは、北朝鮮がやったこととしても、「それに対する責任の少なくとも一端は全政権にあるといわねばならない」として、韓国側がしきりに北朝鮮を挑発していたことを縷々説明している。「逆転の発想」にもホドがある。
こうしたT・K生のあまりの偏向ぶりに関しては、西岡力氏が『北朝鮮に取り込まれる韓国』 (PHP研究所)の中の「第五章 覆面をとった「T・K生」--恥知らずの良心」で詳述している。この論文も苅部氏の本の中で紹介されていないのは残念ではある。
安江が金日成に関して、「イデオロギー統制の問題についてもふれている」ことがあったし、未來社が『金日成著作集』を出していたのに比べて、岩波書店はそんなことはしていなかったとして「免責」しているが…。
ほかにも、大内なども加わった『日本経済図説』 (岩波新書)がかつて刊行されていたが、「日本人は貧しい」という先入観からの書であったと記憶している。
苅部氏はこの本を取り上げ、改訂されるたびに、徐々に日本の経済成長を後追いで「容認」する記述が増えていたそうな(といっても、「こんなすごい成長をした例はなかった。わずかにソ連の、ある時代がこれを追い越しているだけである」ということで、ソ連贔屓は相変わらず?)。
「日本人は貧しい」が「日本人はまだ貧しい」に変わったり…。また、成長すれども「公害」が大変だということで、そのマイナスは徹底的に批判する。宮本憲一氏などの『恐るべき公害』 (岩波新書)も紹介されている。苅部氏はこの本が出来上がる舞台裏などを詳述している。田村義也編集部員の企画により刊行。著者の原稿を削ったりあれこれと努力したそうな。新幹線もまだない時で、関西の筆者相手に7時間前後の片道乗車…とか。執念の一冊であったのであろう。
しかし、苅部氏も、この『日本経済図説』に関しては、曽野綾子氏が『暮しの手帖』の連載エッセイでシャープな批判をしていた事実(そのエッセイはその後、曽野氏の本にも収録されたかと)なども指摘すれば、もっと面白かったし、また『日本の公害』は、「公害は、資本主義の生産関係に付随して発生する社会的災害だといえる。それは、資本主義的企業・個人経営の無計画な国土・資源の利用と社会資本の不足、都市計画の失敗を原因として発生し、農民・市民の生産や生活を妨害する災害である。したがって、公害は階級対立のあらわれである。加害者は、主として資本家階級であり、被害者は、主として、農民・労働者階級である」「原題の公害のおもなものは、体制的災害である。したがって、現在の政治経済体制の下では、絶滅することはできない」と居丈高に綴っていたのである。
あまりの時代がかった左翼イデオロギーの発露というしかあるまい。
もちろん「日本の公害」に関しては、子供心にも思い出があるし、古本屋に行けば、アサヒグラフや毎日グラフなどが公害特集をやっていたバックナンバーもよく見かける。イタイイタイ病だって、最近のニュースでも出てきている。
だから、中国共産主義国家の「公害」とて、一時的な経済拡張故の現象であり、時間が解決するのではないかと期待もしているが、『日本の公害』の論理を中共に当てはめると……。
「公害は、共産主義の生産関係に付随して発生する社会的災害だといえる。それは、共産主義的企業・個人経営の無計画な国土・資源の利用と社会資本の不足、都市計画の失敗を原因として発生し、農民・市民の生産や生活を妨害する災害である。したがって、公害は階級対立のあらわれである。加害者は、主として共産党幹部階級であり、被害者は、主として、農民・労働者階級である」「原題の公害のおもなものは、体制的災害である。したがって、現在の政治経済体制の下では、絶滅することはできない」…ということになる? まぁ、そこまでは?
