ある在日3世の自画像「学歴で自分を飾る選択肢なんかないと思っていた」

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成功したければ医者か弁護士に!?…開き直る“その他大勢”

世の中、変われば変わるものだ。

「民族差別って、本当にあるの?」

たまにそんな質問を受けていたのが、ひと昔前のことである。あれから十数年。

「実際のところ、在日特権みたいなものはあるのでしょうか?」

最近ではこんなことを聞かれる。

話がまったく逆さまになってしまったわけだが、答え難さという点では共通している。

差別については、少なくとも個人的には体感したことはない。しかし日本社会の隅々まで知り尽くしている訳ではない以上、どこかに残っているかもしれないものを「ない」と断言するのははばかられる。

特権は「ない」と断言しているが、それを信じるかどうかは相手次第。そもそも、何かが「存在しない」ことを証明するのは不可能だ。

つまるところ、自分がいままでどういった生き方をしてきたかを話すことで、納得してもらうしかない。

私は1972年、在日朝鮮人3世(現在は韓国籍)として東京で生まれ、小学校から大学までずっと民族教育を受けた。保育園もキリスト教会系のリベラルなところに通ったため、そもそも出自を理由とするイジメなどとは縁遠い環境にあったとも言える。

しかしいま思えば、民族差別とまったく無縁の少年時代を過ごしたわけでもなかった。

「朝鮮人は、医者か弁護士にでもならなければ成功できない」

中学生ぐらいのとき、親の世代である在日2世たちから言い聞かせられた言葉だ。かつての日本社会には、就職における国籍差別が厳然と存在していた。そのため在日は腕一本でのし上がるしかなく、最も強い武器となるのが国家資格である、というわけだ。

とはいっても、医師や弁護士というのはかなりハードルが高い。猛勉強してなし遂げた根性者が親戚にも何人かいるが、「オレにはムリだ」と早々に開き直る向きがむしろ多かった。あるいは、「中途半端な受験勉強ならやるだけ無駄」と思える環境がむしろ、スポーツや芸能に秀でた者がわき目も振らず突き抜けていく、ひとつの理由に通じているとも言える。

「差別の置き土産」と向き合う

そうした特別な能力を持たないその他大勢のうち、ある者は思い切り遊び、またある者はただダラダラと十代を過ごした。

しかし、そんな安穏とした時間もやがて終わる。社会に出ると、厳しい現実と向き合わなければならない。

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