モーリシャスはインド洋に浮かぶ島だが、地図を見ればわかるようにアフリカ大陸に近い。私が訪れたのは昨年の12月半ば過ぎで、ヨハネスブルグから約4時間のフライトはクリスマスをこの島で過ごす白人の家族連れで満席だった。
アメリカの作家マーク・トウェンがここを訪れたとき、「神はモーリシャスというパラダイスを創り、それを真似て天国を創った」と語ったという。その賞賛の言葉どおり、美しいビーチと高級ホテルで知られる世界的なリゾートで、面積は約2000平方キロだから沖縄よりひとまわり大きく、そこに130万人のひとびとが暮らしている。
モーリシャス空港の第一印象は、入国管理がきわめて厳しいことだ。この時期はまだエボラ出血熱の騒ぎがつづいていて、アフリカからの入国者は、感染地域を訪れていないかパスポートで入念に確認された。
だが、入国審査に時間がかかる理由はそれだけではない。
たいていの国で日本人はフリーパスだが、ここでは帰りの航空券の提示も求められた。出国時にも、渡航先(マダガスカル)だけでなくその先のヨハネスブルグ行き航空券を示し、モーリシャスには戻ってこないことを証明しなければならなかった。それだけ不法労働者の入国に神経を尖らせているのだ。
モーリシャスがどのようなところか、ひと言で説明するのは難しい。あえていえば、「インドにとってのシンガポール」ということになるだろうか。ここは華僑ならぬ「印僑の島」なのだ。
フランス東インド会社によって開発が始まった
17世紀半ばにオランダが植民を開始した頃は、モーリシャスはほとんど無人に近い島だった。1715年にフランス領になってから、フランス東インド会社による奴隷の輸入と農業(プランテーション)開発が始まったが、1735年の調査でも人口は838人で、それに2612人の奴隷がいるだけだった(当時は奴隷は人間以下とされていたから、人口には加えられていない)。
モーリシャスを所有していたフランス東インド会社は、オランダやイギリスに対抗してつくられた国営商社で、北米のミシシッピ川河口にニューオリンズを建設し、大規模開発を行なったことで知られている(この開発計画が破綻し、ルイ15世が発行した紙幣が紙くずになったことがフランス革命の遠因になった)。
それとほぼ同時期に東インド会社は、「3年以内に開墾を始める」という条件でモーリシャスの土地の払い下げを行なった。植民者には20人の奴隷が与えられ、その代わり毎年の生産物の10分の1を東インド会社に支払うことになっていた。これに応募した一人がフランスのノーベル賞作家ル・クレジオの先祖で、その邸宅は「ユーレカハウス」として公開されている。
奴隷は主にアフリカ大陸とインド大陸から連れてこられた。このうちアフリカ系の子孫はクレオール(植民地生まれ)と呼ばれる。首都ポートルイスにある世界遺産アープラヴァシ・ガートは、1835年の奴隷制廃止後に、人手不足を補うためクーリー貿易によって送られてきたインド移民の受け入れに使われた建物群だ。
現在のモーリシャスの民族比率はインド系68%、クレオール27%で、それ以外は華人3%、フランス人2%となっている。
フランスの植民地支配が1世紀続いたあと、1810年にイギリスに占領され、14年にイギリス領となった。だがその後もフランス文化の影響は強く残り、いまでも国民の大半がモーリシャス・クレオール語(植民地化したフランス語)を話し、新聞・テレビでもフランス語が使われている(外国人に話しかけるときも最初がフランス語で、それで通じないと英語になる)。
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