今日の中共の「公害」も、時間が解決するのではないかと楽観視することも可能ではあろうが…。日本だって、ほんの40年前ぐらいは大変だったのも事実なのだから…。公害発生に資本主義も共産主義もない。
こういう本(『日本の公害』)を出していたからこそ、岩波新書の中には「レフトブッククラブ」というしかない煽動書があったと批判されるのである。
苅部氏の本の中では、『日本の公害』を論じながらも、こうした時代錯誤というか、信じられないイデオロギー的記述は糾弾どころか、紹介もされていない。
坂本義和に関しても、比較的バランスを取った国際政治認識を提示していたと一定の評価を与えている。たしかに、彼の本(『人間と国家 ある政治学徒の回想 上下』 岩波新書)を以前紹介した時に、僕もこの人が北朝鮮問題に関して、心の疼きを覚えているかのような筆致について触れたことがあった。
しかし彼の『軍縮の政治学』や『相対化の時代』 (岩波新書)でも、ソ連で民主化(ゴルバチョフ時代)が起こったために、その過程で東西冷戦が終わり、東西の軍縮も起動を始めたとしている。実質的にソ連に操られた感の強い反核運動も高く評価もしていた。
『軍縮の政治学』 (岩波新書)もまた、自由世界の一方的軍縮こそが世界平和のためになるといった、単純な見方を提示していたにもかかわらず、レーガン流軍拡が、結局ソ連を追いつめて崩壊させた現実を見れば、所詮は進歩的文化人の甘い国際認識は敗れたと批判するしかなかったであろう。
坂本氏は、ソ連に対する軍事的な封じ込めは、むしろ逆効果であって、国内の強権体制を強化しタカ派の立場を強める危険がある。ソ連という国は、内部から権力や政策の正当性に対する問いなおしのメカニズムができ上がらないかぎり、外から軍事的に圧力をかけても、かえって体制の軍事化を強めるだけだと指摘していたが、レーガン流の軍拡やSDI推進のおかげで、ベススメルトヌイフ外相もソ連の経済力ではアメリカの軍事力拡大にもはや対抗できないとギブアップしたのが軍縮起動の最大の要因だったと語っている。
ともあれ、苅部氏の本や本欄で取り上げた他の本などを読むことによって、戦後の出版報道史がよく理解できるようになるのでは。
そういえば、先の「饅頭本」の巻頭トップは宮本憲一氏の一文だ。
「『政治少年』から思想をもつ大編集者へ」と題されている。
宮本氏はかつて金沢大学にいたことがあり、そのときの教え子が安江氏だったとのこと。ゼミ員でもあったという。当時内灘の米軍基地問題で石川県が揺れていて、自民党の現職大臣が野党統一候補に敗れるなんてことがあり、安江氏が「政治少年」としてその統一候補の秘書のような役割で活躍していたそうな。
そういう縁で『恐るべき公害』も刊行されていったようだ。イデオロギー過剰の「名著(迷著?)」は、そうして生まれるのか?
ともあれ、ネバーセイネバー。
1957年(昭和32年)、法眼晋作さんにドイツで説教されて総評副議長は対ソ認識を若干なりとも改めたのか?
- 2015/04/23(木) 05:25:42
1957年(昭和32年)、法眼晋作さんにドイツで説教されて総評副議長は対ソ認識を若干なりとも改めたのか?
(2015・4・23・木曜日)
この前、落合英一氏の『北米の土と英国の血 欧米旅日記』 (出版タイムス社)を紹介した。
昭和34年(1959年)の刊行で、1957年(昭和32年)の12月から1958年(昭和33年)にかけて、米国務省と英政府の招待を受けて、3カ月半の英米旅行を綴ったエッセイ集。アメリカの労働組合AFL-CIOや英国の労組TUC関係者との懇談などが綴られていた。
新産別は、反共リベラル系の労働組合。当時は、総評などが左傾化したために、アメリカも反共系組合を重視するようになっていたようだ。そのあたりの経緯は、以前紹介ずみの中北浩爾氏の『日本労働政治の国際関係史1945-1964 社会民主主義という選択肢』 (岩波書店)にも詳しい。
この前、神保町で買ったばかりの藤岡三男氏の『人民の国々を訪れる』 (非売品)は、副題が「社会主義革命40周年祝典ならびに中華全国総工会第8回大会に招かれて」。1958年(昭和33年)刊行。著者は当時総評副議長で、日本炭鉱労働組合委員長。こちらは「容共リベラル」派といえようか。
1957年(昭和32年)10月から12月にかけて中ソ(&西独など)を訪問しているから、落合氏とほぼ同じ時期に外遊したことになろう。
まだ、中ソ蜜月だったようで、両国を訪問。ソ連は「全ソ労働組合中央評議会」からのご招待。中国は「中華全国総工会」からのご招待。毛沢東と握手している写真も「口絵」に出ている。
モスクワに行くのに、国交回復後とはいえ、マニラ、サイゴン、ラングーン、カラチ、テヘラン、パリなどを経由して出掛けたそうな。
ソ連での見聞は「モデルコース」を走破し、西独に日本からの「出稼ぎ炭鉱労働者」がいるということで西独も視察(東独には寄らず)。
その際、「なるほど西ベルリンは東ベルリンに比較して華やかに見える。経済事情も違う。条件も違う。東ドイツは農業国であり西独は工業国だ、東ドイツにない石炭は全部西独にある。石炭のあるところには必ず工業は発展する。でも東ドイツの農村の復興状態は飛行機の上からみたんだが耕作地住宅ともたいしたものだった」と記す。
この人はスーパーマンだ? 飛行機の上から一瞥しただけで東ドイツの復興が素晴らしいと分かるようだ。
そしてこの負け惜しみ?
さすがに当時にしても、ベルリンの壁構築前とはいえ、西独より東独が進んでいるとは言えない。西独は炭鉱があるから「工業は発展する」という姿勢。しかし、韓国と北朝鮮を見ると、このころ、日本が植民地統治時代に作った水力発電所などが北にあったので、その分、ちょっと北のほうが南より発展していたかのように見えた時もあったが、所詮は非能率の共産経済のため、韓国に追い抜かれ今日に至っている? このあたりの比較考察力を、総評系組合幹部に求めるのは、「八百屋で魚を買い求める」ようなものか。
西独滞在中、日本大使館関係者のお世話になったようだ。当時、なんと反ソバリバリの法眼晋作さんがいたようで、「法眼総領事と食事を共にした。彼は鳩山、重光さんのお共をして二、三回ソ同盟に行ったらしい。なかなか詳しいようだ。ソ同盟に対する彼は彼なりの見方がある。黙って拝聴することにした」と書いているのには、ちょっと微笑んだ。
さぞかし、法眼さんは、この容共リベラルの人相手に(なにしろ「ソ同盟」と表記するのだから?)持論を展開したのだろう(学生時代、彼の講演を何度か拝聴したことがある。しかし、そんな彼であっても、中国にはちょっと甘かった? 彼の回顧録『外交の真髄を求めて』 (原書房)にもそのあたり、反ソではあるが、中国には遠慮する傾向が読み取れる)。
とはいえ、この人(藤岡氏)はまだ社会党系であっただろうから、当時(?)の日共ほどはソ連共産党に盲従はしていなかったようだ。
日共はソ連が崩壊してあわてて、アリバイ工作本(?)として赤旗編集局『ソ連共産党とたたかって30年』 (新日本出版社)という本を1992年に刊行した。当時笑いながら一読した覚えがある。1992年から30年さかのぼると、1962年ごろ。そのころから反ソになった? 共産党って、そのころ結党されたんだっけ?
ともあれ、1960年以前は、「ソ連共産党のいいなりだった」事実は認めるのだろう。ソ連はバラ色だった。だから、ソ連の核実験にも反対しなかった。ハンガリー動乱に関しても、ソ連が正しいと言っていたのだし。
その点、総評副議長はちょっと違う。
「ソ同盟」に対しても、「労働者の生活は安定している。賃金をはじめ労働条件、福祉関係も完備している。さすがは社会主義の国だという感じがする」と「誤解」(評価?)はしているものの、「その反面」「政治に対する批判がどのような形で現れるのか、よくつかみ得なかったが、どうも『官僚主義』が芽生えてくる危険性があるような気がした」「重工業重点のために農村対策、また一般消費部門についての製品が不足しているような気がした。そのために国民の生活水準が低いのではないだろうか」……と法眼さんの助言が効いたのか、ちょっと的確なことも言っている
但し、中国に対しては、ほぼ全面賛美。 「解放後の新中国はあらゆる面で実に素晴らしい躍進をとげたといえる」「あれほど多かった賭博もなく、売春も、盗人もいない」と…。やはり「容共リベラル」は度し難い。ソ連よりは中国にまだ幻想をより抱いたのだろうが……。
ともあれ、これは非売品ということもあってか、国会図書館も所蔵していないようだ。「日本の古本屋」の検索でも見当たらなかった。しかし、戦後労働運動史を見る上で、こういう訪問記録は結構面白い。
総評の中にあっても、まだリアルにソ連を見る眼をもっていた人だったと評価することも可能だろう(中国にはどうしようもないが、開高健さんなんかも初期のころはこんなレベルだったかと)。この後、藤岡氏がどのように「変遷」したか、しなかったか気になるところだ。
1959年4‐5月、日本青年婦人訪中代表団に加わり新中国を訪問し、藤岡氏同様に中国を賛美した岩波の元女性社員だった長島陽子氏は、近年『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)を書いて、反中国に転向した。
ともあれ、「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」の予告編をネットで見た。やはり、涙なくしてみられない映画。この悲劇を無視して、ソ連東欧の体制を賛美し続けた「容共リベラル」派の言論責任は大きいというしかあるまい。
もちろん間違いや勘違いは誰にもある。それに気づいた時点で、正直に修正することが肝要。それを「歴史修正主義」とおとしめるわけにはいくまい。少なくとも長島陽子氏の本は、立派な内容だ。
アウシュビッツで虐殺はあったのに、なかったというのと、毛沢東の文革は人間革命だと礼賛していたけど、単なる政治闘争で虐殺が多々あったというのも、ポルポトの虐殺はなかろうと思っていたけど、実際は虐殺だらけだったと認めるのも、南京で無辜の市民を30万殺したと思っていたけど、それは誇大すぎる数字で、正しくは捕虜などを国際法違反で処断したものがあったりした、通常の戦争犯罪のレベルだった、その数は数千人か数万人だったとか、日本政府や軍人が強制連行して慰安婦にした女性が何万人もいるかと思っていたけど、そんな形で強制連行されて無理やり慰安婦にされて性奴隷の扱いを受けた女性は朝鮮半島などではいなかった……。
どれも「多数説?」や「定説」に対しての「異説」であり、「修正主義」かもしれないが、正しい意味での「修正主義」はどちらかは個々のケースによりけりだろうが、過去の「定説」が修正され、かつての「異説」が「定説」になりうることもあるというのは明々白々だと思う。アウシュビッツにしても、ポーランドがソ連から「解放」されたことによって、そこでの死者数は修正されている(ガス室の虐殺がなかったとかそういう話ではなく、そこで死んだとされていた死者の数が百万単位で下方修正された)。
間違いをおかさないということは人間ならばありえない。過失や誤断はありうる。本欄も含めて。誤植などは無数の限り? 可能な限り修正訂正するのは当然のことだろう。自分の見解を絶対的正義と認識し、それへの疑問を提示するのを「歴史修正主義」とおとしめるのはおかしなことというしかない。
憲法9条の解釈とて、制定前後に関しては、自衛戦争もダメと言っていた吉田茂と自衛戦争はいいじゃないかと言っていた日共とでは、今やどうなるのか。集団的自衛権にしても、私立学校への公的資金の援助にしても、統帥権云々にしても柔軟に憲法解釈する余地があれば、そうするしかあるまい。
統帥権侵犯を声高に叫ぶ軍部(空想的軍国主義者)と憲法9条違反を許すな(究極的には自衛隊違憲論、自衛隊全廃?)と声高に叫ぶ空想的平和主義者とが、同じに見えるという人もいることだろう。
狭量な教条主義を排することが肝要。
ともあれ、ネバーセイネバー。
『無人暗殺機ドローンの誕生』から『無人・無差別殺人機ドローンの誕生』 ついにゲリラ兵器としての「ドローン」が日本にもやってきた
- 2015/04/22(水) 21:08:21
『無人暗殺機ドローンの誕生』から『無人・無差別殺人機ドローンの誕生』
ついにゲリラ兵器としての「ドローン」が日本にもやってきた
(2015・4・22・水曜日)
アメリカがくしゃみをしたら日本は風邪をひくとか、欧米で流行したものが少しすると日本でも流行りだすとかよく言われるが、ホワイトハウスにドローンが飛んできたのが少し前のことだった(2015年1月)。このドローンは、遊びで操縦しているうちにホワイトハウスの敷地内に入ってしまったと「犯人」は説明していたとか。
しかし、このドローンに「自爆装置」や「毒ガス」などが詰められていたらどんなことになったか。危機管理の上で見すごせないなと思っていた。
また、アメリカで起きることは日本でも起きる…という鉄則があるからさて……と思っていたら、なんと、放射線入りのドローンが首相官邸に落下したというからこれは、ホワイトハウスの時と違って意図的なものがあったとしか思えない。
時事通信 4月22日(水)16時36分配信
首相官邸(東京都千代田区)の屋上で小型無人機「ドローン」が見つかった事件で、機体から微量の放射線が検出されていたことが22日、捜査関係者の話で分かった。警視庁は機体を回収して詳しく鑑定するとともに、周辺の防犯カメラの映像を解析するなどして、操縦者の特定を急ぐ。
警視庁によると、22日午前10時20分ごろ、新人職員を屋上に案内した官邸職員が発見した。ドローンは直径約50センチで、カメラや、直径約3センチ・高さ約10センチの液体を入れるプラスチック容器のようなものが付いていた。容器は小豆色で、ふたは閉まっていたという。
容器本体には放射能を示すマークも見つかっており、警視庁が簡易鑑定したところ、人体には影響のないレベルの、微量の放射線が検出された。
どっかの虚報新聞によく出てくる(?)単細胞的な進歩的文化人流に早合点推測すれば、 「反原発」派の官邸前で定期デモをやっている輩のなかに潜む左傾化した左翼過激派の犯行に違いない…となるかもしれないが、もちろん、証拠もないのに、そんな主張を僕はしない。
以前、ドローンに関する本を紹介した(以下再録)。
もはやSFではない無人・ロボット戦争の時代?
(2015・2・26・木曜日)
兵頭二十八氏の『もはやSFではない 無人機とロボット兵器 エコ軍備の最前線』 (並木書房)を以前読んだことがある。2009年の刊行。
「ロボット軍拡時代だけには乗り遅れるな!」「核武装できない日本の最後の切り札!」と帯には書かれている。無人偵察機・攻撃機なども紹介されている。
無人偵察機・攻撃機となれば、フレデリック・フォーサイスの小説『キル・リスト』 (角川書店)が面白かった。これは小説だが、テロリストなどを無人機が追いかけるシーンがふんだんにあったかと。
もっとも、これを危険な兵器として批判しているのが、ジェレミー・スケイヒルの『アメリカの卑劣な戦争 無人機と特殊作戦部隊の暗躍 上下』 (柏書房)。
これは積んどくというか、パラパラとめくった程度なのだが、一方、無人機の開発の歴史を追い、その画期的な性能や活躍ぶりを追求したのが、リチャード・ウィッテルの『無人暗殺機ドローンの誕生』 (文藝春秋)。これは一読。
イスラエルの愛国心あふれる青年技師と、アメリカの反共の実業家との理念が合致して、開発が進められ、さまざまな障害を乗り越えて、偵察のみではなく攻撃力を持つにいたった過程が描かれている。
「イスラム国」相手にも、中東の空をこの無人偵察機・攻撃機・暗殺機が飛んでいるのだろうと感じた次第。
それにつけても、レーザー兵器の開発やら、無人機の開発やら、核爆弾の小型化など……いろいろと考えると、今後の兵器産業はどうなっていくのか? ロボット兵器による自爆核テロや攻撃などを考えると、無人機による原発攻撃なども考慮する必要が出てくる?
リチャード・ウィッテルの『無人暗殺機ドローンの誕生』 が描いているのは、アフガンに潜むテロリストをアメリカ本土から操作してピンポイントで狙える本格的な無人暗殺機としてのドローンだが、今回、官邸に飛んできたドローンは、旧来のリモコンに毛が生えたようなものかもしれないが、そのゲリラ的兵器、無差別殺人機としての脅威は決してあなどれないものがある。
デパートのロボットガールやダッチワイフのラブドールなども、「人間」の尊厳をある意味で損なう可能性のある「脅威」となりうるだろう。困った時代になってきたようだ。
ともあれ、ネバーセイネバー。
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好きな女優といえばアネット・ヘヴン?
- 2015/04/22(水) 06:23:18
好きな女優といえばアネット・ヘヴン?
(2015・4・22・水曜日)
沢木耕太郎氏の『銀の街から』 (朝日新聞出版)を拾い読み。
朝日新聞に連載されていた映画評論をまとめたもの。連載時、時々眼にしていた。といっても、ここで紹介されている100本弱の映画のうち、見たことのある映画は「ペーパーバード」と「デンジャラス・ラン」だけ。
著者は「あとがき」で、連載のきっかけとして、当時50代で、企業に入った友人たちは、忙しくて読書も話題のビジネス書、映画もビデオでたまに見る程度と聞いていたので、「そんな友人たちのために、一カ月に一回くらいのペースで、今月はこんな本を読んだ、今月はこんな映画が面白かった、来月はこんなスポーツの試合を見るつもりだ、といったようなエッセイをワンテーマずつ書けないものだろうか……」と。それで映画を一本、月一回連載することになったという。「この連載が、その発端から宿命づけられていたのは、私の友人たちを含めた多くの読者に、『その作品を見てみたい』と思わせるものにする、ということだった」と。そうだったのか……。
幸い、僕は本に関しては、こんな風に次から次へと読破はしているが、その分、映画は、特定嗜好分野以外は借りて見ることも稀。
テレビ放送も少し録画したのも見ていない。劇場に行くのも億劫だし……。見たい映画はちょっとマイナーなものが多く、渋谷のすみっこに行ったりすることもあるし……。駅チカならまだしもだが。本を読む時間や古本屋に行く時間をひねり出すために、その分、映画観賞や飲みニュケーションの時間は削減される。一日24時間だから仕方ない。
ともあれ、楽しく読めそうな一冊である。
先ずは見たことのある映画のみ一読(再読)。「ペーパーバード」はポスターも買って、台所の壁に貼っている。ちなみにここに貼っているポスターは「カティンの森」と「君の涙ドナウに流れ」と「ペーパーバード」の三枚。この前、「フレンズ」のチラシを買って、それはベッドの脇に貼り付けている。あとは、アネット・ヘヴン(ヘブン)の某映画のポスターがベッドの真上にあればいいのだが……。
ともあれ、ネバーセイネバー。
- 映画
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軍拡、海外膨張止めれば「格差」はなくなる?(中国の場合?)
- 2015/04/21(火) 21:05:19
軍拡、海外膨張止めれば「格差」はなくなる?(中国の場合?)
(2015・4・21・火曜日)
2015・4・21のNHK夜7・30~からの「クローズアップ現代」を見た。
中国では年間20万人もの子供の誘拐があるという現象を取り上げていた。田舎の農民は都市部の住民に比べて所得も低く福祉の恩恵も乏しい。そのため、老後の面倒を見てくれる子供がいないと大変なことになるということで、そういう需要を満たすために誘拐産業が成り立っているとのこと。へぇ、それはあまり知らなかった。
アメリカでも誘拐が多くて、牛乳パックに誘拐された子供の顔写真や見つけた時の連絡先などが印刷されていると聞いたことはあるが……。
スタジオには東京大学大学院総合文化研究科准教授・博士(Ph.D.)で、中国の農村事情などを研究している阿古智子さんが出演していて、的確なコメントもしていた。彼女は、『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告 増補新版』 (新潮選書)なる本も刊行しているそうな(未読未購入)。
年金にしても、都市部だと月3万円もらえるのに、農村は月1500円。農民たちが都市部に移住して、そういう福祉を得ようとすると大変なことになる? だから、移動の自由を国民に与えず、農民はなるべく農村に縛りつけようとするわけか。
誘拐した子供を買った母親や、その誘拐された当人も登場。「養母」のために地下室の狭い部屋に住み自動車工場で働き「実家」に仕送りしつつ、実の母親を探し求めている……シーンも放送されていた。警察がNGOと協力して誘拐された子供を助け出すシーンもあった(何となく当局提供の怪しいシーン?)。
田舎の子供たちは学校給食も満足にないということで、NGO団体が無料給食を提供しているシーンもあった。ぶっかけご飯のような代物。嬉しそうに食べている。まぁ、北朝鮮に比べれば恵まれているだろうが、日本やアメリカを「格差社会」だと騒ぐリベラルな人たちは、こういう本格的な「格差大国中国」にはあまり関心を寄せない傾向がある。「祖国」の惨状には甘い?
ともあれ、誘拐ビジネスをやっつけようとしている中国警察なども好意的に紹介もされていたが、それにしても、経済成長も一時の勢いがなく、財政的にも大変な状況で……と行った会話でピリオドとなった……。
もう一言いってやればいいのにねぇ。誰もが思い浮かべる、いい解決策、いい対策。格差是正のために有効な手だてがあるのに……。なぜ言わないのか?
NHKのプロデューサーに、事前の打ち合わせで、「中国は公表数字でも毎年二桁の伸び率で増やしている軍拡なんか止めて、東シナ海で領土拡張の工事をやるお金があったら、それを福祉に回しなさい。戦闘機一機で学校がいくつできると思っているんですか」(昔、日本共産党や社会党がこんなフレーズをよく言っていたっけ?)なんて番組では言わないでくださいね。今回の取材、向こうでは中共のお世話にかなりなっているので」と言い含められていたのではないかとふと思った次第。
たしか、以前、佐々淳行氏が、ペルーの大使館人質事件の時、この番組に出たことがあって、その際、あれ言うな、これ言うなとプロデューサーの輩が煩かったという。国谷 裕子さんはいい人なのに…と。「リベラル寄りの公平中立」をモットーとする番組で、タカ派(?)の佐々節が炸裂するのを恐れてのことだったか? (『後藤田正晴と十二人の総理たち』文春文庫・参照)。
同じことが、この中国の恥部に若干なりともそれなりに触れた番組の背後にはなかったことを祈りたい。
ともあれ、ネバーセイネバー。